侯爵家の婚約者

やまだごんた

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46.求婚者

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「隊長、申し訳ありません。この男は私の妻方の親戚にあたり、昨年の夏から留学の為にランブル侯爵家でお世話になっているナジームと申します」
 ラエル卿の説明で、カインは北方の民族の族長の息子が昨年から王国に来ていたことを思い出した。
 確か自分達よりも2歳ほど年上だったか――自分に直接関係ない話だったので忘れていたが、ラエル卿の親戚にあたるとは思わなかった。
「私はカイン・エスクード。ラエル卿が所属している第五分隊の隊長を務めている」
 ジルダに果実水の入ったグラスを渡すと、カインはナジームに右手を差し出した。
「私はナジーム・アシャール。アシャールの長の息子であり、そこにいるジルダに求婚している男だ」
 ナジームはカインの右手を握り返すと、力を込めた。
「君は王国のしきたりに詳しくないようだから教えておくが、ジルダは私の婚約者である前に、シトロン伯爵家のご令嬢でもある。平民のように名を呼ぶな」
 感情を表に出さずに、カインは握手している手に力を入れ返した。
 ナジームの表情が一瞬苦痛に歪むと、カインは手を離した。
「それは失礼した。ジルダ嬢」
「この国で公の場で名前を呼ぶのは肉親か、それに準ずる者だけだ。シトロン公女と呼びたまえ」
 あくまで平坦にカインが言うと、ラエル卿が青ざめた顔で二人を交互に眺めている。
「わかったよ。失礼しました、シトロン公女――これでいいかな」
 ナジームが言うと、カインは答える代わりにジルダを背に隠すよう、二人の間に立ち塞がった。
「理解していただけてなによりだ。アシャールどの。彼女は疲れている。お引き取りを」
「そうだ。そうだぞ、ナジーム。向こうに戻ろう」
 ラエル卿が泣きそうな声でナジームを引きずろうとするが、ナジームはピクリとも動かない。
「まだ何か用が?」
 カインが少し苛立った様子を見せると、ナジームはにやりと笑ってみせた。
「ああ。シトロン公女に求婚している。その答えを今日こそ聞きたい」

 カインは目の前の男が一体何を言っているのか理解できなかった。
 ジルダに求婚?なにをふざけたことを。
「君は共通語を流暢に話すが、理解は難しいようなので、もう一度言うが、彼女は私の婚約者だ。君の求婚を受けられるはずがない」
 カインの背に隠れたままのジルダは、いつまでこれが続くのかと呆れながら、カインが持って来てくれた果実水を口に運んだ。
 
 ナジームと出会ったのは、秋に行われたランブル侯爵家の舞踏会だった。
 北方の民族の長の息子と紹介された男は、ジルダを一目で気に入ったようだった。
「君はアシャールの血を引いてるの?」
 初めてなのに馴れ馴れしく話しかけてくるこの男が、ジルダは好きになれなかった。
 曽祖父は北方の民族の出身だが、親戚づきあいなどとうになくなっている。
 ジルダには親近感も懐かしさも感じないのに、男は真逆のようだった。
「この国に来て君のような美しい人に会えるとは思わなかった。ねえ、君、俺と結婚しようよ」
 ジルダはこの男が嫌いになった。

 あの場は、慌てたランブル侯爵がナジームを引き剥がしてくれて助かったのだが、それからも時折ナジームから手紙や贈り物が届けられるようになっていた。
 もちろん、全て送り返していたのだが。
「君には他に女がいるんだろう?ならジルダはもういらないだろ」
 ナジームは挑発するにカインに言ったが、カインは冷たい目でナジームを見つめていた。
「申し訳ありません、隊長」
「ラエル卿の責任ではない。気にするな」
 カインはラエル卿に言うと、もう一度ナジームを見た。
「私に女がいるなど、下世話な噂を信じる時点で、君はジルダに相応しくない」
 カインの言葉に、ジルダは驚いた。
 どの口が言っているのだろう。
 だが、カインがジルダを庇うような素振りを見せるのは意外だった。
 てっきりいつも通り無関心を貫くか、これ幸いに浮気だなんだと責め上げて婚約をなかったものにするのではと思っていたのだが。
 いずれにしろ、いつまでも壁とカインに挟まれているのはいたたまれない。
「あの、カイン様……少し私に話をさせていただいてよろしいでしょうか」
 ジルダが声を掛けると、カインは驚いたように振り返った。
「まさか君はこの男の求婚を受けるのか?」
 苛立ちが混じった声に、ジルダは小さく溜息をついた。
「わたくしはカイン様の婚約者でございましょう?少なくとも今は」
 棘を感じさせる言い方に、カインが一瞬怯んだ隙に、ジルダはカインを押し退けて前に出た。
「アシャール様。お気持ちはありがとう存じます。ですが、再三申し上げている通り、わたくしはカイン様の婚約者でございます。お話をお受けするわけにはいきません」
「だが、婚約を解消するのも時間の問題と聞いた。いますぐでなくともいい。俺は待つよ」
 何と話の通じない男だろう。ジルダはうんざりとナジームを見た。
「例え、婚約を解消されたとしても、わたくしにはお役目がございます。そのお役目のためには、この国を離れるわけにはいきません」
「ならば、俺がこの国に来よう。それなら君も役目を果たせるし、俺とも結婚できる」
 ナジームが得意げに言った瞬間、カインはジルダの肩を抱いて再び自分の後ろに引っ張った。
「私は婚約を破棄しないし、ジルダは君と結婚しない」
 カインの苛立ちが最高潮に達している。
 ジルダはカインの魔力が溢れないか注意しながら、いつでも魔力を吸収できるよう手をそっと握った。
 だが、カインの魔力は予想に反して落ち着いていた。
「嘘をつくなよ。今年結婚だって聞いてたのに、あんたは結婚の準備も拒否して女とうつつを抜かしてるって話じゃないか」
 ナジームが嘲るように声を上げた。
 周囲で聞き耳を立てていた貴族達も、今はもう臆面もなく彼らのやり取りを興味津々で見ている。
「あんたはジルダの能力を手放したくないだけだろ?安心しろ、俺と結婚してもジルダの役目は続けさせてやる。それなら文句はないだろう」
「ジルダを道具のように言うな!」
 カインの魔力が一瞬大きく膨らんだ。
 ジルダはカインの手をぎゅっと握った。
「お前のような男がジルダの名を呼ぶな。次にそのような無礼をしたら、私はお前が何者であろうと、エスクード侯爵家の名においてお前を処罰する。いいな」

 騒ぎは駆け付けたエスクード侯爵によって収められた。
 カインとジルダは騒ぎの原因となるからと帰宅を命じられ、ナジームは厳重注意と10日間の謹慎を命じられた。
 ラエル卿は蒼白な顔で、カイン達が獣車に乗り込み、姿が見えなくなるまで何度も謝っていたのが気の毒だった。
「アシャールの事など、聞いてなかった」
 獣車の中でカインが不機嫌を顕わに呟いた。
「ランブル侯爵の夜会は、カイン様が蟄居されている間のことでしたし、てっきりお噂で耳に入っているものと思っておりました」
 ジルダが答えると、カインは言葉に詰まったように黙り、少しだけ間を開けて言った。
「君は――本当はあの男がよかったんじゃないのか」
 顔をそむけたままのカインに、ジルダは返事をしなかった。
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