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第五章 異世界ですが、再就職をしたいです
12.ふたつめ、そして、四度目の
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ギィの天珠はビー玉のような大きさと丸みの、薄い紫っぽいものだった。
でもいま目の前に浮かぶのは違う。大きさは同じくらいだけど、形と色が異なっている。星の形で藍色がかったもの。こんぺいとうのような形状にも似ている。
私は呆然とそれを見つめた。
彼の真名を拒んだのに、それなのに天珠は関係なく生まれてしまった。
もちろん天珠は必要だ。だがそれが私へ向けられたものということが、どうにも困惑する。
ギィのときはたまたま私が関わっただけで、あとは誰かの間に天珠が生まれる場面に立ち会うだけだと、勝手に思い込んでいたのだ。
一生に一度しか生み出せない貴重な想いのかけら。それが私に向けられたと思えば、嬉しさよりも先に困惑が来る。
私はこの異世界にたまたま紛れ込んだだけなのに。彼らの一生ぶんの心はひたすら恐縮してしまう。
なんなら私はディオゲネスさんとエッサラさんの間に生まれるんじゃないかと、そう思っていたのだ。
「これは……天珠?」
ユーリオットさんが私を抱きしめながら、夢うつつに呟く。
私は弾かれたように彼を見る。いまだ光を放つ天珠に照らされて、天使のように美しい顔は驚きに固まっている。
どうして知っているのだろう。ギィは知らなかった。それともユーリオットさんくらい書物に通じていれば聞いたことはあるのかもしれない。
古い文献のとおりだと囁いた。
「美しい……」
そう。天珠は、非の打ち所のない圧倒的な美しさ。
でもね、この美はユーリオットさんの心の一部なんだよ。
こういうきれいな心をあなたは持っているんだよ。
(ああ。見事よな。蒼穹のごとき藍。縁子、おまえを想う気持ちだ)
気づけば私の部屋の机にあったはずの頭輪が、ダイニングテーブルの端にあった。
目を覚ましていたのか。それとも見計らっていたのか。不平不満は山とあるが、私はとるものもとりあえずたずねる。
真名を拒んだのに天珠が生まれてしまった。このふたつは切り離せない関係ではなかったのか?
(否。真名を与えることは、生涯の献身と忠誠を意味する。転じて求婚だ。言葉として、つまり音として役割を果たす)
わかるような、わからないような。
(真名を音とするなら、天珠は物質としての役割を果たす。真名は何度でも誰にでも与えられるが、天珠はその生涯で一度きり。そしてその誕生に、当事者の意思は介在せぬ)
天珠は、生み出そうと思ってつくれるものではないということか。
真名はプロポーズで、天珠は指輪みたいなもの? 私はいったん、自分が納得できる形に事実を変えて理解しようと努める。
(そういうことだ。――さあ、その天珠、間借りさせてもらうぞ)
浮かぶ天珠がふつりと消えた。
どうして。たまはどうしてそこまでして、天珠を集めたいの?
私は胸の中で強く問いかけた。たまは傲岸不遜、唯我独尊なところはあれども、人道に反するようなことをしないように思える。
なのに私を使って、あえて天珠の出現を計画し手にしている。たま本来の性格からは、喜んでそうしたがっているとは思えない。
たまは一瞬沈黙した。短く答えた。
(我輩には望みがある。ただひとつの望みだ。それを叶える、唯一の手段なのだ)
望み? 以前にも必要だとは言っていた気がする。
でもどんな。
天珠を集めれば神龍でも出現して、願いを叶えてくれるとでも?
私の疑問と皮肉、それから不満が混じった問いかけは黙殺された。
(ここではずいぶんと眠っていた。すでにじゅうぶん力を使える状態になっている。さあ、縁子。また力を借りるぞ)
えっ、また予知の力でどっかへ飛ばされるの?
カラブフィサへ転移させられたときと同じようなせわしなさだ。私はそういう不満をずっとたまに伝えたかったのに、たまが寝こけていたせいでまったく訴えられていない。
腹を割って話をして納得させてくれない限り、もう協力はしないぞという私の気持ちは伝えられずじまいだったのだ。
もうギィのときのような、心の準備もできないままのお別れはしたくない。後味が悪いし、私が次の場所へ身構えることもできやしない。
心構えって大事だよね? 職員室に入る前ってやっぱり一瞬緊張するし、会社でも取引先の人にお茶を出すときは、それなりの表情をつくる。場面にふさわしいように誰しもが自分を装うのは、しごく当然のことだ。
それを、ぽいっと社長室にでも投げられる心地だ。それも社長の機嫌がいいのかもわからない場面に! 冗談ではない。
ちょっと待ってとたまに慌てて言ったとき、ユーリオットさんはぎゅうっと私を抱きしめた。
私はお別れを言うべきなのか説明をすべきなのかわからなくて、でも何か言いたくて、口をまごまごさせた。
ユーリオットさんはそんな私を見下ろして、どうした? というように眉を上げながら、ちょっと口もとをほころばせた。天珠のことなんてどうでもいいみたいだった。
その表情を見て胸がつまった。
彼はちゃんと、人と向き合っていくきっかけを手に入れたのだ。そう思えて。
私に向けられたのはそういう、相手を思いやるような微笑みだったから。
「ユーリオットさん、あなたは私を丁寧に扱ってくれました。とても感謝しています。それと同じようにどうか自分のことも、あとできたらまわりの人にも、同じようにしてみてください。きっといいことばかりになります」
彼と同じ年くらいの私には、とうていできなかったことだ。えらそうによく言えたもんだ、と自分でも思う。
でもお年寄りのおせっかいと一緒。自分が後悔したり失敗したから、そうなってほしくないと思って伝えるのだろう。老婆心というやつだ。
「ええと、ちょっと行かなければならないところがあってですね。でも私がいなくなっても、悲しまないで。ぜったいいつか会えます」
素敵な仲間にも、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。それでなくとも、ユーリオットさんはまた疑い深い顔つきになる。占い師めいた言葉だ。自分の発言ながら、なんてうさんくさいのだろう。
私は苦笑しながら、彼の手を両手ではさんだ。そして親愛をこめてその手をぎゅうっと握りこむ。
「おまえ、何を言ってる? それに輪郭が光っている。なんなんだ、どこへ、行くつもりだ」
「未来で、」
会えますよ――そう口にした言葉は、彼の耳に届いただろうか。私はまたあの感覚に押しつぶされる。背骨やあばら骨を、身体の外側へ持ってこられるかのような気持ち悪さ。あれっ、私たまにちょっと待ってって言わなかったっけ? なんで了承してないのにこうなってるんだ?
過去の彼と会い、そしてまたどこかへ転移することによって、出会ったころのユーリオットさんに何か影響はあるのだろうか。
私のことを忘れていてもいい。ただ、固い蕾がほころんだようなその心だけは、変わらずに未来へ続いて欲しい。
洗濯機の中でごりごりに回される感覚の中、ひたすらに祈った。
※
そしてその洗濯機から、ぽいっと投げ出されるような感覚のあとに、したたか腰を打った。
からん、とたまが落下する音が鈍く響く、
湿った土の上だ。腰をさすりながらあたりを見回せば、まるで密林のように、木々が生い茂っている。空高く伸びた樹はよく枝を伸ばしていて、日は出ているのだろうが、ひどく薄暗い。
なによりこの湿気。
ずっと乾燥した地域ばかりで過ごしてきたせいか、まるで梅雨どきのような、肌に張り付く空気が重たかった。気温は比較的涼しいのでまだいいが、暑かったらプールサイドと同じようなものである。乾いた布を振り回したら、逆に湿り気を帯びてしまいそうなほど。
「たま、ここって」
(むう。いままでにないほどに、負荷がかかった……。吐き気がするぞ)
頭輪が吐き気を? 倒錯的だ。
でも待てよ。前に現在 (と思われる)ギィのところから、過去であるユーリオットさんのところへ転移したときも、すごく疲れていた。
それ以上の疲労があるってことは、もしかして。
私はそっと立ち上がり、光が強い方向へ足を動かす。下働きのサンダルをちゃんと履いておいて大正解だ。地面は腐葉土っぽくやわらかいけど、歩けば硬く乾いた小枝がぱきぱきと音を立てている。茂った藪から飛び出る葉っぱがぴしりぴしりとすねに当たった。こんなところを走ったりしたら切り傷だらけだ。
そして林が途切れたところ。光のほうへ顔を出せば、密林の終わるそこは、切り立った崖になっている。
呆然と見下ろせば、眼下には新たな密林が地の果てまで続いているようだった。蒼穹。空が高い。雄大な大自然特集! とかでヘリコプターからの映像だったとしても納得のいく風景。
ブロッコリーを敷き詰めました、という中を左右に割り裂いて、川が横たわっている。いや、川ではなく河。いっそ海とも言える大きさの大河。
風はあたたかく湿り、どこからか花火のような匂いを運んできた。
花火? をするような場所でも雰囲気でもないのだが。
崖から目を凝らせば、遠くの水面には小さな黒いものがいくつも浮かんでいるようだった。
なんだろうと私が訝しんで身を乗り出したとき、背中に固いものが押し付けられた。
「動かないほうがいいです。脊髄を、ふたつに分けられたくなければ」
涼やかなその声に、私は戦慄した。聞き覚えがあるのに、記憶のそれとは異なり、底冷えするような冷ややかさをたたえていたからだ。
「ゆっくりこちらを向いてください。――そう。両手をあげながら」
ホールドアップの状態で、ぎこちなく声のほうへ向き直る。そこにいたのは。
かすかに癖のある、緑がかった黒髪。私よりも頭ふたつぶんは高い、堂々とした身体。かつてはその身長に対して筋肉が追いついていなかったが、いまやしなやかにその骨格を包んでいる。なによりその武器。
「斥候にしては目立ちすぎる。使者にしても愚鈍そう。あなたはいったい、なんなんですかね?」
声だけで人を切れそうな。刃物のように鋭く冷たい声だった。
理解できないというように首を傾けた、その青年。彼の顔の鼻から上には、まるで狐を模したようなお面があった。口元は涼しげに引き結ばれている。
私は両手を上げたまま、天を仰いだ。
そして私は唇を噛み、目を閉じて――
たまを拾って、思い切りぶん投げた。
そのへんの木に直撃して落下したあと、たまはたっぷり三秒黙った。にわかに驚きと怯えをにじませて私を罵る。
男性が慌てたように武器を私に押し付けたが、今はそれどころではない。
決意していたのだ。今度こそ、なあなあにはしないと。
吐き気がしようが、眠りたいと言っていようが、予知の力に影響を与えたくないと言おうが、たまの首ねっこをつかみ、揺さぶり、叩き起こし。これだけは約束させてやる!
転移する前に、私の了承だけはとりなさい。
心の準備、だいじだから!!
理解できないというように固まっていた狐面の男性は、独り言(に聞こえるはず)をいいながら頭輪を歪めたり叩いたりしている私を見て、すこし後ずさって、それからゴキプリホイホイの中を覗き込むように、その美しい口元を歪めた。
月花との、さんざんな再会だった。
でもいま目の前に浮かぶのは違う。大きさは同じくらいだけど、形と色が異なっている。星の形で藍色がかったもの。こんぺいとうのような形状にも似ている。
私は呆然とそれを見つめた。
彼の真名を拒んだのに、それなのに天珠は関係なく生まれてしまった。
もちろん天珠は必要だ。だがそれが私へ向けられたものということが、どうにも困惑する。
ギィのときはたまたま私が関わっただけで、あとは誰かの間に天珠が生まれる場面に立ち会うだけだと、勝手に思い込んでいたのだ。
一生に一度しか生み出せない貴重な想いのかけら。それが私に向けられたと思えば、嬉しさよりも先に困惑が来る。
私はこの異世界にたまたま紛れ込んだだけなのに。彼らの一生ぶんの心はひたすら恐縮してしまう。
なんなら私はディオゲネスさんとエッサラさんの間に生まれるんじゃないかと、そう思っていたのだ。
「これは……天珠?」
ユーリオットさんが私を抱きしめながら、夢うつつに呟く。
私は弾かれたように彼を見る。いまだ光を放つ天珠に照らされて、天使のように美しい顔は驚きに固まっている。
どうして知っているのだろう。ギィは知らなかった。それともユーリオットさんくらい書物に通じていれば聞いたことはあるのかもしれない。
古い文献のとおりだと囁いた。
「美しい……」
そう。天珠は、非の打ち所のない圧倒的な美しさ。
でもね、この美はユーリオットさんの心の一部なんだよ。
こういうきれいな心をあなたは持っているんだよ。
(ああ。見事よな。蒼穹のごとき藍。縁子、おまえを想う気持ちだ)
気づけば私の部屋の机にあったはずの頭輪が、ダイニングテーブルの端にあった。
目を覚ましていたのか。それとも見計らっていたのか。不平不満は山とあるが、私はとるものもとりあえずたずねる。
真名を拒んだのに天珠が生まれてしまった。このふたつは切り離せない関係ではなかったのか?
(否。真名を与えることは、生涯の献身と忠誠を意味する。転じて求婚だ。言葉として、つまり音として役割を果たす)
わかるような、わからないような。
(真名を音とするなら、天珠は物質としての役割を果たす。真名は何度でも誰にでも与えられるが、天珠はその生涯で一度きり。そしてその誕生に、当事者の意思は介在せぬ)
天珠は、生み出そうと思ってつくれるものではないということか。
真名はプロポーズで、天珠は指輪みたいなもの? 私はいったん、自分が納得できる形に事実を変えて理解しようと努める。
(そういうことだ。――さあ、その天珠、間借りさせてもらうぞ)
浮かぶ天珠がふつりと消えた。
どうして。たまはどうしてそこまでして、天珠を集めたいの?
私は胸の中で強く問いかけた。たまは傲岸不遜、唯我独尊なところはあれども、人道に反するようなことをしないように思える。
なのに私を使って、あえて天珠の出現を計画し手にしている。たま本来の性格からは、喜んでそうしたがっているとは思えない。
たまは一瞬沈黙した。短く答えた。
(我輩には望みがある。ただひとつの望みだ。それを叶える、唯一の手段なのだ)
望み? 以前にも必要だとは言っていた気がする。
でもどんな。
天珠を集めれば神龍でも出現して、願いを叶えてくれるとでも?
私の疑問と皮肉、それから不満が混じった問いかけは黙殺された。
(ここではずいぶんと眠っていた。すでにじゅうぶん力を使える状態になっている。さあ、縁子。また力を借りるぞ)
えっ、また予知の力でどっかへ飛ばされるの?
カラブフィサへ転移させられたときと同じようなせわしなさだ。私はそういう不満をずっとたまに伝えたかったのに、たまが寝こけていたせいでまったく訴えられていない。
腹を割って話をして納得させてくれない限り、もう協力はしないぞという私の気持ちは伝えられずじまいだったのだ。
もうギィのときのような、心の準備もできないままのお別れはしたくない。後味が悪いし、私が次の場所へ身構えることもできやしない。
心構えって大事だよね? 職員室に入る前ってやっぱり一瞬緊張するし、会社でも取引先の人にお茶を出すときは、それなりの表情をつくる。場面にふさわしいように誰しもが自分を装うのは、しごく当然のことだ。
それを、ぽいっと社長室にでも投げられる心地だ。それも社長の機嫌がいいのかもわからない場面に! 冗談ではない。
ちょっと待ってとたまに慌てて言ったとき、ユーリオットさんはぎゅうっと私を抱きしめた。
私はお別れを言うべきなのか説明をすべきなのかわからなくて、でも何か言いたくて、口をまごまごさせた。
ユーリオットさんはそんな私を見下ろして、どうした? というように眉を上げながら、ちょっと口もとをほころばせた。天珠のことなんてどうでもいいみたいだった。
その表情を見て胸がつまった。
彼はちゃんと、人と向き合っていくきっかけを手に入れたのだ。そう思えて。
私に向けられたのはそういう、相手を思いやるような微笑みだったから。
「ユーリオットさん、あなたは私を丁寧に扱ってくれました。とても感謝しています。それと同じようにどうか自分のことも、あとできたらまわりの人にも、同じようにしてみてください。きっといいことばかりになります」
彼と同じ年くらいの私には、とうていできなかったことだ。えらそうによく言えたもんだ、と自分でも思う。
でもお年寄りのおせっかいと一緒。自分が後悔したり失敗したから、そうなってほしくないと思って伝えるのだろう。老婆心というやつだ。
「ええと、ちょっと行かなければならないところがあってですね。でも私がいなくなっても、悲しまないで。ぜったいいつか会えます」
素敵な仲間にも、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。それでなくとも、ユーリオットさんはまた疑い深い顔つきになる。占い師めいた言葉だ。自分の発言ながら、なんてうさんくさいのだろう。
私は苦笑しながら、彼の手を両手ではさんだ。そして親愛をこめてその手をぎゅうっと握りこむ。
「おまえ、何を言ってる? それに輪郭が光っている。なんなんだ、どこへ、行くつもりだ」
「未来で、」
会えますよ――そう口にした言葉は、彼の耳に届いただろうか。私はまたあの感覚に押しつぶされる。背骨やあばら骨を、身体の外側へ持ってこられるかのような気持ち悪さ。あれっ、私たまにちょっと待ってって言わなかったっけ? なんで了承してないのにこうなってるんだ?
過去の彼と会い、そしてまたどこかへ転移することによって、出会ったころのユーリオットさんに何か影響はあるのだろうか。
私のことを忘れていてもいい。ただ、固い蕾がほころんだようなその心だけは、変わらずに未来へ続いて欲しい。
洗濯機の中でごりごりに回される感覚の中、ひたすらに祈った。
※
そしてその洗濯機から、ぽいっと投げ出されるような感覚のあとに、したたか腰を打った。
からん、とたまが落下する音が鈍く響く、
湿った土の上だ。腰をさすりながらあたりを見回せば、まるで密林のように、木々が生い茂っている。空高く伸びた樹はよく枝を伸ばしていて、日は出ているのだろうが、ひどく薄暗い。
なによりこの湿気。
ずっと乾燥した地域ばかりで過ごしてきたせいか、まるで梅雨どきのような、肌に張り付く空気が重たかった。気温は比較的涼しいのでまだいいが、暑かったらプールサイドと同じようなものである。乾いた布を振り回したら、逆に湿り気を帯びてしまいそうなほど。
「たま、ここって」
(むう。いままでにないほどに、負荷がかかった……。吐き気がするぞ)
頭輪が吐き気を? 倒錯的だ。
でも待てよ。前に現在 (と思われる)ギィのところから、過去であるユーリオットさんのところへ転移したときも、すごく疲れていた。
それ以上の疲労があるってことは、もしかして。
私はそっと立ち上がり、光が強い方向へ足を動かす。下働きのサンダルをちゃんと履いておいて大正解だ。地面は腐葉土っぽくやわらかいけど、歩けば硬く乾いた小枝がぱきぱきと音を立てている。茂った藪から飛び出る葉っぱがぴしりぴしりとすねに当たった。こんなところを走ったりしたら切り傷だらけだ。
そして林が途切れたところ。光のほうへ顔を出せば、密林の終わるそこは、切り立った崖になっている。
呆然と見下ろせば、眼下には新たな密林が地の果てまで続いているようだった。蒼穹。空が高い。雄大な大自然特集! とかでヘリコプターからの映像だったとしても納得のいく風景。
ブロッコリーを敷き詰めました、という中を左右に割り裂いて、川が横たわっている。いや、川ではなく河。いっそ海とも言える大きさの大河。
風はあたたかく湿り、どこからか花火のような匂いを運んできた。
花火? をするような場所でも雰囲気でもないのだが。
崖から目を凝らせば、遠くの水面には小さな黒いものがいくつも浮かんでいるようだった。
なんだろうと私が訝しんで身を乗り出したとき、背中に固いものが押し付けられた。
「動かないほうがいいです。脊髄を、ふたつに分けられたくなければ」
涼やかなその声に、私は戦慄した。聞き覚えがあるのに、記憶のそれとは異なり、底冷えするような冷ややかさをたたえていたからだ。
「ゆっくりこちらを向いてください。――そう。両手をあげながら」
ホールドアップの状態で、ぎこちなく声のほうへ向き直る。そこにいたのは。
かすかに癖のある、緑がかった黒髪。私よりも頭ふたつぶんは高い、堂々とした身体。かつてはその身長に対して筋肉が追いついていなかったが、いまやしなやかにその骨格を包んでいる。なによりその武器。
「斥候にしては目立ちすぎる。使者にしても愚鈍そう。あなたはいったい、なんなんですかね?」
声だけで人を切れそうな。刃物のように鋭く冷たい声だった。
理解できないというように首を傾けた、その青年。彼の顔の鼻から上には、まるで狐を模したようなお面があった。口元は涼しげに引き結ばれている。
私は両手を上げたまま、天を仰いだ。
そして私は唇を噛み、目を閉じて――
たまを拾って、思い切りぶん投げた。
そのへんの木に直撃して落下したあと、たまはたっぷり三秒黙った。にわかに驚きと怯えをにじませて私を罵る。
男性が慌てたように武器を私に押し付けたが、今はそれどころではない。
決意していたのだ。今度こそ、なあなあにはしないと。
吐き気がしようが、眠りたいと言っていようが、予知の力に影響を与えたくないと言おうが、たまの首ねっこをつかみ、揺さぶり、叩き起こし。これだけは約束させてやる!
転移する前に、私の了承だけはとりなさい。
心の準備、だいじだから!!
理解できないというように固まっていた狐面の男性は、独り言(に聞こえるはず)をいいながら頭輪を歪めたり叩いたりしている私を見て、すこし後ずさって、それからゴキプリホイホイの中を覗き込むように、その美しい口元を歪めた。
月花との、さんざんな再会だった。
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