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015.

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 国立の施設は、王宮と貴族街の中間に位置する。議会、裁判所、各省庁など国の中枢を担う施設、そして、博物館、美術館、図書館など、すべてがそこに集約している。王宮と比べると地味な外観の建物ばかりであるが、屋根や柱には朱色が使われている。
 国立調査団もその建物群の一角にある。ルーチェはヴァレリオに教えてもらった建物に馬車を寄せ、警備兵にロゼッタへの取り次ぎを頼んだ。すると、すぐに若い青年がやってきて「ご案内いたします」とルーチェとエミリーを建物の中へと誘導するのだった。

「国立調査団は、何でも屋なんです。内務省や魔法省から調査依頼があれば、すぐに飛んでいって調査を開始するような人たちが集まっているので、ここはいつも閑散としているんです」

 誰もいない廊下を先導しながら、青年がそんなふうに説明する。三人の足音だけが廊下に響いている。本当に人がいないらしい。
 ロゼッタは今、自領で調査してきた『魔境』についての報告書や論文をまとめているところだという。「ずっと部屋にこもりきりで……先生は僕がいないと食事もまともに摂ってくださらなくて」と青年が苦笑する。
 研究者には生活をすることに無頓着な人が多いらしく、十五歳で職業学校を卒業して「見習い」となった青年はロゼッタの身の回りの世話を任されているのだと胸を張る。ロゼッタと彼はいい関係を築いているらしい。

「先生、ロゼッタ先生! お客様をお連れいたしました! ルーチェ・ブランディ様です!」

 ロゼッタの部屋の扉をノックし、青年が二人に入室を促す。研究者の部屋と聞いて身構えていたルーチェだったが、意外にも部屋は明るく開放的で、本や道具が散らばっているということはない。
 しかし、本棚の向こう側には、大きなデスクの上に山積みになった紙や本が見える。

「あら、ルーチェ? おはよう」

 デスクの奥のソファからむくりと起き上がったのは、酷い寝癖で寝間着のようなものを着た、侯爵家の令嬢だとは思えないほどの風貌の女性だ。青年は「先生、もう昼刻です! 今すぐ風呂に入ってきてください!」とロゼッタを引きずるようにして部屋の外へと連れ出すのだった。



「あぁ、サッパリした。こんにちは、ルーチェにエミリー。こんな格好でごめんなさいねぇ」

 まだ濡れた髪を浴巾タオルで拭きながら、ロゼッタは現れる。既に青年から香茶やクッキーなどでもてなされていたルーチェは「お久しぶりです、ロゼッタ姉様」と頭を下げる。

「あぁ、堅苦しくしないでちょうだい。ここにいるのは、侯爵家のロゼッタ嬢ではなくて、ただの研究者のロゼッタなんだから」
「はい、ロゼッタ姉様。早速ですが、緋色の魔獣に関することがあれば教えてください」
「緋色の魔獣?」

 ロゼッタはふらりと立ち上がり、デスクへと向かう。そして、本棚やデスクの中からいくつかの本と紙の束を持ってくる。

「ここ二十年ほどの、緋色の魔獣の動向を知りたいのです」
「あら。同じことを少し前にも聞かれたわねぇ」
「ロゼッタ先生が着任してすぐ、王家の方がいらっしゃったじゃないですか。お忘れですか?」
「うふふ。研究のことなら忘れないのにねぇ」

 青年は何かを思い出したように本棚へ向かう。朗らかな笑みを浮かべながら、ロゼッタは紙や本をルーチェに向けて広げる。その中の、ラルゴーゾラ侯爵領とコレモンテ伯爵領の地図に目が行く。年ごとに、目撃場所と日付が書いてある地図だ。

「緋色の魔獣と黒髪の魔女は、三十年前はこのあたりでよく目撃されていて、ちょっとずつ移動しているわね。ラルゴーゾラからコレモンテに向かっている感じかしら」

 ラルゴーゾラ侯爵領の東から西へ、そしてコレモンテ伯爵領へ移動している。目撃例は、二十五、六年前が一番多い。次いで、二十年前。国王の行幸があった頃だ。

「頻繁に目撃されている二十五年ほど前、何かあったのでしょうか?」
「黒髪の魔女が子どもを産んだらしいのよ」
「ええっ!?」
「人間との子ども――魔人ね。子育てをするために『魔境』から出てきたと考えられているわね」

 国王と恋に落ちる前に既に子どもを産んでいたという魔女。どうやら奔放な性格のようだ。まさか魔女に子どもがいたなんて、とルーチェは呟く。

「ラルゴーゾラもコレモンテも畑が多いから、食料には困らなかったでしょうね。ほら、ここなんか葡萄の名産地だもの」

 ラルゴーゾラ侯爵領とコレモンテ伯爵領のちょうど境目あたりだ。二十二年ほど前によく目撃されている。のんびりとした田舎の村が多く、魔の者にも親しんでいるため、頼まれれば気楽に食料をあげるような人々が多く暮らしている。

「でも、二十年前に何かあったんでしょうね。頻繁にコレモンテ周辺での目撃例があったあと、ぱたりと途絶えちゃうんだもの。それからまたラルゴーゾラに戻ってきて、一年のうち何度も『魔境』から出てくるようになるの」
「……王都での目撃例もありますね?」
「そう。ラルゴーゾラから南下して、王都の上空へ。でも、すぐに帰ったみたい。他の地方でも目撃例はあるけれど、やっぱりすぐにいなくなっちゃうみたいね」

 黒髪の魔女と、緋色の魔獣の不可思議な行動。それが国王の行幸と、呪いに何らかの関係があるのだろう。

「緋色の魔獣が何らかの魔法を使ったという記録はありますか?」
「うぅーん。最近は聞いたことないわねぇ。記録を遡って確認してみたらあるかもしれないけれど、魔獣って長生きだから、百年、二百年分の記録が果たして残っているかしら?」

 この地図はロゼッタが書き起こしたものだという。調査団の誰かが記録していれば同じように書き起こすことができるものの、記録がなければ無理なことだ。

「ロゼッタ姉様、その、魔の者が使う魔法って、どのようなものがあるのですか?」
「色々よ。一番多く目撃されているのは、移動の魔法かしら。一瞬で別の場所に現れるの。素敵ねぇ。どんなふうに、どこを移動するのかしら。あぁ、調べてみたい。一緒に移動してみたい」
「例えば、人を呪うような魔法は?」
「呪う? まぁ、呪ったのと同じような結果になる魔法はあるわね」

 移動の魔法も、受け取り方によっては呪いのようなものだとロゼッタは言う。魔法をかけられて見知らぬ土地へ移動するというのは、かけられた本人が便利だと思えばただの魔法であるし、災難なことだと思えば呪いとなるものだ、と。

「つまり、かけられた人にとっての印象で、魔法か呪いかが変わる、と」
「そうねぇ。例えば、幼くなる魔法をわたくしがかけられたとするならば、『研究をする時間が増えて嬉しい!』と思うでしょうし、わたくしの助手がかけられたとするならば『また職業学校に通わなければならないのか!』と嘆くでしょうし、お酒が好きな人なら『誰も酒を売ってくれなくなった!』と絶望するでしょうね」

 ロゼッタの言葉にルーチェは納得する。その人が不利益だと思えば、魔法は呪いに変わるのだ。だとするならば、王家が隠しているのは、不利益な魔法だということだ。

「あぁ、ありましたよ、ロゼッタ先生! 先生を訪ねてきた王家の方と、その内容が」

 本棚の奥から、ひょこりとロゼッタの助手の青年が現れる。ロゼッタが忘れていたため、どうやら、その記録を探していたらしい。

「あら、どなたかしら?」
「ジラルド王子です」

 意外な人物の名前に、ルーチェとエミリーは顔を見合わせる。のんびりふんわりしている自由な王子が、魔獣の動向について調べていたとは、予想すらしていなかった。
「ジラルド王子が?」とロゼッタは記載された日報のようなものに目を通す。そうして、先程の話と同じことをジラルドにも説明したと思い出したようだ。当時のことを思い出し、ロゼッタは破顔する。

「そうそう、思い出したわ。王子ったら可愛いのよ。『呪いを解除するのに必要なものは真実の愛なのか?』って、帰り際に聞いてきたの」

 ロゼッタは「可愛い冗談よねぇ」とひとしきり笑ったあとで、ルーチェが欲していた答えを、言った。

「真実の愛で解ける魔法なんて、おとぎ話でしか聞いたことないわ。そんな魔法、あるわけないのにねぇ」
「……と、ジラルド王子にも伝えたのですか?」

 ルーチェの問いに、ロゼッタは紙に目を走らせる。そうして、ルーチェへの答えにたどり着く。

「あら、嫌だわ。わたくしったら、『魔の者がかけた魔法を精査しなければ判断はできないが、その可能性はゼロではない』なんて答えたの? これ本当? 嫌だわ、寝ぼけていたのかしら?」
「……ロゼッタお姉様。それ、もしかしたら」
「ええ、ええ、わかっているわ、ルーチェ。これは大問題ね。冗談であっても、王族を謀るなんてあってはならないこと。すぐにでも訂正の書状を送らなければ……!」

 つまり、緋色の魔獣によってかけられた魔法――呪いは、真実の愛で解けるのではないと、王家に伝えるということだ。それを信じているフィオから、「真実の愛は必要なくなった」と婚約を解消される可能性が高いということだ。

 ――それならそれで、仕方がないな。

 ルーチェは手をぎゅうと握りしめる。仕方がない、仕方がないと呟きながらも、心の中では裏腹な気持ちが渦巻いているのだった。


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