醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

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三章 異世界からの脱出を目指すにあたり、男になります

6.新たなイケメンには、取り付く島もないようです

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 私はしばらく放心していた。
 いっそ暴力的なまでの、荒々しい美を前にしたせいだ。
 美術館で一枚の絵を眺めるような私とは対極に、彼はまるで部屋の壁を歩く蜘蛛を眺めるように、私を見上げていた。

 それからいかにも腹立たしいというように眉根を寄せた。小さく息をついて――

「!?」

 一瞬の間に、私と彼の位置関係は逆転していた。
 すなわち、私が彼の真下にもぐりこんでいて、彼は私を見下ろしている。

 何を、と言う前に私の手首はひねりあげられ、頭の上あたりでひとまとめに拘束された。
 両手首を片手で悠々と締め上げられる。
 その力強さと男の余裕にぞっとする。
 そう、男と女はこんなに差がある。
 阿止里さんたちはその力を私を守る方向に使ってくれた。でもこの男はそうじゃない。

 ぎりりと力を込められて私は喘いだ。寒さと拘束とで手首から先の感覚がすでにない。

「……おまえ、男か?」

 生理的な涙を浮かべる私を間近に見て、彼は問いかけてきた。
 疑わしそうに私の上半身を観察しているが、その胸は魔法でまっ平らになっている。
 そう、触られない限り、私は男に見えているはずなのだ。これ、きっと女ってわかったらやばそう。
 なんとかして、触られることだけは避けなければ。

「もっ、もちろん! 男です。故郷には愛するものもいます! だから町に行きたいんです!」

 拓斗のことだが、嘘ではない。
 
 彼は目の前にあるのが、道にへばりついたガムなのか一円玉なのか、見極めるように目を眇めた。
 空いているほうの手で、頭衣をはぎとられる勢いでずらされた。
 顔がさらされる。首筋からは風も入り込み、全身を小さな細い針で刺されているような気持ちになる。

 男はそんな私を尻目に、あらわになった私の顔と、身体の線とを眺めている。見た目はいよいよ、男にしか見えないはずだ。
 次に男はゆっくりと私の顎に指を添え、そのまま頬を滑らせ、耳に触れる。まるで医者のような、ひどく中立的な触れ方。
 そのままゆるゆると首筋をなぞられて、私はびくりと身体をすくめる。
 そんな私の一挙手一投足を見逃さないような男の瞳には、次第に疑惑が宿っていく。

「男にしては貧弱にすぎる。女にしても丸みのかけらもない。おまえ、いったい何なんだ?」

 貧弱とはいかんともしがたい。
 というか、鋭いなこの男!

「私は奴隷でした。いえ、今も奴隷です。食生活がひどすぎて、育てなかったっていうか」

 ぎりぎり嘘ではないことを言ってみる。じっさい奴隷小屋で与えられたものといえば、まるっきり家畜の餌だ。あれを摂取し続けていたら、冗談ではなくこういう体型になっていただろう。

 男はまだ納得がいかないように首を傾けて、私の首筋に顔を近づけた。
 何を、と思う間もなく首筋に噛み付かれた。

 ちいさな生き物が鳴くような声が、私の口から漏れた。
 男はそのまま、今度はなだめるようにやさしく舐め上げ、耳たぶへとその舌を伸ばす。
 水音を立てて耳の輪郭もねっとりと口に含まれる。
 ぞくぞくと寒さからではない震えが腰の辺りから広がっていく。

 私はわけがわからないまま必死で息を止めた。何だ、どういう目的でこうなっている。
 もしかして男が好きな男なのだろうかとも思うが、そう判断するには男の瞳は渇きすぎている。

 そして始まりと同じように突然それは終わった。

 彼が身を起こした瞬間、舐められた皮膚が冷たい空気に触れて粟立つ。

「どうやら男で違いない。色気のかけらもない」

 私は言いたい放題の男に、怒りと羞恥で声も出なかった。
 なんて、なんて失礼なやつなんだ! いや、結果オーライなんだけど。

 もし今後、実は女だったんだよと明かせるときがきたとしたら。全力で女らしさを出しまくって、色気の塊だと思わせてみせる!

 元気だせ、とたまが呟いた。こういうときだけ優しいのってどうなの。
 うるさい、と心の中で答えると、たまがおかしそうに笑った。







(小娘、安心するのは早い。この男に、なんとか我らを運んでもらわねば)

 わかってる、と私は慎重に言葉を選んで再度切り込んでみる。
 ちなみにたまの声はどうやら私にしか届いていないのだと、このとき初めてわかった。

「乱暴な引き止め方をしてすみません。私はどうしても行くべきところがあるんです」

 私、と言うと女と思われるかなといまさらながら思ったけど、阿止里さんも私と言っていたしいいだろう。
 男はしかめっ面で上半身を起こし、片ひざを立ててその上にあごを乗っけている。
 そのまま私を、頭の毛の一本から足のつま先まで、まるで脳裏に焼き付けるかのように凝視した。
 ありとあらゆることを見透かすような瞳の強さだ。
 男に化けてだましているという負い目に、私は心苦しくなる。嘘やごまかしという、自分を消耗する行為は学校生活からずっとしていない。

 一度嘘をつくと、その嘘を守るためにほかのごまかしが必要になる。
 まるで坂道を転がる雪玉のように嘘は増え続け、自分の心を重くする。だから私は、嘘をつかない。
 まあ、そもそも嘘をついてまで守りたい何かとかもないんだけどね。

 ただ今はこういう状況なので、私は仕方ないと思いつつも負い目を感じたままだ。
 女だって言ったら本当にいろんな危険性がある。
 無防備に出歩けるのは法が整備された世界でだけなんだなあ、と改めて感じたりした。

 男は黙ったままだ。
 私も何を言うべきかわからない。こういう交渉ごとなんて、事務方の私には経験がないのだ。
 とりあえず、ずらされた頭衣をしっかりと直してみる。こんな布でも、一枚あるのとないのとでは段違いに体感は変わるのだ。
 なにか会話をと思い、私はもごもごと口を動かす。

「あの、一度は様子を見に来てくれたのに、踵を返したのはどうしてですか」

 尋ねれば、彼はつまらなそうに口を開いた。

「別に。もし女なら売ろうと思ったが違った。金持ちだったら身包み剥ごうと思ったが違った。それだけだ」

 たいがい人でなしらしい。
 というか男に見えるようにしておいてもらってほんとによかった。

「あんたは町に連れて行けというが、それで俺に利点はあるか? そんな格好をしている男に、まとまな頭があるとは思わないが」

 そうなのだ。くどいようだが私の格好はククルージャで買出しに出かけたときのままである。
 いまだに目のところしか見えていない、女性用の頭衣をかぶっているし。
 サンダルだし、防寒具なんて持ってないし。はたから見たら完全にやばい人だが、こっちにも事情というものがある。

「お金はありませんが、そうじに洗濯に炊事なら一通りこなせます。ほかにもやれることなら、なんでも」

 念のため、繕い物ははずしておいた。ナラ・ガルさんは仲間ができたとばかりにうきうきと教えてくれたけれど、私はなんやかんや理由をつけて避けつづけていた。結局のところちっとも上達していないのである。
 男はゆっくりと首を傾けた。私を見定めるように目を眇めて、心底億劫そうに眉を寄せる。
 その表情ときたら、厄介な取引先から電話がかかってきたときの課長の顔にそっくりだったので、何を考えているかだいたいわかる。
 どうやったら私を追い払えるかすばやく計算しているに違いない。
 それから彼は、ちょっと思いついたように唇を曲げた。そしてゆっくりと自分の袖をまくり始めた。

「これを見ても、俺に連れて行けと言う?」

 男が露出させた、右の上腕のあたり。
 そこには赤子の手のひらほどの大きさの醜い焼印があった。
 山羊だろうか。何かの動物を模したような模様らしかったが、あまりに皮膚が引き攣れていて、よくわからない。
 痛々しさに私が眉根を寄せると同時に、たまが苦々しく呟いた。

烙印奴隷スティグマートか――!)

 ああ、また新しい言葉。
 ほんっと異世界って、厄介!




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