忍びしのぶれど

裳下徹和

文字の大きさ
29 / 60
第二章

8 高田馬場の決闘第二弾

しおりを挟む
 四人は岩倉邸からさほど離れていない水稲荷神社に移り、人気のない社殿の裏に身をひそめる。
 持っている情報を、石走に粗方伝えると、眉間に皺をよせ黙りこくった。川路が何か企んでいるのには勘付いていたようだが、西郷に害を及ぼすものだとは思っていなかったのだ。
「そんなに落ち込むな芋猿。川路が西郷を裏切ったとは決まっていない。それに西郷の韓国訪問が内定しているが、西郷は戦争のきっかけをつくる為、そこで殺されるつもりだ。この勅書で西郷の権威が落ちて、韓国訪問がなくなれば、西郷は生き永らえるのではないか。俺としては死んでもらった方が良いけどな」
 藤田の言葉に、石走が怒りを見せる。
「西郷閣下を愚弄するな」
「愚弄する価値もないくずだろうが。そもそも赤報隊の書状がみつかったところで西郷の評価が落ちるとは思えん。もともとくそ野郎で有名だからな」
 それを聞いて石走が三尺棒に手をかけ、腰を落とす。体からは怒気が湧き上がっていた。
「黙れ負け犬」
 石走の怒りに物怖じせず、藤田も三尺棒に手をかけ悪態を続ける。
「何度でも言ってやる。西郷は大物気取りのくそ野郎だ」
 石走が棒を構え、それに応じて藤田も構える。
「やるのか? 殺し合うにはもってこいの場所だ。高田馬場の決闘第二弾だな」
 今いる水稲荷神社は、元禄の時代に堀部安兵衛が、菅野六郎左衛門の助太刀をした高田馬場の決闘が行われた場所の近くではある。第二弾の決闘の経緯は、甚だ馬鹿馬鹿しい。
 跳が止めようとするが、二人の殺気に割り込むことが出来ない。
「おやめ下さい」
 栄雲が二人を止めようとするが、熱くなった藤田が栄雲にすら牙をむく。
「神仏分離だろ。神社の中では黙っていろ坊主」
 地獄行きは決定のようだ。
 石走が棒を構えたまま藤田ににじり寄っていく。
「お前の死肉を犬に食わせ、その犬を俺が食べることにしよう」
「てめえなんぞに食われてたまるか。てめえらがぬくぬくと芋と肉食っていた時、こっちは木の根をかじっていたんだ。食えるものは何でも食ったが、飢えで次々と仲間が死んでいった。てめえにも同じ苦しみを味あわせてやる。死なないように手足を切り落とし、飢え死にするのを見届けてやる」
 藤田は新撰組が崩壊した後、会津藩と共に官軍と戦った。敗戦後は奥州斗南藩へ送られ、何もない土地で飢えと寒さに苦しめられることになる。戦争なのだから勝ち負けはつくものだが、江戸開城の後に行われた会津戦争は大義ある戦いとは言い難いし、敗戦後の処遇も苛酷だ。藤田が敵の親玉である西郷隆盛を恨むのも、致し方なきことではある。
「いい加減にしろ!」
 跳は拳銃を引き抜き、銃口を二人の間に向けた。
 二人は怒りが収まらない様子ではあるが、一応棒を降ろす。
 気まずい沈黙は、二人の男の熱くなった頭を少しずつ冷ましていった。
 ある程度落ち着いた石走が、つぶやくように問いかけてくる。
「川路さんは何を企んでいると思う?」
 西郷を敬愛し従うのなら、勅書を燃やして栄雲を亡き者にすれば良い話だ。川路が自分の手の届くところに置いていたのは、魂胆があるとしか思えない。しかも直接自分のところではなく、いつでも切り捨てられる栄雲に持たせ、連絡には前島を介して、ばれても言い訳出来るようにしている。
「二人に溝が出来て、川路が西郷を失脚させようとしているのか?」
 昨日の敵は今日の友。逆もまた然りだ。進む方向が違えば、かつての仲間と決別する時が来る。
「今回の海外遠征も、既に人選が終わっていたところに、川路邏卒総長が後からねじ込まれたらしい。ねじ込んだのは、西郷閣下だ。かつての部下の為を思っての行動かと思っていたが、政局が混乱する中、敵にまわりそうな川路邏卒総長を遠ざける思惑があったのかもしれない」
 跳の推測に、石走は無言だが、藤田はうなずく。
「そうかもしれんな……」
 赤報隊の残党や勅書に対しても、軍は組織立って動いているのに対し、警察はまとまりに欠いている。川路が海外にいて、たやすく連絡がとれないことが影響しているように思われる。
「もしかして、田満村の実相寺が焼かれたのも、西郷の思惑だったのか? 出家した栄雲が、勅書を仏像に隠しているという情報を得て、神仏分離令の誤った解釈で村人を誘導し、寺を焼かせたのでは…」
 跳のさらなる憶測に、今度は藤田が首をひねる。
「さすがにそれはこじつけ感が否めないな」
 ライ麦の毒という要因も抜け落ちているし、いくらなんでも強引な考えか。相手を大きくとらえ過ぎて、想像に潰されていては仕方ない。だが、西郷は常人では成し得ぬことを成しそうな雰囲気があるのだ。
「とにかく現時点では、川路邏卒総長の指示を待っても仕方ない。自分達で考えるしかない」
 そうは言ったものの、跳自身もどうしたら良いのかわからない。
 この勅書をめぐって、赤報隊の残党、軍、警察が争っているが、本当に重要なものなのだろうか。これが表に出たところで、西郷が一笑にふして終わりなのではないだろうか。いや、これが公けになることで西郷が失脚し、歴史が大きく変わっていくのかもしれない。
 跳は思い悩むが、自分が見えている範囲の情報からでは、結論なんて出るわけもない。
 ただ小さいことに振り回されているのか。歴史が大きく変わる局面に接しているのか。
 もっと高いところから広い視野で見ることが出来たら。未来から過去を振り返るように現在を見ることが出来たら、正しい判断が下せるのに。
 石走が怒気を含んだ声で、尋ねてくる。
「それが出来たら貧乏邏卒などしておらん。お前はどうすれば良いかわかるのか?」
「わからん」
 跳の返事を聞いて石走は、視線を落とす。
 言葉もなく、ただ重苦しい空気を吸って吐く。見えるものが限られた状態で考えても、正解にたどり着けない。
「大きな目線で考えることが出来ないから下っ端にいて、下っ端にいるから、さらにものが見えなくなる。俺達はこのまま生きて、このまま死んでいく」
 自虐的な跳の言葉に、色々な感情が場に渦巻き、石走と藤田が発していた闘志も完全に消えた。
「ずっと下っ端のままなら、せめて俺達が生きのびられる道を選ぼう」
 しかし、個人が生きのびる道すらわからなくなってくる。
 勅書を赤報隊の残党に奪われるのはもっての他だが、軍にとられても、反政府の片棒を担いだとか濡れ衣を着せられて消されそうだし、警察が手に入れたとしても、政局しだいで責任を押し付けられ、処刑されそうだ。栄雲の望みは岩倉具視に勅書を渡すことだが、岩倉は孝明天皇を毒殺したと噂される程の曲者だ。勅書を政治利用にだけ使い、赤報隊の名誉回復など捨て置かれる可能性もある。
 考えれば考える程、正しき道が遠のいていく気がした。
「誇りを胸に、玉砕したくなってくるな……」
 藤田のつぶやきに、肯定の返事をする者はいないが、皆少なからず同じ思いを抱いていた。
 誰も言葉を発しない沈痛な場の中で、跳の耳に大勢の足音が近付いてくる音が聞こえた。
「誰かが近付いてくる。結構な人数だ。靴を履いているようだ。赤報隊の残党ではなく、軍人だな。お前らが騒ぐからだ」
 藤田はそれを聞いて、顔をしかめる。
「仕方ねえ。俺と石走が引き付けておく。郵便屋と坊さんは隠れておいて、機を見て逃げろ。勅書は、岩倉のところでも、西郷のところでも好きなところに持っていけ」
 石走は、勅書を跳と栄雲に任せるのには納得しかねるようだが、自分でどうこうする心づもりも出来ぬようで、黙って軍人を迎え撃つ態勢をとった。
 跳と栄雲は、社殿裏にある納屋の陰に隠れる。水稲荷神社の塀の向こう側は、軍人達に囲まれたことが察せられた。二人に緊張が走る。
 隠れている跳の耳に、藤田と石走の会話が入ってきた。
「軍のやつらは西郷を守る為に勅書を手に入れようとしているのだろう。石走もそちら側なのではないのか?」
「まあな。だが、奴らには渡さん」
「なぜだ?」
「あいつらは好かん」
「お前が出世出来ないのがわかる」
 納屋の陰からこっそりとうかがっていると、藤田と石走の前に軍の一団がやってきたのが見えた。
「このあたりで政府への反逆を企てている僧侶をみなかったか?」
 先頭の葛淵が、敵意むき出しの口調で尋ねる。
 それに対し、藤田はおどけた口調で返す。
「いや見なかったな。切支丹の次は坊さんか。次は孔子でも殺しにいくのか?」
 葛淵の額に血管が浮き上がり、体が怒気に包まれる。後ろにひかえる部下達にも緊張が走っていた。
「横浜では大活躍だったそうだな。橋を落として神奈川県令から苦情がきたそうじゃないか。石橋を叩いて渡るつもりが叩き過ぎたか石走」
 葛淵の言葉に、後ろにひかえる部下達が、追従の笑い声をあげた。
「親父さんの背中に隠れてばかりいないで、たまには危ない橋を渡ってみたらどうだ」
 石走が落ち着いた口調で言うと、軍人達は静まり返り、隣にいた藤田は口元を歪ませて笑う。
 離れたところから見ている跳にも、一触即発の空気が良くわかった。
 葛淵が刀に手をかけ、腰を落とす。
 藤田と石走は体勢を変えず、棒を手にさげたまま、軍人達をねめつけ始めた。
 葛淵の後ろにいる軍人達は、戦う素振りを見せるものの、明らかに動揺していた。藤田と石走の武勇は知っているのだ。
 跳達は逃げ出す機運をつかめずに、状況を見守る。
 葛淵は危ない橋を渡らず、部下達にいかせようとするが、部下達は藤田と石走に怖気づいて、前に出ようとはしなかった。
 本当に武力衝突が起こっても困るのだが、現状をどうにか打開したい。跳が焦れてきた時、新たに何人か加わってきた。警官だ。藤田と石走の加勢に駆けつけてきたのだ。
 警官と軍人は治安を守るという同じ目的があるはずなのだが、仲は悪い。今日もにらみ合い出す。
 神社内の不穏な空気を感じ取り、外を固めていた軍人達が加勢に駆けつけてくる。おかげで包囲網に穴が開いた。
 跳と栄雲は納屋の陰から塀を乗り越え、神社の外へ出ることにする。
「やるのか? 殺し合うにはもってこいの場所だ。高田馬場の決闘第二弾だな」
 藤田が台詞を使い回すのを聞きながら、跳と栄雲は、水稲荷神社からこっそり脱出した。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

処理中です...