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「星の描き方」― 風を描く人 ―
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――希望は、誰かの手の中で形になる。
翌朝。
神崎璃々花は、いつもより早く目を覚ました。
机の上の小瓶には、まだ澄んだ水。
昨夜描いた青い線は、乾いてもなお濃く光を留めている。
窓の外では、春の風。
空気が少しだけ、昨日より軽い。
筆を洗いながら、彼女は呟いた。
「今日は……行けそう」
*
Kokū Counseling。
朝の光が白壁に反射し、部屋は静かな明るさで満たされていた。
扉を開けると、円城あかりが笑顔で迎えた。
「おはようございます、璃々花さん」
「おはようございます」
「瓶、濁りませんでしたか?」
「少しだけ。でも、昨日より透明です」
あかりが嬉しそうに頷く。
「じゃあ、心も透けてきた証拠ですね」
窓際では、朝比奈恋九郎が書類を片づけていた。
「おはようございます」
彼は振り返り、穏やかに微笑んだ。
「昨日の風は、届きましたか?」
「はい。……5つの光、全部撮れました」
「見せていただけますか?」
スマートフォンを受け取る。
1枚目、街灯。
2枚目、ショーウィンドウ。
3枚目、ヘッドライト。
4枚目、カフェの灯。
そして最後の1枚――波間の反射。
「これです」
璃々花の声が少し震えた。
「星みたいに見えたんです。海の中に、ひとつだけ」
恋九郎は、静かに息をついた。
「ええ。星は、見つけた瞬間に“あなたのもの”になります」
「……描いても、いいですか?」
「もちろん」
*
その日、璃々花はKokū Counselingのアトリエスペースに移された。
白布を敷いた机の上に、スケッチブックと水彩。
香が焚かれ、窓は半分ほど開けられている。
「風の音が気になるようなら、少し閉めますか?」
「あ、いえ。……心地いいです」
最初の線は、まだ震えていた。
けれど二筆、三筆と重ねるうちに、手が自然に動く。
青。群青。藍。
水の中に光が流れ、白が溶ける。
筆先から色が生まれるたびに、胸の奥の何かがほどけていった。
“あの人”の声が遠ざかる。
“下塗りが上手い”――もう、痛くなかった。
恋九郎は黙って見守っていた。
彼の視線は、監視ではなく祈りのように穏やか。
あかりが湯呑を差し出すと、璃々花は微笑んで受け取った。
「昨日より、表情が柔らかいです」
「そうですか?」
「はい。色って、心の鏡なんですよ」
あかりの言葉に、恋九郎が頷いた。
「彼女の“青”は、もう痛みではなく、風になっている」
*
昼休み。
あかりが買ってきたサンドイッチを並べ、三人で簡単な昼食をとった。
「先生」
璃々花が、少し躊躇いながら口を開いた。
「先生は、人の“痛み”ばかり聞いて……疲れませんか?」
恋九郎は、しばらく黙ってから答えた。
「痛みは、風と同じです。止めると腐ります。流せば、香りになる」
「香り……」
「そう。あなたが昨日焚いた沈香も、もとは焦げた木です。
焦げを受け入れた木が、香りに変わる。
人も同じなんです」
璃々花は静かに頷いた。
「……先生、絵のモデルになってくれませんか?」
「私が?」
「風を描きたいんです。
でも、どんな形か思い出せなくて」
あかりが、少しだけ驚いた顔をした。
けれど恋九郎は穏やかに笑った。
「いいですよ。風は掴まれたことがありませんから、描く価値があります」
*
午後。
璃々花はスケッチブックを開き、恋九郎を見つめた。
彼は窓際に立ち、外を見ている。
風が髪を揺らす。
その姿は、まるで風そのもののようだった。
筆が、自然に動いた。
線が生まれ、青が重なる。
光が白く跳ねる。
時間の感覚が消えた。
気づけば、ページの上に風が吹いていた。
「……できた」
あかりが覗き込み、目を見開いた。
「先生の後ろ姿……でも、輪郭が滲んでますね」
「はい。風だから」
璃々花は微笑んだ。
恋九郎は、ゆっくりと頷いた。
「この絵のタイトル、決まりましたね」
「はい。『風を描く人』」
*
その夜。
璃々花は帰宅して、絵を壁に立てかけた。
小瓶の水は、昨日よりも澄んでいる。
窓を開けると、潮風が入ってきた。
風が、部屋を撫でた。
絵の中の青が、ほんの少しだけ光った気がした。
スマホの通知音。
メッセージ。
Kokū Counseling
〈今日は“風”がよく描けていました。
星は、描こうとしなくても、もうそこにあります〉
彼女は笑った。
机の上に、昨日のタロットを広げる。
《星 The Star》――正位置。
灯りを落とすと、カードの銀がわずかに反射した。
まるで、本物の星のように。
*
その頃、Kokū Counseling。
あかりは湯呑を片づけながら、恋九郎に話しかけた。
「今日の璃々花さん、すごく綺麗でしたね」
「ええ。風が通っていました」
「……先生のほうが、少し寂しそうに見えましたけど」
「寂しい?」
「うん。塔のあとみたいな顔してました」
恋九郎は苦笑した。
「寂しさは、まだ“人を信じている”証拠ですよ」
「じゃあ、寂しくていいですね」
「ええ。風が吹くうちは、ね」
沈香の香が部屋に満ちる。
窓の外では、夜の海に光がひとつ。
彼はカードを手に取り、指先でなぞった。
《星(The Star)》
「――星は、誰かの心で形になる」
呟いたその声に、あかりが微笑んだ。
窓を少しだけ開ける。
春の風が入り、香が柔らかく揺れた。
翌朝。
神崎璃々花は、いつもより早く目を覚ました。
机の上の小瓶には、まだ澄んだ水。
昨夜描いた青い線は、乾いてもなお濃く光を留めている。
窓の外では、春の風。
空気が少しだけ、昨日より軽い。
筆を洗いながら、彼女は呟いた。
「今日は……行けそう」
*
Kokū Counseling。
朝の光が白壁に反射し、部屋は静かな明るさで満たされていた。
扉を開けると、円城あかりが笑顔で迎えた。
「おはようございます、璃々花さん」
「おはようございます」
「瓶、濁りませんでしたか?」
「少しだけ。でも、昨日より透明です」
あかりが嬉しそうに頷く。
「じゃあ、心も透けてきた証拠ですね」
窓際では、朝比奈恋九郎が書類を片づけていた。
「おはようございます」
彼は振り返り、穏やかに微笑んだ。
「昨日の風は、届きましたか?」
「はい。……5つの光、全部撮れました」
「見せていただけますか?」
スマートフォンを受け取る。
1枚目、街灯。
2枚目、ショーウィンドウ。
3枚目、ヘッドライト。
4枚目、カフェの灯。
そして最後の1枚――波間の反射。
「これです」
璃々花の声が少し震えた。
「星みたいに見えたんです。海の中に、ひとつだけ」
恋九郎は、静かに息をついた。
「ええ。星は、見つけた瞬間に“あなたのもの”になります」
「……描いても、いいですか?」
「もちろん」
*
その日、璃々花はKokū Counselingのアトリエスペースに移された。
白布を敷いた机の上に、スケッチブックと水彩。
香が焚かれ、窓は半分ほど開けられている。
「風の音が気になるようなら、少し閉めますか?」
「あ、いえ。……心地いいです」
最初の線は、まだ震えていた。
けれど二筆、三筆と重ねるうちに、手が自然に動く。
青。群青。藍。
水の中に光が流れ、白が溶ける。
筆先から色が生まれるたびに、胸の奥の何かがほどけていった。
“あの人”の声が遠ざかる。
“下塗りが上手い”――もう、痛くなかった。
恋九郎は黙って見守っていた。
彼の視線は、監視ではなく祈りのように穏やか。
あかりが湯呑を差し出すと、璃々花は微笑んで受け取った。
「昨日より、表情が柔らかいです」
「そうですか?」
「はい。色って、心の鏡なんですよ」
あかりの言葉に、恋九郎が頷いた。
「彼女の“青”は、もう痛みではなく、風になっている」
*
昼休み。
あかりが買ってきたサンドイッチを並べ、三人で簡単な昼食をとった。
「先生」
璃々花が、少し躊躇いながら口を開いた。
「先生は、人の“痛み”ばかり聞いて……疲れませんか?」
恋九郎は、しばらく黙ってから答えた。
「痛みは、風と同じです。止めると腐ります。流せば、香りになる」
「香り……」
「そう。あなたが昨日焚いた沈香も、もとは焦げた木です。
焦げを受け入れた木が、香りに変わる。
人も同じなんです」
璃々花は静かに頷いた。
「……先生、絵のモデルになってくれませんか?」
「私が?」
「風を描きたいんです。
でも、どんな形か思い出せなくて」
あかりが、少しだけ驚いた顔をした。
けれど恋九郎は穏やかに笑った。
「いいですよ。風は掴まれたことがありませんから、描く価値があります」
*
午後。
璃々花はスケッチブックを開き、恋九郎を見つめた。
彼は窓際に立ち、外を見ている。
風が髪を揺らす。
その姿は、まるで風そのもののようだった。
筆が、自然に動いた。
線が生まれ、青が重なる。
光が白く跳ねる。
時間の感覚が消えた。
気づけば、ページの上に風が吹いていた。
「……できた」
あかりが覗き込み、目を見開いた。
「先生の後ろ姿……でも、輪郭が滲んでますね」
「はい。風だから」
璃々花は微笑んだ。
恋九郎は、ゆっくりと頷いた。
「この絵のタイトル、決まりましたね」
「はい。『風を描く人』」
*
その夜。
璃々花は帰宅して、絵を壁に立てかけた。
小瓶の水は、昨日よりも澄んでいる。
窓を開けると、潮風が入ってきた。
風が、部屋を撫でた。
絵の中の青が、ほんの少しだけ光った気がした。
スマホの通知音。
メッセージ。
Kokū Counseling
〈今日は“風”がよく描けていました。
星は、描こうとしなくても、もうそこにあります〉
彼女は笑った。
机の上に、昨日のタロットを広げる。
《星 The Star》――正位置。
灯りを落とすと、カードの銀がわずかに反射した。
まるで、本物の星のように。
*
その頃、Kokū Counseling。
あかりは湯呑を片づけながら、恋九郎に話しかけた。
「今日の璃々花さん、すごく綺麗でしたね」
「ええ。風が通っていました」
「……先生のほうが、少し寂しそうに見えましたけど」
「寂しい?」
「うん。塔のあとみたいな顔してました」
恋九郎は苦笑した。
「寂しさは、まだ“人を信じている”証拠ですよ」
「じゃあ、寂しくていいですね」
「ええ。風が吹くうちは、ね」
沈香の香が部屋に満ちる。
窓の外では、夜の海に光がひとつ。
彼はカードを手に取り、指先でなぞった。
《星(The Star)》
「――星は、誰かの心で形になる」
呟いたその声に、あかりが微笑んだ。
窓を少しだけ開ける。
春の風が入り、香が柔らかく揺れた。
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読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
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