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第一章 英雄の帰還

3 無力な後悔

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 ユンが帰り、家には母と二人になった。

 母さんはまだ父を失った実感がないらしく、泣き崩れる様子はない。

 「母さん…そろそろ父さん、処理されちゃったのかな…」

 「そうね…」

 「母さんは…悲しくないの?」

 「私も……アランと同じみたい。悲しみより何もできなかった怒りが勝つわ」

 「そっか」

 ドンドンドンドン!!

 家の扉が強く叩かれた。

 「ん?なにかしら?」

 ただの来客……とは思えない。もう日が暮れている。

 俺はドアの裏からとてつもない悪い気配を感じた。

 なにか、開けてはいけないような。開けたら全てが終わってしまうような、そんな気配。

 「待って…母さん」

 しかし消えるようなか細い声は届かなかった。

 ドアが開かれる。

 どんな怪物が現れるのだろうか。

 しかし予想に反して、そこに立っていたのは腰が真っ直ぐ伸びた老人だった。

 「早くここから逃げるんじゃ!ここは危ない!」

 「えっと…どちら様?」

 母さんは知らないようだが俺は知っている。

 この爺さんはユンの祖父、キンバルト・ウォーレン。

 「あぁ、母さん。ユンのお爺ちゃんだよ」

 「あぁ!ユンくんの!」

 「そんなことはどうでいいんじゃ!早く逃げろ!」

 「どうし…」

 コォォォォ!!

 不気味な音が、鳴った。

 先程の悪い気配はキンじぃではない。
 
 奴だったのだ。

 家の壁が凹み、外へ吸い出されるように消えていく。

 壁に穴が空き、奴の姿が見える。

 「え?」

 「なに……あれ……」

 コォォォォ……!

 「遅かったか…!」

 人型……だが胸から上が大きな口になっている。何かに似ている……。

 あ、そうだ。昔見た絵本に出てくる、【クジラ】という生き物だ。

 なぜ空想の生き物と人間が合体し、俺の目の前にいるのか。

 コォォォォ……!

 怪物がもう一度口を開くと、家の家具が吸い込まれていく。

 俺と母さんの足が浮く。そして、吸い込まれていく。

 「キャァァ!!」

 「まずい……!」

 キンじぃが腰に差した銀色の物体に手をかける。

 「メス……!!」

 そう言いながら、銀色の物体を怪物へ投げつける。

 メスと呼ばれた物体は怪物の頭に突き刺ささった。

 グゥ!

 低いうなり声を上げて怪物が口を閉じる。

 「今じゃ!二人とも!早く逃げるぞ!」

 「あ……あ……」

 恐怖で足が動かない。

 「何が……」

 母さんも同じみたいだ。

 「しっかりしろ!」

 キンじぃが駆けつけ、俺を抱え上げる。

 コォォォォ!!

 もう一度怪物が口を開けた。

 まずい。このままじゃまた……。

 「あ……」

 母さんの足が再び浮き始める。

 だめだ。このままじゃ母が吸い込まれる。

 だけどキンじぃは俺を抱えているので両手が塞がっている。

 「クソッ……!」

 クソッ……?クソッてなんだよ。おい。キンじぃ。もう助けられないのかよ。

 なんだよ。手を伸ばせば届く距離じゃないか。どうにかしてくれよ。

 俺は恐怖で動けないんだよ。

 「アラン…助けて……」

 ほら……母さんが腕を伸ばしてるじゃないか。



 あれ……?何してんだ?俺。

 なんだ恐怖で動けないって?

 さっきの怒りはどうしたんだよ?

 何もできない自分が嫌じゃないのかよ?

 動けよ。

 動けよ!

 動け!

 動いてくれ!

 「母さん!」

 手が……動いた。

 真っ直ぐ伸びた。

 届く。

 とどく。

 今度は、助けられる。

 母さんと俺の手が触れる。



 だけ、だった。

 「キャァァァァ!!!」

 母さんが…怪物の口に吸い込まれていった。

 「え」

 「しっかり捕まっているんじゃ!」

 キンじぃが力強く走り出す。

 怪物は、それ以上追ってこなかった。
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