醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

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幕間の話2

かくて、世界は今日も輝く  ―ナラ・ガル―

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 ある日の夕暮れのことである。

 ナラ・ガルは、所用を済ませ彼らの家へ向かう途中であった。
 ギルドの斡旋した業務で、このククルージャという城塞都市へ来てずいぶん経つ。それでも、まるで書物で見る古代の迷路(ラビュリュントス)のような造りにはいまだ驚かされる。とにかく道を失いやすいのだ。なにげなく歩くにも道を注意深く見て、目印を気にかける癖までついたほどである。

 しかし今日は、彼はあえてそれを放棄する。
 せっかくの休日だし、いつもとは気分を変えよう。そのふとした思いつきで、今まで通ったことのない道へと足を踏み入れた。

 外敵を惑わせるためなのか、飛び砂の侵食を少しでも減らそうというためなのか、その入り組み方はいっそ芸術的なまでだ。
 ナラ・ガルは新しい道を知ることが楽しいので、わりとおおらかに歩いていられる。しかしユーリオットなどは違うらしい。時おり、壁の上を歩いてやりたいとぼやいていたりする。彼は医術に驚くほど精通していて賢いのだが、地理への勘は残念ながら持ち合わせていない。

 月花ユエホワは一度歩けば覚えてしまうし、阿止里あとりもそういう勘は優れている。
 あの娘はどうなのだろう、と考えたナラ・ガルの目元が自然とほころぶ。

 ひとりで出歩かせるなんて恐ろしいことは、いままでもこれからもありえないが、もしひとりで迷い込んでしまったとして。あたふたするのも愛らしいなどと考えてしまう。

 異世界から来たという娘は、どう育ってきたのだろう、と首をひねってしまうくらい無防備だ。この世界の文字も読めなければものも知らない。そのくせ自分たちへ向ける視線ときたら、そのへんの男たちには絶対に見せたくないような、完全な信頼が滲んでいる。あの娘はほけほけと能天気にも見えるが、自分が信じるべきものと、そうでないものとの選別に自信を持っているようだった。それはある程度世の中を渡った人間の持つ眼であり、幼子のような一面との落差をもたらす。

 だれかの妻になったことはないという。それにしては料理や掃除などいかにも手早くこなすから興味深い。裁縫だけは、まるで苦手ということも。
 そう問えば、縁子は顔をふにゃっとさせて眉を下げるのだ。家庭科はどうにもだめでして、ともそもそと呟いて、現代社会では綻びたら捨てちゃうもんなあ、思えば勿体無いなどとうなずいていた。

 自分たちを美しいという、奇妙でやさしい、いとしい娘。

 しかしその彼女にも、自分たちが押し込めている熱はきっとまだ知られていないのだろう。ナラ・ガルはそう思う。隠された男としての情念は、切なさと、つかの間の平穏に甘んじたい心情とがないまぜになって、ときおり出口を求めてやるせないように蠢いている。
 どこか平和で美しい場所に連れて行って、羽毛でくるむように、そよ風さえも届かないようにして、腕の中で慈しんでみたいような。穏やかながらもひどくくらい感情。

 見知らぬ道を歩きながらそんなことを考えていると、近くから鳴き声がした。


 ぽるぽる、ぽるぽる。


「……ああ」

 なんのことはない。砂鳥が、鳴いているのだ。
 手のひらに乗ってしまうような、小さくまるまるとした鳥である。色は白く、つぶらな瞳が愛くるしいが、その鳴き声の大きさが特徴的だ。
 どこからかな、と足を止めてあたりを見回す。
 夕暮れに橙色に染まる壁や、家々の屋根がきらめいている。遠くに見下ろせる道を、住民たちがいそいそと歩いている。暖かな夕食を心待ちにして、おのおのの家へ足を運んでいるのだろう。
 
 ほどなくして、小高い丘の上に建つ家からはみ出ている木、その枝に、せっぱつまったように鳴き続ける砂鳥を見つける。

 ふたつの鳥の影。
 しかしすぐに、影のうちのひとつが飛び立っていってしまった。

 残されたひとつもまた、同じ鳴き声をいくらか鳴かせてから、所在なさげに飛び立っていく。

 求愛の唄。報われなかった雄鳥の鳴き声が、どうしてだか耳に残った。







「理不尽じゃないかな」
「なんの話だ?」
「砂鳥がね」

 もう少し情報がほしい、というように困ったように苦笑しながらも辛抱強く瞬く月花とは対極に、ユーリオットははっきりと眉根を寄せる。

「ナラ・ガルの口のうまさには期待してないけど、もう少しなんとかならないのか、それ」

 それ、とユーリオットが指し示すものは、その場にいたみんな――つまりは、阿止里、月花、それからユーリオット――が知っている。あまりにも脈絡のない、たわいもない、けれどけして耳障りではない話を振ること。

「でもそこまで唐突な話も、ナラ・ガルにしては珍しいよね。砂鳥がどうか?」

 月花が意図してかどうか、ナラ・ガルに話の続きを促す。とたんにユーリオットが舌打ちをしたので、阿止里はおや、というようにちょっと首を傾けた。もしかしたらユーリオットは、この機会にナラ・ガルの怠惰――多くを語らなくとも、誰かが補足してくれたり、想像で補ってくれるという事態――をたしなめようとしたのかもしれない。
 砂鳥だけではないんだけれどね。ナラ・ガルがユーリオットの苛立ちを知ってか知らずか、いつもの調子で口を開く。

「ほら、動物たちは、たいてい雄が求愛するだろう。雌はただ選ぶだけ。袖にするか、つがいになるか」

 まあ、そうかな。その場にいる全員が、おおむね同意したのを確認してナラ・ガルは続ける。

「でも人間は。雄からということも当然多いとは思うけど、中には雌が必死になって雄を捕まえようとすることもある。人間だけが、雌からも雄を求めることができる。それができない動物たちにとっては、理不尽じゃないかって」

 なんだそれ、と呆れたようにユーリオットが眉を上げた。ナラ・ガルが珍しく、ほんとうに珍しく、むっとしたように口を引き結んで、ユーリオットを見た。

「なぜならユーリ。もし砂鳥の雌が、ある雄に近づきたいと思ってもそれができない。雄は好きな相手を口説けるのに、雌はただ待つばかりというのは」

 ここにきておおむねナラ・ガルの言いたいことがわかったユーリオットは、あからさまに面倒くさそうにため息をつく。いったいなんだってこんなにナラ・ガルが砂鳥にこだわるのか、見当もつかない上に、結果どういう会話をすればナラ・ガルが納得するのかもわからないからだ。

「……雌から求愛行動をする種も、中にはいるんじゃないか。なにも、俺たちはこの世界に存在する全ての動物の求愛方法を知ってるわけじゃあないだろうに」

 そりゃあまあ、そうだがな。ナラ・ガルがどうにも気に食わないという風情なのを、ただただ三人は顔を見合わせて、首を傾げた。その様子に気づいたナラ・ガルが、おっといけない、というように笑いを作る。

「なあんてね。ただちょっと、不思議に思っただけなんだ。俺は人間でよかった。女性から求愛される可能性が、砂鳥とは違って、ゼロではないんだからな」

 そう軽くからかって、いつもの朗らかで温かみのある笑顔を覗かせる。
 それから、俺は下穿きの作成の途中だから、続きをしてこよう。そう言って、居間からするりと部屋に行ってしまった。

「……どうしたんでしょうね。今日のナラ・ガルは」

 月花がぼそっと呟けば、ユーリオットがやれやれと息を吐く。

「あいつ、言いたい放題言って行きやがって。おれがちょっと気になってきたじゃないか」
「なら動物学者でも捕まえて尋ねてこい」
「阿止里、その暇がおれにあればいいと心底思う」

 そうして三人は珍しくも後回しにしてしまった、机の上に山積みの石版――ギルドへのに提出期限が差し迫ったもの――に視線を合わせて、ほろ苦く笑った。







 秋の夜は、なんとも心許ない。
 縁子は冬の夜よりも、秋の夜のほうが寂しいと、そう思う。

 冬の夜は潔いと思うからだ。太陽はそっけなく、早々に沈み込み、闇が我が物顔で居座る夜。
 そうわかりきっているから、毛布を用意し、あつあつのコーヒーを淹れて、漫画や小説に没頭する。

 だけど秋の夜は。
 早くなっていく夕暮れに、期待をしてしまう。まだちょっと明るい。寒さも、冷え込んでは来たけれど、冬に比べればまだ耐えられる。身震いし、寒い寒いと凍えるだけの思考にもならない。

 とりとめのない、そんなことを考えながら、縁子はちょうど星を数えることができるくらい暗くなった夕暮れを見上げながら、庭のテーブルで豆の筋を取る作業を続けていた。
 もちろん、この世界で季節の変化はまだ、感じられない。ずっと砂漠の夏に滞在しているようにすら思う。

 でも秋とか冬とか考えてしまったのはきっと、今日がずいぶん冷え込んでいるせいだろうと、縁子は思った。
 四人はたまにある休日で、夜ごはんを一緒に囲める珍しい日だから、みんなの大好きなひよこ豆といんげんのトマトスープにしようとしたのだが、この気温だと正解だったかもしれない。
 残りの筋も取ってしまおうと残りの豆の山に目をやったとき、視界がふっと暗くなった。

「もしよければ、手伝おうか」

 はにかみながらの申し出に、顔を上げた縁子はほっこり微笑んで、豆の山を指差した。

「ええ。ぜひ。ありがとうございます。ナラ・ガルさん」







 ナラ・ガルと縁子がまともに顔を合わせるのは、ちょっと日にちが空いていた。

 縁子は家事や勉強、へそくり作りで忙しかったし、ナラ・ガルはギルドへの提出物を先んじて済ませる作業をしていたので(三人はまだ手をつけていないやつだ)、まともに言葉を交わすのは数日ぶりのことである。
 だから、ちょっと中庭の椅子に腰を下ろして手燭を灯し、豆を処理しながら話をするのは自然なことだった。

 縁子は買い出しのときに見つけた、どう調理するかもわからない大きな瓜を見かけた話や、ナラ・ガルの作っている途中のエプロンの刺繍について話題にした。
 ナラ・ガルは今回のギルドへの提出物の骨の折れる内容や、この世界の調味料と食材の相性について、実体験を話したりした。

 そこに、山鳩の鳴く声が割り込んだ。
 だからナラ・ガルが三人にした話を縁子に話すのもまた、自然なことだったのだ。

「……というわけで、なんでだろうねえ。俺もよくわからないんだけど、どうにも理不尽に思えてしまって」

 縁子はちょっと首を傾げて、砂鳥の恋の歌に耳を澄ませた。
 ナラ・ガルも耳を澄ませた。



 ぽるぽる、ぽるぽる。



 聞こえるのは、その歌と、風がつくる梢のこすれあう音だけ。緑の葉は夕暮れの名残りの橙色に染まり、気まぐれにその葉を落とす。くるりくるりと旋回して目の前を横切る様子に、ナラ・ガルは久々に、心から深く息をした心地になる。

「……でも、その話で言うなら、私は人間でよかったなあと思います」

 ちょっと間があいていたので、ナラ・ガルは一瞬、縁子がなんの話をしているのかわからなかった。
 けれどすぐに、先ほど自分が話題に出したことだと思い当たり、ちょっと喉をつまらせた。

「って、縁子。そんなに求愛をする願望が」

 相手は誰、と衝撃を受けて縁子を見る。すると、そんなんじゃないですよというような瞳と目が合って、ナラ・ガルは一瞬、呼吸が止まる。
 縁子の、夕陽を吸い込んで橙色にきらめくその目は。たしなめるようでいて、いらずらっ子のようでいて、そして慈しみに満ちている。
 もしもほんとうに強く想う相手ができたとして。縁子がそっと口を開く。

「それを伝える手段を持つ私たちは、幸せじゃありません? どれだけ想っているか、大切か。言葉にして相手に渡せるのは」

 きっと一生に何度も訪れない。鮮やかな瞬間になるに違いないと、縁子はちょっと想像してみる。
 縁子は、形ばかりの恋愛こそしたことはあるものの、骨の髄からどろどろになるような恋とは無縁だった。それに男性に夢中になりすぎることは、失ったときに立ち直れないような、本能的な恐れも少なからずあった。

「なんて、受け取ってもらえるかはまた別か……。ふられたら切ないだろうなあ。ね、ナラ・ガルさん――」

 そう言って笑いながらナラ・ガルを見た縁子は、とっさに言葉を失った。
 縁子を見ていたナラ・ガルの瞳が、今までに見たことのない色をしていたように見えた。

 お日さまのように明るい目、心配そうに見守る目、注意深くものごとを見極めようとする目。いろいろな色をのせてくるくる回る、けれど優しい目。なのに今そこに浮かんでいるのは。

 仄暗い、希求を宿す。熱をともなったかのような。あるいはどこかへしまっておきたいと、そう思っているような。

 ナラ・ガルさん、と縁子の唇がかすかに動く。

「――なに、縁子?」

 見間違いだったのだろうか。縁子はぽかんと、口を開けてしまった。そう拍子抜けするくらい普段どおり微笑むナラ・ガルが、目の前に戻っている。夢だったのかと、自分の記憶を縁子は疑いたくなった。

「いえ、なんでもないです。暗いところで細かい作業をして、疲れてるのかも……」

 ありえないものを見たと眉根を寄せ目をこする縁子に、ナラ・ガルは朗らかに笑う。

「仕事もほどほどにだね。今日の晩の支度、変わってさしあげようか?」

 慇懃無礼に手を胸に当てるナラ・ガルに苦笑を見せて、縁子はぐっとひとつ、おおきく伸びをした。彼は裁縫のみならず、炊事の腕前もなみなみならぬものがある。

「ナラ・ガルさんはいつも、私を甘やかす」

 そうだったかな、とナラ・ガルが首を傾ける。口を開こうとして、けれど思いとどまったかのように閉じられた。

「疲れているのは、ナラ・ガルさんもでしょう。私はさくっとスープを作ってしまいます」
「そう。なら俺はもうちょっとだけ、星を見てから中に入ろうかな」
「詩人ですねえ、ナラ・ガルさん。風邪をひかないようにしてくださいね」
「詩人ではないけどね。ひいたら、病人食をつくってくれる?」
「いいですよ。ユーリオットさんにうんと苦い薬もお願いしてあげます」

 勘弁してほしいなあと笑うナラ・ガルに、縁子は軽く肩をすくめて微笑んで、豆を抱えて台所へ向かって行った。







 残ったナラ・ガルは、おもむろに立ち上がり、壁のほうへ足を運ぶ。そこにかすかに生える芝生の上に、ごろりと仰向けに寝転がる。
 頭上には、砕いた石英を極上の天鵞絨にばら撒いたような澄んだ空。日は沈み、茜色から群青の移り変わりが目に染みる。

「……甘やかされてくれるようなら、よかったんだけど」

 砂鳥の恋は叶ったのだろうか。
 叶わなくても、せめて伝わっていればいい、ナラ・ガルは思う。
 そしてきっと、悔しいことには、届かなくても色褪せないということだ。

 伝えられずに、そっとその想いの墓場を作る生き物は人間だけなのかもしれない、なんて考えながら、けれど満足そうに微笑んで、彼はゆっくり目を閉じる。




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