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第一章 アルトルム王国の病
第一話 アルトルム王国
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しん、と静まり返った大部屋。篝火が点在し、辛うじて周囲を見渡せるだけの光があるそこには、黒いフードを被った怪しげな者達が集っていた。
黒いフードの者達が囲っているものは、円形に敷かれた漆黒のタイルに白い塗料で書かれた魔法陣、ただ一つ。どうやら、ここで、何かの儀式を始めるつもりらしい。
すると、おもむろに、黒いフードの集団の中から一人の人間が魔法陣の前に立つ。フードをスルリと取り外したその者は、見目麗しい男だった。
栗色の癖っ毛に、翡翠の瞳、健康的な褐色の肌を持つ精悍な男。彼の名は、セルバス・フォン・アルトルム。アルトルム王国現国王その人だ。
「これより、勇者召喚をはじめる」
低く響くセルバスの声がそう告げると、一瞬にして空気が張り詰める。それはまるで、今から戦場に赴くかのような異様な雰囲気で、他に声を上げる者は一切居ない。
しかしそれは、昨今のアルトルム王国の情勢を知るものなら、無理からぬことであった。
事の発端は、三ヶ月前、『宵闇の一日』と呼ばれる日から始まった。
『宵闇の一日』とは、一日が暗闇に包まれる夜のみの日を指し、その一日が意味するものは、新魔王の即位だった。
魔王は、大きな山脈と海を隔てた遠い地、ファルシスと呼ばれる魔人の国を支配しており、伝え聞くところによると、その地は、瘴気に満ち、人間が立ち入ることのできない荒れ果てた土地だという。
が、そんな場所があるとはいえ、遠い地である以上、アルトルム王国には関係はない。『宵闇の一日』が明けても、アルトルム王国では、平民も、貴族も、王族も、全くもって気にすることなどなかった。どうせ、遠い国の出来事、だと……。
そんな日の翌日、頭痛に吐き気、喉の痛みから始まったその病は、当初、さほど危険視されてはいなかった。しかし、その症状からどんどん死人が出てきては、もはやただ事ではない。確認できるだけでも三百人の命を、その病は奪った。
そして、それだけの被害が出る頃になると、人々は考え始める。『これは、新たな魔王の仕業ではないか』と。
古来より、人と魔族は敵対関係にあり、歴史上では幾度も大きな大戦を起こしていた。ここ数十年は、特にそうした話を聞くことはなかったものの、魔王が変わったとなれば話は別だ。
疑惑は広まり、しだいに真実としての噂となる。そうして、誰一人として、この病と魔族の関係を疑う者は居なくなった。
『魔王を倒せば病も絶える』
誰が言い出したかも分からないその言葉は、ついに、王を動かした。アルトルム王国は救いの手を願って、いつの時代かも分からぬ古き世に、神より賜ったとされる勇者召喚の陣を用いることにしたのだ。
全ては、病を止めるため。そして、愛しき王妃を失った嘆きを晴らすため。アルトルム王国国王、セルバスは、覚悟を持って召喚に臨む。
「安寧の時は壊された。滅びの悪魔が嘲笑う」
紡がれる言葉は、古来より記された召喚の祝詞。
「道を示せぬ羅針盤。逆行しだした時間ども。闇に閉ざされ光なし」
セルバスは、ただただ、この状況を救う勇者を求め、その思いを胸に詠唱を続ける。
「来たれ、安寧をもたらす者。来たれ、道を示す者。来たれ、世の理を正す者。来たり、来たりて顕現せよ!」
詠唱が終わる。そして、終わった瞬間、黄金の輝きが大部屋に満ちた。
『これで、勇者が現れる』
この場に居る誰もが、それを疑いもせず、眩い輝きが収まるのを待つ。そして……。
「にゃー」
「……ね、こ?」
勇者召喚陣の上に居たのは、珍妙な姿をした白猫。ただ、それだけだった。
そこに、勇者と呼べる存在は、どこにも居なかった。
「……な…ぜ? なぜだっ、神は、神はっ、我々を見捨てたもうたのかっ!!」
予想だにしなかった勇者召喚の失敗。それに、声を上げたのは、一番、勇者という存在にすがっていたセルバスだった。そして、その声に驚いたのか、猫はその場から逃げ出してしまう。
「なぜ、なぜっ!」
「申し訳ありません、陛下。私が、このようなものを見つけたばかりに……」
嘆くセルバスに、黒いフードを取った、しわがれた声の老人が声をかける。白髪に蒼の瞳、ヤギのような白い髭をした彼は、セルバスの教育係であった、ダウロス・ルビーナ・アルメリア。今回の召喚に、セルバスと同じく、希望を抱いていた一人であった。
いや、むしろ、この召喚の発案者とでもいえる立場の存在だ。書物の中に埋もれていた勇者召喚陣を見つけ出したのは、他でもない、ダウロスだったのだ。
「っ、いや、ダウロスに責はない。結局、この召喚にすがろうとしたのは私だ。取り乱して、すまなかった」
ダウロスが口を開くまで、嘆いていたセルバスは、ダウロスの言葉で我に返ったようで、辛そうにしながらもダウロスを責めることはせず、ぎこちなく言葉をかける。
しかし、召喚の思わぬ失敗に、黒ローブの人間達はざわつく。中には、頭を抱えて座り込む者まで居て、とてもではないが落ち着きがあるとは言い難い。
ただ、それは外からの来訪者によって遮られた。
「失礼しますっ」
「なんだ、騒々しい、王の御前ぞ!」
「…よい、申してみよ」
騎士によって突如として開かれた扉に、黒いフードの一人が物申す。しかし、その深刻な様子にセルバスは嫌な予感を抱きながら、報告に来た騎士を促す。
「はっ、報告致しますっ! 姫様が、サリアーシャ様がお倒れになりましたっ」
「なんだとっ」
「姫様がっ!」
「まさか、そんな、王妃様に続いて姫様まで……」
まだ社交界にも出ていない十二の姫。今は亡き王妃、サフィアスの娘でもある姫が倒れた。その報は、その場にいる黒いフードを被った重鎮を騒がせるのに充分なものであった。
「サリアーシャにも、病が降りかかったというのか……」
「はっ、恐らくは」
しかし、王はその報告に内心、大いに取り乱しながらも、それを見せることはない。召喚の失敗の際には取り乱しもしたが、本来、人々の上に立つ人間が、そう簡単に取り乱すものではない。だからこそ、セルバスは、王として、口を開く。
「…………姫を、隔離せよ。側仕えの者も、同様にだ。けっして、王子に近づけさせるな」
セルバスが下すのは、非情な決断。しかし、王としては最良の決断だった。
王の血筋は絶やせない。だからこそ、病を移さないように、王子を守ることは必須だった。たとえ、その行いが自身の意に沿わないものだとしても王である限り、セルバスにはそれ以外の選択肢などない。
今は、ただ、この病がもたらす闇を、一刻も早く取り除くことが優先だ。
魔王討伐の部隊は、勇者に頼る以前に放っている。民が、家族が、病に倒れ続ける中、セルバスは王としての責務に追われ続け、今もまだ、その問題が収まる気配はない。最後の頼みの勇者も蓋を開けてみればただの猫だった。もはや、何を行っても悪足掻きにしか思えない。それでもなお、セルバスは王としての使命を果たすべく、娘を思う父の心を押し殺して、指示を出すのであった。
黒いフードの者達が囲っているものは、円形に敷かれた漆黒のタイルに白い塗料で書かれた魔法陣、ただ一つ。どうやら、ここで、何かの儀式を始めるつもりらしい。
すると、おもむろに、黒いフードの集団の中から一人の人間が魔法陣の前に立つ。フードをスルリと取り外したその者は、見目麗しい男だった。
栗色の癖っ毛に、翡翠の瞳、健康的な褐色の肌を持つ精悍な男。彼の名は、セルバス・フォン・アルトルム。アルトルム王国現国王その人だ。
「これより、勇者召喚をはじめる」
低く響くセルバスの声がそう告げると、一瞬にして空気が張り詰める。それはまるで、今から戦場に赴くかのような異様な雰囲気で、他に声を上げる者は一切居ない。
しかしそれは、昨今のアルトルム王国の情勢を知るものなら、無理からぬことであった。
事の発端は、三ヶ月前、『宵闇の一日』と呼ばれる日から始まった。
『宵闇の一日』とは、一日が暗闇に包まれる夜のみの日を指し、その一日が意味するものは、新魔王の即位だった。
魔王は、大きな山脈と海を隔てた遠い地、ファルシスと呼ばれる魔人の国を支配しており、伝え聞くところによると、その地は、瘴気に満ち、人間が立ち入ることのできない荒れ果てた土地だという。
が、そんな場所があるとはいえ、遠い地である以上、アルトルム王国には関係はない。『宵闇の一日』が明けても、アルトルム王国では、平民も、貴族も、王族も、全くもって気にすることなどなかった。どうせ、遠い国の出来事、だと……。
そんな日の翌日、頭痛に吐き気、喉の痛みから始まったその病は、当初、さほど危険視されてはいなかった。しかし、その症状からどんどん死人が出てきては、もはやただ事ではない。確認できるだけでも三百人の命を、その病は奪った。
そして、それだけの被害が出る頃になると、人々は考え始める。『これは、新たな魔王の仕業ではないか』と。
古来より、人と魔族は敵対関係にあり、歴史上では幾度も大きな大戦を起こしていた。ここ数十年は、特にそうした話を聞くことはなかったものの、魔王が変わったとなれば話は別だ。
疑惑は広まり、しだいに真実としての噂となる。そうして、誰一人として、この病と魔族の関係を疑う者は居なくなった。
『魔王を倒せば病も絶える』
誰が言い出したかも分からないその言葉は、ついに、王を動かした。アルトルム王国は救いの手を願って、いつの時代かも分からぬ古き世に、神より賜ったとされる勇者召喚の陣を用いることにしたのだ。
全ては、病を止めるため。そして、愛しき王妃を失った嘆きを晴らすため。アルトルム王国国王、セルバスは、覚悟を持って召喚に臨む。
「安寧の時は壊された。滅びの悪魔が嘲笑う」
紡がれる言葉は、古来より記された召喚の祝詞。
「道を示せぬ羅針盤。逆行しだした時間ども。闇に閉ざされ光なし」
セルバスは、ただただ、この状況を救う勇者を求め、その思いを胸に詠唱を続ける。
「来たれ、安寧をもたらす者。来たれ、道を示す者。来たれ、世の理を正す者。来たり、来たりて顕現せよ!」
詠唱が終わる。そして、終わった瞬間、黄金の輝きが大部屋に満ちた。
『これで、勇者が現れる』
この場に居る誰もが、それを疑いもせず、眩い輝きが収まるのを待つ。そして……。
「にゃー」
「……ね、こ?」
勇者召喚陣の上に居たのは、珍妙な姿をした白猫。ただ、それだけだった。
そこに、勇者と呼べる存在は、どこにも居なかった。
「……な…ぜ? なぜだっ、神は、神はっ、我々を見捨てたもうたのかっ!!」
予想だにしなかった勇者召喚の失敗。それに、声を上げたのは、一番、勇者という存在にすがっていたセルバスだった。そして、その声に驚いたのか、猫はその場から逃げ出してしまう。
「なぜ、なぜっ!」
「申し訳ありません、陛下。私が、このようなものを見つけたばかりに……」
嘆くセルバスに、黒いフードを取った、しわがれた声の老人が声をかける。白髪に蒼の瞳、ヤギのような白い髭をした彼は、セルバスの教育係であった、ダウロス・ルビーナ・アルメリア。今回の召喚に、セルバスと同じく、希望を抱いていた一人であった。
いや、むしろ、この召喚の発案者とでもいえる立場の存在だ。書物の中に埋もれていた勇者召喚陣を見つけ出したのは、他でもない、ダウロスだったのだ。
「っ、いや、ダウロスに責はない。結局、この召喚にすがろうとしたのは私だ。取り乱して、すまなかった」
ダウロスが口を開くまで、嘆いていたセルバスは、ダウロスの言葉で我に返ったようで、辛そうにしながらもダウロスを責めることはせず、ぎこちなく言葉をかける。
しかし、召喚の思わぬ失敗に、黒ローブの人間達はざわつく。中には、頭を抱えて座り込む者まで居て、とてもではないが落ち着きがあるとは言い難い。
ただ、それは外からの来訪者によって遮られた。
「失礼しますっ」
「なんだ、騒々しい、王の御前ぞ!」
「…よい、申してみよ」
騎士によって突如として開かれた扉に、黒いフードの一人が物申す。しかし、その深刻な様子にセルバスは嫌な予感を抱きながら、報告に来た騎士を促す。
「はっ、報告致しますっ! 姫様が、サリアーシャ様がお倒れになりましたっ」
「なんだとっ」
「姫様がっ!」
「まさか、そんな、王妃様に続いて姫様まで……」
まだ社交界にも出ていない十二の姫。今は亡き王妃、サフィアスの娘でもある姫が倒れた。その報は、その場にいる黒いフードを被った重鎮を騒がせるのに充分なものであった。
「サリアーシャにも、病が降りかかったというのか……」
「はっ、恐らくは」
しかし、王はその報告に内心、大いに取り乱しながらも、それを見せることはない。召喚の失敗の際には取り乱しもしたが、本来、人々の上に立つ人間が、そう簡単に取り乱すものではない。だからこそ、セルバスは、王として、口を開く。
「…………姫を、隔離せよ。側仕えの者も、同様にだ。けっして、王子に近づけさせるな」
セルバスが下すのは、非情な決断。しかし、王としては最良の決断だった。
王の血筋は絶やせない。だからこそ、病を移さないように、王子を守ることは必須だった。たとえ、その行いが自身の意に沿わないものだとしても王である限り、セルバスにはそれ以外の選択肢などない。
今は、ただ、この病がもたらす闇を、一刻も早く取り除くことが優先だ。
魔王討伐の部隊は、勇者に頼る以前に放っている。民が、家族が、病に倒れ続ける中、セルバスは王としての責務に追われ続け、今もまだ、その問題が収まる気配はない。最後の頼みの勇者も蓋を開けてみればただの猫だった。もはや、何を行っても悪足掻きにしか思えない。それでもなお、セルバスは王としての使命を果たすべく、娘を思う父の心を押し殺して、指示を出すのであった。
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