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第11話 魔王陛下、退位を宣言す
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魔王城での五日目。
俺は、だいぶこの生活に慣れてきた。
昼間は地球で魔王役。夜は魔界で王子のフリ。フィオナとセバスチャンの喧嘩も、もはや日常茶飯事。四天王たちとの会議も、スムーズに進むようになった。
平和な日々だった。
そう、平和だった——あの日までは。
夕方、俺が部屋でくつろいでいると、カオスが血相を変えて飛び込んできた。
「佐伯くん、大変だ!」
「どうしたんですか?」
「魔王陛下が……」
カオスが息を切らせる。
「今夜、王子と夕食を共にしたいと」
「え?」
俺の頭が真っ白になった。
「い、今夜? 夕食? 魔王陛下と?」
「ああ。突然の呼び出しだ。二時間後に」
「無理ですよ! 絶対バレますよ!」
「わかっている! でも、断れない!」
カオスが額を押さえる。
その時、アイアン・ガーディアンも飛び込んできた。
「カオス! 時間がない! すぐに準備を!」
「くそ……」
カオスが俺を見る。
「佐伯くん、すまないが、今から特訓だ」
「特訓?」
「ああ。魔王陛下との接し方を、叩き込む」
俺は、他の四天王とフラーラさんに囲まれて、急遽レクチャーを受けることになった。
「まず、姿勢だ」
カオスが言う。
「イグニス様は、陛下の前では背筋を伸ばして座る。でも、少しだけリラックスした雰囲気で」
「リラックスって……」
「緊張しすぎると不自然だ。普段のイグニス様は、陛下の前でも割と自然体だから」
アイアン・ガーディアンが続ける。
「それと、呼び方は『父上』だ。『陛下』ではない」
「父上……」
「ああ。イグニス様は、たまに『父上』の後に『様』をつけることもある」
フォン・マネーゼンがメモを見ながら言う。
「食事のペースは、陛下より少し遅めに。でも、あまり遅すぎると心配される」
「食事のペース……」
ミス・シャドウが小さく呟く。
「……それと……陛下は……質問されます……最近の仕事について……」
「質問?」
「……ええ……だから……適当に答えて……でも、具体的すぎると……ボロが出るので……」
「声が小さい!」
全員が叫ぶ。
ミス・シャドウが縮こまる。
「……ごめんなさい……」
フラーラさんが付け加える。
「それと、陛下は時々冗談を言うわ。その時は、笑って」
「冗談……」
「ええ。でも、大げさに笑わないで。イグニス様は、控えめに微笑む程度だから」
「わかりました……」
俺は必死にメモを取る。
背筋を伸ばす。父上と呼ぶ。食事のペース。質問への対応。冗談には微笑む。
「あと、一番大事なことがある」
カオスが真剣な顔で言う。
「絶対に、陛下の目を長く見つめないこと」
「え?」
「陛下の目には、魔力がある。長く見つめると、心を読まれる可能性がある」
「心を……読まれる?」
「ああ。だから、適度に視線を外すこと。でも、不自然にならないように」
俺の頭が混乱してくる。
こんなにたくさん、覚えられるのか。
「大丈夫よ」
フラーラさんが優しく言う。
「私たちも同席するから。何かあったら、フォローするわ」
「ありがとうございます……」
「それに、あなたなら大丈夫」
フラーラさんが微笑む。
その笑顔に、少しだけ勇気が湧いた。
準備が終わり、俺は王子の正装に着替えた。
黒と金の礼服。重厚なマント。王冠。
鏡を見ると、そこには立派な王子がいた。
でも、中身は偽物だ。
「さあ、行きましょう」
カオスが言う。
俺は深呼吸して、魔王の晩餐の間へ向かった。
魔王の晩餐の間。
巨大なシャンデリア、壁一面のタペストリー、磨き上げられた長いテーブル。
そして、テーブルの中央奥に、巨大な椅子。
そこに座る、一人の老人。
白髪、長いひげ、深紅のローブ。そして、圧倒的な存在感。
魔王ゼノギアス。
俺は、その姿を見た瞬間、足が震えた。
空気が、重い。まるで、重力が増したかのような圧力。
「……来たか、イグニス」
低く、重い声が響く。
俺は、精一杯の演技で答える。
「は、はい。父上」
父上。
その言葉を口にするのが、こんなに重いとは。
魔王ゼノギアスが、ゆっくりと俺を見る。
その視線が、突き刺さる。
心を読まれる、とカオスが言っていた。視線を外さないと。
「……ふむ。少し痩せたか?」
「え、いえ……そんなことは」
「まあいい。座れ」
俺は、魔王の向かい側の席に座る。
背筋を伸ばす。でも、少しリラックスした雰囲気で。
その隣に、カオスが座る。さらに、アイアン・ガーディアン、ミス・シャドウ、フォン・マネーゼンも同席する。
四天王全員、緊張した顔だ。
食事が始まる。
豪華な料理が次々と運ばれてくる。
でも、俺は喉を通らない。
魔王ゼノギアスが、ゆっくりと食事をする。
その間、誰も口を開かない。静寂が、重い。
俺は、陛下より少し遅いペースで食事をする。
その時、魔王が口を開いた。
「イグニス」
「は、はい」
「最近、地球での仕事はどうだ?」
来た。質問だ。
「え……あ、はい。順調です」
「そうか」
魔王が頷く。
「地球は面白い場所だな。異なる文化、技術。学ぶことが多い」
「はい……その通りです」
「お前も、そこで多くを学んでいるだろう」
「は、はい。たくさん学んでいます」
俺は、必死に答える。
カオスが、小さく頷く。いい感じだ、と。
「ふむ。例えば、どんなことを?」
魔王が、さらに質問する。
しまった。具体的に聞かれた。
「え、えっと……」
俺は焦る。
その時、フォン・マネーゼンが割って入った。
「陛下、イグニス様は最近、地球の経営戦略について学んでおられます」
「経営戦略、か」
「はい。特に、マーケティングと多角経営について」
マネーゼンが、さりげなくフォローしてくれる。
「なるほど。それは良いことだ」
魔王が満足そうに頷く。
俺は、内心でマネーゼンに感謝する。
助かった……。
しばらく、食事が続く。
魔王が、時々質問をして、俺が答える。
四天王たちが、絶妙なタイミングでフォローしてくれる。
なんとか、乗り切れそうだ。
そう思った、その時。
魔王ゼノギアスが、重大な発言をした。
「イグニス。お前に、話がある」
「……はい」
魔王の表情が、真剣になる。
「私は、一ヶ月後に退位する」
「え……」
俺の思考が停止する。
四天王たちも、固まった。
「そして、お前を王にする」
「え……え?」
俺の声が裏返る。
魔王ゼノギアスが、静かに、しかし確固とした口調で言う。
「もう決めたことだ。一ヶ月後の戴冠式で、お前が魔王となる」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺は思わず立ち上がる。
「い、いきなりそんなこと言われても……」
「何を驚いている。お前は王子だ。いずれ王になる運命だ」
「で、でも、まだ心の準備が……」
「一ヶ月あれば十分だろう」
魔王が冷静に言う。
カオスが慌てて割って入る。
「魔王陛下、それはあまりにも急では……」
「急? いや、十分に時間をかけた」
魔王が言う。
「イグニスは、もう二年も地球で社会勉強をしてきた。十分だろう」
「しかし……」
「それに」
魔王が、少しだけ柔らかい表情を見せる。
「私は、地球で余生を楽しみたい」
「……余生を?」
「ああ。地球の温泉、料理、文化。全てを体験したい。特に、温泉だ。あの湯に浸かる文化は、魔界にはない」
「お、温泉……?」
俺は呆然とする。
魔王が、温泉に入りたいから退位?
「魔王の座は重い。もう五百年も座ってきた。そろそろ、誰かに譲りたい」
魔王が遠くを見る。
「そして、その誰かは、お前だ、イグニス」
「決定だ。一ヶ月後、戴冠式を執り行う」
魔王ゼノギアスが、宣言する。
「それと……」
魔王が付け加える。
「魔国の掟を忘れるな。一度戴冠式を終えた者は、自身の子供が成人するまでは、二度と王位を他者に譲ることはできない」
「……え?」
「戴冠の儀式は、魔力と魂の契約だ。一度結ばれたら、死ぬまで解けない」
カオスが青ざめる。
「つまり……」
「ああ。戴冠式が終われば、イグニスは生涯、魔王だ。途中で辞めることはできない」
俺の頭の中が、真っ白になった。
一度魔王になったら、二度と辞められない?
それって……本物のイグニスが戻ってきても、俺が魔王のまま?
「では、一ヶ月後だ。準備を怠るな」
魔王が立ち上がる。
「今日はここまでだ。下がれ」
俺たちは、慌てて一礼して部屋を出た。
廊下に出た瞬間、カオスが壁に寄りかかった。
「……終わった」
「カオス、大丈夫か?」
ガーディアンが心配そうに言う。
「大丈夫じゃない! 一ヶ月で、イグニス様を見つけなければ……」
「佐伯くんが、本当に魔王になってしまう」
マネーゼンが電卓を叩く。
「しかも、戴冠後は不可逆。これは、前例のない危機だ」
「いや、そもそも無理でしょ!」
俺が叫ぶ。
「俺、ただのバイトですよ! 魔王になんてなれるわけない! それに、一度なったら辞められないって……」
「落ち着け、佐伯」
ガーディアンが肩を叩く。
「我々が全力でサポートする」
「サポートの問題じゃないです!」
俺は頭を抱える。
時給千五百円のバイトから、突然の魔王候補。
しかも、戴冠したら生涯魔王。
冗談じゃない。
「……ミス・シャドウ、イグニス様の捜索を急いでくれ」
カオスが言う。
「……はい……全力で……」
シャドウが小さく頷く。
「一ヶ月……」
カオスがため息をつく。
「厳しいな……」
俺たちは、緊急会議を開いた。
会議室に集まる、四天王、フラーラ、メリーナ、フィオナ、セバスチャン。
みんな、青い顔をしている。
「状況を整理しよう」
カオスがホワイトボードに書く。
期限:一ヶ月
目標:イグニス様を見つける
失敗した場合:佐伯が魔王に(不可逆)
「不可逆って……」
メリーナが震える声で言う。
「つまり、イグニス様が後から戻ってきても、佐伯さんが魔王のままってことですか?」
「ああ」
カオスが重々しく頷く。
「魔国の掟だ。戴冠の儀式は、魔力と魂を王位に縛りつける。一度結ばれたら、解くことはできない」
「じゃあ、もしイグニス様が一ヶ月と一日後に帰ってきたら……」
「佐伯が魔王で、イグニス様はただの王子だ」
マネーゼンが冷静に言う。
「最悪のシナリオだ」
フィオナが泣きそうな顔をする。
「あらあら、王子様ったら……こんな大事な時に……」
「ああ、神よ! 何ということでしょう!」
セバスチャンが大げさに嘆く。
「今は嘆いている場合ではない」
カオスが言う。
「一ヶ月で、必ずイグニス様を見つける。総力戦だ」
会議が終わり、俺は疲れ果てて部屋に戻ろうとした。
その時、フラーラさんが声をかけてきた。
「佐伯、少しいい?」
「あ、はい」
俺たちは、また夜の中庭に出た。
二つの月が、優しく照らしている。
でも、今夜はその光も、どこか冷たく感じる。
「大変なことになったわね」
フラーラさんが呟く。
「はい……魔王なんて、無理ですよ。俺、ただのバイトなのに」
「そうね」
フラーラさんが微笑む。
「でも……あなたなら、できるかもしれない」
「え?」
「この数日間、あなたを見てきたわ」
フラーラさんが真剣な顔で言う。
「会議での提案、みんなへの気配り、仕事への真摯な態度。あなたは、本当に優秀よ」
「それは……」
「だから、もしイグニス様が見つからなくても……」
フラーラさんが俺を見つめる。
「あなたなら、きっと良い魔王になれる」
その言葉に、俺は戸惑う。
「フラーラさん、でも……」
「ええ、わかってる」
フラーラさんが空を見上げる。
「もし本当にあなたが魔王になったら……あなたは、ずっと魔界にいなければならない」
「……はい」
「地球には、帰れない。異世界ランドでの仕事も、できない」
フラーラさんの声が、少し震える。
「地球での生活と、さよならすることになる」
「そうですね……」
俺も、その現実に気づく。
魔王になったら、全てが変わる。
家族にも、友達にも、二度と会えなくなるかもしれない。
二人で、しばらく沈黙する。
星が、きらめいている。
その時、フラーラさんが小さく呟いた。
「でも……」
「え?」
「でも、もしあなたが魔界に残るなら……」
フラーラさんが、俺の方を見る。
その目は、複雑な感情を湛えている。
「私は……嬉しい」
「フラーラさん……」
「ごめんなさい」
フラーラさんが慌てて視線を外す。
「変なこと言っちゃった。忘れて」
「いえ、でも……」
「イグニス様が、きっと見つかるわ」
フラーラさんが無理に笑顔を作る。
「だから、心配しないで」
でも、その笑顔は、どこか寂しげだった。
彼女は、俺に残って欲しいと思っている。
でも、それは俺が地球を捨てることを意味する。
フラーラさんは、それを望んでいいのか、迷っているんだ。
「佐伯」
「はい?」
「どんな結果になっても……」
フラーラさんが、俺の手を握る。
「私は、あなたを支えるから」
「……ありがとうございます」
俺も、その手を握り返す。
フラーラさんの手が、少し冷たい。
そして、少し震えている。
彼女も、不安なんだ。
イグニスが見つかって、俺が地球に帰ることも。
イグニスが見つからず、俺が魔王になることも。
どちらも、彼女にとっては辛い選択なんだ。
部屋に戻った後、俺はベッドに倒れ込んだ。
魔王。
一ヶ月後の戴冠式。
そして、一度戴冠したら、二度と辞められない。
もし、イグニスが見つからなかったら……。
俺は、本当に魔王になる。
生涯、魔界で生きることになる。
窓の外を見る。
少し赤い空、二つの月。
美しい光景。
でも、今夜は、その美しさが、どこか切なく感じた。
イグニスが見つかりますように。
でも、もし見つからなかったら……。
俺は、どうすればいいんだろう。
魔王になって、魔界に残るのか。
それとも……。
いや、考えても仕方ない。
今は、イグニスを見つけることだけを考えよう。
そう思いながら、俺は目を閉じた。
でも、心のどこかで。
フラーラさんの言葉が、繰り返し響いていた。
「もしあなたが魔界に残るなら……私は、嬉しい」
その言葉の意味を、俺はまだ理解しきれていなかった。
俺は、だいぶこの生活に慣れてきた。
昼間は地球で魔王役。夜は魔界で王子のフリ。フィオナとセバスチャンの喧嘩も、もはや日常茶飯事。四天王たちとの会議も、スムーズに進むようになった。
平和な日々だった。
そう、平和だった——あの日までは。
夕方、俺が部屋でくつろいでいると、カオスが血相を変えて飛び込んできた。
「佐伯くん、大変だ!」
「どうしたんですか?」
「魔王陛下が……」
カオスが息を切らせる。
「今夜、王子と夕食を共にしたいと」
「え?」
俺の頭が真っ白になった。
「い、今夜? 夕食? 魔王陛下と?」
「ああ。突然の呼び出しだ。二時間後に」
「無理ですよ! 絶対バレますよ!」
「わかっている! でも、断れない!」
カオスが額を押さえる。
その時、アイアン・ガーディアンも飛び込んできた。
「カオス! 時間がない! すぐに準備を!」
「くそ……」
カオスが俺を見る。
「佐伯くん、すまないが、今から特訓だ」
「特訓?」
「ああ。魔王陛下との接し方を、叩き込む」
俺は、他の四天王とフラーラさんに囲まれて、急遽レクチャーを受けることになった。
「まず、姿勢だ」
カオスが言う。
「イグニス様は、陛下の前では背筋を伸ばして座る。でも、少しだけリラックスした雰囲気で」
「リラックスって……」
「緊張しすぎると不自然だ。普段のイグニス様は、陛下の前でも割と自然体だから」
アイアン・ガーディアンが続ける。
「それと、呼び方は『父上』だ。『陛下』ではない」
「父上……」
「ああ。イグニス様は、たまに『父上』の後に『様』をつけることもある」
フォン・マネーゼンがメモを見ながら言う。
「食事のペースは、陛下より少し遅めに。でも、あまり遅すぎると心配される」
「食事のペース……」
ミス・シャドウが小さく呟く。
「……それと……陛下は……質問されます……最近の仕事について……」
「質問?」
「……ええ……だから……適当に答えて……でも、具体的すぎると……ボロが出るので……」
「声が小さい!」
全員が叫ぶ。
ミス・シャドウが縮こまる。
「……ごめんなさい……」
フラーラさんが付け加える。
「それと、陛下は時々冗談を言うわ。その時は、笑って」
「冗談……」
「ええ。でも、大げさに笑わないで。イグニス様は、控えめに微笑む程度だから」
「わかりました……」
俺は必死にメモを取る。
背筋を伸ばす。父上と呼ぶ。食事のペース。質問への対応。冗談には微笑む。
「あと、一番大事なことがある」
カオスが真剣な顔で言う。
「絶対に、陛下の目を長く見つめないこと」
「え?」
「陛下の目には、魔力がある。長く見つめると、心を読まれる可能性がある」
「心を……読まれる?」
「ああ。だから、適度に視線を外すこと。でも、不自然にならないように」
俺の頭が混乱してくる。
こんなにたくさん、覚えられるのか。
「大丈夫よ」
フラーラさんが優しく言う。
「私たちも同席するから。何かあったら、フォローするわ」
「ありがとうございます……」
「それに、あなたなら大丈夫」
フラーラさんが微笑む。
その笑顔に、少しだけ勇気が湧いた。
準備が終わり、俺は王子の正装に着替えた。
黒と金の礼服。重厚なマント。王冠。
鏡を見ると、そこには立派な王子がいた。
でも、中身は偽物だ。
「さあ、行きましょう」
カオスが言う。
俺は深呼吸して、魔王の晩餐の間へ向かった。
魔王の晩餐の間。
巨大なシャンデリア、壁一面のタペストリー、磨き上げられた長いテーブル。
そして、テーブルの中央奥に、巨大な椅子。
そこに座る、一人の老人。
白髪、長いひげ、深紅のローブ。そして、圧倒的な存在感。
魔王ゼノギアス。
俺は、その姿を見た瞬間、足が震えた。
空気が、重い。まるで、重力が増したかのような圧力。
「……来たか、イグニス」
低く、重い声が響く。
俺は、精一杯の演技で答える。
「は、はい。父上」
父上。
その言葉を口にするのが、こんなに重いとは。
魔王ゼノギアスが、ゆっくりと俺を見る。
その視線が、突き刺さる。
心を読まれる、とカオスが言っていた。視線を外さないと。
「……ふむ。少し痩せたか?」
「え、いえ……そんなことは」
「まあいい。座れ」
俺は、魔王の向かい側の席に座る。
背筋を伸ばす。でも、少しリラックスした雰囲気で。
その隣に、カオスが座る。さらに、アイアン・ガーディアン、ミス・シャドウ、フォン・マネーゼンも同席する。
四天王全員、緊張した顔だ。
食事が始まる。
豪華な料理が次々と運ばれてくる。
でも、俺は喉を通らない。
魔王ゼノギアスが、ゆっくりと食事をする。
その間、誰も口を開かない。静寂が、重い。
俺は、陛下より少し遅いペースで食事をする。
その時、魔王が口を開いた。
「イグニス」
「は、はい」
「最近、地球での仕事はどうだ?」
来た。質問だ。
「え……あ、はい。順調です」
「そうか」
魔王が頷く。
「地球は面白い場所だな。異なる文化、技術。学ぶことが多い」
「はい……その通りです」
「お前も、そこで多くを学んでいるだろう」
「は、はい。たくさん学んでいます」
俺は、必死に答える。
カオスが、小さく頷く。いい感じだ、と。
「ふむ。例えば、どんなことを?」
魔王が、さらに質問する。
しまった。具体的に聞かれた。
「え、えっと……」
俺は焦る。
その時、フォン・マネーゼンが割って入った。
「陛下、イグニス様は最近、地球の経営戦略について学んでおられます」
「経営戦略、か」
「はい。特に、マーケティングと多角経営について」
マネーゼンが、さりげなくフォローしてくれる。
「なるほど。それは良いことだ」
魔王が満足そうに頷く。
俺は、内心でマネーゼンに感謝する。
助かった……。
しばらく、食事が続く。
魔王が、時々質問をして、俺が答える。
四天王たちが、絶妙なタイミングでフォローしてくれる。
なんとか、乗り切れそうだ。
そう思った、その時。
魔王ゼノギアスが、重大な発言をした。
「イグニス。お前に、話がある」
「……はい」
魔王の表情が、真剣になる。
「私は、一ヶ月後に退位する」
「え……」
俺の思考が停止する。
四天王たちも、固まった。
「そして、お前を王にする」
「え……え?」
俺の声が裏返る。
魔王ゼノギアスが、静かに、しかし確固とした口調で言う。
「もう決めたことだ。一ヶ月後の戴冠式で、お前が魔王となる」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺は思わず立ち上がる。
「い、いきなりそんなこと言われても……」
「何を驚いている。お前は王子だ。いずれ王になる運命だ」
「で、でも、まだ心の準備が……」
「一ヶ月あれば十分だろう」
魔王が冷静に言う。
カオスが慌てて割って入る。
「魔王陛下、それはあまりにも急では……」
「急? いや、十分に時間をかけた」
魔王が言う。
「イグニスは、もう二年も地球で社会勉強をしてきた。十分だろう」
「しかし……」
「それに」
魔王が、少しだけ柔らかい表情を見せる。
「私は、地球で余生を楽しみたい」
「……余生を?」
「ああ。地球の温泉、料理、文化。全てを体験したい。特に、温泉だ。あの湯に浸かる文化は、魔界にはない」
「お、温泉……?」
俺は呆然とする。
魔王が、温泉に入りたいから退位?
「魔王の座は重い。もう五百年も座ってきた。そろそろ、誰かに譲りたい」
魔王が遠くを見る。
「そして、その誰かは、お前だ、イグニス」
「決定だ。一ヶ月後、戴冠式を執り行う」
魔王ゼノギアスが、宣言する。
「それと……」
魔王が付け加える。
「魔国の掟を忘れるな。一度戴冠式を終えた者は、自身の子供が成人するまでは、二度と王位を他者に譲ることはできない」
「……え?」
「戴冠の儀式は、魔力と魂の契約だ。一度結ばれたら、死ぬまで解けない」
カオスが青ざめる。
「つまり……」
「ああ。戴冠式が終われば、イグニスは生涯、魔王だ。途中で辞めることはできない」
俺の頭の中が、真っ白になった。
一度魔王になったら、二度と辞められない?
それって……本物のイグニスが戻ってきても、俺が魔王のまま?
「では、一ヶ月後だ。準備を怠るな」
魔王が立ち上がる。
「今日はここまでだ。下がれ」
俺たちは、慌てて一礼して部屋を出た。
廊下に出た瞬間、カオスが壁に寄りかかった。
「……終わった」
「カオス、大丈夫か?」
ガーディアンが心配そうに言う。
「大丈夫じゃない! 一ヶ月で、イグニス様を見つけなければ……」
「佐伯くんが、本当に魔王になってしまう」
マネーゼンが電卓を叩く。
「しかも、戴冠後は不可逆。これは、前例のない危機だ」
「いや、そもそも無理でしょ!」
俺が叫ぶ。
「俺、ただのバイトですよ! 魔王になんてなれるわけない! それに、一度なったら辞められないって……」
「落ち着け、佐伯」
ガーディアンが肩を叩く。
「我々が全力でサポートする」
「サポートの問題じゃないです!」
俺は頭を抱える。
時給千五百円のバイトから、突然の魔王候補。
しかも、戴冠したら生涯魔王。
冗談じゃない。
「……ミス・シャドウ、イグニス様の捜索を急いでくれ」
カオスが言う。
「……はい……全力で……」
シャドウが小さく頷く。
「一ヶ月……」
カオスがため息をつく。
「厳しいな……」
俺たちは、緊急会議を開いた。
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みんな、青い顔をしている。
「状況を整理しよう」
カオスがホワイトボードに書く。
期限:一ヶ月
目標:イグニス様を見つける
失敗した場合:佐伯が魔王に(不可逆)
「不可逆って……」
メリーナが震える声で言う。
「つまり、イグニス様が後から戻ってきても、佐伯さんが魔王のままってことですか?」
「ああ」
カオスが重々しく頷く。
「魔国の掟だ。戴冠の儀式は、魔力と魂を王位に縛りつける。一度結ばれたら、解くことはできない」
「じゃあ、もしイグニス様が一ヶ月と一日後に帰ってきたら……」
「佐伯が魔王で、イグニス様はただの王子だ」
マネーゼンが冷静に言う。
「最悪のシナリオだ」
フィオナが泣きそうな顔をする。
「あらあら、王子様ったら……こんな大事な時に……」
「ああ、神よ! 何ということでしょう!」
セバスチャンが大げさに嘆く。
「今は嘆いている場合ではない」
カオスが言う。
「一ヶ月で、必ずイグニス様を見つける。総力戦だ」
会議が終わり、俺は疲れ果てて部屋に戻ろうとした。
その時、フラーラさんが声をかけてきた。
「佐伯、少しいい?」
「あ、はい」
俺たちは、また夜の中庭に出た。
二つの月が、優しく照らしている。
でも、今夜はその光も、どこか冷たく感じる。
「大変なことになったわね」
フラーラさんが呟く。
「はい……魔王なんて、無理ですよ。俺、ただのバイトなのに」
「そうね」
フラーラさんが微笑む。
「でも……あなたなら、できるかもしれない」
「え?」
「この数日間、あなたを見てきたわ」
フラーラさんが真剣な顔で言う。
「会議での提案、みんなへの気配り、仕事への真摯な態度。あなたは、本当に優秀よ」
「それは……」
「だから、もしイグニス様が見つからなくても……」
フラーラさんが俺を見つめる。
「あなたなら、きっと良い魔王になれる」
その言葉に、俺は戸惑う。
「フラーラさん、でも……」
「ええ、わかってる」
フラーラさんが空を見上げる。
「もし本当にあなたが魔王になったら……あなたは、ずっと魔界にいなければならない」
「……はい」
「地球には、帰れない。異世界ランドでの仕事も、できない」
フラーラさんの声が、少し震える。
「地球での生活と、さよならすることになる」
「そうですね……」
俺も、その現実に気づく。
魔王になったら、全てが変わる。
家族にも、友達にも、二度と会えなくなるかもしれない。
二人で、しばらく沈黙する。
星が、きらめいている。
その時、フラーラさんが小さく呟いた。
「でも……」
「え?」
「でも、もしあなたが魔界に残るなら……」
フラーラさんが、俺の方を見る。
その目は、複雑な感情を湛えている。
「私は……嬉しい」
「フラーラさん……」
「ごめんなさい」
フラーラさんが慌てて視線を外す。
「変なこと言っちゃった。忘れて」
「いえ、でも……」
「イグニス様が、きっと見つかるわ」
フラーラさんが無理に笑顔を作る。
「だから、心配しないで」
でも、その笑顔は、どこか寂しげだった。
彼女は、俺に残って欲しいと思っている。
でも、それは俺が地球を捨てることを意味する。
フラーラさんは、それを望んでいいのか、迷っているんだ。
「佐伯」
「はい?」
「どんな結果になっても……」
フラーラさんが、俺の手を握る。
「私は、あなたを支えるから」
「……ありがとうございます」
俺も、その手を握り返す。
フラーラさんの手が、少し冷たい。
そして、少し震えている。
彼女も、不安なんだ。
イグニスが見つかって、俺が地球に帰ることも。
イグニスが見つからず、俺が魔王になることも。
どちらも、彼女にとっては辛い選択なんだ。
部屋に戻った後、俺はベッドに倒れ込んだ。
魔王。
一ヶ月後の戴冠式。
そして、一度戴冠したら、二度と辞められない。
もし、イグニスが見つからなかったら……。
俺は、本当に魔王になる。
生涯、魔界で生きることになる。
窓の外を見る。
少し赤い空、二つの月。
美しい光景。
でも、今夜は、その美しさが、どこか切なく感じた。
イグニスが見つかりますように。
でも、もし見つからなかったら……。
俺は、どうすればいいんだろう。
魔王になって、魔界に残るのか。
それとも……。
いや、考えても仕方ない。
今は、イグニスを見つけることだけを考えよう。
そう思いながら、俺は目を閉じた。
でも、心のどこかで。
フラーラさんの言葉が、繰り返し響いていた。
「もしあなたが魔界に残るなら……私は、嬉しい」
その言葉の意味を、俺はまだ理解しきれていなかった。
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毎日のようにいじめを受けていた主人公の如月優斗は、ある日自分の学校が異世界へ転移したことを知る。召喚主によれば、生徒たちの中から救世主を探しているそうで、スマホを通してスキルをタダで配るのだという。それがきっかけで神スキルを得た如月は、あっという間に最強の男へと進化していく。
文字変換の勇者 ~ステータス改竄して生き残ります~
カタナヅキ
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高校の受験を間近に迫った少年「霧崎レア」彼は学校の帰宅の最中、車の衝突事故に巻き込まれそうになる。そんな彼を救い出そうと通りがかった4人の高校生が駆けつけるが、唐突に彼等の足元に「魔法陣」が誕生し、謎の光に飲み込まれてしまう。
気付いたときには5人は見知らぬ中世風の城の中に存在し、彼等の目の前には老人の集団が居た。老人達の話によると現在の彼等が存在する場所は「異世界」であり、元の世界に戻るためには自分達に協力し、世界征服を狙う「魔人族」と呼ばれる存在を倒すように協力を願われる。
だが、世界を救う勇者として召喚されたはずの人間には特別な能力が授かっているはずなのだが、伝承では勇者の人数は「4人」のはずであり、1人だけ他の人間と比べると能力が低かったレアは召喚に巻き込まれた一般人だと判断されて城から追放されてしまう――
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40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
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部長に傷つけられ続けた私
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なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
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ペーパードライバーが車ごと異世界転移する話
ぐだな
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車を買ったその日に事故にあった島屋健斗(シマヤ)は、どういう訳か車ごと異世界へ転移してしまう。
異世界には剣と魔法があるけれど、信号機もガソリンも無い!危険な魔境のど真ん中に放り出された島屋は、とりあえずカーナビに頼るしかないのだった。
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異世界仕様となった車(中古車)とペーパードライバーの運命はいかに…
異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?
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机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。
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(実践出来るかどうかは別だけど)
大和型戦艦、異世界に転移する。
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第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~
石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。
ありがとうございます
主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。
転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。
ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。
『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。
ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする
「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。
最遅で最強のレベルアップ~経験値1000分の1の大器晩成型探索者は勤続10年目10度目のレベルアップで覚醒しました!~
ある中管理職
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勤続10年目10度目のレベルアップ。
人よりも貰える経験値が極端に少なく、年に1回程度しかレベルアップしない32歳の主人公宮下要は10年掛かりようやくレベル10に到達した。
すると、ハズレスキル【大器晩成】が覚醒。
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チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。
探索者としての知名度や地位を一気に上げ、勤めていた店は討伐したレアモンスターの肉と素材の販売で大繁盛。
万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。
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