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来栖とむ

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第10話 中庭の二つの月

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 魔界での二日目。
 朝、目が覚めると、窓から薄紅色の光が差し込んでいた。
 もう、この景色にも少しずつ慣れてきた。
 二つの月がある空。赤みを帯びた朝焼け。遠くに見える魔界の街並み。
 不思議な二重生活だが、意外と悪くない。
 昼間は地球の異世界ランドで魔王役。夜は魔界の魔王城で王子のフリ。
 そして、今日も一日が始まる。

 夕方、地球での仕事を終えて魔王城に戻ると、フィオナが部屋で待っていた。
「お帰りなさいませ、佐伯様」
「ただいま。あ、フィオナ、佐伯でいいよ」
「いえいえ、王子様の代役を務めていらっしゃるのですから」
 フィオナが微笑む。
「夕食の準備ができております。今日は地球のお料理をご用意しました」
「地球の?」
「はい。カレーライスです。王子様……いえ、イグニス様がお好きだと伺いましたので」
 フィオナが銀のトレイを運んできて、テーブルに置く。
 美味しそうなカレーの香りが部屋に広がる。
「ありがとう。でも、フィオナが作ったの?」
「はい。地球の料理を勉強しておりますので」
 フィオナが誇らしげに言う。

 その時、ノックの音が響いた。
「失礼いたします」
 セバスチャンが入ってくる。
 彼もまた、銀のトレイを持っていた。
「イグニス様、夕食をお持ちしました」
 セバスチャンがトレイをテーブルに置く。
 そこには、豪華な肉料理が乗っていた。魔王国風の伝統料理らしい。香草で丁寧に味付けされた、見るからに高級そうな一品だ。
「あら、セバスチャン」
 フィオナの声が、少し固くなる。
「私がすでに夕食をご用意しておりますが」
「存じております、フィオナ」
 セバスチャンも、丁寧だが冷たい口調で答える。
「しかし、王子様には伝統料理をお召し上がりいただくべきかと」
「いいえ、王子様は地球のお料理がお好きなのです」
「それは一時的なご興味に過ぎません。王族たるもの、伝統を重んじるべきです」

 二人の間に、ピリッとした空気が流れる。
 俺は、困惑してテーブルを見る。
 カレーライスと、伝統的な肉料理。どちらも美味しそうだ。
「あの、両方いただけますか……?」
「それはいけません」
 セバスチャンが首を横に振る。
「お食事は、バランスを考えて一品に絞るべきです。二品は胃に負担がかかります」
「でも、セバスチャン」
 フィオナが反論する。
「その伝統料理、塩分が多すぎるのではありませんか? 王子様のお体に悪影響が……」
「何をおっしゃいます。適切な塩分は健康に必要です。むしろ、あなたのカレーこそスパイスが強すぎて……」
「スパイスは消化を助けるのです!」
「塩分も生命維持に不可欠です!」

 二人の声が、徐々に大きくなる。
 いや、これ、本気で喧嘩になるのでは……。
「ちょ、ちょっと……」
 俺が止めようとした、その時。
 コンコン、とノックの音。
 扉が開いて、フラーラさんが入ってきた。
「あら、またやってるの?」
 フラーラさんは、慣れた様子でため息をつく。
「フィオナ、セバスチャン。佐伯が困っているでしょう」
「でも、フラーラ様!」
 フィオナが訴える。
「王子様には、地球のお料理を……」
「いいえ、伝統料理こそが……」
 セバスチャンも負けていない。

 フラーラさんが、二人の間に入る。
「はい、そこまで」
 凛とした声。
 二人が、ピタリと黙る。
「二人とも、王子のことを思っているのはわかるわ。でも、選ぶのは王子自身よ」
 フラーラさんが俺に向き直る。
「佐伯、どちらが食べたい?」
「え、えっと……」
 俺は困る。
 どちらも美味しそうだし、どちらを選んでも、片方が悲しむ。
「……両方、少しずついただけませんか?」
「あら」
 フラーラさんが微笑む。
「優しいのね。いいわ、それで」

 フィオナとセバスチャンが、渋々頷く。
「……わかりました」
「では、半分ずつということで」
 二人は、それぞれの料理を小皿に盛り分けてくれた。
 俺は、両方を少しずつ食べる。
 カレーも、肉料理も、どちらも本当に美味しい。
「どう?」
 フラーラさんが聞く。
「どちらも美味しいです」
「そう。良かったわね、二人とも」
 フィオナとセバスチャンが、少しだけ嬉しそうな顔をする。
 でも、互いに目を合わせると、また少しだけ睨み合う。
「まったく……」
 フラーラさんが苦笑する。

 夕食後、フラーラさんが声をかけてきた。
「佐伯、少し散歩しない?」
「散歩?」
「ええ。夜の中庭、綺麗よ。それに……少し話したいこともあるの」
 俺は頷いて、フラーラさんについていく。
 廊下を抜けて、中庭へ。
 石造りの扉を開けると、そこには美しい庭園が広がっていた。
「わあ……」
 思わず声が出る。

 月明かりに照らされた庭園。
 色とりどりの花が、夜でも鮮やかに輝いている。魔法の光が、花々を優しく照らしているのだ。
 整えられた芝生、石畳の小道。中央には、白い大理石の噴水。
 水が静かに流れる音が、心地よく響く。
 魔王国というイメージとは全く違う、優雅で美しい場所だった。
「綺麗でしょう?」
 フラーラさんが微笑む。
「はい……こんな庭園があるなんて。まるで、おとぎ話の中みたいです」
「魔王陛下が、平和の象徴として作らせたの」
 フラーラさんが花に触れる。
「長い戦争が終わって、平和な時代になった証として。武器ではなく、花を育てる。それが、陛下の願いだった」
「そうなんですか……」

 俺たちは、石畳の小道を歩く。
 花の香りが、夜風に乗って運ばれてくる。甘く、優しい香り。
 噴水のそばに、白い石のベンチがある。
「座りましょう」
 フラーラさんがベンチに座る。
 俺もその隣に座る。
 そこから、城下町が見下ろせた。
 たくさんの灯りが、街を照らしている。家々の窓から、温かい光が漏れている。
「あの街も……」
「ええ。魔族たちが暮らしてるわ」
 フラーラさんが微笑む。
「みんな、平和に暮らしてる。家族と笑い合って、友達と語り合って」

 俺は、その光景を見つめる。
 遠くから、笑い声が聞こえる気がする。
 子どもたちが遊ぶ声、大人たちが話す声。
 平和な、日常の音。
「魔界って……もっと恐ろしい場所だと思ってました」
「ふふ、そうよね」
 フラーラさんが笑う。
「地球の物語では、魔界は悪の巣窟みたいに描かれてるものね」
「でも、実際は……」
「ええ。普通の場所よ。みんな、普通に暮らしてる。地球と、何も変わらない」
 フラーラさんが空を見上げる。
 少し赤い空に、二つの月。そして、無数の星。
 地球では見たことのない、美しい星空。

「佐伯」
「はい?」
「地球と魔界、どっちが好き?」
 フラーラさんが、少し寂しそうな顔で聞く。
 俺は、少し考える。
 地球。生まれ育った場所。家族も、友達も、思い出も全部ある場所。
 でも、魔界も……温かい。
「うーん……」
「ごめん、変なこと聞いちゃった」
 フラーラさんが慌てる。
「答えにくいわよね。気にしないで」
「いえ、でも……」
 俺は、正直に答えることにした。

「どっちも好きです」
「え?」
 フラーラさんが驚いたように俺を見る。
「地球は、俺の故郷です。大切な場所です」
 俺は街の灯りを見つめる。
「でも、魔界も……温かい場所だと思います」
「温かい……」
「ここに来て、みんなと会って。フラーラさんや、メリーナさんや、四天王の人たち、フィオナやセバスチャンと話して」
 俺は続ける。
「なんか、居心地がいいんです。受け入れてもらえてる気がして」
 フラーラさんが、少し驚いたような顔をする。
 それから、優しく微笑んだ。
「そう言ってもらえて、嬉しいわ」

 しばらく、沈黙が続く。
 でも、居心地の悪い沈黙じゃない。
 心地よい、静かな時間。
 噴水の水音と、遠くの街の音。
 そして、フラーラさんの隣にいる温かさ。
「あのね、佐伯」
 フラーラさんが口を開く。
「私、最初は不安だったの」
「不安?」
「ええ。あなたに、王子の代役を頼むこと」
 フラーラさんが手を組む。
「急に異世界に連れてきて、無理なお願いをして。あなたが嫌がるんじゃないかって」
「そんなこと……」
「でも、あなたは受け入れてくれた。それどころか、会議で素晴らしい提案をして、みんなをまとめてくれた」
 フラーラさんが俺を見る。
「あなたは、本当に優しいのね」

 その言葉に、俺は少し照れる。
「いや、そんな……俺、ただ……」
「ただ?」
「前の会社で、失敗したんです」
 俺は正直に話した。
「人の話を聞かずに、自分の意見ばかり押し通して。結局、誰とも協力できなくて」
「そう……」
「だから、今度は違う自分になりたかったんです。ちゃんと、人の話を聞ける自分に」
 俺は空を見上げる。
「ここに来て、やり直せてる気がします」

 フラーラさんが、静かに聞いている。
「あなた、本当に変わったのね」
「え?」
「いえ、失礼。でも、今のあなたは、きっと誰からも信頼される人だと思う」
 フラーラさんが微笑む。
「少なくとも、私は信頼してるわ」
 その言葉に、俺の胸が温かくなる。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう」

 風が吹く。
 フラーラさんの金色の髪が、風に揺れる。
 月明かりに照らされて、まるで光っているみたいだ。
 綺麗だ、と思った。
 その時、フラーラさんが小さく震えた。
「寒い?」
「ええ、少しだけ」
 俺は、自分の上着を脱いでフラーラさんの肩にかける。
「あ……ありがとう」
 フラーラさんが、少し驚いたような、でも嬉しそうな顔をする。
「でも、あなたは寒くない?」
「大丈夫です。俺、寒さには強いんで」
 実際は少し寒いけど、気にならない。

 フラーラさんが、上着を引き寄せる。
「優しいのね、本当に」
 その言葉が、いつもより柔らかい。
 俺たちは、また静かに星を眺める。
 二つの月が、優しく輝いている。
 この瞬間が、ずっと続けばいいのに。
 そんなことを、ふと思った。

「佐伯」
「はい?」
「これから、もっと大変なことがあるかもしれない」
 フラーラさんが真剣な顔をする。
「魔王陛下に会うこともあるかもしれないし、イグニスがすぐに見つからないかもしれない」
「はい」
「でも……」
 フラーラさんが、俺の手に触れる。
 温かい手。
「私たちが、ずっと支えるから」
「……ありがとうございます」

 俺は、その手を握り返した。
 フラーラさんが、少し驚いたように俺を見る。
 月明かりの中、彼女の目が輝いている。
 エメラルドグリーンの、美しい瞳。
「佐伯……」
「フラーラさん、俺……」
 何を言おうとしたのか、自分でもわからない。
 でも、この気持ちを、伝えたかった。
 その時、遠くから声が聞こえた。
「イグニス様ー! お茶の時間でございますー!」
 フィオナの声だ。

 俺たちは、慌てて手を離す。
「あ、そろそろ戻らないと」
 フラーラさんが立ち上がる。
「そうですね……」
 俺も立ち上がる。
 二人で、城の中に戻る。
 廊下を歩きながら、俺は思った。
 さっき、何を言おうとしたんだろう。
 この気持ちは、何なんだろう。
 フラーラさんの横顔を見る。
 彼女も、少しだけ頬を染めている気がする。

 部屋に戻ると、フィオナとセバスチャンが待っていた。
「お帰りなさいませ、佐伯様」
「イグニス様、お茶の準備ができております」
 二人とも、さっきの喧嘩は忘れたように、笑顔だ。
 でも、すぐに。
「今日は、私が淹れた紅茶を……」
「いいえ、私が用意したハーブティーを……」
 また始まった。
 俺は苦笑する。
「二人とも、ありがとう。じゃあ、両方少しずついただきます」
 その言葉に、二人が少し嬉しそうに微笑む。

 フラーラさんも、一緒にお茶を飲む。
 四人で、他愛もない話をする。
 今日の異世界ランドでの出来事。地球の面白い習慣。魔界の伝統。
 温かい時間。
 窓の外を見ると、二つの月が優しく輝いていた。
 俺は、この魔界での生活に、少しずつ馴染んでいく自分を感じていた。
 そして、フラーラさんがいてくれる。
 それが、何より嬉しかった。
 さっき、中庭で握った手の温もりが、まだ残っている気がした。
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