醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

文字の大きさ
56 / 97
第五章 異世界ですが、再就職をしたいです

10.災い転じて

しおりを挟む
 高校の倫理の先生を、よく覚えている。

 中学校と異なり、高校では専門分野に特化するためか、どの教科も灰汁あくの強い先生ばかりだった。
 その中でも倫理の教科担当は一段上を行っていた。

 哲学、形而上的なことを(つまり、目に見えないものごとについて)探求することをこよなく愛し、よく授業から脱線した。
 そして過去の偉大な哲学者たちの逸話や、その半生を嬉々として語ったものだった。ただ生徒たちは興味のかけらもないので、右から左。もちろん私もそうだった。

 ソクラテスを死に至らしめた毒についても、なんと写真まで用意して解説してくれたのにも、もうそれ理科の授業じゃん! と辟易した。けどそれがこんなところで役に立つとは、まさか彼も思わなかったに違いない。

「エッサラさん!」

 なぜと思う。この世界では自死を堅く禁じていたはずだ。多神教、あるいは無宗教である私には理解しがたいほどの、強い影響力のある唯一神。
 だからこそあの四人は生き抜いている。いまここで、ユーリオットさんも。
 つまり彼女は、この世界の誰もが恐れおののく、ありえないことを実行したのだ。強靭な意志によって。

 どうしてこんな毒草を飾っていたのかとか、なぜ突然自殺を図ったのかとか、私はそれ以上考えることをやめた。
 たしか早く回る毒と言っていた気がする。吐かせるべきだ。でもどうやって? 人生で故意に吐いたことなどないし、吐かせたこともない。

「何事です」

 私の叫び声が聞こえたのだろう。廊下から、ゾエさんが顔を覗かせた。テラスで倒れこむ主人を見て、息を呑んで駆け寄ってくる。

「これは――ドクニンジンシクータ? まさか、どうして」

 焦る彼女の様子を見て確信する。やっぱりこの世界でも毒草なのだ。

 私はある有力な打開策を思いつく。
 愕然としているゾエさんに、倒れこんだエッサラさんを渡した。
 そのままリビングを飛び出し、邸へと全力で駆け出す。遠くに見えているのになかなか近づかない。
 足が空を切る。
 サンダルが片方脱げた。それもどうでもいい。

 邸の扉を引きあけることすらもどかしくて、乱暴な音が立ってしまったのは仕方ない。そのままユーリオットさんのいる私室へ乗り込んだ。

 息を弾ませている私を見て、彼は不審げに眉をひそめた。私は近づいてその腕を取る。

「エッサラさんが、ドクニンジンを食べました。救えるのはユーリオットさんだけです」

 その言葉が彼の脳に伝わり、理解されるまえに、私は腕を引っ張って、来た道を駆け戻る。
 でも道半ばというところで、ユーリオットさんに振り払われる。振り向く。
 見たことがないくらいにうろたえている彼がいる。私が掴んでいた腕を胸に当て、もう片方の手でぎゅうっと握っている。

「なにを、言ってる。だれが、毒を」
「だれって、あなたのお母さんですよ。それにあなたは薬の知識があるわけで」
「いやだ。いかない」
「は」
「どうしておれが、行かねばならない? 一度も望まれたことなどないのに。そうだ。一度だって! ただの知らない人だ! だいいちおれは邸を出ることを禁じられて、あのひとに会うことも、だめだって」

 私はいろいろな感情がごちゃまぜになった。彼の立場からすれば、そう言いたくなる気持ちもわかる。
 ただ彼は知らないのだ。どれだけ彼女が――。

「――うるさい」
「なに」
「ごちゃごちゃ、うるさいです! 望まれていないですって? 違います、彼女はあなたを誰よりもたいせつにしています! それに何よりあなたは医師を目指しているんでしょう。急病人を放っておくなんて言語道断。邸をこそこそ抜け出したりするくせに、こういうときだけ盾にしない! だいいち、禁じられているからなんです。親の危篤に駆けつけないことほど、ひどいことはないんです!」

 言いたいだけ、言った。
 私は言ったあとすぐに、ほんの少し後味の悪さを感じた。年端もいかない子に大人気ない、とそう思ったのだ。

 なぜならどれだけユーリオットさんが賢くても、まだ子どもなのだ。外の世界や、道理というものを知らないのは当然のこと。
 一度会っただけの父親。それでも禁じられたことを遵守しようするのは、子どもなら一度は身に覚えのあることだろう。
 誰にも顧みられなかった彼に対する父親からの言いつけは、ある意味では唯一の「与えられたもの」だったとも言える。
 理屈ではないのだ。家族とはひどく厄介で、ときにうっとうしくて、うんざりもするものだけど。
 それでも。

「もう一度言いますよ。エッサラさんはユーリオットさんをとてもとても愛しています。あとでお伝えしますから。その彼女を、死なせてはいけない。さあ!」

 私はもう一度彼の腕をひっつかんで、ひた走った。抵抗されるかと思ったが、今度は彼は逆らわなかった。

 そしてずっと引き離されていた親子は再会する。
 こんなにあっさりと。
 私たちは息を切らせながら、テラスのそばで仰向けにされているエッサラさんのそばへ駆けつけた。ユーリオットさんは彼女の様子を見るなり、表情を変えた。
 見知らぬ場所へ迷い込んだ幼子のようなものから、引き締まった職業的なものへ。

 すぐに身を乗り出して彼女の目を確認する。苦しげに開かれた口の中を確認し、てきぱきと私とゾエさんに指示を与えた。
 小刻みに痙攣する彼女の足のそば、転がっている人形を見て、ユーリオットさんは一瞬硬直する。下唇をかみ締めたのが視界の端に写った。

 私たちは彼の指示のままに動いた。たらいを持ってきたり、井戸から水を汲んできたり。ユーリオットさんはエッサラさんを吐かせたあとは、胃の洗浄をしようとしているようだった。

 そうしているとばたばたと誰かがやってきた。廊下からの入り口のほうへ目をやれば、ディオゲネスさんが呼吸を荒くしている。その表情を支配しているのは恐怖だ。ゾエさんの下の女中が知らせにいったに違いない。
 彼は状況を見て憤り、その肩を震わせた。つかつかと詰め寄り、口汚くユーリオットさんを罵り出す。ユーリオットさんはびくりと肩をすくませた。ただ父親のほうは気にかけず、エッサラさんに懸命に処置を続けている。

 私は持ってきた清潔な布をユーリオットさんのそばに置いてから、ディオゲネスさんの胸ぐらを掴む。ほとんど反射的な行動だった。
 そのままぐいと引き寄せて、私は彼にこんこんとエッサラさんとの会話を説き伏せた。
 ちょうどいい。きっとユーリオットさんも、治療をしながら聞いているに違いない。

 私に、ユーリオットさんに毒を盛れと命令したときの、彼の言葉を思い出す。
 それを引き合いに出した。エッサラさんの望むことをしてやりたいと言っていただろうという言葉が決定的だったかもしれない。強烈な皮肉だ。

 私の話を聞くにつれ、憤慨に赤らんだ顔は徐々に青ざめ、彼はその唇を引き結んだ。

「エッサラが。それが彼女の、望みだと……?」
「あなたは、エッサラさんの愛がユーリオットさんにだけ向かったと言ったけれど。違うんですよ。どうして想像しなかったんですか? 成長したユーリオットさんが庭で遊んでいる。彼を遠目に見守るエッサラさん。彼女のとなりで手を握って座るあなたがいる未来を」

 子育てはとても、ものすごく、大変なことなのだ。どんな大掛かりなプロフェクトを成功させるよりもなお。
 十三歳でユーリオットさんを生んだエッサラさんが、赤子にかかりきりになるのは当然ではないか。どうしてそれをわかってやれなかったのかと歯がゆく思う。

 手の甲で汗をぬぐいながら、懸命にエッサラさんを治療するユーリオットさん。ディオゲネスさんはそんなユーリオットさんをぼんやりと眺めた。そして力なくそのまぶたを伏せ、洗濯ばさみをはずした服のように、ソファにへたり込んだ。

 ゾエさんもその鉄面皮をゆがめ、泣きそうになりながらユーリオットさんを手伝っている。

 エッサラさん、と私は呟く。

 あなたのしたことは、誰も幸せになれないことだけど。
 でもその捨て身の行動が、絡まった彼らの関係に一石を投じたのは間違いない。
 彼女は、今後どういう実を結ぶか見届けなければならないはずだ。

 私は新しい水を汲みに走りながら、彼女に呼びかけた。

 どうか、踏みこたえてと。




しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

美醜逆転世界でお姫様は超絶美形な従者に目を付ける

朝比奈
恋愛
ある世界に『ティーラン』と言う、まだ、歴史の浅い小さな王国がありました。『ティーラン王国』には、王子様とお姫様がいました。 お姫様の名前はアリス・ラメ・ティーラン 絶世の美女を母に持つ、母親にの美しいお姫様でした。彼女は小国の姫でありながら多くの国の王子様や貴族様から求婚を受けていました。けれども、彼女は20歳になった今、婚約者もいない。浮いた話一つ無い、お姫様でした。 「ねぇ、ルイ。 私と駆け落ちしましょう?」 「えっ!? ええぇぇえええ!!!」 この話はそんなお姫様と従者である─ ルイ・ブリースの恋のお話。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜

具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです 転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!? 肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!? その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。 そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。 前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、 「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。 「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」 己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、 結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──! 「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」 でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……! アホの子が無自覚に世界を救う、 価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【美醜逆転】ポジティブおばけヒナの勘違い家政婦生活(住み込み)

猫田
恋愛
 『ここ、どこよ』 突然始まった宿なし、職なし、戸籍なし!?の異世界迷子生活!! 無いものじゃなく、有るものに目を向けるポジティブ地味子が選んだ生き方はーーーーまさかの、娼婦!? ひょんなことから知り合ったハイスペお兄さんに狙いを定め……なんだかんだで最終的に、家政婦として(夜のお世話アリという名目で)、ちゃっかり住み込む事に成功☆ ヤル気があれば何でもできる!!を地で行く前向き女子と文句無しのハイスペ醜男(異世界基準)との、思い込み、勘違い山盛りの異文化交流が今、始まる……

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...