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第一章
12.オルガの絶望の一日
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朝、気がついたら、小窓のそばに食事のトレイと着替えが置かれていた。リュカがいつの間にか持ってきてくれていたのだろう。サラダに魚のフライ、バターロール、白イモのスープ、冷たくなっても美味しく食べられるものがトレイに載っている。それも、たくさん――ほぼ三食分の量。もしかしたら、今日リュカは来ないつもりなのかもしれない。
仕方がない。自分の父親の情事を見てしまったのだ。私の顔なんて見たくないだろう。
毛布を広げ、一人で朝食を摂る。
昨夜リュカが座っていたあたりに落ちていた体液は、綺麗に片付けられていた。それもリュカが掃除したのだろう。私は溜め息をつく。
どうすればよかったのだろう。
リュカのために、どうすればよかったのだろう。
昨夜、必死で体を洗った。セドリックの痕跡を残しておきたくなかった。見える範囲の赤い痕はその上からタオルで擦って傷をつけた。
どんなに指を入れて掻き出しても、白いものは次から次へと溢れ出てくる。泣きながらそれを掻き出して、何度も願った。セドリックの子どもなんていらない、妊娠なんてしていませんように、と。
冷たいパンを食べながら、涙が溢れる。
妊娠しない薬があったから、どんな酷い行ないだって我慢することができた。耐えてこられた。けれど、セドリックは、私を妊娠させる気だ。昨夜のように、私はこの先もずっと絶望を味わうのだ。何度も中に出されて、何度も白濁液を掻き出す、そんな日々が待っている。ゾッとする。
愛しているわけでも愛されているわけでもない男の子どもを身籠り、産むという未来。最悪だ。
愛してもいない男の子どもであっても、母となれば愛しいと思えるかもしれない。緑色の瞳を見ても、可愛いと思えるかもしれない。セドリックとリュカの顔が脳裏を過るとしても、愛しいと……本当に、思えるだろうか。小さな首を絞めてしまわないだろうか。床に落としてしまわないだろうか。
「あぁ……っ」
嫌だ。嫌だ。死んでしまいたい。命が宿る前に、死んでしまいたい。私一人の体のうちに、死んでしまいたい。
あたりを見回すけれど、喉を掻き切るための鋭い刃物や、首を絞めるための細長い紐は見当たらない。昨夜割れたグラスの破片すら残っていない。刺繍に使った針を飲めば死ねるだろうか。ただ痛いだけだろうか。
私には自由がない。死ぬ自由さえ許されていないのだ。ろくでもない世界から抜け出すことさえ、できないのだ。
リュカに会いたい。
リュカの手を握りたい。触れたい。
リュカに私の名を呼んでもらいたい。
寂しくて、苦しくて、怖くて、仕方がない。
リュカに、会いたい。会いたい。
リュカの気持ちなんてわからないというのに、私は馬鹿みたいに焦がれている。
一日待っても、リュカは現れなかった。セドリックも、他の男も現れなかった。久しぶりに、一日を一人で過ごした。
こんなにも孤独を感じるなんて、こんなにも人を恋しいと思うなんて、愚かなことだ。
涙が止まらなくて酷い顔をしている。真っ赤に腫れてしまっているだろう。鏡がないから確認なんてできないけど。
私のこの気持ちが何なのか、既に悟っている。
リュカが父親のセドリックへの復讐のために私に近づいたのだとしても、構わない。リュカが私を殺そうと画策していたのだとしても、構わない。彼の言葉がすべて嘘だったとしても、私は彼に協力してあげたい。
だって、もう、疲れたの。
生きることに疲れてしまった。
自分で死ぬのが難しいのなら、リュカに殺してもらいたい。
私が死んだら、セドリックは半狂乱になるだろう。……なるかしら。いや、それはわからないわね。セドリックは私のことなんて何とも思っていないのだから。
リュカが他の手段で私をどうにかしようとも、私は彼を恨むことも憎むこともない。それだけは確かなのだ。
星降祭り六日目。
今日は聖教会の神殿で成人の儀があるはずだ。聖職者たちは儀式に参列し、その後は王城と城下の広場でパーティーが催される。そう、リュカが言っていた。だから、警備が手薄になるのだと。
今日はセドリックの息子の成人の儀、明日は婚約披露宴。しばらくセドリックは現れないだろう。それだけが救いだ。
「姉君様」
リュカが恋しくて、空耳かと思った。けれど、確かにリュカが私を呼ぶ声が聞こえた。
慌ててベッドから飛び起きると、格子のこちら側に、リュカが立っていた。――こちら側に。
「リュカ? なん、で」
「鍵を手に入れましたので」
リュカはいつも通りだ。朝食のトレイを毛布の上に置いて、笑っている。
私を殺しに来たの? セドリックへの復讐心はまだ健在?
「さて、朝食を食べたら、祭りが終わらないうちにここを抜け出しましょう」
リュカの左腕の腕輪には見覚えがある。セドリック以外の男たちがつけていたものだ。リュカは、総主教から、それを奪ってきたのだ。計画通りに。
計画通りに、リュカと、逃げることができる? 彼は、復讐を諦めたの?
「一緒に?」
「ええ、一緒に」
「私と、リュカで?」
「はい、二人で逃げましょう」
「リュカ!」
慌てて駆け出したけれど、怪我をした足がうまく動かなくて転びそうになってしまう。けれど、いつの間にか近くにいたリュカが、ふわりと抱きとめてくれる。
暖かくてたくましいリュカの腕。厚い胸板。優しい森の色の瞳。
リュカだ。リュカだ。ここにリュカがいる。
「リュ」
泣きながらリュカの名前を呼ぼうとしたら、できなかった。唇に柔らかい熱。目の前の金髪。思わず、彼の背に腕を回す。
リュカのキスは優しい。花を啄む小鳥のように、何度も何度も軽く触れる。もっと深いところまで欲しい。彼を、深く知りたい。
「リュカ、会いたかった」
「僕もです。でも、鍵を手に入れるのに手間取ってしまって……すみません」
「いいの。会えたんだもの」
「オルガ様……ずっと前から、あなたをこうしたかった。抱きしめたかった」
強く抱きしめられたあと、またリュカの唇が私に触れる。頬に、額に、キスをしてくれる。くすぐったくて気持ちいい。もっとしてほしい。
舌を少し出すと、リュカはすぐに唇を離した。目の前の少年は、真っ赤になって緑色の瞳をくるくる動かしている。
「あの、オルガ様、すごく嬉しいのですが、それは駄目です。時間がありません。儀式の最中に抜け出さないと、警備の目が」
「……でも、一回だけなら」
「一回でも駄目です」
リュカは強い口調で拒否をする。そして、「着替えもありますので」と畳んだ服――世話係用の服を私にあてがう。ジャスミンの刺繍がしてあるもの……リュカの服だ。
「あぁ、良かった。僕のものがぴったりですね。……そんなふうに僕を責めないでください」
「リュカは私が嫌い?」
「まさか!」
リュカは慌てて私を抱きしめる。
「わかりますか? キスだけでこんな状態ですよ。ギリギリなんです」
確かに、私の太腿のあたりに押し当てられたそれは、硬く、太く、反り立っている。成人の男の大きさとそう変わらない。触れようと手を伸ばすと、「駄目です」と再度耳元で拒否される。
「リュカにもっと触れたいの。駄目?」
「オルガ様、我慢してください。それ以上触れられたら、僕は」
今度は私がリュカの唇を塞ぐ。ついでに、舌を捩じ込む。慌てるリュカをぎゅうと抱きしめ、歯列をなぞる。観念して出てきた舌をちゅうと吸うと、甘い果実水の味がする。
もっと奥に触れたい。触れてほしい。ドロドロに溶け合いたい。
薬は飲んでいない。けれど、体の芯に火が灯る。暴力的な衝動ではない。初めての、穏やかな願望だ。不思議とそれを受け入れている。
リュカと一緒になりたい。
こんな気持ち、今まで誰にも抱かなかった。リュカだけ。リュカだけなのだ。
「オルガ、さま。ごめん、なさ……あぁ、もう、無理です。耐えられない」
「リュカ、私」
「好きです、オルガ様」
深い森の色に見つめられている。好き。好き。その意味を考える。それは、嘘? それとも、本心? 私とリュカの気持ちは、同じ?
「あなたを愛しています」
あぁ、そうだ。もう一度、それを聞きたかったのだ。嘘でもいい、夢を見させて欲しかったのだ。
嘘でも夢でもいい。復讐心を忘れていなくたって、構わない。もう、いいの。
「我慢しようと思っていたのに……本当に、あなたという人は」
「ごめんなさ――ひゃあ!」
リュカはいきなり私にもたれかかってきた。受け止めきれなくて、ベッドに倒れ込む。ちょっと重いリュカの体が気持ちいい。
「先に言っておきます。僕は初めてなのでうまくはできません。失望させるかもしれません。精一杯頑張りますが……下手だと思います」
そんなの、どうだっていい。私はリュカと奥まで繋がりたい。それだけでいい。
「リュカ、大好きよ」
私こそ、ごめんなさい。我慢できなくて。早く気持ちを伝えられなくて。
「オルガ、様」
「あなたが好き。愛してる。あなたの初めてを、私にちょうだい」
「オルガ様!」
ようやく、一つになれる。繋がることができる。
あぁ、私、リュカが好き。好きなの。やっと、やっと、言えた。
仕方がない。自分の父親の情事を見てしまったのだ。私の顔なんて見たくないだろう。
毛布を広げ、一人で朝食を摂る。
昨夜リュカが座っていたあたりに落ちていた体液は、綺麗に片付けられていた。それもリュカが掃除したのだろう。私は溜め息をつく。
どうすればよかったのだろう。
リュカのために、どうすればよかったのだろう。
昨夜、必死で体を洗った。セドリックの痕跡を残しておきたくなかった。見える範囲の赤い痕はその上からタオルで擦って傷をつけた。
どんなに指を入れて掻き出しても、白いものは次から次へと溢れ出てくる。泣きながらそれを掻き出して、何度も願った。セドリックの子どもなんていらない、妊娠なんてしていませんように、と。
冷たいパンを食べながら、涙が溢れる。
妊娠しない薬があったから、どんな酷い行ないだって我慢することができた。耐えてこられた。けれど、セドリックは、私を妊娠させる気だ。昨夜のように、私はこの先もずっと絶望を味わうのだ。何度も中に出されて、何度も白濁液を掻き出す、そんな日々が待っている。ゾッとする。
愛しているわけでも愛されているわけでもない男の子どもを身籠り、産むという未来。最悪だ。
愛してもいない男の子どもであっても、母となれば愛しいと思えるかもしれない。緑色の瞳を見ても、可愛いと思えるかもしれない。セドリックとリュカの顔が脳裏を過るとしても、愛しいと……本当に、思えるだろうか。小さな首を絞めてしまわないだろうか。床に落としてしまわないだろうか。
「あぁ……っ」
嫌だ。嫌だ。死んでしまいたい。命が宿る前に、死んでしまいたい。私一人の体のうちに、死んでしまいたい。
あたりを見回すけれど、喉を掻き切るための鋭い刃物や、首を絞めるための細長い紐は見当たらない。昨夜割れたグラスの破片すら残っていない。刺繍に使った針を飲めば死ねるだろうか。ただ痛いだけだろうか。
私には自由がない。死ぬ自由さえ許されていないのだ。ろくでもない世界から抜け出すことさえ、できないのだ。
リュカに会いたい。
リュカの手を握りたい。触れたい。
リュカに私の名を呼んでもらいたい。
寂しくて、苦しくて、怖くて、仕方がない。
リュカに、会いたい。会いたい。
リュカの気持ちなんてわからないというのに、私は馬鹿みたいに焦がれている。
一日待っても、リュカは現れなかった。セドリックも、他の男も現れなかった。久しぶりに、一日を一人で過ごした。
こんなにも孤独を感じるなんて、こんなにも人を恋しいと思うなんて、愚かなことだ。
涙が止まらなくて酷い顔をしている。真っ赤に腫れてしまっているだろう。鏡がないから確認なんてできないけど。
私のこの気持ちが何なのか、既に悟っている。
リュカが父親のセドリックへの復讐のために私に近づいたのだとしても、構わない。リュカが私を殺そうと画策していたのだとしても、構わない。彼の言葉がすべて嘘だったとしても、私は彼に協力してあげたい。
だって、もう、疲れたの。
生きることに疲れてしまった。
自分で死ぬのが難しいのなら、リュカに殺してもらいたい。
私が死んだら、セドリックは半狂乱になるだろう。……なるかしら。いや、それはわからないわね。セドリックは私のことなんて何とも思っていないのだから。
リュカが他の手段で私をどうにかしようとも、私は彼を恨むことも憎むこともない。それだけは確かなのだ。
星降祭り六日目。
今日は聖教会の神殿で成人の儀があるはずだ。聖職者たちは儀式に参列し、その後は王城と城下の広場でパーティーが催される。そう、リュカが言っていた。だから、警備が手薄になるのだと。
今日はセドリックの息子の成人の儀、明日は婚約披露宴。しばらくセドリックは現れないだろう。それだけが救いだ。
「姉君様」
リュカが恋しくて、空耳かと思った。けれど、確かにリュカが私を呼ぶ声が聞こえた。
慌ててベッドから飛び起きると、格子のこちら側に、リュカが立っていた。――こちら側に。
「リュカ? なん、で」
「鍵を手に入れましたので」
リュカはいつも通りだ。朝食のトレイを毛布の上に置いて、笑っている。
私を殺しに来たの? セドリックへの復讐心はまだ健在?
「さて、朝食を食べたら、祭りが終わらないうちにここを抜け出しましょう」
リュカの左腕の腕輪には見覚えがある。セドリック以外の男たちがつけていたものだ。リュカは、総主教から、それを奪ってきたのだ。計画通りに。
計画通りに、リュカと、逃げることができる? 彼は、復讐を諦めたの?
「一緒に?」
「ええ、一緒に」
「私と、リュカで?」
「はい、二人で逃げましょう」
「リュカ!」
慌てて駆け出したけれど、怪我をした足がうまく動かなくて転びそうになってしまう。けれど、いつの間にか近くにいたリュカが、ふわりと抱きとめてくれる。
暖かくてたくましいリュカの腕。厚い胸板。優しい森の色の瞳。
リュカだ。リュカだ。ここにリュカがいる。
「リュ」
泣きながらリュカの名前を呼ぼうとしたら、できなかった。唇に柔らかい熱。目の前の金髪。思わず、彼の背に腕を回す。
リュカのキスは優しい。花を啄む小鳥のように、何度も何度も軽く触れる。もっと深いところまで欲しい。彼を、深く知りたい。
「リュカ、会いたかった」
「僕もです。でも、鍵を手に入れるのに手間取ってしまって……すみません」
「いいの。会えたんだもの」
「オルガ様……ずっと前から、あなたをこうしたかった。抱きしめたかった」
強く抱きしめられたあと、またリュカの唇が私に触れる。頬に、額に、キスをしてくれる。くすぐったくて気持ちいい。もっとしてほしい。
舌を少し出すと、リュカはすぐに唇を離した。目の前の少年は、真っ赤になって緑色の瞳をくるくる動かしている。
「あの、オルガ様、すごく嬉しいのですが、それは駄目です。時間がありません。儀式の最中に抜け出さないと、警備の目が」
「……でも、一回だけなら」
「一回でも駄目です」
リュカは強い口調で拒否をする。そして、「着替えもありますので」と畳んだ服――世話係用の服を私にあてがう。ジャスミンの刺繍がしてあるもの……リュカの服だ。
「あぁ、良かった。僕のものがぴったりですね。……そんなふうに僕を責めないでください」
「リュカは私が嫌い?」
「まさか!」
リュカは慌てて私を抱きしめる。
「わかりますか? キスだけでこんな状態ですよ。ギリギリなんです」
確かに、私の太腿のあたりに押し当てられたそれは、硬く、太く、反り立っている。成人の男の大きさとそう変わらない。触れようと手を伸ばすと、「駄目です」と再度耳元で拒否される。
「リュカにもっと触れたいの。駄目?」
「オルガ様、我慢してください。それ以上触れられたら、僕は」
今度は私がリュカの唇を塞ぐ。ついでに、舌を捩じ込む。慌てるリュカをぎゅうと抱きしめ、歯列をなぞる。観念して出てきた舌をちゅうと吸うと、甘い果実水の味がする。
もっと奥に触れたい。触れてほしい。ドロドロに溶け合いたい。
薬は飲んでいない。けれど、体の芯に火が灯る。暴力的な衝動ではない。初めての、穏やかな願望だ。不思議とそれを受け入れている。
リュカと一緒になりたい。
こんな気持ち、今まで誰にも抱かなかった。リュカだけ。リュカだけなのだ。
「オルガ、さま。ごめん、なさ……あぁ、もう、無理です。耐えられない」
「リュカ、私」
「好きです、オルガ様」
深い森の色に見つめられている。好き。好き。その意味を考える。それは、嘘? それとも、本心? 私とリュカの気持ちは、同じ?
「あなたを愛しています」
あぁ、そうだ。もう一度、それを聞きたかったのだ。嘘でもいい、夢を見させて欲しかったのだ。
嘘でも夢でもいい。復讐心を忘れていなくたって、構わない。もう、いいの。
「我慢しようと思っていたのに……本当に、あなたという人は」
「ごめんなさ――ひゃあ!」
リュカはいきなり私にもたれかかってきた。受け止めきれなくて、ベッドに倒れ込む。ちょっと重いリュカの体が気持ちいい。
「先に言っておきます。僕は初めてなのでうまくはできません。失望させるかもしれません。精一杯頑張りますが……下手だと思います」
そんなの、どうだっていい。私はリュカと奥まで繋がりたい。それだけでいい。
「リュカ、大好きよ」
私こそ、ごめんなさい。我慢できなくて。早く気持ちを伝えられなくて。
「オルガ、様」
「あなたが好き。愛してる。あなたの初めてを、私にちょうだい」
「オルガ様!」
ようやく、一つになれる。繋がることができる。
あぁ、私、リュカが好き。好きなの。やっと、やっと、言えた。
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