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ー影の筆跡ー
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――光が生まれる時、必ず影も動き出す。
春の雨が、鎌倉の路地を濡らしていた。
Kokū Counselingの窓に、ぼんやりと海が映る。
神崎璃々花は、紙袋を抱えて入ってきた。
中には、新しい筆と絵具。
「今日は、絵の具を買いました」
「いい風ですね」
恋九郎が頷く。
「“新しい道具を買う”は、再生の第一歩です。
使う前に、手の温度を戻しましょう」
あかりが湯呑を差し出した。
「この雨、もうすぐ上がります。風が変わる合図ですよ」
璃々花は微笑んだ。
「先生……あの」
「はい」
「この前の絵、SNSに上げてもいいですか?
展示前に、感想が聞きたくて」
「もちろん。光は隠さずに置くものです」
彼の声は穏やかで、いつもより少しだけ優しかった。
投稿した翌日。
璃々花のスマホが震えた。
通知の中に、見覚えのある名前。
久我 遼――かつての恋人。
コメントには、冷たい言葉が並んでいた。
> “構図、どこかで見たと思ったら。
俺の受賞作とそっくりだね。”
> “また“下塗り”頑張ったのか。”
瞬間、手が止まる。
呼吸が乱れ、胸が縮む。
あの夜の声が甦る――
『君は才能じゃなくて、俺の影。』
視界が滲んだ。
指先が冷える。
そのとき、メッセージが届いた。
Kokū Counseling
〈風を止めないで。影は光を恐れるだけ〉
璃々花は、泣き笑いのような顔でスマホを握った。
夕方、彼女は再びカウンセリングルームに現れた。
傘を畳む手が震えていた。
「……ごめんなさい。先生の教えを守れませんでした」
恋九郎は、首を振った。
「謝らないでください。風は、一度止まってもまた吹きます」
「でも、怖くて……」
「怖さは、縁の軸です」
彼は机の引き出しから、一枚の紙を出した。
《行動で縁を整えるリスト》
① 深呼吸三回。
② 絵筆を持つ前に、手を温める。
③ “誰かの影”を描いてみる。
「“影”を描く?」
「そう。あなたを傷つけた人も、光がなければ影を作れません。
描くことで、影は輪郭を失います」
璃々花は小さく頷いた。
夜、アトリエ。
雨はやみ、街灯の下に青が落ちていた。
スケッチブックの上、筆先が震える。
一筆。
黒を混ぜた青。
二筆。
濃紺が流れる。
三筆目で、影が形になる。
それは、背を向けた人影だった。
だが、その影は波に溶けるように淡く、
中心には光の線が一本、走っていた。
「……これでいい」
息を吐いた瞬間、スマホが震える。
通知――《盗作疑惑拡散》
SNSでは、久我のファンが騒ぎ始めていた。
> “構図同じ!”
> “元カノらしいよ”
画面の中の文字が、心を刺す。
涙が零れそうになるその時。
部屋のチャイムが鳴った。
「こんばんは」
恋九郎だった。
白い傘をたたみ、沈香の香がふわりと漂う。
「風を確認に来ました」
「……私、また止まっちゃいました」
「いいえ。今度は、押し返す番です」
彼はスマホの画面を見た。
数秒だけ沈黙。
その目は、僧侶のように静かで、
医者のように鋭かった。
「――彼は、あなたの“下塗り”で生きてきた」
低く、確信のある声。
「影があなたの光を奪おうとしても、もう無理です。
あなたの色は、風に晒された。乾いた青は、もう剥がれない」
璃々花の瞳が潤んだ。
「……先生、私、描いていいですか?」
「ええ。描きましょう。今度は“勝ち残る青”を」
その夜遅く、璃々花は絵を描き続けた。
影の男の背中。
その向こうで、風が青を運ぶ。
筆が止まらない。
感情が、線の流れに変わる。
“もう逃げない”――心がそう呟いた。
そして翌朝。
彼女のSNSには、
あかりが匿名で送った一枚のリンクが届いた。
《久我遼、過去作品の模写疑惑浮上》
学内資料と一致する画像。
同級生たちの証言。
コメント欄は、風向きを変えていた。
> “逆に彼女が本物じゃないか?”
> “あの“風を描く人”、見た。すごかった。”
璃々花は息を呑んだ。
涙が、笑いに変わる。
数日後。
Kokū Counselingの白い部屋。
恋九郎が窓を少し開け、海風を通した。
「どうやら、風が吹き返しましたね」
「先生……ありがとう」
「風が通るように、窓を開けただけです」
彼の声が静かに微笑む。
「彼は、どうなったんでしょう」
「影は、風に耐えられません。
今頃、自分の闇と向き合っているでしょう」
璃々花は頷いた。
「私も、描き続けます」
「ええ。描くことは、祈ることです」
しばらく沈黙があった。
窓の外で、カモメが鳴く。
その声が、まるで祝福のようだった。
あかりが入ってきて、紅茶を三つ置いた。
「先生、璃々花さん。お疲れ様でした」
「ありがとう、あかりさん」
「ねぇ先生、少し顔が赤いですよ」
「風のせいです」
「嘘ですね」
あかりが笑う。璃々花もつられて笑った。
「先生。……次に描く絵のタイトル、決めました」
「聞かせてください」
「『影の筆跡』です。
影も、私の一部だから」
「いい名前です」
恋九郎は、まぶしそうに目を細めた。
風が、また窓をくぐった。
沈香の香が淡く揺れる。
その香りの中で、彼女は静かに言った。
「先生。風が、恋の匂いになりそうです」
恋九郎は微笑んだ。
「なら、窓は開けておきましょう。
風は自由に、恋は静かに。」
あかりが頬杖をつき、呆れたように言った。
「もう……先生、ほんとに惚れっぽい」
「努力中です」
三人の笑いが、春の風に混ざって消えた。
春の雨が、鎌倉の路地を濡らしていた。
Kokū Counselingの窓に、ぼんやりと海が映る。
神崎璃々花は、紙袋を抱えて入ってきた。
中には、新しい筆と絵具。
「今日は、絵の具を買いました」
「いい風ですね」
恋九郎が頷く。
「“新しい道具を買う”は、再生の第一歩です。
使う前に、手の温度を戻しましょう」
あかりが湯呑を差し出した。
「この雨、もうすぐ上がります。風が変わる合図ですよ」
璃々花は微笑んだ。
「先生……あの」
「はい」
「この前の絵、SNSに上げてもいいですか?
展示前に、感想が聞きたくて」
「もちろん。光は隠さずに置くものです」
彼の声は穏やかで、いつもより少しだけ優しかった。
投稿した翌日。
璃々花のスマホが震えた。
通知の中に、見覚えのある名前。
久我 遼――かつての恋人。
コメントには、冷たい言葉が並んでいた。
> “構図、どこかで見たと思ったら。
俺の受賞作とそっくりだね。”
> “また“下塗り”頑張ったのか。”
瞬間、手が止まる。
呼吸が乱れ、胸が縮む。
あの夜の声が甦る――
『君は才能じゃなくて、俺の影。』
視界が滲んだ。
指先が冷える。
そのとき、メッセージが届いた。
Kokū Counseling
〈風を止めないで。影は光を恐れるだけ〉
璃々花は、泣き笑いのような顔でスマホを握った。
夕方、彼女は再びカウンセリングルームに現れた。
傘を畳む手が震えていた。
「……ごめんなさい。先生の教えを守れませんでした」
恋九郎は、首を振った。
「謝らないでください。風は、一度止まってもまた吹きます」
「でも、怖くて……」
「怖さは、縁の軸です」
彼は机の引き出しから、一枚の紙を出した。
《行動で縁を整えるリスト》
① 深呼吸三回。
② 絵筆を持つ前に、手を温める。
③ “誰かの影”を描いてみる。
「“影”を描く?」
「そう。あなたを傷つけた人も、光がなければ影を作れません。
描くことで、影は輪郭を失います」
璃々花は小さく頷いた。
夜、アトリエ。
雨はやみ、街灯の下に青が落ちていた。
スケッチブックの上、筆先が震える。
一筆。
黒を混ぜた青。
二筆。
濃紺が流れる。
三筆目で、影が形になる。
それは、背を向けた人影だった。
だが、その影は波に溶けるように淡く、
中心には光の線が一本、走っていた。
「……これでいい」
息を吐いた瞬間、スマホが震える。
通知――《盗作疑惑拡散》
SNSでは、久我のファンが騒ぎ始めていた。
> “構図同じ!”
> “元カノらしいよ”
画面の中の文字が、心を刺す。
涙が零れそうになるその時。
部屋のチャイムが鳴った。
「こんばんは」
恋九郎だった。
白い傘をたたみ、沈香の香がふわりと漂う。
「風を確認に来ました」
「……私、また止まっちゃいました」
「いいえ。今度は、押し返す番です」
彼はスマホの画面を見た。
数秒だけ沈黙。
その目は、僧侶のように静かで、
医者のように鋭かった。
「――彼は、あなたの“下塗り”で生きてきた」
低く、確信のある声。
「影があなたの光を奪おうとしても、もう無理です。
あなたの色は、風に晒された。乾いた青は、もう剥がれない」
璃々花の瞳が潤んだ。
「……先生、私、描いていいですか?」
「ええ。描きましょう。今度は“勝ち残る青”を」
その夜遅く、璃々花は絵を描き続けた。
影の男の背中。
その向こうで、風が青を運ぶ。
筆が止まらない。
感情が、線の流れに変わる。
“もう逃げない”――心がそう呟いた。
そして翌朝。
彼女のSNSには、
あかりが匿名で送った一枚のリンクが届いた。
《久我遼、過去作品の模写疑惑浮上》
学内資料と一致する画像。
同級生たちの証言。
コメント欄は、風向きを変えていた。
> “逆に彼女が本物じゃないか?”
> “あの“風を描く人”、見た。すごかった。”
璃々花は息を呑んだ。
涙が、笑いに変わる。
数日後。
Kokū Counselingの白い部屋。
恋九郎が窓を少し開け、海風を通した。
「どうやら、風が吹き返しましたね」
「先生……ありがとう」
「風が通るように、窓を開けただけです」
彼の声が静かに微笑む。
「彼は、どうなったんでしょう」
「影は、風に耐えられません。
今頃、自分の闇と向き合っているでしょう」
璃々花は頷いた。
「私も、描き続けます」
「ええ。描くことは、祈ることです」
しばらく沈黙があった。
窓の外で、カモメが鳴く。
その声が、まるで祝福のようだった。
あかりが入ってきて、紅茶を三つ置いた。
「先生、璃々花さん。お疲れ様でした」
「ありがとう、あかりさん」
「ねぇ先生、少し顔が赤いですよ」
「風のせいです」
「嘘ですね」
あかりが笑う。璃々花もつられて笑った。
「先生。……次に描く絵のタイトル、決めました」
「聞かせてください」
「『影の筆跡』です。
影も、私の一部だから」
「いい名前です」
恋九郎は、まぶしそうに目を細めた。
風が、また窓をくぐった。
沈香の香が淡く揺れる。
その香りの中で、彼女は静かに言った。
「先生。風が、恋の匂いになりそうです」
恋九郎は微笑んだ。
「なら、窓は開けておきましょう。
風は自由に、恋は静かに。」
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