縁カウンセラー朝日奈恋九郎 〜愛と運命を導くタロット〜 ②焦げた青が星になる夜《星(The Star)/XVII》神崎 璃々花

慈孝

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「星の描き方」― 風を描く人 ―

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――希望は、誰かの手の中で形になる。

 翌朝。
 神崎璃々花は、いつもより早く目を覚ました。

 机の上の小瓶には、まだ澄んだ水。
 昨夜描いた青い線は、乾いてもなお濃く光を留めている。
 窓の外では、春の風。

 空気が少しだけ、昨日より軽い。
 筆を洗いながら、彼女は呟いた。

「今日は……行けそう」

          *
 Kokū Counseling。
 朝の光が白壁に反射し、部屋は静かな明るさで満たされていた。
 扉を開けると、円城あかりが笑顔で迎えた。

「おはようございます、璃々花さん」

「おはようございます」

「瓶、濁りませんでしたか?」

「少しだけ。でも、昨日より透明です」

 あかりが嬉しそうに頷く。

「じゃあ、心も透けてきた証拠ですね」

 窓際では、朝比奈恋九郎が書類を片づけていた。

「おはようございます」

 彼は振り返り、穏やかに微笑んだ。

「昨日の風は、届きましたか?」

「はい。……5つの光、全部撮れました」

「見せていただけますか?」

 スマートフォンを受け取る。

 1枚目、街灯。
 2枚目、ショーウィンドウ。
 3枚目、ヘッドライト。
 4枚目、カフェの灯。

 そして最後の1枚――波間の反射。

「これです」

 璃々花の声が少し震えた。

「星みたいに見えたんです。海の中に、ひとつだけ」

 恋九郎は、静かに息をついた。

「ええ。星は、見つけた瞬間に“あなたのもの”になります」

「……描いても、いいですか?」

「もちろん」

            *
 その日、璃々花はKokū Counselingのアトリエスペースに移された。
 白布を敷いた机の上に、スケッチブックと水彩。
 香が焚かれ、窓は半分ほど開けられている。

「風の音が気になるようなら、少し閉めますか?」

「あ、いえ。……心地いいです」

 最初の線は、まだ震えていた。
 けれど二筆、三筆と重ねるうちに、手が自然に動く。

 青。群青。藍。
 水の中に光が流れ、白が溶ける。

 筆先から色が生まれるたびに、胸の奥の何かがほどけていった。
 “あの人”の声が遠ざかる。
 “下塗りが上手い”――もう、痛くなかった。

 恋九郎は黙って見守っていた。
 彼の視線は、監視ではなく祈りのように穏やか。
 あかりが湯呑を差し出すと、璃々花は微笑んで受け取った。

「昨日より、表情が柔らかいです」

「そうですか?」

「はい。色って、心の鏡なんですよ」

 あかりの言葉に、恋九郎が頷いた。

「彼女の“青”は、もう痛みではなく、風になっている」

            *

 昼休み。
 あかりが買ってきたサンドイッチを並べ、三人で簡単な昼食をとった。

「先生」

 璃々花が、少し躊躇いながら口を開いた。

「先生は、人の“痛み”ばかり聞いて……疲れませんか?」

 恋九郎は、しばらく黙ってから答えた。

「痛みは、風と同じです。止めると腐ります。流せば、香りになる」

「香り……」

「そう。あなたが昨日焚いた沈香も、もとは焦げた木です。
 焦げを受け入れた木が、香りに変わる。
 人も同じなんです」 

 璃々花は静かに頷いた。

「……先生、絵のモデルになってくれませんか?」

「私が?」

「風を描きたいんです。
 でも、どんな形か思い出せなくて」

 あかりが、少しだけ驚いた顔をした。
 けれど恋九郎は穏やかに笑った。

「いいですよ。風は掴まれたことがありませんから、描く価値があります」

            *

 午後。
 璃々花はスケッチブックを開き、恋九郎を見つめた。
 彼は窓際に立ち、外を見ている。
 風が髪を揺らす。 

 その姿は、まるで風そのもののようだった。
 筆が、自然に動いた。

 線が生まれ、青が重なる。
 光が白く跳ねる。
 時間の感覚が消えた。
 気づけば、ページの上に風が吹いていた。

「……できた」

 あかりが覗き込み、目を見開いた。

「先生の後ろ姿……でも、輪郭が滲んでますね」

「はい。風だから」

 璃々花は微笑んだ。
 恋九郎は、ゆっくりと頷いた。

「この絵のタイトル、決まりましたね」

「はい。『風を描く人』」

             *
 その夜。
 璃々花は帰宅して、絵を壁に立てかけた。
 小瓶の水は、昨日よりも澄んでいる。

 窓を開けると、潮風が入ってきた。
 風が、部屋を撫でた。
 絵の中の青が、ほんの少しだけ光った気がした。

 スマホの通知音。
 メッセージ。
 Kokū Counseling
 〈今日は“風”がよく描けていました。
  星は、描こうとしなくても、もうそこにあります〉

 彼女は笑った。
 机の上に、昨日のタロットを広げる。

 《星 The Star》――正位置。

 灯りを落とすと、カードの銀がわずかに反射した。
 まるで、本物の星のように。

              *
 その頃、Kokū Counseling。
 あかりは湯呑を片づけながら、恋九郎に話しかけた。

「今日の璃々花さん、すごく綺麗でしたね」

「ええ。風が通っていました」

「……先生のほうが、少し寂しそうに見えましたけど」

「寂しい?」

「うん。塔のあとみたいな顔してました」

 恋九郎は苦笑した。

「寂しさは、まだ“人を信じている”証拠ですよ」

「じゃあ、寂しくていいですね」

「ええ。風が吹くうちは、ね」

 沈香の香が部屋に満ちる。
 窓の外では、夜の海に光がひとつ。
 彼はカードを手に取り、指先でなぞった。

 《星(The Star)》

「――星は、誰かの心で形になる」

 呟いたその声に、あかりが微笑んだ。
 窓を少しだけ開ける。
 春の風が入り、香が柔らかく揺れた。
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