【R18】勇者の姉君は塔の上

千咲

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第一章

11.堕ちていくリュカ

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 オルガ様の世話係になってすぐ、夕飯を運んでいると総主教様の世話係から黄色の小瓶を手渡された。見目麗しい、僕よりも少し年上の世話係。総主教様の趣味だ。

「これは何ですか?」
「その夕飯を必要とする人に持って行ってほしいと、総主教様が仰せだ」
「……中身は?」
「知る必要もない」

 なるほど、何の薬なのかは彼も知らないらしい。知る必要もない、か。彼も僕が誰の食事を運んでいるのか、おそらくは知らないだろう。そういうことだ。夕飯のトレイの上に小瓶を載せて、僕は塔のてっぺんまで上る。
 小瓶の中身が何なのか、僕はすぐに理解した――理解させられた。
 瓶の中身を飲んだあと、オルガ様はすぐにベッドへ向かった。ひどくつらそうな顔をしていたのが気がかりだったけれど、夕飯のトレイを下げるために階下へと降りる。
 階段の途中で、年配の男とすれ違う。彼は無言で僕を見下ろし、下卑た笑みを浮かべた。塔の上に誰がいるのかわかっているらしく、僕のことなど気にした様子もなく上っていく。
 嫌な予感は、的中する。トレイをその場に置いて男の後をつけ、僕はそれを目撃した。
 男が、オルガ様を陵辱していたのだ。

 なんて、恐ろしいこと。
 なんて、憐れなこと。
 悲鳴を上げながら男に抱かれているオルガ様の姿を見て、僕はすべてを理解した。この塔の上で起こっている、狂った交わりのすべてを。
 小瓶の中身は、避妊薬と媚薬だろう。聖教会は、勇者様の《瘴気の霧》を晴らす旅を支援しながら、その姉を人質にしている。勇者様の旅が円滑に行なわれるように。
 そのことを、勇者様は知らないのだ。僕の街を救ってくれた勇者様からは悲壮感は感じられなかった。自身の姉が辱められていると知っていたなら、あんなふうに穏やかな笑みは浮かべられないはずだ。
 つまり、塔の上の秘め事は、聖教会の重鎮と一部の貴族や世話係にしか知られていないということ。本当に狂っている。

 そのときはまだ、オルガ様に対して特別な気持ちを抱いたりはしていなかった。二人の情事を目撃して少しは動揺したけれど、オルガ様もそれを了承しているのだから仕方のないことだと考えていた。
 そう、仕方がない。
 《瘴気の霧》が突然現れ、人々を殺し始める。勇者が来て霧を晴らすまで、人々は逃げ惑うしかない。勇者が確実に《瘴気の霧》を晴らすために、姉君を人質として幽閉し、逃げられないように陵辱する――世界とはそういうものだ。狂っていても仕方がない。
 僕も、その一部だ。
 オルガ様の艶やかな声を聞きながら、僕は、自らの昂ぶりを抑えるしかないのだ。

 翌日、オルガ様の裸体を見てしまい、僕の下腹部はまた昂ぶってしまった。昨日の男と同じ獣が僕の中にも巣くっていることを、嫌でも自覚してしまう。
 けれど、僕の獣をオルガ様の中で暴れさせることはできない。格子と結界で、彼女は守られている。守られている――オルガ様から見れば「捕らえられている」ものであるのに、皮肉なものだ。オルガ様は、外部の獣からは守られているのだ。

 赤い小瓶を手渡すと、オルガ様は震えていた。黄色と赤色の違いが何なのか、総主教様の世話係も知らなかった。
 赤――それは、この国では王族の色だ。だから、何となく察しがつく。
 塔を降り、物陰に隠れて来客を待つ。その男は、程なく現れた。聖教会の本部のほうからではなく、おそらく王城からの隠し通路があるであろう、塔の地下から、供も連れずに。
 母が「深い海の色」だとした緑色の瞳の持ち主が、意気揚々と現れた。
 セドリック王子。僕の、父。

 父は周りを気にすることなく塔の上へと向かう。昨日の男と同じだ。てっぺんにオルガ様がいることを、知らないはずがない。
 父も、オルガ様を辱めに来たのだ。
 鳥肌が立つ。想像しただけで、吐き気がする。
 妻子があるというのに、母を身籠らせ、その責を負うこともなく生きている獣。本来なら庇護されるべき存在を、自分勝手に陵辱する獣。反吐が出る。

 その乱暴な交わりを、僕は見ていた。オルガ様の白い肌が見えるたび、その柔らかさを想像した。けれど、父はただ獣のように腰を振り、その柔らかささえ蹂躙する。味わうというよりも、貪るという言葉が適切だ。おぞましい。
 母もあんな目に遭ったのだろうか。無理やり辱められたのだろうか。泣いても喚いても、救いのない場所で。
 母が、オルガ様が、憐れでならない。
 父が憎くてたまらない。女をモノのように扱う父を、僕は心底軽蔑する。

 父とオルガ様の情事は、朝から晩まで続いた。途中で食事を摂ることもない。時折水を飲み、眠りにつく。起きたらまた交わる、それの繰り返しだ。まるで獣。狂った獣だ。
 だから、オルガ様に対して父が並々ならぬ執着心を抱いていることは、僕でもわかった。それを「愛」と呼ぶに相応しいかというと、違うだろう。父はオルガ様の心も体も傷つけ、すべてを掌握したいのだろう。「屈服させてやろう」という言葉に嘘はない。
 ならば、オルガ様を最大限に利用させてもらおう。
 オルガ様を失った父がどんな顔をするのか、興味がある。さぞかし落胆するのだろうな。狂うかもしれない。だとすると、それを見届けたい。きっと、愉快だろう。笑いを堪えるのが難しいかもしれない。
 楽しみだ。歪な復讐心だとはわかっていても、衝動は抑えられない。

 オルガ様の食事に毒を混入させるのはどうか。これは簡単だ。貴族や王族のように毒見役なんていない上、オルガ様は何でも「美味しい」と言いながら食べるのだ。毒殺なんて簡単すぎる……けれど、さすがに故郷を救ってくれた勇者様の姉君を殺すのは憚られる。
 殺す以外の方法はないだろうかと、一応考える。
 あぁ、一つだけ、ある。
 オルガ様の気持ちを、僕に向けさせればいい。
 父はオルガ様のすべてを掌握したい獣だ。乱暴な情事で体は屈服できていると考えているなら、心だけは手に入れられないよう、奪ってしまえばいい。
 オルガ様を僕に惚れさせるために、僕がオルガ様に惚れていると思わせる。それなら簡単だ。母の友人たち――娼婦たちが言っていた。適度な「触れ合い」と、思わせぶりな「言葉」が有効だと。

 オルガ様は僕からの好意に戸惑ってはいたものの、あからさまに拒むことはない。嫌われてはいないようなので、美しい造作をくれた両親には感謝しなければならない。
 甘えたように格子の隙間から手を伸ばせば、それを握ってくれる。甘い言葉で誘惑すれば、頬を染めてくれる。

「お喋りをしている間はこうしていてもいいですか?」
「いいわよ。リュカの手は意外と大きいのね。あと、ゴツゴツしてる」
「剣の鍛錬も毎日していますし、掃除や洗濯もしていますから」
「働き者の手、ね。素敵だわ」

 オルガ様は、意外と流されやすい。お人好しだ。
 だから、そこを聖教会に付け込まれるのだ。父にはいいように扱われるのだ。脱走の罰として怪我を負わせられるのだ。

「ねぇ、リュカ。裾にジャスミンを刺繍したわよ。どう?」
「わぁ、綺麗ですね」
「これで、お母様とずっと一緒にいられるわね。服があったら、持ってきてね。縫ってあげる」

 機転のきかない、愚鈍な女。
 だから、一年かかっても脱走できないのだ。僕なら三日で抜け出せるのに。

「裾を踏んだの? リュカ、大丈夫だった?」
「大丈夫です。転んでも、ちゃんと受け身を」
「えっ、転んだの? 血は出ていない? どこか体を痛めたりしていない?」
「……大丈夫ですよ」

 利用価値の高い、だけの、女。
 惚れさせるのが無理なら、最終的に殺してしまえばいい。彼女の首は折れてしまいそうなほどに細いのだから、格子のそばに立ったときにでも。

「リュカ、夕飯すごく美味しかったよ。あれ、どうやって作ったの? 明日も食べたいなぁ。え、お代わりできる? 太っちゃうかな。でも……欲しいな」

 父への復讐のため、だけに近づいた、女。僕のつく嘘にも気づかない、女。
 愛を囁いても、口づけをしても、それは偽りの想いだ。僕にとっては、計画の一部でしかない。

「リュカの目の色って森の色に似ているのね。綺麗だわ」

 何とも思っていない、女。僕のことを信じている、女。

「ごめんなさい、リュカ。少し、眠らせて……疲れたの……」

 体を汚され続ける、憐れな、女。

「パトリス……パトリス、たすけ……」

 今でも助けを待つ、愚かな、女。

「リュカ、私は酷い姉ね。弟に助けを求める夢を見たの。こんなこと、知られたくないのに。こんなことで、弟の仕事を邪魔したくないのに。なんで私だけが、って考えちゃった。酷い姉だわ。最低よ。最低だわ、私……」

 そんなことはない、あなたは役目を全うしている、と勇気づけられたら何かが変わるだろうか。そんな役目を、彼女は望んでいないというのに。

 いつからだろう。彼女の笑顔を見ていたいと思うようになったのは。
 いつからだろう。彼女の苦しみを和らげてあげたいと思うようになったのは。
 いつからだろう。彼女を、愛しく思うようになったのは。心の奥底で触れ合いたいと思うようになったのは。もっと深くまで抱きしめ合いたいと思うようになったのは。

 いつからだろう。愚かな僕が、恋に落ちたのは。それを自覚したのは。
 いつからだろう。


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