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第3話 瀬戸内の影
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1
それから一週間後、前田は思いがけない情報を手に入れた。
会社に届いた一通の匿名の手紙——差出人不明、消印は香川県坂出市。封筒の中には、一枚のメモと、数枚の写真が入っていた。
『水嶋総は瀬戸内海にいる。小与島を調べろ』
短い文面。しかし、その言葉は確信に満ちていた。
写真には、瀬戸内海に浮かぶ小さな島が写っていた。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の途中にある与島のすぐ隣、山が削られ中央に大きな池のできた島。そして、その島の海岸線近くに建つ、湾曲した白い大きな建物。
前田は写真を拡大してみた。建物の前には、作業服を着た人々の姿が小さく写っている。そして、その中に——
「これは……」
前田は息を呑んだ。確証はない。しかし、その人物のシルエットは、水嶋総によく似ていた。
前田は上司のデスクに向かった。
「部長、見てください。これ、今朝届いたんです」
上司は写真とメモを手に取り、眉をひそめた。
「匿名の情報提供か……信頼できるかどうか」
「分かりません。でも、調べる価値はあると思います」
「小与島……」上司はパソコンで検索を始めた。「ああ、ここか。バブル期に大型リゾートホテルの建設が始まったが、バブル崩壊で工事が中断。長年廃墟として放置されていた。しかし、最近になって……」
画面を覗き込む前田。そこには、地元紙の小さな記事が表示されていた。
『小与島の旧ホテル跡地、海洋開発企業が取得 研究施設として再開発へ』
記事の日付は、三ヶ月前。そして、記事には企業名が記されていた。
『日本オーシャンテクノロジー株式会社』
「この会社、聞いたことがありますか?」
「いや……」上司は検索を続けた。「設立は二年前。資本金は十億円。海洋資源の探査、海洋環境の調査研究を事業内容としている。代表取締役は……非公開か」
「怪しいですね」
「ああ。典型的なペーパーカンパニーの様相だ。おそらく、何かの隠れ蓑として設立されたんだろう」
上司は前田を見つめた。
「前田、行ってみるか?」
「はい。ぜひ」
「分かった。ただし、今回は一人では危険かもしれない。カメラマンを同行させる。それと……」
上司は声を落とした。
「もし本当に政府の秘密施設なら、監視されている可能性が高い。十分に注意しろ」
2
三日後、前田は岡山駅でカメラマンの佐々木と合流した。
佐々木健一、三十五歳。前田と同じ雑誌社に勤める、経験豊富なカメラマンだ。数々の調査報道に同行し、危険な現場も数多く経験してきた。
「久しぶりだな、前田。また面倒な取材か?」
「ええ、いつも通り」
前田は苦笑した。佐々木のような頼れる同行者がいることは心強かった。
二人はレンタカーで瀬戸中央自動車道を走った。五月下旬の瀬戸内海は、穏やかな初夏の光に包まれていた。
「しかし、いい景色だな」
佐々木が運転しながら言った。窓の外には、大小様々な島々が点在する瀬戸内海の美しい風景が広がっている。
「本当に。こんな平和な場所に、秘密施設があるなんて信じられませんね」
「だからこそ、隠れ場所として最適なのかもしれない」
「そろそろ与島だ。左手に見えるだろう。その向こうにあるのが、小与島だ」
「ええ。あそこに見える建物が問題の施設ですね」
車は螺旋階段を降りるようにぐるぐると回り、ようやく与島パーキングエリアに入った。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋のほぼ中間地点。ここは多くの観光客が立ち寄る、有名な休憩スポットだった。もっとも、今は、停まっている車の数も少なく、できた当初の賑やかだった頃を想像できるようなものは何も残っていない。以前は、島の東側に観光施設があったが、今は新たに作られた西側部分に限られている。
前田たちはパーキングエリアから島の東部へと車を走らせた。そこからは、与島のすぐ隣に浮かぶ小与島が、はっきりと見えた。
佐々木が望遠レンズをセットし、小与島を撮影し始めた。
「あれが例の建物か……」
小与島の北側、海に面した場所に、白い大きな建物が見えた。三階建て、横に長い少し湾曲した構造。周囲には新しく整備された道路と、ヘリポートらしきスペース。
「かなり大規模な改修工事をしたみたいだな」佐々木がファインダーを覗きながら言った。「あれだけの建物を維持するには、相当な資金が必要だ」
「海洋研究施設としては、規模が大きすぎる気がしますね」
「ああ。それに、あそこを見ろ」
佐々木が指差した方向を見ると、建物の横に、海に向かって突き出た桟橋のような構造物が新設されていた。
「船の発着場ですね」
「そうだが、普通の桟橋じゃない。あの幅、あの強度……かなり大型の船舶でも接岸できる設計だ」
前田は双眼鏡で詳しく観察した。確かに、研究用の小型船を係留するにしては、過剰な設備に見える。
「どうする?」佐々木が尋ねた。「もっと近くまで行ってみるか?」
「ええ。でも、直接は無理ですね。対岸から観察しましょう」
3
前田たちは与島の海岸線にそって北に車を走らせた。施設の対岸にあたる場所を探し、人目につかないよう、陸上げされた漁船の裏に車を停めた。
「ここなら大丈夫そうだな」
佐々木は車のトランクから機材を取り出した。望遠レンズ、三脚、それに小型のドローン。
「ドローンまで持ってきたんですか?」
「念のためにな。ただ、相手が政府関係なら、レーダーで探知される可能性がある。慎重に使おう」
二人は漁船の陰に陣取り、観察を始めた。距離は約四百メートル。望遠レンズでかなり詳細に見ることができる。
時刻は午後三時。施設は一見静かで、人の出入りもほとんどない。しかし、時折、作業服を着た人物が建物の間を移動するのが見えた。
「前田、あれを見ろ」
佐々木が小声で言った。カメラのモニターには、建物の裏手に停められた数台の車両が映っていた。
「……あれは」
前田は息を呑んだ。その中の一台は、明らかに軍用車両だった。ナンバープレートの形式、車体の色。前田は以前、防衛省を取材した時に、同じような車両を見たことがあった。
「やっぱり、ここは……」
「ああ。間違いなく、何かある」
佐々木はシャッターを切り続けた。記録として、できる限りあらゆる角度から施設や島全体を撮影する。
夕方近くになって、動きがあった。
建物の正面玄関から、十数人の人々が出てきた。スーツを着た人物もいれば、白衣を着た人物もいる。そして、その中に——
「水嶋先生……!」
前田は確信した。あの痩身の人物は、間違いなく水嶋総だった。
佐々木が素早く連写モードで撮影する。カメラのシャッター音が、小さく響く。
水嶋は他の人々と何か話をしながら、島の中央にある池に向かって歩いていった。その表情は、以前大学で会った時とは違って見えた。疲れているようでもあり、しかし、どこか充実した様子でもあった。
「これで確定だな」佐々木が言った。「水嶋総は、この施設で働いている」
「ええ……でも、何をしているのか」
その疑問に答えるかのように、施設の海側で動きがあった。
大きな扉が開き、内部から何かが運び出されてきた。円筒形の、白い物体。長さは五メートルほど。それは慎重に、クレーンで桟橋まで運ばれていく。
「あれは……」
前田は写真で見た、水嶋の試作機を思い出した。形状が似ている。いや、同じかもしれない。
「ドローンを飛ばすぞ」
佐々木が素早く小型ドローンを起動させた。プロペラ音を抑えた静音タイプで、上空から撮影できる。
ドローンは海上を低く飛び、小与島に接近していく。佐々木がタブレットで操作しながら、前田が映像を記録する。
モニターに映し出される映像——桟橋に運ばれた白い物体は、確かに前田が資料で見た試作機に似ていた。紡錘形の滑らかな外殻。外部に突起物はほとんどない。
「間違いない。あれが電磁推進システムの試作機だ」
前田が呟いた瞬間、突然、ドローンの映像が乱れた。
「何だ?」
佐々木が操作パネルを確認する。
「電波妨害だ。誰かがジャミングをかけている」
モニターの映像は完全に途切れ、ドローンは制御を失って海に落下した。
「クソ……」
「佐々木さん、あそこ!」
前田が指差した先には、施設の屋上に立つ人物の姿があった。手には、明らかに電波妨害装置と思われる機器。
そして、その人物はこちらを見ていた。
4
「まずい。気づかれた」
佐々木が機材を素早く片付け始めた。
「急いで車に戻るぞ」
二人が車に戻ろうとした時、背後から声がかかった。
「そこのお二人、少しお話しさせていただいていいですか」
振り向くと、三十代くらいの男性が立っていた。黒いスーツに、サングラス。一見すると普通のビジネスマンだが、厚い胸板とその立ち姿には、訓練された者特有の緊張感があった。
「あなたは……?」
前田が警戒しながら尋ねた。
「私は日本オーシャンテクノロジーの警備担当です。無許可でドローンを飛ばし、私有地を撮影されましたね」
「私有地? ここは公共の場所ですが」
「そうです。しかし、我が社の施設を無断で撮影することは、プライバシーの侵害にあたります」
男は一歩近づいてきた。佐々木が前田を庇うように立つ。
「我々は報道機関の者です。公共の場所から合法的に撮影を行っているだけです」
「報道?」男は冷笑した。「では、何を報道されるおつもりですか。我が社は正規の手続きを経て、海洋研究施設を運営しています。何も後ろ暗いことはありません」
「それなら、なぜ電波妨害などを?」
「企業秘密の保護です。当施設では最先端の技術開発を行っています。産業スパイから守るため、必要な措置です」
男の説明は理路整然としていた。しかし、その目は笑っていなかった。
「分かりました」前田は冷静に答えた。「では、正式に取材申請をさせていただきます。貴社の素晴らしい研究について、ぜひ国民に知らせたいので」
「……それは、本社の広報を通してください。連絡先は、ウェブサイトに記載されています」
男は名刺を差し出した。そこには『日本オーシャンテクノロジー株式会社 セキュリティ部 山本』とだけ書かれていた。
「それでは、失礼します」
前田と佐々木は、できるだけ平静を装って車に戻った。エンジンをかけ、その場を離れる。
バックミラーには、こちらを見つめる山本の姿があった。
5
坂出市内のビジネスホテルにチェックインした二人は、部屋で撮影した画像を確認していた。
「水嶋総の姿は、はっきり写っているな」
佐々木がパソコンの画面を拡大する。そこには、施設から出てくる水嶋の姿が鮮明に記録されていた。
「これで、水嶋先生がこの施設にいることは確実です」
「ああ。それに、あの白い物体——あれが電磁推進システムの試作機だとすれば、ここで実験が行われている可能性が高い」
前田はノートパソコンで、日本オーシャンテクノロジー社について調べていた。しかし、ウェブサイトは形式的なものばかりで、具体的な情報はほとんどない。
「典型的なダミー会社ですね」
「ああ。実態は、政府の秘密プロジェクトの隠れ蓑だろう」
前田のスマートフォンが鳴った。上司からだ。
「部長、前田です」
「どうだ、何か分かったか?」
「はい。水嶋先生を確認しました。それに、試作機らしいものも」
「そうか……」上司は少し沈黙した。「前田、気をつけろ。さっき、防衛省の知人から連絡があった。君たちが小与島の対岸にいたこと、もう向こうは把握しているそうだ」
「え……」
「相手は本気だ。これ以上深入りすると、本当に危険かもしれない」
前田は窓の外を見た。夕暮れの瀬戸内海が、オレンジ色に染まっている。
「部長、でも……」
「分かっている。記者として、ここで引き下がれないことは。だが、慎重に頼む。証拠を掴むのは重要だが、君の身の安全はもっと重要だ」
「分かりました」
電話を切った前田は、佐々木を見た。
「どうする?」佐々木が尋ねた。
「……もう少し、調べてみます。でも、直接的な接触は避けようと思います。まずは、地元の人たちから情報を集めるところから」
「了解」
その夜、二人は坂出市内の居酒屋で、地元の漁師たちと言葉を交わした。
「小与島? ああ、最近妙に賑やかだな」
六十代の漁師が、酒を飲みながら言った。
「夜中に、大型の船が出入りしているのを見たことがある。それも、ライトを消してな」
「夜中に?」
「ああ。普通の研究施設なら、そんなことはしない。何か、隠したいものがあるんだろうよ」
別の漁師が口を挟んだ。
「それに、あの島の周辺、立ち入り禁止区域が設定されているんだ。海上保安庁の巡視船が、常に監視している」
「海洋研究のためと言ってるが」最初の漁師が続けた。「俺らには、そうは思えん。あれは、何か別のものだ」
前田はメモを取りながら、確信を深めていった。
小与島の施設——それは単なる海洋研究施設ではない。水嶋総の電磁推進システムを実用化するための、秘密の実験施設だ。
そして、その背後には、政府の、あるいは防衛省の強い意志がある。
ホテルに戻った前田は、一人ベッドに座り、今日の出来事を整理していた。
匿名の手紙——それは誰が送ってきたのか。内部告発者なのか、それとも、自分を何かの罠に誘い込もうとしているのか。
前田はふと、あの男の顔を思い出した。
安藤——水嶋を説得し、この計画に引き込んだ謎の男。彼は今、どこにいるのか。
窓の外では、瀬戸大橋のライトが海面に映り、美しい光の帯を作っていた。
平和な景色の裏側で、国家的な秘密が動いている。
そして、自分はその秘密の、ほんの入口に立ったばかりだ。
前田は深く息をつき、明日の行動を考え始めた。
それから一週間後、前田は思いがけない情報を手に入れた。
会社に届いた一通の匿名の手紙——差出人不明、消印は香川県坂出市。封筒の中には、一枚のメモと、数枚の写真が入っていた。
『水嶋総は瀬戸内海にいる。小与島を調べろ』
短い文面。しかし、その言葉は確信に満ちていた。
写真には、瀬戸内海に浮かぶ小さな島が写っていた。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の途中にある与島のすぐ隣、山が削られ中央に大きな池のできた島。そして、その島の海岸線近くに建つ、湾曲した白い大きな建物。
前田は写真を拡大してみた。建物の前には、作業服を着た人々の姿が小さく写っている。そして、その中に——
「これは……」
前田は息を呑んだ。確証はない。しかし、その人物のシルエットは、水嶋総によく似ていた。
前田は上司のデスクに向かった。
「部長、見てください。これ、今朝届いたんです」
上司は写真とメモを手に取り、眉をひそめた。
「匿名の情報提供か……信頼できるかどうか」
「分かりません。でも、調べる価値はあると思います」
「小与島……」上司はパソコンで検索を始めた。「ああ、ここか。バブル期に大型リゾートホテルの建設が始まったが、バブル崩壊で工事が中断。長年廃墟として放置されていた。しかし、最近になって……」
画面を覗き込む前田。そこには、地元紙の小さな記事が表示されていた。
『小与島の旧ホテル跡地、海洋開発企業が取得 研究施設として再開発へ』
記事の日付は、三ヶ月前。そして、記事には企業名が記されていた。
『日本オーシャンテクノロジー株式会社』
「この会社、聞いたことがありますか?」
「いや……」上司は検索を続けた。「設立は二年前。資本金は十億円。海洋資源の探査、海洋環境の調査研究を事業内容としている。代表取締役は……非公開か」
「怪しいですね」
「ああ。典型的なペーパーカンパニーの様相だ。おそらく、何かの隠れ蓑として設立されたんだろう」
上司は前田を見つめた。
「前田、行ってみるか?」
「はい。ぜひ」
「分かった。ただし、今回は一人では危険かもしれない。カメラマンを同行させる。それと……」
上司は声を落とした。
「もし本当に政府の秘密施設なら、監視されている可能性が高い。十分に注意しろ」
2
三日後、前田は岡山駅でカメラマンの佐々木と合流した。
佐々木健一、三十五歳。前田と同じ雑誌社に勤める、経験豊富なカメラマンだ。数々の調査報道に同行し、危険な現場も数多く経験してきた。
「久しぶりだな、前田。また面倒な取材か?」
「ええ、いつも通り」
前田は苦笑した。佐々木のような頼れる同行者がいることは心強かった。
二人はレンタカーで瀬戸中央自動車道を走った。五月下旬の瀬戸内海は、穏やかな初夏の光に包まれていた。
「しかし、いい景色だな」
佐々木が運転しながら言った。窓の外には、大小様々な島々が点在する瀬戸内海の美しい風景が広がっている。
「本当に。こんな平和な場所に、秘密施設があるなんて信じられませんね」
「だからこそ、隠れ場所として最適なのかもしれない」
「そろそろ与島だ。左手に見えるだろう。その向こうにあるのが、小与島だ」
「ええ。あそこに見える建物が問題の施設ですね」
車は螺旋階段を降りるようにぐるぐると回り、ようやく与島パーキングエリアに入った。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋のほぼ中間地点。ここは多くの観光客が立ち寄る、有名な休憩スポットだった。もっとも、今は、停まっている車の数も少なく、できた当初の賑やかだった頃を想像できるようなものは何も残っていない。以前は、島の東側に観光施設があったが、今は新たに作られた西側部分に限られている。
前田たちはパーキングエリアから島の東部へと車を走らせた。そこからは、与島のすぐ隣に浮かぶ小与島が、はっきりと見えた。
佐々木が望遠レンズをセットし、小与島を撮影し始めた。
「あれが例の建物か……」
小与島の北側、海に面した場所に、白い大きな建物が見えた。三階建て、横に長い少し湾曲した構造。周囲には新しく整備された道路と、ヘリポートらしきスペース。
「かなり大規模な改修工事をしたみたいだな」佐々木がファインダーを覗きながら言った。「あれだけの建物を維持するには、相当な資金が必要だ」
「海洋研究施設としては、規模が大きすぎる気がしますね」
「ああ。それに、あそこを見ろ」
佐々木が指差した方向を見ると、建物の横に、海に向かって突き出た桟橋のような構造物が新設されていた。
「船の発着場ですね」
「そうだが、普通の桟橋じゃない。あの幅、あの強度……かなり大型の船舶でも接岸できる設計だ」
前田は双眼鏡で詳しく観察した。確かに、研究用の小型船を係留するにしては、過剰な設備に見える。
「どうする?」佐々木が尋ねた。「もっと近くまで行ってみるか?」
「ええ。でも、直接は無理ですね。対岸から観察しましょう」
3
前田たちは与島の海岸線にそって北に車を走らせた。施設の対岸にあたる場所を探し、人目につかないよう、陸上げされた漁船の裏に車を停めた。
「ここなら大丈夫そうだな」
佐々木は車のトランクから機材を取り出した。望遠レンズ、三脚、それに小型のドローン。
「ドローンまで持ってきたんですか?」
「念のためにな。ただ、相手が政府関係なら、レーダーで探知される可能性がある。慎重に使おう」
二人は漁船の陰に陣取り、観察を始めた。距離は約四百メートル。望遠レンズでかなり詳細に見ることができる。
時刻は午後三時。施設は一見静かで、人の出入りもほとんどない。しかし、時折、作業服を着た人物が建物の間を移動するのが見えた。
「前田、あれを見ろ」
佐々木が小声で言った。カメラのモニターには、建物の裏手に停められた数台の車両が映っていた。
「……あれは」
前田は息を呑んだ。その中の一台は、明らかに軍用車両だった。ナンバープレートの形式、車体の色。前田は以前、防衛省を取材した時に、同じような車両を見たことがあった。
「やっぱり、ここは……」
「ああ。間違いなく、何かある」
佐々木はシャッターを切り続けた。記録として、できる限りあらゆる角度から施設や島全体を撮影する。
夕方近くになって、動きがあった。
建物の正面玄関から、十数人の人々が出てきた。スーツを着た人物もいれば、白衣を着た人物もいる。そして、その中に——
「水嶋先生……!」
前田は確信した。あの痩身の人物は、間違いなく水嶋総だった。
佐々木が素早く連写モードで撮影する。カメラのシャッター音が、小さく響く。
水嶋は他の人々と何か話をしながら、島の中央にある池に向かって歩いていった。その表情は、以前大学で会った時とは違って見えた。疲れているようでもあり、しかし、どこか充実した様子でもあった。
「これで確定だな」佐々木が言った。「水嶋総は、この施設で働いている」
「ええ……でも、何をしているのか」
その疑問に答えるかのように、施設の海側で動きがあった。
大きな扉が開き、内部から何かが運び出されてきた。円筒形の、白い物体。長さは五メートルほど。それは慎重に、クレーンで桟橋まで運ばれていく。
「あれは……」
前田は写真で見た、水嶋の試作機を思い出した。形状が似ている。いや、同じかもしれない。
「ドローンを飛ばすぞ」
佐々木が素早く小型ドローンを起動させた。プロペラ音を抑えた静音タイプで、上空から撮影できる。
ドローンは海上を低く飛び、小与島に接近していく。佐々木がタブレットで操作しながら、前田が映像を記録する。
モニターに映し出される映像——桟橋に運ばれた白い物体は、確かに前田が資料で見た試作機に似ていた。紡錘形の滑らかな外殻。外部に突起物はほとんどない。
「間違いない。あれが電磁推進システムの試作機だ」
前田が呟いた瞬間、突然、ドローンの映像が乱れた。
「何だ?」
佐々木が操作パネルを確認する。
「電波妨害だ。誰かがジャミングをかけている」
モニターの映像は完全に途切れ、ドローンは制御を失って海に落下した。
「クソ……」
「佐々木さん、あそこ!」
前田が指差した先には、施設の屋上に立つ人物の姿があった。手には、明らかに電波妨害装置と思われる機器。
そして、その人物はこちらを見ていた。
4
「まずい。気づかれた」
佐々木が機材を素早く片付け始めた。
「急いで車に戻るぞ」
二人が車に戻ろうとした時、背後から声がかかった。
「そこのお二人、少しお話しさせていただいていいですか」
振り向くと、三十代くらいの男性が立っていた。黒いスーツに、サングラス。一見すると普通のビジネスマンだが、厚い胸板とその立ち姿には、訓練された者特有の緊張感があった。
「あなたは……?」
前田が警戒しながら尋ねた。
「私は日本オーシャンテクノロジーの警備担当です。無許可でドローンを飛ばし、私有地を撮影されましたね」
「私有地? ここは公共の場所ですが」
「そうです。しかし、我が社の施設を無断で撮影することは、プライバシーの侵害にあたります」
男は一歩近づいてきた。佐々木が前田を庇うように立つ。
「我々は報道機関の者です。公共の場所から合法的に撮影を行っているだけです」
「報道?」男は冷笑した。「では、何を報道されるおつもりですか。我が社は正規の手続きを経て、海洋研究施設を運営しています。何も後ろ暗いことはありません」
「それなら、なぜ電波妨害などを?」
「企業秘密の保護です。当施設では最先端の技術開発を行っています。産業スパイから守るため、必要な措置です」
男の説明は理路整然としていた。しかし、その目は笑っていなかった。
「分かりました」前田は冷静に答えた。「では、正式に取材申請をさせていただきます。貴社の素晴らしい研究について、ぜひ国民に知らせたいので」
「……それは、本社の広報を通してください。連絡先は、ウェブサイトに記載されています」
男は名刺を差し出した。そこには『日本オーシャンテクノロジー株式会社 セキュリティ部 山本』とだけ書かれていた。
「それでは、失礼します」
前田と佐々木は、できるだけ平静を装って車に戻った。エンジンをかけ、その場を離れる。
バックミラーには、こちらを見つめる山本の姿があった。
5
坂出市内のビジネスホテルにチェックインした二人は、部屋で撮影した画像を確認していた。
「水嶋総の姿は、はっきり写っているな」
佐々木がパソコンの画面を拡大する。そこには、施設から出てくる水嶋の姿が鮮明に記録されていた。
「これで、水嶋先生がこの施設にいることは確実です」
「ああ。それに、あの白い物体——あれが電磁推進システムの試作機だとすれば、ここで実験が行われている可能性が高い」
前田はノートパソコンで、日本オーシャンテクノロジー社について調べていた。しかし、ウェブサイトは形式的なものばかりで、具体的な情報はほとんどない。
「典型的なダミー会社ですね」
「ああ。実態は、政府の秘密プロジェクトの隠れ蓑だろう」
前田のスマートフォンが鳴った。上司からだ。
「部長、前田です」
「どうだ、何か分かったか?」
「はい。水嶋先生を確認しました。それに、試作機らしいものも」
「そうか……」上司は少し沈黙した。「前田、気をつけろ。さっき、防衛省の知人から連絡があった。君たちが小与島の対岸にいたこと、もう向こうは把握しているそうだ」
「え……」
「相手は本気だ。これ以上深入りすると、本当に危険かもしれない」
前田は窓の外を見た。夕暮れの瀬戸内海が、オレンジ色に染まっている。
「部長、でも……」
「分かっている。記者として、ここで引き下がれないことは。だが、慎重に頼む。証拠を掴むのは重要だが、君の身の安全はもっと重要だ」
「分かりました」
電話を切った前田は、佐々木を見た。
「どうする?」佐々木が尋ねた。
「……もう少し、調べてみます。でも、直接的な接触は避けようと思います。まずは、地元の人たちから情報を集めるところから」
「了解」
その夜、二人は坂出市内の居酒屋で、地元の漁師たちと言葉を交わした。
「小与島? ああ、最近妙に賑やかだな」
六十代の漁師が、酒を飲みながら言った。
「夜中に、大型の船が出入りしているのを見たことがある。それも、ライトを消してな」
「夜中に?」
「ああ。普通の研究施設なら、そんなことはしない。何か、隠したいものがあるんだろうよ」
別の漁師が口を挟んだ。
「それに、あの島の周辺、立ち入り禁止区域が設定されているんだ。海上保安庁の巡視船が、常に監視している」
「海洋研究のためと言ってるが」最初の漁師が続けた。「俺らには、そうは思えん。あれは、何か別のものだ」
前田はメモを取りながら、確信を深めていった。
小与島の施設——それは単なる海洋研究施設ではない。水嶋総の電磁推進システムを実用化するための、秘密の実験施設だ。
そして、その背後には、政府の、あるいは防衛省の強い意志がある。
ホテルに戻った前田は、一人ベッドに座り、今日の出来事を整理していた。
匿名の手紙——それは誰が送ってきたのか。内部告発者なのか、それとも、自分を何かの罠に誘い込もうとしているのか。
前田はふと、あの男の顔を思い出した。
安藤——水嶋を説得し、この計画に引き込んだ謎の男。彼は今、どこにいるのか。
窓の外では、瀬戸大橋のライトが海面に映り、美しい光の帯を作っていた。
平和な景色の裏側で、国家的な秘密が動いている。
そして、自分はその秘密の、ほんの入口に立ったばかりだ。
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またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
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大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
名もなき民の戦国時代
のらしろ
ファンタジー
徹夜で作った卒論を持って大学に向かう途中で、定番の異世界転生。
異世界特急便のトラックにはねられて戦国時代に飛ばされた。
しかも、よくある有名人の代わりや、戦国武将とは全く縁もゆかりもない庶民、しかも子供の姿で桑名傍の浜に打ち上げられる。
幸いなことに通りかかった修行僧の玄奘様に助けられて異世界生活が始まる。
でも、庶民、それも孤児の身分からの出発で、大学生までの生活で培った現代知識だけを持ってどこまで戦国の世でやっていけるか。
とにかく、主人公の孫空は生き残ることだけ考えて、周りを巻き込み無双していくお話です。
異世界で農業を -異世界編-
半道海豚
SF
地球温暖化が進んだ近未来のお話しです。世界は食糧難に陥っていますが、日本はどうにか食糧の確保に成功しています。しかし、その裏で、食糧マフィアが暗躍。誰もが食費の高騰に悩み、危機に陥っています。
そんな世界で自給自足で乗り越えようとした男性がいました。彼は農地を作るため、祖先が残した管理されていない荒れた山に戻ります。そして、異世界への通路を発見するのです。異常気象の元世界ではなく、気候が安定した異世界での農業に活路を見出そうとしますが、異世界は理不尽な封建制社会でした。
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