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2.マリウス・ド・ファンドミオン
愛の矢
今、リーリウスは人生の瀬戸際にいる。
初めて真に自分の心を動かしてくれた人と、結婚できるか否か。
この願いが叶わなければ、愛してもいない女性を妻として、生涯を過ごすことになる。
もしもそうなっても以前なら、
「王族の結婚なんて、そんなものだろうね」
と、受け入れていたに違いない。
散々遊んだあとの年貢の納め時として。
けれどあの舞踏会の夜、そんな妥協は吹っ飛んだ。
真剣に誰かを求めることの幸福を、知ってしまった。
王族として威厳と愛想笑いを使い分ける仮面のほかに、伴侶にまで夫としての仮面をつけて、笑ったり機嫌をとったり夜の営みをしたり、物足りなくなれば適当に他所で遊んだり。それも王侯貴族には、よくある話。
だが今となっては、そんな自分を考えるだけでうんざりする。
そんな人生はつまらない。
リーリウスは宝ものを見つけた。
持てる愛情のすべてを捧げて、生涯寄り添い、たいせつにしようと思える相手は、この人だけなのだと気づいてしまった。
そのただひとりの人だけを、愛して愛して愛しまくりたい。
愛を囁きまくり、あますところなく撫でまくり、暇さえあれば口づけしまくり、隙あらば抱きまくりたい。朝も昼も夜も、いかなる場所でも愛したい。
舞踏会の一夜のことを思い出すだけで、あらぬ箇所に熱が凝るほど恋しい。「お祭り下半身」は正しい。もう大騒ぎだ。
(あの人の伴侶となれたなら)
想像するだけで胸が高鳴る。
(――絶対に、手に入れてみせる)
そのためならば、どんな手でも使おう。
「ヤリチン王子」と言われようと、使えるものは何でも使う。コネでも人脈でも裏情報でも躰でも。……多少いじわるで、小狡い手でも。
もう一度この想いを伝えた上で、やはり受け入れてはもらえないのなら、そのときは潔く諦めよう。
彼の口から「王子の伴侶にはなりたくない」と言われたら、黙って身を引こう。
……考えただけで絶望するが。
そんなわけでリーリウスは早速、情報網と人脈を駆使した。
その結果、これから義姉が主宰の茶会に出席する。
王城の庭園は、庭師の献身的な努力により、春から秋にかけて絶え間なく花が咲く。殊に薔薇がみごとで、盛りの期間は鑑賞会がひらかれるほどだ。
その鑑賞会と茶会の主宰者は王妃か王太子妃と決まっており、今回は兄の妃であるエルゼが務める。
招待客も基本は女性で、臣下の妻が多く、子息、息女を連れてくることは自由とされている。
ただし「薔薇を優雅に鑑賞しつつ大げさに褒め称え、疲れたらお茶会。お世辞や噂話や陰口で盛りあがる」というのが実態だから、娘はともかく息子はまず来たがらない。
だが今回は、マリウス・ド・ファンドミオンが来ているはず。
リーリウスの「運命の人かもしれない候補」としてシュナイゼたちが挙げた、五人のうちの、ひとりが。
広大な薔薇園の中を進むうち、四阿のほうから、女性陣の賑やかな声が聞こえてきた。
マリウスもそこにいるのかと考えながら大股で歩いていると、前方に麦わら帽子が見えた。
「やあ。精が出るね、ケニー」
声をかけると、ぴくっと肩を揺らして振り向いた相手は、すぐに向日葵のような笑顔になった。
「ご機嫌うるわしゅう、リーリウス殿下。お散歩ですか」
帽子をとって立ちあがったので、「気にせず、そのまま作業していておくれ」と言っても、ケニーはにこにこと嬉しそうに歩み寄って来る。
彼は代々この城で庭師を勤める家の息子で、今年成人したばかりだ。童顔で年齢より若く見えるが、すでに優れた庭造りの才を発揮している。
「今年の薔薇も本当にみごとだね。特にあの、壁一面の真っ赤な蔓薔薇の鮮やかなこと」
「あの薔薇の名は『愛の矢』というんです。その名の通り矢のように伸びる、強い薔薇ですよ」
赤い髪と同じくらい頬も赤くして嬉しそうに話すケニーに、リーリウスまで嬉しくなった。昔から顔なじみの彼は、弟のように思える。
「ところでケニー。今日の薔薇鑑賞の参加者の中に、きみくらいの年頃の青年を見かけなかったかい? 葡萄の蔓みたいな黒い巻毛の」
「えっと……そのお方かどうかはわかりませんが」
ケニーは『愛の矢』を一輪切って、慎重に棘を除いている。
「黒髪の方が、王太子妃様たちの御一行から離れて、おひとりで歩いて行くのは見ました。『踊る精霊の庭』のほうです」
しめた、とリーリウスは思った。
マリウスひとりで別行動しているなら、義姉たちにお愛想を振りまいて茶会に参加する手間が省ける。
「助かったよ。ありがとう、ケニー」
「リーリウス殿下、これをどうぞ」
ケニーが、胸に『愛の矢』を飾ってくれた。
「殿下が幸せな愛を射止められますように」
広大な庭園は区画ごとに趣向を決めてデザインされており、そのテーマが呼び名となっている。
リーリウスは『踊る精霊の庭』エリアへと突き進みながら、胸の赤い薔薇に、そっと触れた。なんと縁起の良い贈りものだろう。
やがて、楽譜に踊る音符のように刈り込まれた濃緑の生け垣が、リーリウスを出迎えた。緑の壁の向こうに、軽やかに踊る精霊たちの石像が見える。
その石像の前、淡くけぶる花々の中に。
ほっそりとした後ろ姿の青年が立っていた。
葡萄の蔓のような、黒い巻き毛の。
(マリウス・ド・ファンドミオン)
痩せて小柄なファンドミオン子爵からマリウスを紹介されたときのことを、改めて思い出す。
『不肖の息子でして……とにかく内向的で、公の場に連れ出すだけでもひと苦労なのです。頼りないことこの上ないのですが、これが我が家の跡継ぎになる予定です。リーリウス殿下のご指導を賜りますれば、まことに幸いに存じます。どうかよろしくお願いいたします』
子爵はおっとりと感じの良い男で、隣に立つ息子を「不肖」と言いつつ、卑屈さはなかった。四十を過ぎてようやく授かった子だというから、可愛くて仕方ないのだろう。
(確かあのとき、マリウス本人からも挨拶を受けたはずだけれど……)
目を引く綺麗な顔立ちと黒い巻き毛を、「父親似ではないのだな」と思ったことはおぼえているが、会話らしい会話はなかったと思う。
そのマリウスは今、こちらへ振り返り、若葉色の目を丸くしてリーリウスを見ている。
近づいて行くと、「本物?」と呟くのが、口の動きでわかった。
初めて真に自分の心を動かしてくれた人と、結婚できるか否か。
この願いが叶わなければ、愛してもいない女性を妻として、生涯を過ごすことになる。
もしもそうなっても以前なら、
「王族の結婚なんて、そんなものだろうね」
と、受け入れていたに違いない。
散々遊んだあとの年貢の納め時として。
けれどあの舞踏会の夜、そんな妥協は吹っ飛んだ。
真剣に誰かを求めることの幸福を、知ってしまった。
王族として威厳と愛想笑いを使い分ける仮面のほかに、伴侶にまで夫としての仮面をつけて、笑ったり機嫌をとったり夜の営みをしたり、物足りなくなれば適当に他所で遊んだり。それも王侯貴族には、よくある話。
だが今となっては、そんな自分を考えるだけでうんざりする。
そんな人生はつまらない。
リーリウスは宝ものを見つけた。
持てる愛情のすべてを捧げて、生涯寄り添い、たいせつにしようと思える相手は、この人だけなのだと気づいてしまった。
そのただひとりの人だけを、愛して愛して愛しまくりたい。
愛を囁きまくり、あますところなく撫でまくり、暇さえあれば口づけしまくり、隙あらば抱きまくりたい。朝も昼も夜も、いかなる場所でも愛したい。
舞踏会の一夜のことを思い出すだけで、あらぬ箇所に熱が凝るほど恋しい。「お祭り下半身」は正しい。もう大騒ぎだ。
(あの人の伴侶となれたなら)
想像するだけで胸が高鳴る。
(――絶対に、手に入れてみせる)
そのためならば、どんな手でも使おう。
「ヤリチン王子」と言われようと、使えるものは何でも使う。コネでも人脈でも裏情報でも躰でも。……多少いじわるで、小狡い手でも。
もう一度この想いを伝えた上で、やはり受け入れてはもらえないのなら、そのときは潔く諦めよう。
彼の口から「王子の伴侶にはなりたくない」と言われたら、黙って身を引こう。
……考えただけで絶望するが。
そんなわけでリーリウスは早速、情報網と人脈を駆使した。
その結果、これから義姉が主宰の茶会に出席する。
王城の庭園は、庭師の献身的な努力により、春から秋にかけて絶え間なく花が咲く。殊に薔薇がみごとで、盛りの期間は鑑賞会がひらかれるほどだ。
その鑑賞会と茶会の主宰者は王妃か王太子妃と決まっており、今回は兄の妃であるエルゼが務める。
招待客も基本は女性で、臣下の妻が多く、子息、息女を連れてくることは自由とされている。
ただし「薔薇を優雅に鑑賞しつつ大げさに褒め称え、疲れたらお茶会。お世辞や噂話や陰口で盛りあがる」というのが実態だから、娘はともかく息子はまず来たがらない。
だが今回は、マリウス・ド・ファンドミオンが来ているはず。
リーリウスの「運命の人かもしれない候補」としてシュナイゼたちが挙げた、五人のうちの、ひとりが。
広大な薔薇園の中を進むうち、四阿のほうから、女性陣の賑やかな声が聞こえてきた。
マリウスもそこにいるのかと考えながら大股で歩いていると、前方に麦わら帽子が見えた。
「やあ。精が出るね、ケニー」
声をかけると、ぴくっと肩を揺らして振り向いた相手は、すぐに向日葵のような笑顔になった。
「ご機嫌うるわしゅう、リーリウス殿下。お散歩ですか」
帽子をとって立ちあがったので、「気にせず、そのまま作業していておくれ」と言っても、ケニーはにこにこと嬉しそうに歩み寄って来る。
彼は代々この城で庭師を勤める家の息子で、今年成人したばかりだ。童顔で年齢より若く見えるが、すでに優れた庭造りの才を発揮している。
「今年の薔薇も本当にみごとだね。特にあの、壁一面の真っ赤な蔓薔薇の鮮やかなこと」
「あの薔薇の名は『愛の矢』というんです。その名の通り矢のように伸びる、強い薔薇ですよ」
赤い髪と同じくらい頬も赤くして嬉しそうに話すケニーに、リーリウスまで嬉しくなった。昔から顔なじみの彼は、弟のように思える。
「ところでケニー。今日の薔薇鑑賞の参加者の中に、きみくらいの年頃の青年を見かけなかったかい? 葡萄の蔓みたいな黒い巻毛の」
「えっと……そのお方かどうかはわかりませんが」
ケニーは『愛の矢』を一輪切って、慎重に棘を除いている。
「黒髪の方が、王太子妃様たちの御一行から離れて、おひとりで歩いて行くのは見ました。『踊る精霊の庭』のほうです」
しめた、とリーリウスは思った。
マリウスひとりで別行動しているなら、義姉たちにお愛想を振りまいて茶会に参加する手間が省ける。
「助かったよ。ありがとう、ケニー」
「リーリウス殿下、これをどうぞ」
ケニーが、胸に『愛の矢』を飾ってくれた。
「殿下が幸せな愛を射止められますように」
広大な庭園は区画ごとに趣向を決めてデザインされており、そのテーマが呼び名となっている。
リーリウスは『踊る精霊の庭』エリアへと突き進みながら、胸の赤い薔薇に、そっと触れた。なんと縁起の良い贈りものだろう。
やがて、楽譜に踊る音符のように刈り込まれた濃緑の生け垣が、リーリウスを出迎えた。緑の壁の向こうに、軽やかに踊る精霊たちの石像が見える。
その石像の前、淡くけぶる花々の中に。
ほっそりとした後ろ姿の青年が立っていた。
葡萄の蔓のような、黒い巻き毛の。
(マリウス・ド・ファンドミオン)
痩せて小柄なファンドミオン子爵からマリウスを紹介されたときのことを、改めて思い出す。
『不肖の息子でして……とにかく内向的で、公の場に連れ出すだけでもひと苦労なのです。頼りないことこの上ないのですが、これが我が家の跡継ぎになる予定です。リーリウス殿下のご指導を賜りますれば、まことに幸いに存じます。どうかよろしくお願いいたします』
子爵はおっとりと感じの良い男で、隣に立つ息子を「不肖」と言いつつ、卑屈さはなかった。四十を過ぎてようやく授かった子だというから、可愛くて仕方ないのだろう。
(確かあのとき、マリウス本人からも挨拶を受けたはずだけれど……)
目を引く綺麗な顔立ちと黒い巻き毛を、「父親似ではないのだな」と思ったことはおぼえているが、会話らしい会話はなかったと思う。
そのマリウスは今、こちらへ振り返り、若葉色の目を丸くしてリーリウスを見ている。
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