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012.

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 星の別邸に馬車が着くと、ディーノとエミリーが出迎える。エミリーは夕食の少し前に別邸に到着しており、今夜は彼女もここに泊まることになっている。

「エミリーは今日もラルドと遊んだんだね」

 ルーチェが笑うと、エミリーは慌てて服の裾を払う。飴色の毛が至るところについているのだ。

「ディーノ。エミリーの服を早めに手配するように」

 フィオが苦笑しながらディーノに申しつける。どうやら星の別邸の侍女やメイドが着る服は、毛玉がつかないような特殊な布を使っているらしい。

「エミリー。毛玉は気にせずに、これからもラルドと遊んでやってくれないか。ラルドはあなたのことをとても気に入っているみたいだから」
「は、はい」

 ルーチェとエミリーは二階の客室へ、フィオは三階の自室へと戻る。
 居室、支度室と浴室、寝室――その三部屋が一つの客室となっている。支度室でエミリーにドレスを脱がせてもらい、ルーチェは風呂に入る。魔石で水量と湯温が調節されている風呂は、黒色大理石がふんだんに使われていて美しい。

「エミリー、ラルドもアディも可愛いね」
「うふふ、そうですね」
「ラルドは昼間もずっといたのかな?」
「いいえ、確か、日が沈むとひょこりとやってきましたよ。アディがいなくなると、ラルドがやってきたんです」

 支度室と浴室の壁は厚くないため、話ができるのだ。ルーチェは「アディがいなくなった?」と小首を傾げる。

「星の別邸は不思議なところです。夕刻の三つ時を過ぎると、何もかもが変わりますね」
「そうだね。リーナは眠って、フィオ王子が起きてくる。アディがいなくなって、ラルドが現れる……ジラルド王子は?」
「今日は公務があったため、別邸にはいらっしゃいませんでした。夕刻前にちらとお会いしましたが、ラルドが来てからはお見かけしておりませんので、花と蔦の宮殿に戻ってしまわれたのではありませんか」

 ジラルドの部屋の改装はまだ終わっていない。そのため、ルーチェが客室を使っているのだ。
 ジラルドは既に花と蔦の宮殿に引っ越しているため、星の別邸にはもう用がないはずなのだが、エミリーによるとよく出入りしているらしい。別邸の庭に作ったハンモックも、撤去されずにそのまま残っているそうだ。

「ルーチェ様、浴巾タオルと寝間着は置いておきますね」
「ありがとう、エミリー。おやすみ」

 挨拶をしたあと、エミリーは自室に戻る。エミリーが住む使用人室は既に改装が終わっているため、ルーチェが星の別邸に来るときに合わせて少しずつ荷物を運び入れているようだ。

「……呪い、か」

 黒色大理石のせいで暗く見える湯船の中で、ルーチェは一人呟く。
『王と精霊の恋物語』の中にどれだけの真実があるのか、どれだけの嘘があるのか、ルーチェにはわからない。真実が何なのか、まだわからない。
 二十年ほど前、国王はコレモンテ伯爵領で黒髪の魔女に恋をして、緋色の魔獣に呪いをかけられた。呪いで国王が死ぬことはなかったものの、王家は何かを隠している。それは間違いない。
 花の匂いのする石鹸で体や髪を洗い、また湯船に浸かる。最高に気持ちがいいものの、釈然としないことばかりで気分は晴れない。

「三つ時……隠し事……星の別邸は、本当に不思議なところだな」

 三つ時が過ぎ、昼と夜が入れ替わると同時に、星の別邸の住人も入れ替わっているのだ。昼に姿を見せるのはリーナとジラルドとアディ、夜になると現れるのはフィオとラルド。リーナは眠り姫。

「入れ替わり……? そんなはずはないか」

 ルーチェは風呂から出て、エミリーが準備してくれた寝間着を着る。紅樺色のドレスは部屋の隅に置いてある。
 ルーチェは支度室のソファに座ってぼんやりと寝室の扉を見つめる。まだ眠くはない。次はその反対側にある居室への扉を見つめる。
 やはり、少し気になることがある。

「……行こう」

 ルーチェは魔石カンテラを取り、そっと自室を出る。そして、足音を立てないように三階へと上っていく。藍色の絨毯を行き、フィオの部屋の扉の前に立つ。
 国王に認められたからと言って、夜中に婚約者の部屋を訪ねることは決して褒められるものではない。ルーチェがノックをするのを迷っていると、中から言い争うような声が聞こえてくる。思わず、ルーチェは扉に耳をつける。

「もう無理よ、お兄様。こんな関係を続けること自体、間違っているの」
「そうは言っても、アデリーナ、僕たちはこうしないと生きていくことができないんだ。何度も話し合ったじゃないか」

 どうやら、フィオとリーナが執務室で言い争っているらしい。このまま立ち去るべきだという気持ちとは裏腹に、ルーチェの足は全く動かない。

「ルーチェがかわいそうだわ。騙されていると知ったら、どんなに悲しむことか。お兄様にはそれがわからないの?」
「わかっているさ。王妃殿下からも問題を解決するようにと言われている」
「だったら、早く真実を伝えるべきだわ」

 二人が言い争っている理由が自分にあることを知り、ルーチェは衝撃を受ける。

 ――騙されている? 真実?

「僕だって早く打ち明けたい。打ち明けてしまいたい。でも、怖いんだよ。恐ろしいんだ」
「嫌われるのが? それとも、婚約を解消されるのが?」
「どっちもだ」

 ハァとリーナの大きな溜め息が零れる。ルーチェは息をするのも忘れて、その場に立ったままだ。

「だったら、今夜、陛下に結婚の承諾を賜るのではなかったのよ。せめて、真実を打ち明けてからのほうが良かったのではなくて?」
「この一ヶ月、何度もそう思ったよ。何度も、折を見て話そうとしたよ。でも、言えなかった」
「呆れた人ね。では、わたくしが話すわ」
「ダメだ!」

 フィオの大きな拒絶の言葉に、ルーチェは廊下で体をビクリと震わせる。

「ダメだ、僕が言う。アデリーナは何も言うな。ルーチェに対しては、誠実でありたい」
「……ハァ、本当に勝手ね。今、一番お兄様がルーチェに対して不誠実であるというのに」

 とにかく、フィオとリーナが何かを隠していて、ルーチェにそれを打ち明けていないことで口論をしているのだ。その隠し事は、不誠実で、場合によっては婚約を解消するべきものであるらしい。

 ――何だろう? それが「フィオの目的」なのか? それとも「呪い」なのか?

「わたくし、あの子が大好きよ」

 リーナの静かな声が、諦めを含んだような声が、部屋に満ちる。

「冷たくて、滑らかなあの手のひらが大好き。あの優しくて穏やかな菫色の瞳が、暖かな膝の上が、大好き」
「僕だって……僕だって、同じだ」

 ルーチェはぎゅうと手を握りしめる。

「葡萄ソーダみたいな髪も、キラキラ輝く菫色の瞳も、白くて柔らかくて暖かな頬も……あぁ、僕の葡萄の妖精を、誰にも渡したくない。あの役者にさえも」
「意気地なし」
「そうだよ、僕は意気地なしで不誠実な男だ。でも、嫌われたくないんだよ。彼女が、好きだと言ってくれたから」
「わかっていて? ルーチェが好きだと言ってくれたのは、真実のフィオリーノじゃない。本当のお兄様ではないの。それは、真実の愛と呼べるものではないのよ」

 ――真実の愛?

 二人が話していることがおとぎ話ではないことはわかる。緋色の魔獣からかけられた呪いは、真実の愛で解けるということなのだろうか。

 ――呪われているのは、国王陛下だけではないということか? もしかしたら、フィオも呪われている? 呪いを解くために、真実の愛が必要なんだろうか?

「結婚をする前に、嘘偽りのないフィオリーノの姿を見せることが必要なのではなくて? 緋色の魔獣のことを知ったら、ルーチェは利用されたと思うのではないかしら?」
「違う、そうじゃない。僕は彼女がコレモンテ伯爵令嬢だから求婚したのではない!」

 フィオの焦る声に、ルーチェは、ようやく彼の目的に思い当たる。つまり、フィオが欲しかったのは「コレモンテ伯爵領」にゆかりのある人物だったのだと。

 ――やっぱり、私が王子妃に望まれたのには理由があったんだな。多分、呪いを解くために必要なんだろう。コレモンテ伯爵家の、真実の愛とやらが。

「真実を話すべきよ、今すぐにでも」
「アデリーナが羨ましいよ。気味悪がられるのも、嫌われるのも、僕だけだ。だって、僕は……」

 ルーチェは失意のまま、扉から離れて客室へと向かう。そうして、寝室の寝台ベッドに倒れ込むようにしてぼすんと身を預ける。

「疲れたな……」

 溢れる涙が、シーツに染みていく。拭うこともせず、ルーチェはそのまま寝入ってしまうのだった。


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