王子殿下が恋した人は誰ですか

月齢

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3.グレイグ・リヒテル・ド・ドーシア

婚約者の別の顔

 用事を済ませてから来たグレイグは、かなり遅れて社交場に着いた。
 出迎えた主催者が、アレクサンドラも来ていると教えてくれた。
 偶然同じところに来ていたのだ。

 とはいえ、男性陣と女性陣は別の部屋に分かれてゲームやお喋りを楽しんでいたし、この先ずっと顔を合わせることになるのだから、わざわざ探してご機嫌伺いをしようとも思わなかった。
 
 男性陣の遊戯場へ顔を出すと、皆から婚約の件を羨望されて、気分が良くなり飲み過ぎた。

(庭で夜気に当たって酔いをさまそう)

 そう考えて階段をおりると、女性たちの賑やかな声がする。
 見ると、細く扉がひらいた一室で、令嬢たちがお茶とお菓子とお喋りを楽しんでいた。
 そこにはアレクサンドラの姿もあった。 

(ずいぶん盛り上がっているな)

 共に居るのは親しい者ばかりらしい。
 グレイグの前では常にもの静かだった彼女が、声を上げて笑っている。

(何がそんなに楽しいのだろう)

 好奇心の赴くまま、扉のすぐそばまで忍び寄った。
 途端、悩ましげな声が耳を打つ。

「ああ……シュナイゼ様と過ごせたあの夜を、わたくし一生忘れないわ!」
「羨ましい~!」
「あの方は人気があり過ぎて、お誘いするだけでもひと苦労なのに」
「リーリウス殿下とシュナイゼ様といったら、この国の『抱かれたい男』不動の一位と二位ですものね」

 キャーッ! と黄色い声が上がる。
 グレイグは目を剥いた。

(い、今、抱かれたい男と言ったか!? 上流の令嬢たちが、なんという話を!)

 幸いアレクサンドラの声ではなかったが、嫌な名前を聞いた。
 シュナイゼ。
 そしてリーリウス。
 この国に住む同年代の男たちを戦慄させる、「完璧なモテ男」の代名詞。
 美男美女を片っ端から食っているとか、好きな相手が彼らに夢中で見向きもしてくれないとか、彼らのせいで涙する男たちの嘆きの声は枚挙にいとまがない。

(あのヤリチン主従めが!)

 動揺する間にも、話題はどんどん際どくなる。

「リーリウス殿下の争奪戦となると、もうお手上げよ」
「あの方は全国民が狙ってるようなものですもの」
「ところで、不動の三位はレダリオ様ね?」
「そうそう! ほかのお二方と違ってお盛んなタイプではないから、その順位だけれど。でもあのクールな性格と、眼鏡の奥の美貌がたまらないわ。きっと閨では、命令して奉仕させるタイプだと思うの……!」
「レダリオ様のご命令とあらば、どんなことにも従っちゃう!」
「あれほど美々しい方々が親友同士だなんて、奇跡よね。そろって背が高くて華やかで。あの方たちの未来のご結婚相手が羨ましい。というか妬ましい!」

 あまりの内容に目眩がしてきた。
 レダリオもグレイグからすれば腹立たしい男だ。
 恋愛など興味がないという態度のくせに、なぜか女性からキャーキャー騒がれている。
 ぐぬぬと唇を噛んで苛立ちを堪えるも、衝撃はここからが本番だった。

「ねえ、焦らさず教えてちょうだい。どうだったの? シュナイゼ様は。評判通り、凄かった……?」

 興奮を抑えきれない声が話題を変える。
 ――紛れもなく、アレクサンドラの声だ。
 別の声がうっとりと答えた。

「凄かったわ……噂以上に! あまりにお上手で、わたくし恥ずかしいほど何度も……。逞しいお躰は彫像のように美しいし、それに想像していたよりずっと……大きいの。あんな経験は初めてよ。感じすぎて死んでしまうかと思ったわ」

 一斉に、黄色い声が上がった。
 キャアキャア騒ぐ声の合間を縫って、アレクサンドラが熱っぽく漏らす。

「ああ、本当に羨ましい。わたくしも、一度で良いからお相手していただきたいわ」
「でもね、困ったこともあるのよ? あまりに極上の体験だったから、あれ以来ほかの殿方では満足できなくなってしまったの」
「まあぁ!」

 甲高い笑いの渦につつまれる。
 誰かが、「でもアレクサンドラ」と続けた。

「ほら、前の夜会で知り合った方が、凄くよかったと言ってたじゃない。これまでで一番だったって」

 一瞬、グレイグの心臓が止まった。

「ええ、確かに。殿下やシュナイゼ様には及ばないでしょうけれど、あの方も一夜限りではもったいないくらいだったわ」
「あら幸運ね。あの夜会では、わたくしの相手はハズレだった。豚みたいに鼻息を荒くして、ドレスを破かれるかと思ったわ。ド下手だったし」

 また大きな笑い声が上がる。

「アレクサンドラ、あの紳士をまた誘ってみない?」
「そうよ。相性の良い殿方とは、縁を切らずにおくべきよ」
「あなたはじき結婚するけど、夫と閨の相性が悪ければ愛人が必要になるでしょうし。あら、そういえば肝心なことを訊いてなかったわ。
 アレクサンドラ。グレイグ様は、あちらのほうはどうなの?」

 好奇心に満ち満ちた、少しの沈黙のあと。
 苦笑を含んだ声が答えた。

「それがね……まだなの」
「ええっ! 婚約したのに、まだ!?」
「ええ。ドーシア家のしきたりなのかしら。結婚するまでしないと決めていらっしゃるようで、夜会に招いたり二人きりになる機会をつくっても、まったく手を出してこないのよ」

 口々に疑問の声が上がった。

「あなたほど魅力的な美女を前にして、よく我慢できるわね!」
「でもほら、ドーシア家の方はかなり人を選んでお付き合いされることで有名だし、グレイグ様にも浮いた噂はないし。アレクサンドラの言う通り、家訓や決まりごとがあるのよ、きっと」
「単に性欲があまり無いタイプということもあり得るわ」
「ねえ……まさか、未経験ということは、ないわよね?」
「まさかぁ」
「ああいう方は高級娼館で済ませてるのでしょうよ、きっと」
「でもアレクサンドラ。相手の閨の様子を知らないまま結婚というのは、不安じゃない?」

 グレイグはごくりと唾を飲み込み、早鐘を打つ胸を押さえた。

「正直、ちょっとはね」

 明るい声が耳を打つ。
 
「でもグレイグ様はわたくしを気遣ってくれるし、若くてお顔も端整で家柄も良い。結婚相手としては上出来でしょう? もし躰の相性が悪くても、お互い、愛人をつくればいいことだわ。とにかく子供を得られさえすれば、あとはどうにでもなるわよ。
 貴族の結婚はそういうものだって、彼もそういう割り切った考えだと思うの。きっと良い夫婦になれるわ」

 目の前が暗くなった。
 貧血で倒れて彼女に見つかる前に、よろめきながらその場をあとにした。
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