43 / 97
第四章 異世界でも、借りた貸しはきちんと返しましょう
9.彼の望みと私の言い分
しおりを挟む
檻のすぐ外にギィがその半身をあらわして立っている。
首を傾けて見上げると、アブドロの首が光った。いくつかの針がそのうなじに刺さっている。
「動くなよ。これをあと少し押し込めば、あんたは終わりだ」
まあ、動けないだろうが。ギィはあくまで淡々と告げる。それから私をちらりと見下ろし、ほんの少しだけ眉をしかめた。どんな心情も、そこからは汲み取ることはできなかった。
「ま、まて。長年仕えた主人を、手にかける気か?」
身体だけは硬直させたまま、焦ったように言い募るアブドロは滑稽だった。ギィは私のそばへ回り込んでしゃがんだ。壁に吊られていた手錠に針を差し込んで、器用に動かす。するとこきりと錠が回る。重力にしたがって落下した腕は、まるで私のものではないような重みを感じさせた。ギィは羽織っていた外套を脱ぎ、渡してくれる。
私は無意識に手錠されていたところをさする。それからそっと彼の横顔を見上げる。ギィがどうするつもりなのか、私にはまったく想像がつかない。
ほとんどだますように奴隷にされ、十年以上も支配された相手が、まな板の上の鯉状態なのだ。
「わっ、私を殺せば! 私の一族、私の血族がおまえを探すぞ。そこに安寧の日々があるとは思うな」
アブドロは私をいたぶっていたときとは別人のような形相で、あらゆることを話し始めた。命乞い、脅しにすかし、高圧的な物言い。なだめるように下手にも出た。さめざめと、ほとんど泣くようにして、ギィの名前を口にしている。
アブドロは私にとって美しい。つまりこの世界では醜い異端ということだ。もしかしたらギィへの耽溺の一端は、そこにあるのかもしれない。歪んだ自己愛のような何か。
それはある意味、純粋に「人間」としてのありようのそのもののようで、私はくらりとめまいがした。彼のような心根は多かれ少なかれ、私の中にもあるものだから。
ギィはしなびた野菜のようなアブドロをじっと見ている。それからゆっくりと、もう一本の針を取り出した。
私はとっさにその腕をつかむ。
ギィは私を見る。その目にあるのは。憤怒、怨恨、悲哀、渇望、蹂躙――それから、歓喜に似た何かだろうか。そういうものを鍋でぐつぐつ煮詰めてひとつのかたまりにしたような、すさまじいものだった。
私に向けられたものではないが、その視線を受けるだけで、私はみぞおちのあたりがひゅうっと冷たくなる。
それでもぐっとおなかに力をいれて、ゆるゆると首を振った。
「殺すなと、そう言いたいのか。なんの関係もない、あんたが」
そのとおりだ。部外者の私の言い分なんて、塵ほどの価値もない。でも。
「ギィのやわらかいところを。これ以上、すり減らさないで」
冷たく昏いその瞳。こんな男ですら殺してしまえばギィは苦しむ。もう苦しまないでほしいのだ。
するとギィは初めて、素直にその激情をあらわした。眉を吊り上げ、ぎりと歯軋りする音が耳に届く。
「あんたは知らないだけだ! この男はな、本物の屑なんだ。救いようのない男。取り返しのつかない男。人間の中には、そういうやつがときどきいるんだ。殺すことでしか、終わらせられない!」
「でも! そうしたら、ギィが」
私は気づく。もしギィがアブドロを殺せば、彼の血族は、きっとギィを許さない。先ほどアブドロが言ったばかりではないか。文字通り一族の面子(めんつ)にかけてどこまでも追い、体面を保とうとするに違いない。
ギィはそれすらも知っているのだ。自分がアブドロを殺し、そして殺されることで、幕を引こうとしているのでは?
ギィの瞳に浮かぶのは、その幕切れへの焦がれではないか。
妹を救った。頼りになる恋人もいる。自分の役割は、そこに負の連鎖を持ち込まないことだと。
冗談じゃない。
「嫌です。ギィは私の恩人なの。生きて、幸せになってほしい人の、一人なの!」
死ぬのはだめ、そう呟く。
ギィへのこの感情はなんだろう。
恋ではない。愛でもない。わからない。もしかしたら、そのどちらもなのだろうか?
ただ笑っていてほしいだけだ。幸せでいてほしいのだ。
四人への気持ちにも似て、あるいは拓斗への気持ちにも近いものかもしれない。
「あんた……」
ギィが呆然と私を見ている。気づけば私は泣いていた。自分の思い通りにならないからって泣くだなんて、赤子のようではないか。なんだかふらふらもしている。熱があるのかもしれなかったが、どうでもよかった。
ひたすらにギィを見つめ続ける。私が心の底からそう思っているのだと伝えるまでは、倒れるわけにはいかないのだ。
ギィはおそるおそるというように、私のあごに手を当てた。あふれる涙は川となり、頬を伝って、ギィの指をしっとりと濡らした。
「泣いているのか」
ギィは呟く。信じられないというような驚きは、まるで無防備な子どものようで、私はその素直な顔がとても魅力的だと、そう思った。
「俺の、ために……?」
私は首を振る。ギィのためじゃない。あくまで私のための涙なのだ。頭に熱が集まって、目がかすんでいる。ずびりと鼻をすする。
「アブドロから、証文を取り返して。そして燃やして。それから新しく、アブドロに証文を書かせて」
二度と手出しをさせないような内容で。彼らが証文にこだわっているのは、文字こそがこの地で強い拘束力を持っているかhttps://www.alphapolis.co.jp/img/component/icon/editor-ruby.pngらだ。
権力者といえども、正式な場を設けて書類を作ってさえしまえば、このビエチアマンでは覆せない証拠となるのだろう。それゆえにギィは十数年を失ったのだから。
そうして帰ればいい。ニグラさんとジウォマさんと一緒に。ニグラさんへの伝言にもあったではないか。#__けながうし__#が草を食み、夜渡花が揺れる、青い空、稜線の輝く山岳の故郷へ。
限界だった。頭が重くて支えられない。視界に靄がかり、暗くなった。
首を傾けて見上げると、アブドロの首が光った。いくつかの針がそのうなじに刺さっている。
「動くなよ。これをあと少し押し込めば、あんたは終わりだ」
まあ、動けないだろうが。ギィはあくまで淡々と告げる。それから私をちらりと見下ろし、ほんの少しだけ眉をしかめた。どんな心情も、そこからは汲み取ることはできなかった。
「ま、まて。長年仕えた主人を、手にかける気か?」
身体だけは硬直させたまま、焦ったように言い募るアブドロは滑稽だった。ギィは私のそばへ回り込んでしゃがんだ。壁に吊られていた手錠に針を差し込んで、器用に動かす。するとこきりと錠が回る。重力にしたがって落下した腕は、まるで私のものではないような重みを感じさせた。ギィは羽織っていた外套を脱ぎ、渡してくれる。
私は無意識に手錠されていたところをさする。それからそっと彼の横顔を見上げる。ギィがどうするつもりなのか、私にはまったく想像がつかない。
ほとんどだますように奴隷にされ、十年以上も支配された相手が、まな板の上の鯉状態なのだ。
「わっ、私を殺せば! 私の一族、私の血族がおまえを探すぞ。そこに安寧の日々があるとは思うな」
アブドロは私をいたぶっていたときとは別人のような形相で、あらゆることを話し始めた。命乞い、脅しにすかし、高圧的な物言い。なだめるように下手にも出た。さめざめと、ほとんど泣くようにして、ギィの名前を口にしている。
アブドロは私にとって美しい。つまりこの世界では醜い異端ということだ。もしかしたらギィへの耽溺の一端は、そこにあるのかもしれない。歪んだ自己愛のような何か。
それはある意味、純粋に「人間」としてのありようのそのもののようで、私はくらりとめまいがした。彼のような心根は多かれ少なかれ、私の中にもあるものだから。
ギィはしなびた野菜のようなアブドロをじっと見ている。それからゆっくりと、もう一本の針を取り出した。
私はとっさにその腕をつかむ。
ギィは私を見る。その目にあるのは。憤怒、怨恨、悲哀、渇望、蹂躙――それから、歓喜に似た何かだろうか。そういうものを鍋でぐつぐつ煮詰めてひとつのかたまりにしたような、すさまじいものだった。
私に向けられたものではないが、その視線を受けるだけで、私はみぞおちのあたりがひゅうっと冷たくなる。
それでもぐっとおなかに力をいれて、ゆるゆると首を振った。
「殺すなと、そう言いたいのか。なんの関係もない、あんたが」
そのとおりだ。部外者の私の言い分なんて、塵ほどの価値もない。でも。
「ギィのやわらかいところを。これ以上、すり減らさないで」
冷たく昏いその瞳。こんな男ですら殺してしまえばギィは苦しむ。もう苦しまないでほしいのだ。
するとギィは初めて、素直にその激情をあらわした。眉を吊り上げ、ぎりと歯軋りする音が耳に届く。
「あんたは知らないだけだ! この男はな、本物の屑なんだ。救いようのない男。取り返しのつかない男。人間の中には、そういうやつがときどきいるんだ。殺すことでしか、終わらせられない!」
「でも! そうしたら、ギィが」
私は気づく。もしギィがアブドロを殺せば、彼の血族は、きっとギィを許さない。先ほどアブドロが言ったばかりではないか。文字通り一族の面子(めんつ)にかけてどこまでも追い、体面を保とうとするに違いない。
ギィはそれすらも知っているのだ。自分がアブドロを殺し、そして殺されることで、幕を引こうとしているのでは?
ギィの瞳に浮かぶのは、その幕切れへの焦がれではないか。
妹を救った。頼りになる恋人もいる。自分の役割は、そこに負の連鎖を持ち込まないことだと。
冗談じゃない。
「嫌です。ギィは私の恩人なの。生きて、幸せになってほしい人の、一人なの!」
死ぬのはだめ、そう呟く。
ギィへのこの感情はなんだろう。
恋ではない。愛でもない。わからない。もしかしたら、そのどちらもなのだろうか?
ただ笑っていてほしいだけだ。幸せでいてほしいのだ。
四人への気持ちにも似て、あるいは拓斗への気持ちにも近いものかもしれない。
「あんた……」
ギィが呆然と私を見ている。気づけば私は泣いていた。自分の思い通りにならないからって泣くだなんて、赤子のようではないか。なんだかふらふらもしている。熱があるのかもしれなかったが、どうでもよかった。
ひたすらにギィを見つめ続ける。私が心の底からそう思っているのだと伝えるまでは、倒れるわけにはいかないのだ。
ギィはおそるおそるというように、私のあごに手を当てた。あふれる涙は川となり、頬を伝って、ギィの指をしっとりと濡らした。
「泣いているのか」
ギィは呟く。信じられないというような驚きは、まるで無防備な子どものようで、私はその素直な顔がとても魅力的だと、そう思った。
「俺の、ために……?」
私は首を振る。ギィのためじゃない。あくまで私のための涙なのだ。頭に熱が集まって、目がかすんでいる。ずびりと鼻をすする。
「アブドロから、証文を取り返して。そして燃やして。それから新しく、アブドロに証文を書かせて」
二度と手出しをさせないような内容で。彼らが証文にこだわっているのは、文字こそがこの地で強い拘束力を持っているかhttps://www.alphapolis.co.jp/img/component/icon/editor-ruby.pngらだ。
権力者といえども、正式な場を設けて書類を作ってさえしまえば、このビエチアマンでは覆せない証拠となるのだろう。それゆえにギィは十数年を失ったのだから。
そうして帰ればいい。ニグラさんとジウォマさんと一緒に。ニグラさんへの伝言にもあったではないか。#__けながうし__#が草を食み、夜渡花が揺れる、青い空、稜線の輝く山岳の故郷へ。
限界だった。頭が重くて支えられない。視界に靄がかり、暗くなった。
0
あなたにおすすめの小説
私が美女??美醜逆転世界に転移した私
鍋
恋愛
私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
美醜逆転世界でお姫様は超絶美形な従者に目を付ける
朝比奈
恋愛
ある世界に『ティーラン』と言う、まだ、歴史の浅い小さな王国がありました。『ティーラン王国』には、王子様とお姫様がいました。
お姫様の名前はアリス・ラメ・ティーラン
絶世の美女を母に持つ、母親にの美しいお姫様でした。彼女は小国の姫でありながら多くの国の王子様や貴族様から求婚を受けていました。けれども、彼女は20歳になった今、婚約者もいない。浮いた話一つ無い、お姫様でした。
「ねぇ、ルイ。 私と駆け落ちしましょう?」
「えっ!? ええぇぇえええ!!!」
この話はそんなお姫様と従者である─ ルイ・ブリースの恋のお話。
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜
具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです
転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!?
肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!?
その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。
そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。
前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、
「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。
「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」
己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、
結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──!
「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」
でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……!
アホの子が無自覚に世界を救う、
価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【美醜逆転】ポジティブおばけヒナの勘違い家政婦生活(住み込み)
猫田
恋愛
『ここ、どこよ』
突然始まった宿なし、職なし、戸籍なし!?の異世界迷子生活!!
無いものじゃなく、有るものに目を向けるポジティブ地味子が選んだ生き方はーーーーまさかの、娼婦!?
ひょんなことから知り合ったハイスペお兄さんに狙いを定め……なんだかんだで最終的に、家政婦として(夜のお世話アリという名目で)、ちゃっかり住み込む事に成功☆
ヤル気があれば何でもできる!!を地で行く前向き女子と文句無しのハイスペ醜男(異世界基準)との、思い込み、勘違い山盛りの異文化交流が今、始まる……
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる