縁カウンセラー朝日奈恋九郎 〜愛と運命を導くタロット〜 ②焦げた青が星になる夜《星(The Star)/XVII》神崎 璃々花

慈孝

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光の在処(ありか)後編

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――星は、行きたい場所を自分で選ぶ。
 雨季の終わり、由比ヶ浜は透明だった。

 白い泡がほどけるたび、
 海底の砂紋が一瞬くっきり浮かぶ。
 神崎璃々花は、スケッチブックではなく封筒を抱えて歩いていた。
 Kokū Counseling のガラス戸を押すと、
 沈香がいつものように迎える。

「おかえりなさい」

 円城あかりの声が、潮のきわの光みたいにやわらかい。

「瓶の水、どうでした?」

「もう——濁らなくなりました」

 机へ置いた封筒には、小さく“受諾”の印。
 港のギャラリーの推薦で、共同制作プログラムから奨学レジデンスへ。
 滞在先は北の沿岸都市。空気の層がもっと冷たく、青が深くなる場所。
 朝比奈恋九郎は、窓を一センチだけ開けた。

「おめでとうございます」

「……怖いです。でも、行きます」

「怖さは、縁の入口です」

 彼は黒い箱から一枚だけカードを抜き、裏向きで置く。

「最後に、**“向き合わせ”**をしましょう。開くのは帰り際に」

 璃々花は頷いた。

 怖さが完全に消えるわけではない。
 ただ、歩幅が揃う。それで充分だった。

          *

 午後、三人で海沿いを歩いた。
 プログラムの発表からわずか数日、風向きはもう変わっている。
 学内サイトの見出し——

〈久我遼、受賞作取り消し 模写・改竄の認定〉

 事務局は共同制作のログと過去の構図を照合し、処分を公表した。
 “下塗り”と笑った言葉は、潮に引かれる泡みたいに消えていく。

「ざまあ、って言ってもいいところですけど」

 あかりが苦笑する。

「……言いません」

 璃々花は首を振った。

「“言葉にする時間”を、絵に使いたいから」

 恋九郎が、横顔だけで微笑む。

「行動が縁を変える。あなたは最後まで、そのやり方を守りました」

           *

 部屋へ戻ると、窓は半分だけ開いていた。
 潮と沈香が混ざり、風が紙の端をめくる。

「先生、これ……」

 璃々花は小さな木枠を差し出した。
 枠だけの、空のフレーム。

「“何も入れない額”です。風の通り道を持ち歩いてください。
 色で塞がない“余白”も、先生に似合うと思って」

 恋九郎は、少しだけ目を伏せた。

「受け取ります。——あなたからもらう“空白”は、きっと強い」

 あかりは湯呑を取り替えながら、いたずらっぽく目を細める。

「先生、その額のまま壁に掛けたら“窓の予備”ですね」

「いいですね。窓は多いほど、祈りやすい」

           *

 出発前夜。
 薄い雨が再び来て、音だけで街を洗っていた。
 璃々花は、扉に手をかけてから振り返る。

「先生。——私、恋をしました」

 沈香の火が、小さく揺れる。

「でも今は、“描く”を選びます。 
 選び直したら、またここに戻ってもいいですか」

 恋九郎は、いつもの穏やかさで一瞬だけ言葉を選んだ。

「**選ぶたびに、戻って来てください。**
  窓は、少しだけ開けておきます」

 あかりは視線を落として笑う。

「戻る場所に**風番(かぜばん)**がいたほうが、安心ですから」

 璃々花は深く息を吸い、頷いた。
 ——逃げるためではなく、向かうための呼吸。

「忘れ物をひとつ」

 恋九郎は午前から伏せていたカードを、静かに表へ返した。

 《星(The Star)》——正位置。

「向きは、そのまま。 
 夜の底で見つけた光を、今度は誰かの夜に置いてください」

 彼女は笑った。

「はい。置いてきます」

             *

 駅へ向かう途中、短い虹が出た。
 海霧にかかる、細い弧。
 璃々花はスマホを構えず、目でだけ飲み込む。
 ——描く前に、置く。色の前に、風。
 改札で、彼女は二人へ頭を下げた。

「ありがとうございました。丁寧に行ってきます」

「いってらっしゃい」

 あかりが手を振る。
 恋九郎も、窓を開ける仕草で答えた。

 人波に呑まれる直前、璃々花は振り返る。
 彼の指が額縁をつまむ真似をして、空を切り取る。
 そこに、風がひとつ収まった。

              *

 季節がひとつ巡る。
 北の沿岸都市から、厚手の封筒が届いた。

 ——ザラ紙のポストカード。
 タイトルは**『光の在処』**。
 海の藍は薄く、白の層が重く、中央には、掴めない後ろ姿。

 〈先生へ。星は、置く場所を自分で選べました。
  “額のない窓”は、こちらでもちゃんと開きました。
  風は、あの日のままです。——璃々花〉

 恋九郎は、窓を少しだけ開ける。
 沈香の香がゆるく外へ逃げ、潮の湿りと入れ替わる。
 額のない木枠を壁に掛けると、
 向こう側の空気がこちらの部屋を明るくした。

「先生」

 あかりが湯呑を置く。

「今日の先生、見送る顔じゃないですね」

「ええ。——見届ける顔です」

 恋九郎は微笑んだ。

「星は、行きたい場所を選びました。私たちは、窓を残すだけです」
 (風は、いつも誰かを運ぶ。惚れっぽい私の性分だ)

 風が、枠の中を通り抜ける。
 部屋のどこにも絵はないのに、青が増えた気がした。
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