26 / 49
026.
しおりを挟む
一同は特別席から出て、廊下にあった特別個室に案内される。王族が接待や密会に使っているという個室は、窓も何もない、テーブルと椅子が置いてあるだけの簡素な部屋だ。観劇のための個室ではないため、この部屋から舞台は見られない。
コルヴォとオルテンシアは、オーカから着替えを命令されたために不在だ。「二人が逃げるかもしれない」とリーナはここに留まるよう訴えたが、オーカは「二人が舞台に穴を開けることは絶対にありません」と一笑に付しただけだった。
セヴェーロは貴族議会へと戻っていった。リーナとルーチェ、アディ、そしてオーカが着席する。
「オルテンシアは、陛下から預かっている娘に違いありません。しかし、陛下の子ではありません」
オルテンシアが国王の子であると誰かから指摘されたことがあるのか、オーカは最初にそう言い切った。リーナが「そんなことはどうでもいいのよ」と一言で片づけると、オーカは驚く。議題は隠し子の件だと思っていたようだ。
「わたくしたちが知りたいのは、そのことではないの。オルテンシアの出自に違いはないのだけれど……彼女は、コレモンテ伯爵領で預けられたのではなくて?」
「仰る通り、伯爵家までの馬車を手配し、オルテンシアを王都まで連れてきたのは私です。北部の村でコルヴォを預かるついでに、伯爵領に立ち寄ったのです。しかし、それだけです。オルテンシアの親のことは知らされておりません」
オーカはオルテンシアが魔女の子だとは知らされないままに預かった様子だ。歌劇団では預かった子どもを役者や裏方に育てるという事業も行なっている。そのため、子どもが一人二人増えたところで、誰の目にも留まらなかったのだろう。
「陛下にオルテンシアの出自を聞いたことは?」
「そんな無粋な真似はしておりません。私は預かった子どもをいい役者に育てるだけですから」
オーカの言葉に迷いや嘘は見受けられない。歌劇団で働く者たちは、そのようにして育てられてきたのだろう。オルテンシアはそのうちの一人にすぎない。
「オルテンシアの髪の色は黒ね?」
「それは見たほうが早いでしょう。お入りなさい」
オーカの言葉で、扉が開かれる。廊下から入ってきたのは、コルヴォとオルテンシア。舞台用の化粧を落とし、髪の色も――変わっている。二人とも。
「烏という名前は、最初この子につけてやろうと思っていたのですよ。オルテンシアの髪の色、とても美しいでしょう」
オルテンシアの長い髪は、薄鼠から艷やかな黒髪に変わっている。コルヴォの髪色は、黒髪ではなく紺鼠だ。
「けれど、オルテンシアの背が思ったより伸びなかったので、女役……花の名前を与えることになりました。髪の色なら舞台用の染め粉でいくらでも変えられますからね」
オルテンシアは震えながら椅子に座る。その隣に、寄り添うようにコルヴォが座る。「王女殿下はただ話をしたいだけだそうだよ」とオーカが伝えると、ようやく二人はホッとしたような表情を浮かべた。
「オルテンシア。二十年前、あなたがコレモンテ伯爵領でセヴェーロと遊んだことは覚えている?」
「ええ、薄っすらと覚えています。オーカ団長に連れられて来る前のことでしょう?」
「セヴェーロと遊ぶ前は何をしていたのか覚えている?」
リーナの問いに、オルテンシアは少し思案する。
「森で過ごし、葡萄畑で遊んでおりました。ただ、親の記憶はほとんどありません。わたくしと遊んでくれたのは、育ててくれたのは、赤い犬のような大きな生き物です」
リーナは「緋色の魔獣だ」と呟く。その声には安堵が滲む。
「オーカ団長とコルヴォと一緒に王都に向かっている途中、赤い犬を見かけたことがありますが、それきりです。わたくしの親は、あの赤い犬なのでしょうか」
「いえ、あなたの親は……黒髪の魔女の可能性があるの」
「黒髪の、魔女?」
驚くオルテンシアに、「やはり」というような表情を浮かべるオーカとコルヴォ。オルテンシアに不思議な魅力があることに気づいていたのだろう。
「わたくしは、魔人、なんですの?」
「ええ、おそらくは」
オルテンシアは目にいっぱい涙を浮かべる。何に怯えているのか、ガタガタと体を震わせている。
「わ、わたくしは、『魔境』に戻らなければならないのですか?」
その一言で、リーナとルーチェはオルテンシアが何を恐れているのかを理解する。
「い、嫌です。魔人だから『魔境』へ帰らなければならないなんて! わたくしは、花鳥歌劇団の役者です。わたくしの居場所はここなのです。絶対に、ここから離れません!」
「そうだ。オルテンシアは二十年もここで暮らしてきたんだ。今さら『魔境』で暮らせだなんて無理に決まっている」
「『魔境』に戻れ、だなんて一言も言っていないわよ、わたくし」
オルテンシアとコルヴォは、リーナの言葉に目を丸くする。「だから、ただ話がしたいだけだって」とオーカが二人を落ち着かせる。
オルテンシアの拒絶具合を見ると、彼女をラルゴーゾラ侯爵領やコレモンテ伯爵領に連れて行って緋色の魔獣に会わせるのは難しそうだ。『魔境』の近くに連れ出すことすら難しいだろう。
リーナは溜め息をつく。
「ただ、赤い犬に会ってもらいたいだけなの。オルテンシアが『魔境』に近づくのが嫌だというのなら、赤い犬をここに連れてきても構わないかしら?」
「ダメだ。その犬がオルテンシアを攫っていかないという保証がない。犬がオルテンシアを『魔境』に連れて行かないと約束できないのであれば、会わせるわけにはいかない」
コルヴォの言葉ももっともである。呪いを解く条件が「オルテンシアを緋色の魔獣に会わせる」だけなら可能ではあるが、「オルテンシアを『魔境』に戻すこと」だとするならば交渉は決裂だ。
「……わかったわ。花鳥歌劇団から看板役者を二人も奪うわけにはいかないものね。やっぱり先に魔獣に会うべきね」
――二人?
リーナの言葉に、手を取り合って喜ぶコルヴォとオルテンシア。ルーチェは「なるほど」と頷く。
二十年も一緒にいる二人は、互いに離れがたい存在なのだろう。オルテンシアが退団するのなら、コルヴォも追随してしまうのかもしれない。
――二人の仲を引き裂くわけにはいかないよなぁ。
看板役者二人の人気は絶大だ。二人が揃って退団してしまうと、花鳥歌劇団には大打撃となるだろう。オーカもホッと胸を撫で下ろしている。
「まぁ、とにかく魔獣と話がつくまでは、勝手にいなくならないで。あなたたちの邪魔はしないから、ここにいてちょうだい。いいわね?」
「つまり、自分たちの邪魔もするな、と?」
コルヴォはニヤリと笑ってリーナを見つめる。リーナは「当たり前よ」とふんぞり返る。それでなくとも、呪いや立場が邪魔をしているのだ。「これ以上の邪魔は必要ないの」とリーナは頷く。
「兎にも角にも、緋色の魔獣ね」
「夕刻まで時間があるから、調査団へ行ってみる? ロゼッタ姉様に会いに」
「そうね。そうしようかしら」
二人は立ち上がり、ロゼッタに緋色の魔獣の動向を聞きに行くことにした。ルーチェは隣の椅子を見下ろし、「あれ?」と呟く。
「どうしたの、ルーチェ」
「アディはどこ? 椅子に座っていたはずなのに」
「あら? 変ね。どこに行ったのかしら?」
あたりを見回すが、金色の毛玉は見当たらない。テーブルの下にも椅子の下にも、猫がいない。アディがいない。
「何かお探しですか?」
「あぁ、アディ……金色の猫を見かけなかったかしら?」
「猫?」
オルテンシアとコルヴォが顔を見合わせる。
「金色の猫なら、先程、扉を開けたときに」
「ええ、出ていってしまいましたよ」
リーナとルーチェは顔を見合わせ、「大変!」と悲鳴を上げる。夕刻までにアディを星の別邸にまで連れて帰らなければならない。アデリーナ王女が全裸で往来に現れた――そんな姿を想像して、二人は慌ててアディを探しに向かうのだった。
コルヴォとオルテンシアは、オーカから着替えを命令されたために不在だ。「二人が逃げるかもしれない」とリーナはここに留まるよう訴えたが、オーカは「二人が舞台に穴を開けることは絶対にありません」と一笑に付しただけだった。
セヴェーロは貴族議会へと戻っていった。リーナとルーチェ、アディ、そしてオーカが着席する。
「オルテンシアは、陛下から預かっている娘に違いありません。しかし、陛下の子ではありません」
オルテンシアが国王の子であると誰かから指摘されたことがあるのか、オーカは最初にそう言い切った。リーナが「そんなことはどうでもいいのよ」と一言で片づけると、オーカは驚く。議題は隠し子の件だと思っていたようだ。
「わたくしたちが知りたいのは、そのことではないの。オルテンシアの出自に違いはないのだけれど……彼女は、コレモンテ伯爵領で預けられたのではなくて?」
「仰る通り、伯爵家までの馬車を手配し、オルテンシアを王都まで連れてきたのは私です。北部の村でコルヴォを預かるついでに、伯爵領に立ち寄ったのです。しかし、それだけです。オルテンシアの親のことは知らされておりません」
オーカはオルテンシアが魔女の子だとは知らされないままに預かった様子だ。歌劇団では預かった子どもを役者や裏方に育てるという事業も行なっている。そのため、子どもが一人二人増えたところで、誰の目にも留まらなかったのだろう。
「陛下にオルテンシアの出自を聞いたことは?」
「そんな無粋な真似はしておりません。私は預かった子どもをいい役者に育てるだけですから」
オーカの言葉に迷いや嘘は見受けられない。歌劇団で働く者たちは、そのようにして育てられてきたのだろう。オルテンシアはそのうちの一人にすぎない。
「オルテンシアの髪の色は黒ね?」
「それは見たほうが早いでしょう。お入りなさい」
オーカの言葉で、扉が開かれる。廊下から入ってきたのは、コルヴォとオルテンシア。舞台用の化粧を落とし、髪の色も――変わっている。二人とも。
「烏という名前は、最初この子につけてやろうと思っていたのですよ。オルテンシアの髪の色、とても美しいでしょう」
オルテンシアの長い髪は、薄鼠から艷やかな黒髪に変わっている。コルヴォの髪色は、黒髪ではなく紺鼠だ。
「けれど、オルテンシアの背が思ったより伸びなかったので、女役……花の名前を与えることになりました。髪の色なら舞台用の染め粉でいくらでも変えられますからね」
オルテンシアは震えながら椅子に座る。その隣に、寄り添うようにコルヴォが座る。「王女殿下はただ話をしたいだけだそうだよ」とオーカが伝えると、ようやく二人はホッとしたような表情を浮かべた。
「オルテンシア。二十年前、あなたがコレモンテ伯爵領でセヴェーロと遊んだことは覚えている?」
「ええ、薄っすらと覚えています。オーカ団長に連れられて来る前のことでしょう?」
「セヴェーロと遊ぶ前は何をしていたのか覚えている?」
リーナの問いに、オルテンシアは少し思案する。
「森で過ごし、葡萄畑で遊んでおりました。ただ、親の記憶はほとんどありません。わたくしと遊んでくれたのは、育ててくれたのは、赤い犬のような大きな生き物です」
リーナは「緋色の魔獣だ」と呟く。その声には安堵が滲む。
「オーカ団長とコルヴォと一緒に王都に向かっている途中、赤い犬を見かけたことがありますが、それきりです。わたくしの親は、あの赤い犬なのでしょうか」
「いえ、あなたの親は……黒髪の魔女の可能性があるの」
「黒髪の、魔女?」
驚くオルテンシアに、「やはり」というような表情を浮かべるオーカとコルヴォ。オルテンシアに不思議な魅力があることに気づいていたのだろう。
「わたくしは、魔人、なんですの?」
「ええ、おそらくは」
オルテンシアは目にいっぱい涙を浮かべる。何に怯えているのか、ガタガタと体を震わせている。
「わ、わたくしは、『魔境』に戻らなければならないのですか?」
その一言で、リーナとルーチェはオルテンシアが何を恐れているのかを理解する。
「い、嫌です。魔人だから『魔境』へ帰らなければならないなんて! わたくしは、花鳥歌劇団の役者です。わたくしの居場所はここなのです。絶対に、ここから離れません!」
「そうだ。オルテンシアは二十年もここで暮らしてきたんだ。今さら『魔境』で暮らせだなんて無理に決まっている」
「『魔境』に戻れ、だなんて一言も言っていないわよ、わたくし」
オルテンシアとコルヴォは、リーナの言葉に目を丸くする。「だから、ただ話がしたいだけだって」とオーカが二人を落ち着かせる。
オルテンシアの拒絶具合を見ると、彼女をラルゴーゾラ侯爵領やコレモンテ伯爵領に連れて行って緋色の魔獣に会わせるのは難しそうだ。『魔境』の近くに連れ出すことすら難しいだろう。
リーナは溜め息をつく。
「ただ、赤い犬に会ってもらいたいだけなの。オルテンシアが『魔境』に近づくのが嫌だというのなら、赤い犬をここに連れてきても構わないかしら?」
「ダメだ。その犬がオルテンシアを攫っていかないという保証がない。犬がオルテンシアを『魔境』に連れて行かないと約束できないのであれば、会わせるわけにはいかない」
コルヴォの言葉ももっともである。呪いを解く条件が「オルテンシアを緋色の魔獣に会わせる」だけなら可能ではあるが、「オルテンシアを『魔境』に戻すこと」だとするならば交渉は決裂だ。
「……わかったわ。花鳥歌劇団から看板役者を二人も奪うわけにはいかないものね。やっぱり先に魔獣に会うべきね」
――二人?
リーナの言葉に、手を取り合って喜ぶコルヴォとオルテンシア。ルーチェは「なるほど」と頷く。
二十年も一緒にいる二人は、互いに離れがたい存在なのだろう。オルテンシアが退団するのなら、コルヴォも追随してしまうのかもしれない。
――二人の仲を引き裂くわけにはいかないよなぁ。
看板役者二人の人気は絶大だ。二人が揃って退団してしまうと、花鳥歌劇団には大打撃となるだろう。オーカもホッと胸を撫で下ろしている。
「まぁ、とにかく魔獣と話がつくまでは、勝手にいなくならないで。あなたたちの邪魔はしないから、ここにいてちょうだい。いいわね?」
「つまり、自分たちの邪魔もするな、と?」
コルヴォはニヤリと笑ってリーナを見つめる。リーナは「当たり前よ」とふんぞり返る。それでなくとも、呪いや立場が邪魔をしているのだ。「これ以上の邪魔は必要ないの」とリーナは頷く。
「兎にも角にも、緋色の魔獣ね」
「夕刻まで時間があるから、調査団へ行ってみる? ロゼッタ姉様に会いに」
「そうね。そうしようかしら」
二人は立ち上がり、ロゼッタに緋色の魔獣の動向を聞きに行くことにした。ルーチェは隣の椅子を見下ろし、「あれ?」と呟く。
「どうしたの、ルーチェ」
「アディはどこ? 椅子に座っていたはずなのに」
「あら? 変ね。どこに行ったのかしら?」
あたりを見回すが、金色の毛玉は見当たらない。テーブルの下にも椅子の下にも、猫がいない。アディがいない。
「何かお探しですか?」
「あぁ、アディ……金色の猫を見かけなかったかしら?」
「猫?」
オルテンシアとコルヴォが顔を見合わせる。
「金色の猫なら、先程、扉を開けたときに」
「ええ、出ていってしまいましたよ」
リーナとルーチェは顔を見合わせ、「大変!」と悲鳴を上げる。夕刻までにアディを星の別邸にまで連れて帰らなければならない。アデリーナ王女が全裸で往来に現れた――そんな姿を想像して、二人は慌ててアディを探しに向かうのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
684
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる