王子殿下が恋した人は誰ですか

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3.グレイグ・リヒテル・ド・ドーシア

王子、グレイグをいじめる

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 あれほど怒り散らしていたグレイグが、翌日あわてて会いに来た理由を、リーリウスは察していた。

(ドーシア候から、謝罪するよう強制されたのだろうな)

 そのことに本人が納得していないのも見え見え。
 全身から不平不満のオーラを漂わせ、入室しても目を合わせようともしないグレイグを見た途端、あまりのわかりやすさに吹き出しそうになった。

 しかし、こちらから呼びかけてようやく上げた顔には、困惑とも羞恥ともつかない、複雑な色が表れていて。
 そのためリーリウスが次の言葉を発するのがちょっぴり遅れた間に、グレイグはいつもの強情な態度を取り戻していた。

「昨日の僕の……失礼な態度を、お詫び申し上げます」

 ぼそぼそと早口で言って腰を折るが、その両こぶしはギュッと握りしめられている。
 リーリウスは「ふむ」とにっこり笑った。

「そなた自身、失礼なことをしたという自覚があるのだね?」
「……はい」
「何を指して?」
「はい?」
「具体的に、どの行動を指して、どう悪いと思ったのかを述べよ。自覚があるなら簡単だろう」
「それは……っ!」

 歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど、グレイグの表情が歪んだ。

「お、王子殿下に、臣下としての礼を失したことをっ」
「だから具体的に言いなさい。そなたは昨日レダリオからも、同じことを何度も注意されていたな。情報処理能力と理解力が足りないのではないか」
「はああ!? 理解力が、た、足りない!? この僕が!?」

(怒ってる怒ってる)

 わかりやすい挑発に素直に乗ってくる相手で、リーリウスは内心、楽しくてたまらない。
 一方グレイグは、自棄になったように声を荒らげた。

「失礼ながら王子殿下、あなたのほうこそ洞察力が足りないのでは!? 真摯に謝罪に訪れた者の誠意も察せず、そのように責めて貶めることが、英明な王子のすることでしょうか! 上に立つ者に寛容と許しの精神がなければ、誰ひとり従いはしないでしょう!」

「……ほう」

 それまでの笑みを一掃し、氷のような声を出すと、あわてて口に手をやったグレイグの顔から血の気が引いた。
 無礼を詫びに来たはずが、逆に王子批判を展開してしまったと気づいたのだろう。

「あ、あの、殿下……今のは」
「寛容と許し、か」

 リーリウスは「無慈悲な王子」になりきって、できる限り冷酷に言い放つ。

「ひとことの弁解も許されぬ使用人の些細な失敗を責め立てて、体罰まで加えようとしていた者がよく言えたものだ」
「……っ!」
「よい。そなたの言いたいことはわかった。私を非難したいがために、わざわざ午前の執務時間中にやって来たわけだな。こちらの仕事を中断させてでも批判を述べたかったわけだ。よくわかった。ご苦労であった、下がるがよい」

 低い声で追い立てても、グレイグはおろおろとその場を動かない。

「あ、あの、殿下。違うのです。今のは、その」
「何が違う? 私が勘違いをしたか? 『洞察力の足りない』私だから読解力もなくて、そなたの話を理解できていないと?」
「そんなことは! 違うのです、違うのです、こんなはずでは」
「何が違う? まったく、何が言いたいのだ」

 リーリウスはドンと机を叩いた。
 グレイグの肩がビクッと揺れる。

「私も暇ではないのだ。まだ何か言いたいことがあるなら、端的に言いなさい」
「ぼ、僕は、しゃ、謝罪します、どうか」
「本当に理解力がないのだな。なぜ同じことを何度も何度も注意されているのに、同じ失敗を繰り返す? 
 はっきり言うが、私から見ればそなたは、下働きの者たちよりずっと呑み込みが悪い。その上、愚図でどうしようもない阿呆だ。『誇り高きドーシア侯爵家』が聞いて呆れる」

 途端、蒼白だったグレイグの顔に血がのぼった。
 真っ赤な顔で眦を吊り上げ、リーリウスを睨みつける。

「王子といえど許しがたい! こんな侮辱は許せない、取り消してください!」
「他者のことは簡単に見下すくせに、己を罵られると饒舌に反応するのだな」

 侮蔑も露わに嘲笑すると、憤慨したグレイグは勢いよく執務机の天板に両手をついて、上半身を乗り出してきた。よく見れば全身ぶるぶる震えている。

「だっ、もっ、そもそもっ、あなたが悪いんだ!」
「……ほう?」

 リーリウスはニヤリと笑って、「なぜ?」と促した。
 相手の様子が変わったことに気づく余裕もなく、グレイグはまくし立てる。

「あなたや、あなたの友人たちのせいで、僕の人生設計はボロボロだからですよ! もうぐちゃぐちゃだ! 婚約も破棄する!」
「なに、婚約破棄?」 

 活きのいい魚が、思ってもみないところの針に食いついた。

「婚約破棄するのかい?」
「する! かもしれないし、しないかもしれない!」
「どっちなのだ」

 ベロニカの花みたいなグレイグの青い瞳に、じわっと涙が浮かんだ。

「知るものか! 全部全部、あなた達が悪いんだ、あなた達のせいなんだ!」

 とうとう溢れ出した涙を乱暴に拭いながら、「あなた達が悪い」と繰り返す。
 リーリウスは苦笑して立ち上がり、子供みたいに泣きわめく青年の頬を両手でつつんだ。

「わかったから。ちゃんと聴くから、そなたもちゃんと話してごらん」

 打って変わって優しく囁き、思いやりを込めて頭を撫でると、至近距離で見つめられたグレイグはズズッと鼻をすすって、数回ぱちぱち瞬きした。
 そこで急に我に返ったか、小さく呻いてうつむいた。耳まで真っ赤だ。

 少し混乱しているようではあったけれど、リーリウスの態度が軟化したことに安堵したのか、グレイグはポツポツと、抱えていた秘密を打ち明け始めた。
 
 ――それは、婚約成立後のある夜。
 とある社交場でのことだった。
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