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来栖とむ

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第11話 魔王陛下、退位を宣言す

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 魔王城での五日目。
 俺は、だいぶこの生活に慣れてきた。
 昼間は地球で魔王役。夜は魔界で王子のフリ。フィオナとセバスチャンの喧嘩も、もはや日常茶飯事。四天王たちとの会議も、スムーズに進むようになった。
 平和な日々だった。
 そう、平和だった——あの日までは。

 夕方、俺が部屋でくつろいでいると、カオスが血相を変えて飛び込んできた。
「佐伯くん、大変だ!」
「どうしたんですか?」
「魔王陛下が……」
 カオスが息を切らせる。
「今夜、王子と夕食を共にしたいと」
「え?」
 俺の頭が真っ白になった。
「い、今夜? 夕食? 魔王陛下と?」
「ああ。突然の呼び出しだ。二時間後に」
「無理ですよ! 絶対バレますよ!」
「わかっている! でも、断れない!」
 カオスが額を押さえる。

 その時、アイアン・ガーディアンも飛び込んできた。
「カオス! 時間がない! すぐに準備を!」
「くそ……」
 カオスが俺を見る。
「佐伯くん、すまないが、今から特訓だ」
「特訓?」
「ああ。魔王陛下との接し方を、叩き込む」
 俺は、他の四天王とフラーラさんに囲まれて、急遽レクチャーを受けることになった。

「まず、姿勢だ」
 カオスが言う。
「イグニス様は、陛下の前では背筋を伸ばして座る。でも、少しだけリラックスした雰囲気で」
「リラックスって……」
「緊張しすぎると不自然だ。普段のイグニス様は、陛下の前でも割と自然体だから」
 アイアン・ガーディアンが続ける。
「それと、呼び方は『父上』だ。『陛下』ではない」
「父上……」
「ああ。イグニス様は、たまに『父上』の後に『様』をつけることもある」
 フォン・マネーゼンがメモを見ながら言う。
「食事のペースは、陛下より少し遅めに。でも、あまり遅すぎると心配される」
「食事のペース……」

 ミス・シャドウが小さく呟く。
「……それと……陛下は……質問されます……最近の仕事について……」
「質問?」
「……ええ……だから……適当に答えて……でも、具体的すぎると……ボロが出るので……」
「声が小さい!」
 全員が叫ぶ。
 ミス・シャドウが縮こまる。
「……ごめんなさい……」

 フラーラさんが付け加える。
「それと、陛下は時々冗談を言うわ。その時は、笑って」
「冗談……」
「ええ。でも、大げさに笑わないで。イグニス様は、控えめに微笑む程度だから」
「わかりました……」
 俺は必死にメモを取る。
 背筋を伸ばす。父上と呼ぶ。食事のペース。質問への対応。冗談には微笑む。
「あと、一番大事なことがある」
 カオスが真剣な顔で言う。
「絶対に、陛下の目を長く見つめないこと」
「え?」
「陛下の目には、魔力がある。長く見つめると、心を読まれる可能性がある」
「心を……読まれる?」
「ああ。だから、適度に視線を外すこと。でも、不自然にならないように」

 俺の頭が混乱してくる。
 こんなにたくさん、覚えられるのか。
「大丈夫よ」
 フラーラさんが優しく言う。
「私たちも同席するから。何かあったら、フォローするわ」
「ありがとうございます……」
「それに、あなたなら大丈夫」
 フラーラさんが微笑む。
 その笑顔に、少しだけ勇気が湧いた。

 準備が終わり、俺は王子の正装に着替えた。
 黒と金の礼服。重厚なマント。王冠。
 鏡を見ると、そこには立派な王子がいた。
 でも、中身は偽物だ。
「さあ、行きましょう」
 カオスが言う。
 俺は深呼吸して、魔王の晩餐の間へ向かった。

 魔王の晩餐の間。
 巨大なシャンデリア、壁一面のタペストリー、磨き上げられた長いテーブル。
 そして、テーブルの中央奥に、巨大な椅子。
 そこに座る、一人の老人。
 白髪、長いひげ、深紅のローブ。そして、圧倒的な存在感。
 魔王ゼノギアス。
 俺は、その姿を見た瞬間、足が震えた。
 空気が、重い。まるで、重力が増したかのような圧力。
「……来たか、イグニス」
 低く、重い声が響く。

 俺は、精一杯の演技で答える。
「は、はい。父上」
 父上。
 その言葉を口にするのが、こんなに重いとは。
 魔王ゼノギアスが、ゆっくりと俺を見る。
 その視線が、突き刺さる。
 心を読まれる、とカオスが言っていた。視線を外さないと。
「……ふむ。少し痩せたか?」
「え、いえ……そんなことは」
「まあいい。座れ」
 俺は、魔王の向かい側の席に座る。
 背筋を伸ばす。でも、少しリラックスした雰囲気で。
 その隣に、カオスが座る。さらに、アイアン・ガーディアン、ミス・シャドウ、フォン・マネーゼンも同席する。
 四天王全員、緊張した顔だ。

 食事が始まる。
 豪華な料理が次々と運ばれてくる。
 でも、俺は喉を通らない。
 魔王ゼノギアスが、ゆっくりと食事をする。
 その間、誰も口を開かない。静寂が、重い。
 俺は、陛下より少し遅いペースで食事をする。
 その時、魔王が口を開いた。
「イグニス」
「は、はい」
「最近、地球での仕事はどうだ?」
 来た。質問だ。
「え……あ、はい。順調です」
「そうか」
 魔王が頷く。
「地球は面白い場所だな。異なる文化、技術。学ぶことが多い」
「はい……その通りです」

「お前も、そこで多くを学んでいるだろう」
「は、はい。たくさん学んでいます」
 俺は、必死に答える。
 カオスが、小さく頷く。いい感じだ、と。
「ふむ。例えば、どんなことを?」
 魔王が、さらに質問する。
 しまった。具体的に聞かれた。
「え、えっと……」
 俺は焦る。
 その時、フォン・マネーゼンが割って入った。
「陛下、イグニス様は最近、地球の経営戦略について学んでおられます」
「経営戦略、か」
「はい。特に、マーケティングと多角経営について」
 マネーゼンが、さりげなくフォローしてくれる。
「なるほど。それは良いことだ」
 魔王が満足そうに頷く。

 俺は、内心でマネーゼンに感謝する。
 助かった……。
 しばらく、食事が続く。
 魔王が、時々質問をして、俺が答える。
 四天王たちが、絶妙なタイミングでフォローしてくれる。
 なんとか、乗り切れそうだ。
 そう思った、その時。
 魔王ゼノギアスが、重大な発言をした。

「イグニス。お前に、話がある」
「……はい」
 魔王の表情が、真剣になる。
「私は、一ヶ月後に退位する」
「え……」
 俺の思考が停止する。
 四天王たちも、固まった。
「そして、お前を王にする」
「え……え?」
 俺の声が裏返る。
 魔王ゼノギアスが、静かに、しかし確固とした口調で言う。
「もう決めたことだ。一ヶ月後の戴冠式で、お前が魔王となる」

「ちょ、ちょっと待ってください!」
 俺は思わず立ち上がる。
「い、いきなりそんなこと言われても……」
「何を驚いている。お前は王子だ。いずれ王になる運命だ」
「で、でも、まだ心の準備が……」
「一ヶ月あれば十分だろう」
 魔王が冷静に言う。
 カオスが慌てて割って入る。
「魔王陛下、それはあまりにも急では……」
「急? いや、十分に時間をかけた」
 魔王が言う。
「イグニスは、もう二年も地球で社会勉強をしてきた。十分だろう」

「しかし……」
「それに」
 魔王が、少しだけ柔らかい表情を見せる。
「私は、地球で余生を楽しみたい」
「……余生を?」
「ああ。地球の温泉、料理、文化。全てを体験したい。特に、温泉だ。あの湯に浸かる文化は、魔界にはない」
「お、温泉……?」
 俺は呆然とする。
 魔王が、温泉に入りたいから退位?
「魔王の座は重い。もう五百年も座ってきた。そろそろ、誰かに譲りたい」
 魔王が遠くを見る。
「そして、その誰かは、お前だ、イグニス」

「決定だ。一ヶ月後、戴冠式を執り行う」
 魔王ゼノギアスが、宣言する。
「それと……」
 魔王が付け加える。
「魔国の掟を忘れるな。一度戴冠式を終えた者は、自身の子供が成人するまでは、二度と王位を他者に譲ることはできない」
「……え?」
「戴冠の儀式は、魔力と魂の契約だ。一度結ばれたら、死ぬまで解けない」
 カオスが青ざめる。
「つまり……」
「ああ。戴冠式が終われば、イグニスは生涯、魔王だ。途中で辞めることはできない」

 俺の頭の中が、真っ白になった。
 一度魔王になったら、二度と辞められない?
 それって……本物のイグニスが戻ってきても、俺が魔王のまま?
「では、一ヶ月後だ。準備を怠るな」
 魔王が立ち上がる。
「今日はここまでだ。下がれ」
 俺たちは、慌てて一礼して部屋を出た。

 廊下に出た瞬間、カオスが壁に寄りかかった。
「……終わった」
「カオス、大丈夫か?」
 ガーディアンが心配そうに言う。
「大丈夫じゃない! 一ヶ月で、イグニス様を見つけなければ……」
「佐伯くんが、本当に魔王になってしまう」
 マネーゼンが電卓を叩く。
「しかも、戴冠後は不可逆。これは、前例のない危機だ」
「いや、そもそも無理でしょ!」
 俺が叫ぶ。
「俺、ただのバイトですよ! 魔王になんてなれるわけない! それに、一度なったら辞められないって……」

「落ち着け、佐伯」
 ガーディアンが肩を叩く。
「我々が全力でサポートする」
「サポートの問題じゃないです!」
 俺は頭を抱える。
 時給千五百円のバイトから、突然の魔王候補。
 しかも、戴冠したら生涯魔王。
 冗談じゃない。
「……ミス・シャドウ、イグニス様の捜索を急いでくれ」
 カオスが言う。
「……はい……全力で……」
 シャドウが小さく頷く。
「一ヶ月……」
 カオスがため息をつく。
「厳しいな……」

 俺たちは、緊急会議を開いた。
 会議室に集まる、四天王、フラーラ、メリーナ、フィオナ、セバスチャン。
 みんな、青い顔をしている。
「状況を整理しよう」
 カオスがホワイトボードに書く。
期限:一ヶ月
目標:イグニス様を見つける
失敗した場合:佐伯が魔王に(不可逆)
「不可逆って……」
 メリーナが震える声で言う。
「つまり、イグニス様が後から戻ってきても、佐伯さんが魔王のままってことですか?」
「ああ」
 カオスが重々しく頷く。
「魔国の掟だ。戴冠の儀式は、魔力と魂を王位に縛りつける。一度結ばれたら、解くことはできない」

「じゃあ、もしイグニス様が一ヶ月と一日後に帰ってきたら……」
「佐伯が魔王で、イグニス様はただの王子だ」
 マネーゼンが冷静に言う。
「最悪のシナリオだ」
 フィオナが泣きそうな顔をする。
「あらあら、王子様ったら……こんな大事な時に……」
「ああ、神よ! 何ということでしょう!」
 セバスチャンが大げさに嘆く。
「今は嘆いている場合ではない」
 カオスが言う。
「一ヶ月で、必ずイグニス様を見つける。総力戦だ」

 会議が終わり、俺は疲れ果てて部屋に戻ろうとした。
 その時、フラーラさんが声をかけてきた。
「佐伯、少しいい?」
「あ、はい」
 俺たちは、また夜の中庭に出た。
 二つの月が、優しく照らしている。
 でも、今夜はその光も、どこか冷たく感じる。

「大変なことになったわね」
 フラーラさんが呟く。
「はい……魔王なんて、無理ですよ。俺、ただのバイトなのに」
「そうね」
 フラーラさんが微笑む。
「でも……あなたなら、できるかもしれない」
「え?」
「この数日間、あなたを見てきたわ」
 フラーラさんが真剣な顔で言う。
「会議での提案、みんなへの気配り、仕事への真摯な態度。あなたは、本当に優秀よ」
「それは……」
「だから、もしイグニス様が見つからなくても……」
 フラーラさんが俺を見つめる。
「あなたなら、きっと良い魔王になれる」

 その言葉に、俺は戸惑う。
「フラーラさん、でも……」
「ええ、わかってる」
 フラーラさんが空を見上げる。
「もし本当にあなたが魔王になったら……あなたは、ずっと魔界にいなければならない」
「……はい」
「地球には、帰れない。異世界ランドでの仕事も、できない」
 フラーラさんの声が、少し震える。
「地球での生活と、さよならすることになる」
「そうですね……」
 俺も、その現実に気づく。
 魔王になったら、全てが変わる。
 家族にも、友達にも、二度と会えなくなるかもしれない。

 二人で、しばらく沈黙する。
 星が、きらめいている。
 その時、フラーラさんが小さく呟いた。
「でも……」
「え?」
「でも、もしあなたが魔界に残るなら……」
 フラーラさんが、俺の方を見る。
 その目は、複雑な感情を湛えている。
「私は……嬉しい」
「フラーラさん……」

「ごめんなさい」
 フラーラさんが慌てて視線を外す。
「変なこと言っちゃった。忘れて」
「いえ、でも……」
「イグニス様が、きっと見つかるわ」
 フラーラさんが無理に笑顔を作る。
「だから、心配しないで」
 でも、その笑顔は、どこか寂しげだった。
 彼女は、俺に残って欲しいと思っている。
 でも、それは俺が地球を捨てることを意味する。
 フラーラさんは、それを望んでいいのか、迷っているんだ。

「佐伯」
「はい?」
「どんな結果になっても……」
 フラーラさんが、俺の手を握る。
「私は、あなたを支えるから」
「……ありがとうございます」
 俺も、その手を握り返す。
 フラーラさんの手が、少し冷たい。
 そして、少し震えている。
 彼女も、不安なんだ。
 イグニスが見つかって、俺が地球に帰ることも。
 イグニスが見つからず、俺が魔王になることも。
 どちらも、彼女にとっては辛い選択なんだ。

 部屋に戻った後、俺はベッドに倒れ込んだ。
 魔王。
 一ヶ月後の戴冠式。
 そして、一度戴冠したら、二度と辞められない。
 もし、イグニスが見つからなかったら……。
 俺は、本当に魔王になる。
 生涯、魔界で生きることになる。
 窓の外を見る。
 少し赤い空、二つの月。
 美しい光景。
 でも、今夜は、その美しさが、どこか切なく感じた。

 イグニスが見つかりますように。
 でも、もし見つからなかったら……。
 俺は、どうすればいいんだろう。
 魔王になって、魔界に残るのか。
 それとも……。
 いや、考えても仕方ない。
 今は、イグニスを見つけることだけを考えよう。
 そう思いながら、俺は目を閉じた。
 でも、心のどこかで。
 フラーラさんの言葉が、繰り返し響いていた。
「もしあなたが魔界に残るなら……私は、嬉しい」
 その言葉の意味を、俺はまだ理解しきれていなかった。
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