【R18】肉食聖女と七人のワケあり夫たち

千咲

文字の大きさ
65 / 91
聖女の休日

065.ラルスの悲嘆

しおりを挟む
 大聖樹会が終わるまで、ラルスは総主教の部屋の前で主の帰りを待っていた。武官や側付きの聖職者に伴われて総主教が現れたのは、大聖樹会が終わって何刻もたってからだ。
「聖女様のことでお話したいことがございます」と頭を下げると、総主教はラルスを部屋に招き入れ、人払いをした。

「黄の国の者が聖女様に危害を加えました」
「黄の国……というのは、確かか?」
「首謀者はエレミアス。黄の国出身の武官か文官と、宮女官レナータも加担しているようです」
「……はぁ。愚かなことを」

 総主教は奥の椅子に座り、ラルスは机の前に立つ。総主教は頭を抱え、溜め息をつく。「子細を」と求められたので、ラルスは順を追って総主教に見聞きしたことをそのまま報告する。もちろん、自らの所業も隠すことなく。

「……そうか。お前が聖女と交わったか」
「罪は罪。罰を受ける覚悟はもとより決めております」

 そう、最初から。何もかも――黒翼地帯への追放すらも、覚悟の上だ。

「査問会を招集しよう。お前とエレミアス、関わった者たちへの処分は、査問会をもって言い渡す」
「かしこまりました」
「宮文官として速やかに引き継ぎを行ない、今後一切の聖女宮への立ち入りを禁ずる。自宅にて、査問会の招集を待つがいい」
「かしこまりました」

 ラルスは表情を変えずに総主教の指示に従う姿勢を見せる。そんなラルスを見て、総主教は溜め息をつく。

「お前は、私のように欲に忠実にはならんのだな」
「……いいえ。業火に身を焼かれる思いでございます」
「ふむ。物静かだった先代聖女とは違い、溌剌とした娘であったな」

 総主教の言葉に、「聖女様にお会いしたのですか」とラルスは驚く。「レナータは私の遠縁の者だ」という返答に、ラルスはすべてを理解した。道理で、エレミアスが必ず宮女官にしろと脅してきたわけだ。おそらく、総主教に恩を売ろうとしたのだろう。何もかもが浅慮な男だ。そこまで、総主教を見くびるとは。

「ここから先は私の個人的な……大変個人的な独り言なのだが」

 総主教は探るような視線でラルスを見上げる。居心地の悪い視線であったが、ラルスは身じろぎすることなくそれを受け止める。

「紫の国の聖樹殿で黒い瞳の子どもが保護されたと聞いたとき、私は大変驚いて、慌ててその子どもの素性を調べさせたものだ。聖女の子どもではないか、と」

 前の聖女が自分に内緒で密かに生んだ子どもではないか、と総主教は疑ったらしい。しかし、そうではなかった。子どもの髪は金ではなく銀色。どこの誰の血を引いているのかもわからない、憐れな子だ。誰にも似ていない色に驚いた両親が捨てたのだろう、と聖職者たちは結論づけたという。

「銀色の髪、と聞いて、驚いたのは先代聖女のほうだった。彼女は閲覧禁止の本棚から、とある絵を持ち出して私に見せてくれた。彼女の前の聖女……そう、黒翼地帯に拐われたという聖女が描いたのは、銀色のヒヒのような、美しい魔物だ」
「銀色の、ヒヒ……」
「先々代の聖女が拐われる前に、銀色の魔物は何度も宮を訪れていたようだ。聖樹での目撃情報も記録に残っている」

 二代前の聖女を拐ったのが「銀色の」魔物だったことはラルスも知らなかった。おそらく、大多数の聖職者が知らないことだ。ただの魔物だと伝え聞いていたからだ。
「これは私の勝手な想像だが」と前置きをした上で、総主教はラルスを見つめる。

「黒の刺繍が現れた先々代の聖女は、黒翼地帯で銀色のヒヒの妻になったのだろう。そして、おそらく、子をなした。銀色の髪と黒色の瞳を持つ子どもを」
「まさか……まさかそんなことが」
「もちろん、私の憶測だ。根拠は何一つない。それに、二代前の聖女はもう亡くなっているだろう。可能性があるとしたら、その子どもが、魔物と聖女の血を引く子孫なのではないかということだけだ」

 ラルスは顎に指をやり、撫でる。確かに今の聖女も、歴代聖女の誰かの血ではないかと疑っていた。ラルスもそれを疑った。しかし、黒翼地帯の魔物までは考えが至らなかった。

「その子どもが紫の国にいる間、侵入してくる魔物の数が減っていたことを考えると、間違った考えでもないのだろうと思えた。それは前の聖女も同じ考えだ。そして、彼女がその子どもを見てみたいと言うので、宮文官として迎え入れることにしたんだ。ラルス、お前を」

 そんなことがあるわけがない、と否定したい自分。それならば好都合だ、と肯定したい自分。ラルスは葛藤する。何が本当なのか、わからなくなってくる。

「今の聖女の婚礼衣装に黒の刺繍が現れたと聞いたとき、皆、一様に魔物の侵略と聖女の連れ去りを考えていたが、私は違った。おそらくお前が聖女と交わるのだろうと」
「ま、待ってください、総主教様。私は」
「そう。お前が黒の君であっても、七聖教は決して認めないだろう。八人目の夫など必要ない、七国の関係が揺らぐ、そういう考えの者が多い。……私も同じだ。期待はするな」

 期待など最初からしていない。夫になることも、子をなすことも、考えていない。罰を受ける覚悟だけしてきた。だからこそ、総主教の言葉が重く深くラルスの心を抉る。

「一度の過ちだけでとどめておくことだ。姦淫した罪は、孕ませた罪よりは軽い。聖女に命の実を食べさせ孕ませたわけでもないのだから、極刑は免れるよう取り計らってやる」

 総主教は「黒」の可能性を知りながら、それを潰したいのだ。七聖教という大きなものを守るために。ラルス一人の愛を犠牲にして。

「お前には感謝をしているんだ、ラルス。先代聖女のために尽力してくれていたことも、彼女を守っていてくれていたことも、私は高く評価している」
「……ありがとう、ございます」
「お前が宮文官でなければ、私が前の聖女の臨終を看取ることはできなかっただろう。彼女が安らかに逝けたのはお前のおかげだ。だから、私は正直に言うと……聖女宮からお前を追い出したくはないのだ」

 エレミアスが絡んでいなければ、総主教はラルスの罪を握り潰すつもりだったのだろう。それができる人間だ。
 ただ、ラルスは知っている。そういう権力を持つ者は、同時に、どんなことでも捏造できてしまえるのだということを。

「ラルス。大人しくしているんだ。そうすれば、いずれまた呼び戻してやる」

 いずれ。いずれ、とは、いつだ。何年だ。何十年だ。その間、愛しい人の温もりを感じることなく、いつとも知れぬ再会を夢見ていろと言うのか。今日のこの日を胸のうちにしまったままで。思い出にしたままで。
 ラルスの瞳が暗く濁る。
 総主教はどんなに願い出ても夫にはなれなかった。それをラルスにも強いるつもりなのだ。自分と同じように、夫にはなれない道を強要するつもりなのだ。

「……かしこまりました」

 ラルスは了承する。抗うことはない。覚悟はできていた。最初から、聖女のそばを離れるつもりだった。
 いずれ呼び戻されるかもしれない、という遠い未来の約束があるだけでも幸運なことだ。それは、生きる理由になる。叶えられることがなくとも。

「査問会の招集を待て」
「はい。それでは、失礼いたします」

 ラルスは総主教の部屋から退室する。そして、聖女宮へ戻ろうとして、ふらつき、壁に手をつく。

「……まさか」

 自分が「黒」の可能性がある。しかし、それを公称することはできない。聖女のそばにいることも、子をなすことも叶わない。
 どれだけ聖女を愛しても、どれだけ聖女を望んでも、彼女の人生の一部ですら手に入れられない。

「あぁ……」

 壁をずるずると滑り、ラルスは床に崩れ落ちる。胸が痛い。苦しい。息ができない。浅く呼吸をしながら、気づかぬうちに涙を流しながら、ラルスはうわ言のように聖女の名前を口にする。

「イズミ様……イズミ様……」

 そばにはいられない。笑顔を見ることも、笑い声を聞くことも、湯上がりの匂いを嗅ぐことも、柔らかな肌に触れることも、甘い舌を絡ませることも、もうできない。もう手が届かない。
 覚悟を決めたはずだった。聖女の幸せのためなら宮文官の職を失っても構わない、追放されても仕方ない、そう考えていたはずだった。実際に失いそうになると、張り裂けそうなほどに心が痛む。彼女と離れたくないという欲も芽生える。

「あぁ……いっそ」

 いっそ、奪ってしまえたら。ここから、二人で逃げてしまえたら。
 考えて、ラルスは首を左右に振る。愛情深く慈悲深い聖女が、七人の夫たちとの別れを選ぶことはないだろう。聖女はこの場に残るはずだ。聖女宮で夫たちとの生活を続けるはずだ。
 ラルスはただ一人、聖女宮を去るのだ。

「……行かなければ」

 ラルスは壁を支えに立ち上がり、よろよろとした足取りで歩き出す。
 トマスに引き継ぎをしなければならない。一月分の仕事しか教えていないのだ。他にも教えるべきことが山のようにある。テレサとスサンナに聖女を任せる上、トマスの補佐を頼まなければならない。老いた宮女官たちには悪いが、若い宮女官レナータを解雇しなければならない。

 ラルスはポケットに手を入れ、白い果実の、つるつるとした表皮を撫でる。奪わずとも、逃げずとも、聖女の愛を留めおくことができる手段は、もう一つしか残されていない。
 ただ、それを選択すると、確実に黒翼地帯へ追放される。総主教も断言していたことを、ラルスは覚えている。しかし、聖女のそばにいられないのなら、その手段でさえ美しく見えるものだ。
 死ぬ道を選ぶ代わりに、聖女の中に自分の子を宿らせる――許されるものなら、その道を選んでみたい。ラルスは命の実を握りしめる。

「イズミ、様……っ」

 ラルスはゆっくりとした足取りで聖女宮へと向かう。その瞳は、本人も気づかぬうちに、闇のように昏く濁っていた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

処理中です...