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三章 異世界からの脱出を目指すにあたり、男になります
7.烙印奴隷(スティグマート)
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奴隷は大きく二種類に分けられる。
ひとつはその人間自体が売り物になるもの。単純に野菜のように売買され、買われた主人に忠誠を尽くす。基本的には主人のそばや屋敷に侍る。容姿や能力により異なるが、小間使いや下僕、侍従や性奴までさまざまだ。
奴隷のうち大多数はこれらしい。私もこっちだ。
もうひとつは、人質をとられた人間がその人質のために奴隷になるもの。
これがいわゆる烙印奴隷だという。
基本的には主人のそばにはいない。鎖で繋がれもせず、閉じ込められたりもしない。一見、自由に出歩けているかと思いきや、人質を助けるためにありとあらゆる裏の稼業、やりたくもない闇深いことをさせられるのが常らしい。
その人質は奴隷の大切な人物が選ばれる。家族や恋人などがあたるだろう。
彼ら人質は、奴隷の主人の家の地下奥深くに鎖につながれているという。
万が一、烙印奴隷が命令に逆らったり逃亡したり、あるいは失敗したりしたときには、その人質が責を負う。
人質も必要だし、烙印奴隷自身が優秀なスキルを持っている場合に限り、使い道が出てくるというもので、烙印奴隷のその数は極めて少ないという。
そして烙印奴隷は、蛇蝎のごとくこの世界で忌み嫌われる。
人質を取られ、尽くしたくもない主人の言いなりになり、あらゆる種類のえげつないことに手を染めるからだ。
自分以外の人質という他者のために、奴隷の主人に唯々諾々と付き従う。そこには主体性のひとかけらもなく、誇りもない操り人形以下の木偶であるという認識らしい。
たまがこのように説明してはくれたが、私にはいまひとつぴんとこない。
ただの、ものすごく運の悪いかわいそうな奴隷ではないか。
大切な人質のためにやりたくもないことに手を染める。それが侮蔑される原因だというのなら、この世界はずいぶんひどい構造だ。
ナラ・ガルさんが以前すこし話してくれた、この世界の宗教に関連しているのかもしれない、と私は思ったりもした。
天にまします造物主――と言っていたが、みんなわりと信心深いように見えるし。
その造物主が「自分の意志を大切にせよ」とか「他者のために他者を傷つけてはならない」とかなんとか言っていたら、確かに烙印奴隷みたいな人たちは行き場がないだろう。
そして何より気の毒なのは、どう間違っても自死を選べないということではないだろうか。
大切な人質を残して、誰が死を選べるだろう。
もし私が、拓斗を人質に取られたとしたら――と想像してみる。
考えるだに恐ろしいが、きっとある程度の命令には従ってしまうだろう。
拒めば、拓斗のしっぽが切られたり、ひげを抜かれたり、目玉をくりぬかれたり……無理!
この上なく、非情なシステムだ。
※
それで、この男が烙印をわざわざ見せたのってどういう意味があるのだろう?
「ええと、ひどい火傷ですね。そうとう痛かったでしょう」
当たり障りのない言葉を選んだつもりだが、男は驚愕に目を見開いた。というか、初めて私の顔をまともな興味をもって見た、といったところか。
いままでは机の上の乾電池に向けるような視線だったのが、不審や興味を乗せたものに変わっている。
いつもは助け舟を出してくれるたまからも、内心言葉を失ったのが伝わってくる。
なんなの。どう反応すれば正解なの、これ。
「……俺は烙印奴隷だが」
「ええ、見ればわかります」
「そうとわかってもなお、俺に助けを求めるのか?」
「あなた以外こんなところ通らないでしょうし」
「正気か?」
「夢ならいいのに、とここのところずっと疑い続けています」
なんというか、会話のしっくり感がない。
お互いに離したいことの中心がずれたまま、言葉が行き交っている感じだ。
見かねてか、たまがため息をついて補足してくれる。
(……烙印奴隷はその性質として、たいていすさまじい罪を犯しているものだ。奴隷の主人から、ありとあらゆる欲や謀略に満ちた命令を下されるのだから。その腕もまた恐ろしく立つ上に、暗器使いも多い。ふつうの人間なら震えて縮こまり、見えぬものとして反応するだろうな)
なっ、なるほど!
わかりやすく言い換えるなら、「俺は犯罪者だぞ、人殺しだぞ、なのに助けろと?」という感じか。
確かに指名手配犯のような人だとしたら、足踏みはするかも。
ううん、と私は腕を組む。
でもそれって人質を守るために強要されたことなわけだよね。
もちろん罪は罪だ。正当化できるはずはない。でも誰かを守るために自分が手を汚すって、ある意味とても純粋なのでは。情状酌量の余地? だったか。
この世でもっとも恐ろしいものは。と、私は考える。
それは言葉と常識が通じない、世界が異なる人たちだ。この場合の「世界」は、意味合いは異なる。
たとえば私が道に落ちているごみを拾う。私の世界の人たちは、それを善きこととする。
でも世界が異なる人たちは、それを悪しきこととする。
『なぜごみを拾うんだ』
『そのほうがいいでしょう』
『けしからん。許せん。断固、抗議する』
こういう運びになる。
だからお互いに何もしていないのに、そこには争いが生まれる。それが私は、もっともおそろしい。
目の前の男は確かにかたぎの雰囲気ではない。きっと悪事に手を染めたこともあるだろう。
でも私の言う「世界」が異なる人ではないと、私は感じる。
私は思ったままを包み隠さず伝えることにする。こういう警戒心の強い、人嫌いなタイプには、正直に接するのがいちばんだし、考えるのが面倒くさくなってきたことも大きい。
「正直ですね、あなたがどういう人であろうと、私はどうでもいいんです。町につれていってくれるかどうか、そこだけが大事で」
いやほんと、それだけでいいんです。
だめですか、いや、そこをなんとか! と、がんばって上目遣いに魅力をアピールしてみる。
あっ、いま男に見えてるんだった。不気味に思われないかな。
小娘……。と、たまが心底呆れたような声を出したところで、男は何か思いついたように眉を上げた。
「――連れていってやろうか」
おおっ! ついに、願いが通じた。
でもすごく含みのある声だった。やっぱり対価のようなものはいりますよね。世の中ギブアンドテイクだもの。
「……その。見返りに、私は何をすれば?」
そう尋ねると、男はすでに興味を失ったというようにネックウォーマーを引き上げ直して立ち上がった。ぱんぱんと下半身についた雪を払う。
「そのうち、話す」
ただより怖いものはない。
すさまじい要求をされそうで、ちょっと、というかかなり怖い。でも私に選択肢はなかった。むしろやっぱりやめたと言われるほうが怖くて、いそいそとそりに乗り込む。
しかしトナカイさんかわいいな。
「そういえば、お名前は? 私は縁……です」
あやうく名乗りきってしまうところだった。ああでも、この世界では女の名前も男の名前もないのだから別に問題なかったか。
男はそそくらと後部座席に納まった私を眺めて、ちょっと呆れたように、あるいは諦めたようにため息をついた。そのまま目もあわせずに操縦席に乗り込む。
「ギィ」
わあ、そっけない。
重ね重ね申し訳ないのだが衣服を貸してはくれないかと頼んでみると、大きいブランケットのようなものを放ってくれた。
ついでに食べ物もと頼むと、かじりかけの生のジャガイモもどきを投げてよこされた。
ふかふかの布団で睡眠をとりたいなと呟けば、蹴落とされた。
人でなしなのかそうでないのか、微妙なところだ。
ひとつはその人間自体が売り物になるもの。単純に野菜のように売買され、買われた主人に忠誠を尽くす。基本的には主人のそばや屋敷に侍る。容姿や能力により異なるが、小間使いや下僕、侍従や性奴までさまざまだ。
奴隷のうち大多数はこれらしい。私もこっちだ。
もうひとつは、人質をとられた人間がその人質のために奴隷になるもの。
これがいわゆる烙印奴隷だという。
基本的には主人のそばにはいない。鎖で繋がれもせず、閉じ込められたりもしない。一見、自由に出歩けているかと思いきや、人質を助けるためにありとあらゆる裏の稼業、やりたくもない闇深いことをさせられるのが常らしい。
その人質は奴隷の大切な人物が選ばれる。家族や恋人などがあたるだろう。
彼ら人質は、奴隷の主人の家の地下奥深くに鎖につながれているという。
万が一、烙印奴隷が命令に逆らったり逃亡したり、あるいは失敗したりしたときには、その人質が責を負う。
人質も必要だし、烙印奴隷自身が優秀なスキルを持っている場合に限り、使い道が出てくるというもので、烙印奴隷のその数は極めて少ないという。
そして烙印奴隷は、蛇蝎のごとくこの世界で忌み嫌われる。
人質を取られ、尽くしたくもない主人の言いなりになり、あらゆる種類のえげつないことに手を染めるからだ。
自分以外の人質という他者のために、奴隷の主人に唯々諾々と付き従う。そこには主体性のひとかけらもなく、誇りもない操り人形以下の木偶であるという認識らしい。
たまがこのように説明してはくれたが、私にはいまひとつぴんとこない。
ただの、ものすごく運の悪いかわいそうな奴隷ではないか。
大切な人質のためにやりたくもないことに手を染める。それが侮蔑される原因だというのなら、この世界はずいぶんひどい構造だ。
ナラ・ガルさんが以前すこし話してくれた、この世界の宗教に関連しているのかもしれない、と私は思ったりもした。
天にまします造物主――と言っていたが、みんなわりと信心深いように見えるし。
その造物主が「自分の意志を大切にせよ」とか「他者のために他者を傷つけてはならない」とかなんとか言っていたら、確かに烙印奴隷みたいな人たちは行き場がないだろう。
そして何より気の毒なのは、どう間違っても自死を選べないということではないだろうか。
大切な人質を残して、誰が死を選べるだろう。
もし私が、拓斗を人質に取られたとしたら――と想像してみる。
考えるだに恐ろしいが、きっとある程度の命令には従ってしまうだろう。
拒めば、拓斗のしっぽが切られたり、ひげを抜かれたり、目玉をくりぬかれたり……無理!
この上なく、非情なシステムだ。
※
それで、この男が烙印をわざわざ見せたのってどういう意味があるのだろう?
「ええと、ひどい火傷ですね。そうとう痛かったでしょう」
当たり障りのない言葉を選んだつもりだが、男は驚愕に目を見開いた。というか、初めて私の顔をまともな興味をもって見た、といったところか。
いままでは机の上の乾電池に向けるような視線だったのが、不審や興味を乗せたものに変わっている。
いつもは助け舟を出してくれるたまからも、内心言葉を失ったのが伝わってくる。
なんなの。どう反応すれば正解なの、これ。
「……俺は烙印奴隷だが」
「ええ、見ればわかります」
「そうとわかってもなお、俺に助けを求めるのか?」
「あなた以外こんなところ通らないでしょうし」
「正気か?」
「夢ならいいのに、とここのところずっと疑い続けています」
なんというか、会話のしっくり感がない。
お互いに離したいことの中心がずれたまま、言葉が行き交っている感じだ。
見かねてか、たまがため息をついて補足してくれる。
(……烙印奴隷はその性質として、たいていすさまじい罪を犯しているものだ。奴隷の主人から、ありとあらゆる欲や謀略に満ちた命令を下されるのだから。その腕もまた恐ろしく立つ上に、暗器使いも多い。ふつうの人間なら震えて縮こまり、見えぬものとして反応するだろうな)
なっ、なるほど!
わかりやすく言い換えるなら、「俺は犯罪者だぞ、人殺しだぞ、なのに助けろと?」という感じか。
確かに指名手配犯のような人だとしたら、足踏みはするかも。
ううん、と私は腕を組む。
でもそれって人質を守るために強要されたことなわけだよね。
もちろん罪は罪だ。正当化できるはずはない。でも誰かを守るために自分が手を汚すって、ある意味とても純粋なのでは。情状酌量の余地? だったか。
この世でもっとも恐ろしいものは。と、私は考える。
それは言葉と常識が通じない、世界が異なる人たちだ。この場合の「世界」は、意味合いは異なる。
たとえば私が道に落ちているごみを拾う。私の世界の人たちは、それを善きこととする。
でも世界が異なる人たちは、それを悪しきこととする。
『なぜごみを拾うんだ』
『そのほうがいいでしょう』
『けしからん。許せん。断固、抗議する』
こういう運びになる。
だからお互いに何もしていないのに、そこには争いが生まれる。それが私は、もっともおそろしい。
目の前の男は確かにかたぎの雰囲気ではない。きっと悪事に手を染めたこともあるだろう。
でも私の言う「世界」が異なる人ではないと、私は感じる。
私は思ったままを包み隠さず伝えることにする。こういう警戒心の強い、人嫌いなタイプには、正直に接するのがいちばんだし、考えるのが面倒くさくなってきたことも大きい。
「正直ですね、あなたがどういう人であろうと、私はどうでもいいんです。町につれていってくれるかどうか、そこだけが大事で」
いやほんと、それだけでいいんです。
だめですか、いや、そこをなんとか! と、がんばって上目遣いに魅力をアピールしてみる。
あっ、いま男に見えてるんだった。不気味に思われないかな。
小娘……。と、たまが心底呆れたような声を出したところで、男は何か思いついたように眉を上げた。
「――連れていってやろうか」
おおっ! ついに、願いが通じた。
でもすごく含みのある声だった。やっぱり対価のようなものはいりますよね。世の中ギブアンドテイクだもの。
「……その。見返りに、私は何をすれば?」
そう尋ねると、男はすでに興味を失ったというようにネックウォーマーを引き上げ直して立ち上がった。ぱんぱんと下半身についた雪を払う。
「そのうち、話す」
ただより怖いものはない。
すさまじい要求をされそうで、ちょっと、というかかなり怖い。でも私に選択肢はなかった。むしろやっぱりやめたと言われるほうが怖くて、いそいそとそりに乗り込む。
しかしトナカイさんかわいいな。
「そういえば、お名前は? 私は縁……です」
あやうく名乗りきってしまうところだった。ああでも、この世界では女の名前も男の名前もないのだから別に問題なかったか。
男はそそくらと後部座席に納まった私を眺めて、ちょっと呆れたように、あるいは諦めたようにため息をついた。そのまま目もあわせずに操縦席に乗り込む。
「ギィ」
わあ、そっけない。
重ね重ね申し訳ないのだが衣服を貸してはくれないかと頼んでみると、大きいブランケットのようなものを放ってくれた。
ついでに食べ物もと頼むと、かじりかけの生のジャガイモもどきを投げてよこされた。
ふかふかの布団で睡眠をとりたいなと呟けば、蹴落とされた。
人でなしなのかそうでないのか、微妙なところだ。
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