縁カウンセラー朝日奈恋九郎 〜愛と運命を導くタロット〜 ②焦げた青が星になる夜《星(The Star)/XVII》神崎 璃々花

慈孝

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光の在処(ありか)前編

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――希望は、届く先を選べる。

 雨上がりの朝、神崎璃々花はスケッチブックを抱えて歩いた。
 今日、彼女の絵は小さな公募展にかかる。

 会場は港沿いのギャラリー。
 波の光が壁に反射する、白い箱だ。
 受付で名前を書く手が、少し震える。
 それでも、奥歯をやさしく噛み、深呼吸。

(“青で渡りきる”。今日も)

 壁に並ぶ作品は、若い作家の光の粒。
 璃々花の『風を描く人』は、窓の近くに置かれた。

 画面の真ん中を外して立つ、
 窓辺の後ろ姿――風そのものの輪郭。
 青が重なり、白が呼吸している。

「すてきね」

 隣で誰かが言って、立ち止まる。
 聞き慣れない声。

「線の迷いが消えてる。痛みの青じゃなくて、光の青」

 振り向くと、年長の女性キュレーターがいた。
 名札には“外部審査協力”。

「あなたの“間(ま)”はいい。
 海を描く人は多いけど、空気を描ける人は少ない」

 璃々花の胸に、小さな火が灯る。

「ありがとうございます……」

 離れたところで、小さく手を振る影があった。
 円城あかりだ。
 淡い色のワンピースに薄手のコート。
 会場の光をほどいて歩く。

「来ちゃいました」

「うれしい」

「先生は、来てますよ。ほら」

 視線の先、窓際に朝比奈恋九郎がいた。
 彼は人混みの輪郭を崩さず、静かに絵を見上げている。
 目が合う。彼はただ、頷いた。
 その頷きだけで、心の中心が落ち着いた。

 来場者の波が少し落ち着くと、ギャラリートークが始まった。
 簡易ステージで審査コメントを聞き、作者が一言ずつ応える。
 順番が近づく。
 胸の鼓動が、星を探すみたいに速くなる。

「次は――神崎璃々花さん、『風を描く人』」

 マイクを受け取る手に冷たい汗。
 でも、言葉は思ったよりすぐに見つかった。

「……絵の中の“風”は、私が出会った人の背中です。
 その人は、風の通し方を知っていて、
 窓を少しだけ開けるみたいに、私の心を撫でました。
 “星は、描こうとしなくても、もうそこにある”と教えてくれた人です」

 ほんの一拍、会場が静かになり、拍手が起きる。
 恋九郎は微笑まず、ただ目を細めていた。
 彼の抑えた呼吸が、ここまで届いた気がした。

 トークのあと、予想外の声がかかった。
 先ほどのキュレーターが名刺を差し出す。

「学生選抜枠、空きが出たの。短期の共同制作プログラム。
 “空気の層”をテーマにする企画でね、あなたの青に来てほしい」

「……私で、いいんでしょうか」

「いい。むしろ、あなたじゃないと」

 迷いは怖い。でも、未知は私を広げる――
 恋九郎の声が、胸で反響した。

「参加したいです」

 名刺を握る手に、血が戻ってくる。

 夕方、会場を出ると海風が冷たい。
 あかりが肩にストールをふわりとかけた。

「おめでとうございます。星、動きましたね」

「うん」

 恋九郎が、少し離れた手すりに寄りかかっていた。
 呼ぶ前に、言葉が降りてくる。

「先生。私、行きます」

「ええ」

「怖いけど、行く」

「怖さは、縁の入口です」

 彼はそれだけ言って、手すりから離れた。
 横顔に差す光は、午前中より少し柔らかい。

「一枚だけ、見てもらえますか」

 璃々花はスケッチブックを開いた。
 午後の会場の隅で描いた、もうひとつの青。
 さっきより、光の量が多い。
 白が、笑っていた。
 恋九郎は、ほんの少しだけ目を見開いた。

「……よく、風が通っている」

「先生に、ありがとうございますって伝えたくて」

「伝わりました」

 彼の声が少し掠れる。
 何かを抑えた声は、なぜだか、いちばん遠くまで届く。
 あかりが、横で小さく笑う。

「先生、今日ずっと“窓開けっぱなしの顔”ですよ」

「風が良すぎて」

「惚れっぽいの、控えめに」

「努力します」

 三人の笑いが、海の音に混ざった。

 別れ際。
 璃々花は深く頭を下げた。

「私、ちゃんと生きます。丁寧に」

「ええ。星は、生活の中で光ります」

「先生と、あかりさんの風も、ずっと感じてる」

 言ってから頬が熱くなった。
 恋九郎は返事をせず、窓を少しだけ開ける仕草をした。
 それが、彼の“頑張れ”だと、もうわかる。

「またね」

 あかりが手を振る。
 璃々花は歩き出す。
 足取りは、朝より半歩広い。

 数日後。
 共同制作プログラムの初日。
 薄いグレーの大部屋で、十名ほどが円になった。

 テーマは“空気の層”。
 講師は最初に、白い紙を一枚だけ渡した。

「今日は色を塗らない。空気の“置き方”だけを学ぼう」

 何も描かない課題は、最初こそ焦りを生む。
 でも、呼吸が整うほど、紙の白が深くなる。
 耳の中で海が鳴り、窓のない部屋に風が入る錯覚。

(窓は、どこにでも開けられる)

 その夜、寮の机で璃々花は日誌を書いた。
 ――“色を置く前に、風の通り道を置くこと”。
 ページの端に、小さく星を描く。
 銀色の点は、光ではなく、穴みたいに見えた。

(きっと、穴でいい。光はそこから入る)

 スマホにメッセージ。Kokū Counseling
〈初日、お疲れさまでした。今日は“色のない星”が、正解の日〉

 短い文章なのに、謝辞と祝福と祈りが全部入っていた。
 指が勝手に動く。

〈ありがとうございます。風、届いています〉

 週末。
 プログラムの課題提出日。
 璃々花は、迷わず最初の線を置いた。
 青は昨日より薄く、白は昨日より厚い。
 “置く”のと“塗る”の違いを、手が覚えている。
 講師が肩越しに言った。

「君の白は、うるさくない」

 それは最上級の賛辞だった。
 会場の片隅で、ふいに視線を感じる。
 振り向くと、恋九郎がいた。
 あかりは仕事で来られなかったのだろう。今日は一人だ。

「窓、閉め忘れました?」

 冗談めかして言うと、彼は珍しく少し笑った。

「“星の所在確認”に来ただけです」

「そんなこと、先生がするんだ」

「します。自分が吹かせた風の行方は、見届けたい」

 その言い方が、どこかで胸を刺した。
 彼の“見守る”は、美しいけれど、少しだけ寂しい。

「先生は、いつも見送る側ですか」

 自分でも驚くほど、直接の問い。
 恋九郎は、少しだけ目を伏せた。

「ええ。見送るのは、祈りやすい」

「祈るだけじゃ、だめ?」

「だめな時は、風を押します」

「今日の私は?」

「よく、吹いている」

 返事の代わりに、
 璃々花はスケッチブックの最後のページを開いた。

 『風を描く人』の反転――こちらを振り向いた後ろ姿。
 輪郭はやはり滲んで、でも目だけがはっきりしている。
 そこに、灰色の静かな光。

「これ、先生に似た目」

「……そうですか」

 恋九郎は少しだけ喉を鳴らした。

「ありがとうございます。大事にします」

 “もらう”とは言わない。
 彼はいつも、境界を守る。

 最終日。
 修了展示の壁に、参加者の作品が並ぶ。
 璃々花の青は、最初に比べて柔らかい。
 白は厚みを持ち、絵の中で呼吸している。
 “光の在処”が、はっきりした。

 来場者名簿に、見慣れたサイン。
 ――円城あかり。
 そして、その下に、小さな星印だけのサイン。
 先生はたぶん、星でサインする。

 帰り道、海沿いの歩道。
 風の層が、前よりはっきり見える気がした。
 ひとつは潮の匂い、ひとつは街の熱、ひとつは遠くの音。
 それらが重なって、私の髪を撫でていく。

 胸の中のカードを一枚、そっとめくる。
 《星 The Star》――正位置。
(もう、向きは揃った)
 ポケットのスマホが震える。

 Kokū Counseling
〈修了、おめでとう。“見送る側”から、ひとことだけ押します〉
〈行きたい所へ、行きなさい〉

 画面の光が、海の反射と重なった。
 璃々花は、空に小さく手を上げる。
 ――星は、届く先を選べる。
 今なら、そう言える。

 その頃、Kokū Counseling。
 静かな夜の部屋で、恋九郎は窓を少しだけ開けた。
 沈香が、風の層に混じって薄くなる。

 机の端には、スケッチブックのコピー。
 “こちらを振り向いた後ろ姿”――灰色の目が、
 星明かりを受けている。
 背後から、あかりの声。

「先生」

「おかえり」

「璃々花さん、すごく良かった。……それと」

 あかりは湯呑を置き、いたずらっぽく笑った。

「先生の目、ちゃんと描けてました」

「そうですか」

「私のも、いつか描かせます」

「描けますか」

「描かせます」

 二人の間の空気が、いつもより半歩だけ近い。
 星が、窓の外でまたたく。
 恋九郎は、閉めかけた窓から手を離した。

「……もう少し、開けておきましょう」

「はい」

 風が、部屋をやわらかく満たした。
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