王子殿下が恋した人は誰ですか

月齢

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7・運命の人

傷と少年

「……さて」

 レダリオ・ミュゲ・ド・アレクシスは、重ねた書類をトントンときっちり揃えて、室内を見回した。
 別に潔癖でも神経質でもないつもりだが、城内の彼の仕事部屋は、いつもきちんと片付いている。仕事に関係ない物も持ち込まないから、まるっきり事務的で遊び心を感じない、面白味の無い部屋だ。

(あそこ以外は)

 机の横の、書架の最上段。
 そこにはリーリウスが置いて行った「綺麗な貝」やら「視察先で作った万華鏡」やら「お試し輸入のカラクリ時計」やらが飾られており、そこだけが唯一、やわらかな雰囲気を醸し出している。
 まるでリーリウス自身のように。

「……忘れ物は無い、はず」

 声に出して確かめたのは、胸に抱いた密かな覚悟を、己に突きつけるため。 
 レダリオは今日、見合い相手に婚約を申し込む。
 相手はユータス伯爵家の令嬢。
 決めたのは、自身ではなく父だけれど。

 昔は息子に無関心で不干渉な父だった。
 それが変わったのは、レダリオが王子の学友に選ばれたときから。
 昔も今も父との会話の大半は「家門の繁栄」に関わることで、結婚に関しても、

「どうせ特定の相手はいないのだろう」

 そう決めつけて――実際いないのだが――次々と見合い相手を押しつけてきた。 
 リーリウス王子のそば近く仕えるレダリオの将来性を見込んで、娘を持つ親たちが売り込みに来る。
 最初からひとりに絞らず競争させて、アレクシス伯爵家にとって最も大きな利益をもたらす家から、嫁を迎える。

(よくある話だ)

 あれほど自由に見えるリーリウスやシュナイゼとて、結婚となれば話は別なのだから。

(いや、殿下は自由を貫き通すのかもな)

 思わず笑い声が漏れた。
 今は「運命の人を捜す」などと騒いでいるが、それも長くは続くまい。
 わざわざ顔も名も明かさぬ怪しい者を選ばずとも、リーリウスにはもっと相応しい相手が大勢いる。本人もじきに気づくだろう。
 
 誰を選ぼうと、幸せになってほしい。
 堅苦しい自分の人生に、想像もつかない出来事や楽しさを教えてくれた人だから。
 彼には出会ったときからずっと、驚かされっぱなしだった。

 
☆ ★ ☆


 早くに母を亡くしたレダリオの面倒を見てくれたのは、年の離れた姉アンドレアだった。

 もちろん父の経済的な庇護下にあったし、乳母や家庭教師が雇われてもいたが。
 父は仕事で留守がち。乳母たちは高圧的で、おとなしく言われた通りにしないと手のひらに鞭を打たれた。
 レダリオが甘えられるのは姉だけで、彼女だけが頼りだった。

 けれど父が姉の結婚を決め、遠方に領地を持つ夫のもとへ姉は去ってしまった。
 レダリオは十歳で、完全にひとりぼっちになった。

 さらに悪いことに、その年、父が再婚。
 継母にはレダリオと同い年の、ザシャという連れ子がいた。

 レダリオは継母からもザシャからも虐げられた。
 衣食住すべてにおいて差をつけられ、教師がレダリオだけをひどく叱るよう仕向けられもした。
 父は家庭に無関心で、まったく頼りにならない。

 孤独とか、苦痛とか、悲哀とか。
 自分の心理状態を理解するには幼過ぎて。
 レダリオはただ膝を抱えて、狭い穴の中にいるみたいに、閉塞感に耐えていた。

 けれど、分水嶺はとつぜん訪れる。
 第二王子の学友選びというかたちで。

 常に王子と共に学び過ごす、家柄も資質も容姿もその立場に相応しい、同い年の少年。
 王子と同じ十歳の息子がいる貴族たちは皆、一度は城に招かれて、選抜担当の教師や武官たちの試験を受けた。
 父もこんなときばかりは熱心で、張り切って参加した継母子たちと共に、レダリオも嫌々連れられて行った。

(どうせ自分なんか選ばれない)

 そうとわかっていても、実際選ばれなければ傷つく。
 もう充分しんどい思いをしているのに、なぜわざわざ傷を増やしに行かねばならないのだろう。

 そうして、レダリオが筆記試験を受けて部屋から出ると、ひとり目の学友がすでに決まっていた。
 シュナイゼ・コラル・ド・ルーシウス。
 彼がそうだと知ったのは、体力試験の集合場所である庭に行くと、楽しそうに笑いながら駆け回る少年たちがいたからだ。

 蜂蜜みたいに輝く金髪の、お日さまみたいな少年と。
 底抜けに明るい笑顔の、見るからに逞しい少年。

「あっ、リーリウス殿下だ!」
「やっぱりシュナイゼ・コラル・ド・ルーシウスがひとり目なんだね」

 少年たちが羨まし気に話している。
 レダリオは知らなかったが、シュナイゼは確定だろうと噂されていたらしい。
 だとしても納得だ。二人はほかの子供たちより背が高く、すごくカッコイイ。きっと何をやっても優秀なのだろう。
 それに比べて、ブサイクで何の才能もなくて性格も暗い自分では、とても無理だ。
 とぼとぼ歩いていたら、いきなりザシャにどつかれた。

「邪魔だ、どけ!」

 小石だらけの道で転ばされ、膝も手のひらも血だらけになって。

 ――急に、猛烈に腹が立った。

 いつもは黙って我慢していたのに、そのときなぜかブチ切れた。
「どんくせえ奴」と鼻で嗤って背を向けたザシャに、レダリオは痛みも忘れて突進し――飛び蹴りをした。

「何すんだこのヤローッ!」

 水溜まりに転がされて涙目のザシャのもとへ、継母が激怒しながら駆け寄って来た。一部始終を見られていたのだ。

「何て野蛮な子なの! お前はこの場に相応しくない、今すぐ帰って反省なさい!」

 周囲の目があるので、その場で鞭は食らわず済んだが。
 父は無言でレダリオを見るばかりで、わずかな口添えもしてくれない。
 レダリオは流血した傷より心が痛んで、ため息をつき、人々の注視を受けながらその場を去ろうとした。

 そのとき。
 ざわめきの中でもよく通る、綺麗な声が上がった。

「待って!」

 振り向くと、晴れ渡った空と海みたいな瞳と、目が合った。
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