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035.【リーナ】
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「アディ!? アディー!!」
リーナは金色の猫を探して庭園を走り回る。アディはどこへ隠れてしまったのか、なかなか見つからない。王宮の広大な庭の中で小さな姿の妹とのかくれんぼが始まってしまった。その大変さを想像して、リーナは溜め息をつく。あとでジラルドや星の別邸の使用人たちを総動員しようと考えながら、庭園を走る。
「アディー! 良かったじゃないの! 遠い国へ嫁ぐのではなくて、あなたの大好きなヴァレリオに嫁ぐことができるんですもの!」
ヴァレリオから求婚の手紙があったのはいつだったのか、リーナは知らない。だが、クリスティーナに託したアデリーナからの手紙は、国王にきちんと届いていた。
「ルーチェはすごいなぁ」
アデリーナが積極的になったのだとすれば、「あの日」からだろう。花鳥歌劇団ではぐれ、ラルゴーゾラ侯爵家に自力でたどり着き、伯爵家に泊まってルーチェと夜を過ごしたあの日。
あの日、二人はおそらく何らかの作戦を立てたのだろう。想い人と結婚するための作戦だ。星の別邸では王女らしく振る舞うのに、別邸から出ると引っ込み思案で恥ずかしがり屋になってしまうアデリーナが積極的になったのだから、それは喜ばしいことに違いない。
「ほんと、陛下のデリカシーのなさったら……!」
アデリーナの内向的な性格を理解していたら、あの場で――兄が二人いる中で結婚の話などするものではないだろう。二人になったとき、せめて母のクリスティーナ妃がいる中で切り出すべきであっただろう。
「アディー!」
国王の帰還に合わせて、謁見を申し込んだ貴族が何人もいるようで、朱の宮殿の周りには馬車がずらりと並んでいる。緊急性の高い事案が多々あるのだろう。
賑やかさを好まないアディは、馬車が行き交う朱の宮殿の周りにはいないだろう、星の別邸に向かったのだろうかと算段し、リーナは馬車も使わずに歩いていく。国王に謁見するからと正装で赴いたのが間違いであった。ドレスは重く、体力が奪われていく。
「普段から男装にしようかしら」
ドレスなど着るものではない。普段からルーチェのように男装をしておけば、こんなときでも軽やかに走ることができるのだろう。
婚約者のことを思い出して、リーナはふと笑みを浮かべる。
ルーチェは最初から格好良かった。男装が、細身の体によく似合う。颯爽と現れて、むさ苦しい男たちの中から自分を助け出してくれたとき、リーナはきゅんとしたものだ。
もし昼間に結婚式を行なうことができたなら、きっと彼女のタキシード姿は美しく、格好いいだろうとさえ思う。
「アディ、どこー!?」
けれど、ルーチェは格好いいものよりも可愛いもののほうを好んだ。フリルが多めのブラウスも、細やかな刺繍が施されたリボンタイも、難なく着こなしてしまう。格好いい姿も似合うが、可愛い姿もおそらく似合うのだろう。稀有な存在だとリーナは思う。
格好良くて可愛い、そんなルーチェの新たな側面を見るたびにリーナはどんどん彼女を好きになった。ただ、好きになればなるほど、自分が彼女にふさわしい人間ではないと思い知る。
「アディー!」
ルーチェを守りたいと思えば、守られていることに気づく。格好良くありたいと思っても、格好良さでは彼女に敵わない。
完全な男になりたいと、何度願ったことか。
呪いを解きたいと、どれだけ望んだことか。
ルーチェのためではない。自分のためだ。ルーチェはそんな虚栄心を、看破した。
そして、彼女は、こんなに愚かな人間であっても、愛してくれている。
「アディ! どこにいるの!?」
すべてを無条件で受け入れることが愛だとは思わない。だが、不出来な部分であっても受け入れることは、愛なのだろう。
三人の妃が、浮気をした国王を許した理由を、今になってようやく知るのだ。子どもの頃は、妃たちの考えが全く理解できなかったのに。
「真実の愛を理解することができたら、呪いが解けるようになっているといいのに」
だが、そうではない。リーナの姿がフィオに戻ることはない。真実の愛を知ったからと言って、呪いが解けるものではない。
厄介な呪いだと、生まれたときから知っている。
「まったく、もうっ」
花壇の中、植え込みの中、金色の塊を探す。庭師たちにアディの行方を尋ねて「別邸のほうへと駆けていった」と聞くと、必死で追いかける。
星の別邸にたどり着いても、アディの姿はない。東屋にも、アデリーナの部屋にもいない。リーナは使用人たちにアディの行方を探させ、重いドレスを脱いでいつもの軽装に着替え、走りやすい靴に履き替える。
「あれ、アディはまだ見つかっていないの?」
ジラルドが相変わらず呑気そうな口調で星の別邸にやって来たので、リーナは遠慮なくこき使うことにする。
「リーナは心配性だなぁ。走り疲れたら戻ってくるんじゃないかな?」
「戻ってこなかったから、先日は大騒ぎになったんでしょう!」
アディ捜索隊の中にジラルドも突っ込んで、星の別邸を中心に周りを捜索したが見つからない。昼食が準備されてもアディは戻ってこない。リーナは遠慮なく昼食を食べたが、「お腹は空いていらっしゃらないかしら」とジータがそわそわと心配しているため、何だか居心地が悪かった。
昼食も食べない、水も飲んでいないとなると、代わりのものが必要となるだろう。リーナは「もしかして」と庭にいくつかある温室へと一人で向かう。水もあり、食べられる果物がある場所だ。
星の別邸から近い場所を順に探していったところ、三つ目の温室でようやく木製のベンチの上で丸くなった金色の毛玉を発見した。疲れて眠っているアディの隣に座り、リーナはぼんやりと温室を眺める。
熱を発する魔石が置かれているため、温室の中はかなり温かい。ここには温暖な場所で育つ植物を植えており、時折その甘い果実が食卓に上ることもある。
葡萄の産地であるコレモンテ伯爵領では大きな葉っぱの植物などあまり見られないだろう。また今度ルーチェとこの温室を訪れよう、とリーナは思う。
「……ヴァレリオは、きっと猫の姿でも愛してくれるわよ」
美しい金色の毛を撫でる。
ヴァレリオが求婚してくれたことを、アディは喜んでいるのだろう。ただ、自分が猫に変わってしまうことを受け入れてもらえるかどうかがわからないのだ。どれだけ猫好きな人であっても、そればかりはわからない。
その恐怖心が、リーナにはよくわかる。
好きになった相手に愛してもらえないのは、つらい。愛してもらえないのなら、好きにならなければよかった。そんな臆病な考え方になるのも、よくわかる。
自分の言葉が、アディにとっては気休めでしかないことも、十分に理解している。
「とにかく、ヴァレリオに会いなさい。わたくしは身代わりなんて嫌よ」
「……ナァ」
「自分で何とかなさい。自分で道を切り開かなければ、わたくしたちに自由なんてないんですもの」
出会った日にルーチェに求婚をしたのが、運命の分かれ道であったとリーナは思う。求婚していなければ、自分は呪いを解こうと思わずに星の別邸で生涯を終えていたはずだ。幸福を知ることなく、病弱な王子のまま何かをなすことなく死んでいたはずだ。
「ハァ。酷い靴ずれ。もう歩きたくないわ」
「ナーア」
「誰のせいだと思っているのよ。もう」
アディは反省しているのかしていないのか、舌を出している。そして、ハァハァと短く呼吸をしている。
「どうしたの、アディ。何だか、いきなり暑く……」
温室の魔石が壊れたのかと思うくらいに、一気に熱が上がる。汗がぼとぼとと落ちてくる。
アディの小さな体に、高温は酷なことだろう。リーナは慌ててアディを抱きかかえ、朦朧としたまま外へ出ようとする。
「アディ、しっかり……!」
靴ずれを起こして血が滲む足を引きずりながら、リーナは温室の入り口を目指す。しかし、いくらノブを回しても、扉が開かない。
「だ、だれか……!」
扉を叩きながら、リーナはそれに気づく。温度調整をするための魔石のそばに、もう一つ魔石が添えてあることに。
「あっつい! 何?」
体に当たる熱風に気づいたときには遅かった。汗が頬を伝い、体がどんどん熱くなる。水を求めて立ち上がろうとすると、視界がぐわんと回った。リーナはそのまま扉の前で崩れ落ちる。床も熱く、どんどん体力が奪われていく。リーナはアディを抱きしめる。
そうして、意識が混濁し始める。
「丁寧に扱えよ。俺の客人だからな」
扉が開き、温室に涼やかな空気が入ってくる。同時に、リーナの体が空に浮く。ぼんやりとした視界で確認すると、金色の毛玉は床に転がったままだ。手を伸ばそうとしても届かない。差してあるだけの髪飾りが、ぼとりと落ちる。
「魔石を回収したらすぐに行くぞ。猫は放っておけ。どうせすぐ死ぬだろ」
リーナは馬車に乗せられ、横たえられる。あの日と同じ下卑た笑みを浮かべている男を見て、リーナはぐったりと意識を手放した。
リーナは金色の猫を探して庭園を走り回る。アディはどこへ隠れてしまったのか、なかなか見つからない。王宮の広大な庭の中で小さな姿の妹とのかくれんぼが始まってしまった。その大変さを想像して、リーナは溜め息をつく。あとでジラルドや星の別邸の使用人たちを総動員しようと考えながら、庭園を走る。
「アディー! 良かったじゃないの! 遠い国へ嫁ぐのではなくて、あなたの大好きなヴァレリオに嫁ぐことができるんですもの!」
ヴァレリオから求婚の手紙があったのはいつだったのか、リーナは知らない。だが、クリスティーナに託したアデリーナからの手紙は、国王にきちんと届いていた。
「ルーチェはすごいなぁ」
アデリーナが積極的になったのだとすれば、「あの日」からだろう。花鳥歌劇団ではぐれ、ラルゴーゾラ侯爵家に自力でたどり着き、伯爵家に泊まってルーチェと夜を過ごしたあの日。
あの日、二人はおそらく何らかの作戦を立てたのだろう。想い人と結婚するための作戦だ。星の別邸では王女らしく振る舞うのに、別邸から出ると引っ込み思案で恥ずかしがり屋になってしまうアデリーナが積極的になったのだから、それは喜ばしいことに違いない。
「ほんと、陛下のデリカシーのなさったら……!」
アデリーナの内向的な性格を理解していたら、あの場で――兄が二人いる中で結婚の話などするものではないだろう。二人になったとき、せめて母のクリスティーナ妃がいる中で切り出すべきであっただろう。
「アディー!」
国王の帰還に合わせて、謁見を申し込んだ貴族が何人もいるようで、朱の宮殿の周りには馬車がずらりと並んでいる。緊急性の高い事案が多々あるのだろう。
賑やかさを好まないアディは、馬車が行き交う朱の宮殿の周りにはいないだろう、星の別邸に向かったのだろうかと算段し、リーナは馬車も使わずに歩いていく。国王に謁見するからと正装で赴いたのが間違いであった。ドレスは重く、体力が奪われていく。
「普段から男装にしようかしら」
ドレスなど着るものではない。普段からルーチェのように男装をしておけば、こんなときでも軽やかに走ることができるのだろう。
婚約者のことを思い出して、リーナはふと笑みを浮かべる。
ルーチェは最初から格好良かった。男装が、細身の体によく似合う。颯爽と現れて、むさ苦しい男たちの中から自分を助け出してくれたとき、リーナはきゅんとしたものだ。
もし昼間に結婚式を行なうことができたなら、きっと彼女のタキシード姿は美しく、格好いいだろうとさえ思う。
「アディ、どこー!?」
けれど、ルーチェは格好いいものよりも可愛いもののほうを好んだ。フリルが多めのブラウスも、細やかな刺繍が施されたリボンタイも、難なく着こなしてしまう。格好いい姿も似合うが、可愛い姿もおそらく似合うのだろう。稀有な存在だとリーナは思う。
格好良くて可愛い、そんなルーチェの新たな側面を見るたびにリーナはどんどん彼女を好きになった。ただ、好きになればなるほど、自分が彼女にふさわしい人間ではないと思い知る。
「アディー!」
ルーチェを守りたいと思えば、守られていることに気づく。格好良くありたいと思っても、格好良さでは彼女に敵わない。
完全な男になりたいと、何度願ったことか。
呪いを解きたいと、どれだけ望んだことか。
ルーチェのためではない。自分のためだ。ルーチェはそんな虚栄心を、看破した。
そして、彼女は、こんなに愚かな人間であっても、愛してくれている。
「アディ! どこにいるの!?」
すべてを無条件で受け入れることが愛だとは思わない。だが、不出来な部分であっても受け入れることは、愛なのだろう。
三人の妃が、浮気をした国王を許した理由を、今になってようやく知るのだ。子どもの頃は、妃たちの考えが全く理解できなかったのに。
「真実の愛を理解することができたら、呪いが解けるようになっているといいのに」
だが、そうではない。リーナの姿がフィオに戻ることはない。真実の愛を知ったからと言って、呪いが解けるものではない。
厄介な呪いだと、生まれたときから知っている。
「まったく、もうっ」
花壇の中、植え込みの中、金色の塊を探す。庭師たちにアディの行方を尋ねて「別邸のほうへと駆けていった」と聞くと、必死で追いかける。
星の別邸にたどり着いても、アディの姿はない。東屋にも、アデリーナの部屋にもいない。リーナは使用人たちにアディの行方を探させ、重いドレスを脱いでいつもの軽装に着替え、走りやすい靴に履き替える。
「あれ、アディはまだ見つかっていないの?」
ジラルドが相変わらず呑気そうな口調で星の別邸にやって来たので、リーナは遠慮なくこき使うことにする。
「リーナは心配性だなぁ。走り疲れたら戻ってくるんじゃないかな?」
「戻ってこなかったから、先日は大騒ぎになったんでしょう!」
アディ捜索隊の中にジラルドも突っ込んで、星の別邸を中心に周りを捜索したが見つからない。昼食が準備されてもアディは戻ってこない。リーナは遠慮なく昼食を食べたが、「お腹は空いていらっしゃらないかしら」とジータがそわそわと心配しているため、何だか居心地が悪かった。
昼食も食べない、水も飲んでいないとなると、代わりのものが必要となるだろう。リーナは「もしかして」と庭にいくつかある温室へと一人で向かう。水もあり、食べられる果物がある場所だ。
星の別邸から近い場所を順に探していったところ、三つ目の温室でようやく木製のベンチの上で丸くなった金色の毛玉を発見した。疲れて眠っているアディの隣に座り、リーナはぼんやりと温室を眺める。
熱を発する魔石が置かれているため、温室の中はかなり温かい。ここには温暖な場所で育つ植物を植えており、時折その甘い果実が食卓に上ることもある。
葡萄の産地であるコレモンテ伯爵領では大きな葉っぱの植物などあまり見られないだろう。また今度ルーチェとこの温室を訪れよう、とリーナは思う。
「……ヴァレリオは、きっと猫の姿でも愛してくれるわよ」
美しい金色の毛を撫でる。
ヴァレリオが求婚してくれたことを、アディは喜んでいるのだろう。ただ、自分が猫に変わってしまうことを受け入れてもらえるかどうかがわからないのだ。どれだけ猫好きな人であっても、そればかりはわからない。
その恐怖心が、リーナにはよくわかる。
好きになった相手に愛してもらえないのは、つらい。愛してもらえないのなら、好きにならなければよかった。そんな臆病な考え方になるのも、よくわかる。
自分の言葉が、アディにとっては気休めでしかないことも、十分に理解している。
「とにかく、ヴァレリオに会いなさい。わたくしは身代わりなんて嫌よ」
「……ナァ」
「自分で何とかなさい。自分で道を切り開かなければ、わたくしたちに自由なんてないんですもの」
出会った日にルーチェに求婚をしたのが、運命の分かれ道であったとリーナは思う。求婚していなければ、自分は呪いを解こうと思わずに星の別邸で生涯を終えていたはずだ。幸福を知ることなく、病弱な王子のまま何かをなすことなく死んでいたはずだ。
「ハァ。酷い靴ずれ。もう歩きたくないわ」
「ナーア」
「誰のせいだと思っているのよ。もう」
アディは反省しているのかしていないのか、舌を出している。そして、ハァハァと短く呼吸をしている。
「どうしたの、アディ。何だか、いきなり暑く……」
温室の魔石が壊れたのかと思うくらいに、一気に熱が上がる。汗がぼとぼとと落ちてくる。
アディの小さな体に、高温は酷なことだろう。リーナは慌ててアディを抱きかかえ、朦朧としたまま外へ出ようとする。
「アディ、しっかり……!」
靴ずれを起こして血が滲む足を引きずりながら、リーナは温室の入り口を目指す。しかし、いくらノブを回しても、扉が開かない。
「だ、だれか……!」
扉を叩きながら、リーナはそれに気づく。温度調整をするための魔石のそばに、もう一つ魔石が添えてあることに。
「あっつい! 何?」
体に当たる熱風に気づいたときには遅かった。汗が頬を伝い、体がどんどん熱くなる。水を求めて立ち上がろうとすると、視界がぐわんと回った。リーナはそのまま扉の前で崩れ落ちる。床も熱く、どんどん体力が奪われていく。リーナはアディを抱きしめる。
そうして、意識が混濁し始める。
「丁寧に扱えよ。俺の客人だからな」
扉が開き、温室に涼やかな空気が入ってくる。同時に、リーナの体が空に浮く。ぼんやりとした視界で確認すると、金色の毛玉は床に転がったままだ。手を伸ばそうとしても届かない。差してあるだけの髪飾りが、ぼとりと落ちる。
「魔石を回収したらすぐに行くぞ。猫は放っておけ。どうせすぐ死ぬだろ」
リーナは馬車に乗せられ、横たえられる。あの日と同じ下卑た笑みを浮かべている男を見て、リーナはぐったりと意識を手放した。
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