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3.グレイグ・リヒテル・ド・ドーシア
叱られたグレイグ
「グレイグ。お前は高貴なる我がドーシア家の人間なのだ。社交界でも我らに匹敵するほど伝統ある家門は少ない。尊貴な身分であることを、ドーシア家の嫡男である誇りを、いついかなるときも忘れるな」
グレイグ・リヒテル・ド・ドーシアは、幼い頃から繰り返し繰り返し、父からそう言い聞かされて育った。
教育も身の周りの品も、一流のものばかり。
おかげで「非の打ちどころのない貴公子」になれたと自負している。
身分も教養も、容姿まで完璧。
特に自慢なのは、サラサラした白金の髪に、「ベロニカの花のようですわ」と令嬢たちをうっとりさせる青い瞳。
幼少のみぎりから二十二歳の今に至るまで、容姿を称えられなかった試しがない。彼が夜会に出れば令嬢たちは秋波を寄こし、男たちも飲み物を運んできたり、甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。
だがドーシア家ほど歴史ある格の高い貴族で、どこに出しても恥ずかしくない知性と品格にあふれ、家門を維持するに充分な資産を有し、なおかつ自分の隣に立って引けを取らない人物というのは、そうそう見つからない。
結婚相手となればさらに、美貌の令嬢でなければならない。
すべてを兼ね備えた一流の自分には、一流の女性でなければならない。
父ももちろん、そう考えていたのだろう。
息子のため最高の女性を選んでくれた。
相手はランス伯爵家の令嬢、アレクサンドラ。
ランス家は父も認める名門であり、しかもアレクサンドラは社交界でも指折りの美女。年齢もグレイグと同じで、まさに申し分のない相手。
正式に婚約が決まると、アレクサンドラは茶会やパーティーにグレイグを招いたり、手の込んだ刺繍入りのハンカチを贈ってくれたりした。
返礼に歌劇に誘うと、とても喜んでくれた。
王族専用の貴賓席を除けば最も高価な席であるから、満足して当然だろう。
「わたくし、夫となる方があなたでよかった。きっと互いに良き妻と夫になれますわね」
もちろん、同意見だ。
彼女は清楚で家庭的でなよやかで、この国の女性には珍しいタイプ。そんなところも実に好ましい。
彼女に恋焦がれているわけではないが、それは些細なこと。
肝心なのは、社交界で嫉妬と羨望の眼差しを浴びる結婚をして、その上で、高貴な血筋同士の跡継ぎをもうけることなのだから。
すべて完璧。順風満帆。
そう思っていたのに。
運命のあの夜が、彼の自尊心を瓦解させた。
☆ ★ ☆
グレイグは憤怒と屈辱で顔が歪むのを自覚しながら、リーリウス王子の執務室へ続く廊下を歩いていた。
昨日、所用で王城ロンツィエーリ宮へ出向き、あとは帰るだけと階段を急ぎおりていたら、大きな花瓶を抱えた使用人とぶつかった。
幸い、使用人は花瓶を抱えたまま倒れたため破損はせず、破片で怪我を負わされることもなかった。が、新調したばかりの服に水をかけられてしまった。
(どうしてこう、どいつもこいつも僕を苛立たせるんだ!)
最近の彼はある理由で気の重くなることを抱えており、その溜まりに溜まった鬱憤が、間抜けな侍女に向かって爆発した。
怒りのままに手を振り上げた。
が、その腕を背後から強く掴まれた。
驚いて振り返ると、いま最も顔を見たくない四人の人物のうち二人が――レダリオ・ミュゲ・ド・アレクシスと、シュナイゼ・コラル・ド・ルーシウスが立っていた。グレイグの腕を掴んでいるのはレダリオだった。
彼らの顔を見た途端、グレイグの頭が沸騰した。
実のところグレイグも、普段から使用人に体罰を与えているわけではないのだ。
だからあとから考えれば止めてもらえて良かったのだけれど、そもそもこの二人はグレイグがここまで激怒している元凶でもあったから、とにかく反発せずにはいられなかった。
さらに悪いことに、いま最も顔を見たくない四人の人物の中でも特に憎たらしい、リーリウス王子までやって来た。
なんとか優位に立とう、言い負かしてやろうとするのに、のらりくらりとかわされて、あげく
「打たれたほうが策が浮かぶのか? そういう性癖?」
などと揶揄されてしまい。
どうやって城を出たかもおぼえていないほど激怒しながら屋敷に帰った。
(奴らがドーシア家に重ねた侮辱を、父上に報告せねば!)
父ならば共に怒ってくれるはず。
王族だろうと、ドーシア家への無礼は許されないと憤るはず。
そう信じていたのに、夜が更けてから帰って来た父は、迎えに出たグレイグを開口一番怒鳴りつけた。
「ロンツィエーリ宮でリーリウス殿下に無礼を働いたそうだな! この愚か者!」
「なぜそれを!?」
「使用人たちの口から城中に広まっておる! 明日には社交界中に知れ渡るだろうよ!」
「そんな……で、ですが父上! 誤解です、無礼なのは王子のほうなのです!」
反論するも、父の大きなため息で遮られた。
「お前はまだ理解しておらんのか……。いいか、どの家門を敵に回そうが、王族だけは駄目だ。いまの王室一家は特に、金も権力も国民の強力な支持も、ガッチリ掴んでいるのだから。
お前が盾突いたリーリウス殿下は、十代の頃から海運貿易事業に携わり、大きな船を幾つも持って巨万の富を築いた方だ。外交では行く先々で、他国の民から大歓迎される。そんな人物を敵に回してどうする? 社交界で干されたいのか!?」
――夜が明けたら、謝罪に行くように。
有無を言わせず命じられてしまった。
(何が「ドーシア家の誇り」だ!)
弱腰の父にいっそう怒りが募りつつも、(確かにその通りだ)と保身に走りたくなる気持ちもある。そんな気持ちにさせられることがまた腹立たしい。
執務室の重厚な扉の前まで彼を案内した女官が下がり、侍従が室内の王子にグレイグの来訪を告げると、間もなく中へと通された。
貿易品の絨毯の上をうつむいたまま進み、憎たらしい相手に頭を下げる屈辱と戦っていたとき。
「やあ、グレイグ」
親しげにかけられた声。
思わず顔を上げると、どっしりした樫の机の向こうに、仕事の手を止めた王子がいた。
まるで太陽そのものみたいな圧倒的な存在感と、とろけてしまいそうな甘い微笑みで。
「殿下……」
そのとき、グレイグの中を突き抜けるように、仮装舞踏会で王子を目にしたときの衝撃が甦った。
グレイグ・リヒテル・ド・ドーシアは、幼い頃から繰り返し繰り返し、父からそう言い聞かされて育った。
教育も身の周りの品も、一流のものばかり。
おかげで「非の打ちどころのない貴公子」になれたと自負している。
身分も教養も、容姿まで完璧。
特に自慢なのは、サラサラした白金の髪に、「ベロニカの花のようですわ」と令嬢たちをうっとりさせる青い瞳。
幼少のみぎりから二十二歳の今に至るまで、容姿を称えられなかった試しがない。彼が夜会に出れば令嬢たちは秋波を寄こし、男たちも飲み物を運んできたり、甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。
だがドーシア家ほど歴史ある格の高い貴族で、どこに出しても恥ずかしくない知性と品格にあふれ、家門を維持するに充分な資産を有し、なおかつ自分の隣に立って引けを取らない人物というのは、そうそう見つからない。
結婚相手となればさらに、美貌の令嬢でなければならない。
すべてを兼ね備えた一流の自分には、一流の女性でなければならない。
父ももちろん、そう考えていたのだろう。
息子のため最高の女性を選んでくれた。
相手はランス伯爵家の令嬢、アレクサンドラ。
ランス家は父も認める名門であり、しかもアレクサンドラは社交界でも指折りの美女。年齢もグレイグと同じで、まさに申し分のない相手。
正式に婚約が決まると、アレクサンドラは茶会やパーティーにグレイグを招いたり、手の込んだ刺繍入りのハンカチを贈ってくれたりした。
返礼に歌劇に誘うと、とても喜んでくれた。
王族専用の貴賓席を除けば最も高価な席であるから、満足して当然だろう。
「わたくし、夫となる方があなたでよかった。きっと互いに良き妻と夫になれますわね」
もちろん、同意見だ。
彼女は清楚で家庭的でなよやかで、この国の女性には珍しいタイプ。そんなところも実に好ましい。
彼女に恋焦がれているわけではないが、それは些細なこと。
肝心なのは、社交界で嫉妬と羨望の眼差しを浴びる結婚をして、その上で、高貴な血筋同士の跡継ぎをもうけることなのだから。
すべて完璧。順風満帆。
そう思っていたのに。
運命のあの夜が、彼の自尊心を瓦解させた。
☆ ★ ☆
グレイグは憤怒と屈辱で顔が歪むのを自覚しながら、リーリウス王子の執務室へ続く廊下を歩いていた。
昨日、所用で王城ロンツィエーリ宮へ出向き、あとは帰るだけと階段を急ぎおりていたら、大きな花瓶を抱えた使用人とぶつかった。
幸い、使用人は花瓶を抱えたまま倒れたため破損はせず、破片で怪我を負わされることもなかった。が、新調したばかりの服に水をかけられてしまった。
(どうしてこう、どいつもこいつも僕を苛立たせるんだ!)
最近の彼はある理由で気の重くなることを抱えており、その溜まりに溜まった鬱憤が、間抜けな侍女に向かって爆発した。
怒りのままに手を振り上げた。
が、その腕を背後から強く掴まれた。
驚いて振り返ると、いま最も顔を見たくない四人の人物のうち二人が――レダリオ・ミュゲ・ド・アレクシスと、シュナイゼ・コラル・ド・ルーシウスが立っていた。グレイグの腕を掴んでいるのはレダリオだった。
彼らの顔を見た途端、グレイグの頭が沸騰した。
実のところグレイグも、普段から使用人に体罰を与えているわけではないのだ。
だからあとから考えれば止めてもらえて良かったのだけれど、そもそもこの二人はグレイグがここまで激怒している元凶でもあったから、とにかく反発せずにはいられなかった。
さらに悪いことに、いま最も顔を見たくない四人の人物の中でも特に憎たらしい、リーリウス王子までやって来た。
なんとか優位に立とう、言い負かしてやろうとするのに、のらりくらりとかわされて、あげく
「打たれたほうが策が浮かぶのか? そういう性癖?」
などと揶揄されてしまい。
どうやって城を出たかもおぼえていないほど激怒しながら屋敷に帰った。
(奴らがドーシア家に重ねた侮辱を、父上に報告せねば!)
父ならば共に怒ってくれるはず。
王族だろうと、ドーシア家への無礼は許されないと憤るはず。
そう信じていたのに、夜が更けてから帰って来た父は、迎えに出たグレイグを開口一番怒鳴りつけた。
「ロンツィエーリ宮でリーリウス殿下に無礼を働いたそうだな! この愚か者!」
「なぜそれを!?」
「使用人たちの口から城中に広まっておる! 明日には社交界中に知れ渡るだろうよ!」
「そんな……で、ですが父上! 誤解です、無礼なのは王子のほうなのです!」
反論するも、父の大きなため息で遮られた。
「お前はまだ理解しておらんのか……。いいか、どの家門を敵に回そうが、王族だけは駄目だ。いまの王室一家は特に、金も権力も国民の強力な支持も、ガッチリ掴んでいるのだから。
お前が盾突いたリーリウス殿下は、十代の頃から海運貿易事業に携わり、大きな船を幾つも持って巨万の富を築いた方だ。外交では行く先々で、他国の民から大歓迎される。そんな人物を敵に回してどうする? 社交界で干されたいのか!?」
――夜が明けたら、謝罪に行くように。
有無を言わせず命じられてしまった。
(何が「ドーシア家の誇り」だ!)
弱腰の父にいっそう怒りが募りつつも、(確かにその通りだ)と保身に走りたくなる気持ちもある。そんな気持ちにさせられることがまた腹立たしい。
執務室の重厚な扉の前まで彼を案内した女官が下がり、侍従が室内の王子にグレイグの来訪を告げると、間もなく中へと通された。
貿易品の絨毯の上をうつむいたまま進み、憎たらしい相手に頭を下げる屈辱と戦っていたとき。
「やあ、グレイグ」
親しげにかけられた声。
思わず顔を上げると、どっしりした樫の机の向こうに、仕事の手を止めた王子がいた。
まるで太陽そのものみたいな圧倒的な存在感と、とろけてしまいそうな甘い微笑みで。
「殿下……」
そのとき、グレイグの中を突き抜けるように、仮装舞踏会で王子を目にしたときの衝撃が甦った。
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