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第4話 広島の地下
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1
小与島での取材から一週間後、前田は新たな情報を掴んでいた。
それは、水嶋総の携帯電話の位置情報ではない。そんな高度な調査手段を、一記者が使えるはずもない。情報源は、もっと地道なものだった——SNSだ。
小与島の施設で働く作業員の一人が、何気なくアップした写真。「広島出張なう」というキャプションと共に、広島駅の新幹線ホームが写っていた。そして、その背景に、ぼんやりと写り込んでいた人物——前田は画像を拡大し、確信した。
水嶋総だ。
前田はすぐに上司に報告し、広島への出張許可を得た。佐々木は別の取材で動けないため、今回は単独行動となった。
新幹線で広島に向かう車中、前田は広島の地図を眺めていた。広島市——原爆ドームと平和記念公園で知られる、人口百二十万人の地方中核都市。なぜ、水嶋はここに来たのか。
スマートフォンで検索すると、気になる記事がいくつか見つかった。
『広島高速5号線・二葉山トンネル、工事遅延で開通予定を2年延期』
『平和大通り地下貯水施設、建設開始から3年経過も完成見通し立たず』
どちらも大規模な地下工事だ。そして、どちらも予定より大幅に遅れている。
記事を読み進めると、遅延の理由は「掘削機の不具合」「地質調査の追加実施」など、技術的な問題とされていた。しかし、前田の記者としての直感が、何か別の理由があるのではないかと囁いていた。
広島駅に到着した前田は、まず駅前のホテルにチェックインし、荷物を置いてから市内の調査に向かった。
最初の目的地は、二葉山トンネルの工事現場だった。
2
二葉山は広島市の東部に位置する標高139メートルの小さな山だ。その下を貫く形で、新しい高速道路のトンネルが建設されている——はずだった。
工事現場は新幹線ホームから見ることができるほど近くにあった。前田は付近まで歩いて行き、少し離れた場所から観察した。
工事現場は、予想以上に静かだった。大型の建設機械は見えるが、動いている様子はない。作業員の姿もまばらだ。しかし、現場の周囲には、新しい高いフェンスが張り巡らされ、「関係者以外立入禁止」の看板が目立つように掲げられていた。
前田が現場の様子を撮影していると、作業服を着た男性が近づいてきた。
「すみません、ここは工事現場ですので、撮影は……」
「あ、失礼しました。私、建設専門誌の記者でして」
前田は咄嗟に嘘をついた。名刺入れから、以前別の取材で作った架空の名刺を取り出す。
「この工事について取材したいのですが」
「取材……」男性は困惑した表情を浮かべた。「それは、広報を通していただかないと」
「そうですか。では、少しだけお聞きしてもいいですか。この工事、かなり遅れていると聞きましたが」
「ええ、まあ……地質が予想より複雑で」
男性は言葉を濁した。その目が、一瞬、現場の奥を見た。前田もその視線を追うと、現場の最も奥まった場所に、通常の工事現場とは雰囲気の異なる、白いプレハブ小屋が見えた。
「あれは何ですか?」
「あれは……現場事務所です」
明らかに嘘だった。現場事務所なら、もっと入口近くにあるはずだ。それに、あのプレハブには、複数の監視カメラと、警備員らしき人物が見えた。
「そうですか。ありがとうございました」
前田はそれ以上追求せず、その場を離れた。しかし、確信は深まった。この工事現場では、表向きのトンネル工事とは別の何かが行われている。
3
次に向かったのは、広島市の中心部——平和大通りだった。
平和大通りは、幅100メートルという日本有数の広い道路だ。平和記念公園から東西に延び、広島の都心を貫いている。その地下で、洪水対策のための大規模な貯水施設が建設されているという。
前田は大通り沿いを歩きながら、工事現場を探した。そして、本通り商店街に近い場所で、大規模な工事区画を見つけた。
ここも、二葉山の現場と同様、厳重なフェンスで囲まれていた。しかし、こちらは都心部のため、完全に人目を避けることはできない。多くの市民や観光客が行き交う中で、工事は進められていた。
前田はフェンス越しに内部を観察した。深い縦穴が掘られ、そこから横方向に坑道が延びているようだった。クレーンが資材を地下に降ろし、時折、作業員が出入りしている。
そして、前田は奇妙なことに気づいた。
工事現場の近くに、数人の外国人観光客らしい人々がいた。スマートフォンやカメラを手に、平和大通りの写真を撮っているように見える。しかし、彼らのカメラは、むしろ工事現場の方を向いていた。
白人の男性、アジア系の女性、中東系と思われる男性——国籍はバラバラだが、彼らの動きには共通点があった。カジュアルな服装で観光客を装いながら、執拗に工事現場を撮影している。
前田は少し離れた場所から、その様子を観察した。そして、スマートフォンで彼らの姿を記録した。
やがて、彼らは散り散りになって立ち去った。しかし、その前に、一人の男性が小さなデバイスを取り出し、何かを操作しているのが見えた。データの送信か、それとも——
前田はその男性を追うことにした。
4
男性は本通り商店街を抜け、やがて平和記念公園の方へと向かった。前田は距離を保ちながら、後をつけた。
公園内に入ると、男性は原爆ドームの近くで立ち止まった。そして、スマートフォンで通話を始めた。言語は英語——いや、少し違う。ロシア語かもしれない。
前田は録音アプリを起動させ、できるだけ近づいた。しかし、会話の内容を理解することはできなかった。
通話が終わると、男性は公園を出て、路面電車の電停へと向かった。前田もそれを追う。
電車に乗り込む男性。前田も別の車両から乗り込んだ。電車は広島駅方面へと進む。
途中、男性が降りたのは、八丁堀という繁華街の停留所だった。前田も後を追って降りる。
男性はビルの立ち並ぶ通りを北に歩き、やがて、一軒のビジネスホテルに入っていった。前田はロビーまで入り、男性がエレベーターで上階に上がるのを確認した。
フロントで何気なく尋ねてみる。
「すみません、今入っていった外国の方、私の知人かもしれないのですが……」
「ああ、403号室のお客様ですね。ロシアからいらっしゃった方です」
「やっぱり。ありがとうございます」
前田はホテルを出て、近くのカフェに入った。そして、今日の情報を整理し始めた。
二葉山トンネル——表向きの工事とは別の、秘密の施設が建設されている可能性。
平和大通り地下——同様に、何か別の目的がありそう。
そして、工事現場を監視する外国人たち——彼らは何者なのか。
前田はパソコンを開き、検索を続けた。すると、興味深い情報が見つかった。
『広島市、新たな防災システム構築へ 地下施設の整備を加速』
この記事は三ヶ月前のもので、市長の定例会見を伝えていた。しかし、具体的な内容はほとんど書かれていない。「防災」という言葉だけが強調されていた。
前田は考えた。もし、これらの地下施設が、単なる防災施設ではなく、軍事目的——たとえば、指揮統制施設や、物資の秘密輸送路として建設されているとしたら?
そして、その施設と、水嶋の電磁推進システムが、何らかの形で結びついているとしたら?
前田の思考は、一つの仮説に収束していった。
日本政府は、国会の承認を得ずに、秘密裏に大規模な軍事インフラを構築している。小与島の施設で開発された技術を、広島で実用化しようとしている——
その時、カフェの入口から、見覚えのある人物が入ってきた。
前田は息を呑んだ。
安藤——あの謎の男が、ここにいる。
5
安藤は前田に気づいていない様子で、カウンターでコーヒーを注文した。そして、窓際の席に座り、スマートフォンを見始めた。
前田は迷った。声をかけるべきか、それとも観察を続けるべきか。
しかし、ここで逃せば、次の機会はないかもしれない。前田は意を決して、安藤のテーブルに近づいた。
「安藤さん、お久しぶりです」
安藤は顔を上げ、一瞬驚いた表情を見せた。しかし、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、前田さん……でしたね。日本先端技術大学でお会いした」
「覚えていてくださったんですね」
「ええ、記者の方でしたね。どうしてここに?」
「取材です。安藤さんこそ、広島で何を?」
「私も仕事ですよ。つまらない出張です」
安藤は椅子を引いて、前田に座るよう促した。前田は慎重に腰を下ろした。
「仕事……防衛省の?」
「ええ、まあ」安藤は曖昧に答えた。「公務員ですから、出張も多いんです」
「水嶋先生のことで伺いたいのですが」
「水嶋先生?」安藤の表情が、僅かに変わった。「ああ、先生はお元気ですよ。新しい職場で、充実しておられるようです」
「どこで働いているんですか?」
「それは……私から申し上げることはできません。個人情報ですので」
安藤は丁寧に、しかし明確に拒絶した。
「でも、国民には知る権利があります。公的な研究費で開発された技術が、どこでどう使われているのか」
「前田さん」安藤は声を低くした。「あなたは聡明な方だ。だからこそ、あまり深入りしない方がいいと、忠告しておきます」
「脅しですか?」
「いいえ、忠告です」安藤は真剣な目で前田を見つめた。「世の中には、知らない方がいいこともある。特に、国家の安全保障に関わることは」
「でも、それは民主主義の否定では?」
「民主主義は大切です。しかし、それを守るためには、時に秘密も必要なんです」
安藤はコーヒーを一口飲んだ。
「前田さん、国会をご覧になったことがありますね。あの空転を。周辺諸国が軍備を増強し、我が国の領海に侵入を繰り返している今、国会は一体何をしていますか?」
「それは……」
「野党は防衛費の増額に反対し、予算案の審議は進まない。理想論は美しい。しかし、理想だけでは国は守れないんです」
安藤の言葉には、強い信念があった。
「だから、国会を迂回して秘密裏に開発を進めるんですか?」
「私はそのようなことは何も言っていませんよ」安藤は微笑んだ。「ただ、仮の話をしているだけです」
前田は安藤の目を見つめた。この男は、確信を持って何かを進めている。それが正しいかどうかは別として、彼は自分の行動に責任を持っている。
「安藤さん、一つだけ教えてください。広島で、何が起ころうとしているんですか?」
安藤は少し考えた後、口を開いた。
「平和記念式典をご存知ですね。今週末、総理が広島を訪問されます。その準備で、私もこちらに来ているんです」
「それだけですか?」
「それだけです」
明らかに、全てを語っているわけではなかった。しかし、これ以上追求しても、答えは得られないだろう。
「分かりました。お時間をいただき、ありがとうございました」
前田は立ち上がろうとした。しかし、安藤が声をかけた。
「前田さん、一つだけ」
「はい?」
「あなたが見たもの、調べたこと——それを報道するかどうかは、あなたの判断です。しかし、その報道が、結果として国益を損なう可能性があることも、どうか考えてください」
前田は黙って頷き、カフェを出た。
6
ホテルに戻った前田は、一人部屋で今日の出来事を振り返っていた。
安藤の言葉——「国益」「安全保障」「秘密の必要性」。それらは、一定の説得力を持っていた。
しかし同時に、それは権力による情報統制の正当化でもある。国民に知らせず、選ばれた少数の人間だけが重要な決定を下す。それは、民主主義の根幹を揺るがす。
前田はベッドに座り、窓の外を見た。広島の街の灯りが、夜空に広がっている。
この街は、かつて原爆で壊滅的な被害を受けた。そして、平和を願い続けてきた。その広島で、今、新たな軍事計画が進められているとしたら——
前田のスマートフォンが鳴った。上司からだ。
「部長、前田です」
「前田、無事か? 広島で何かあったか?」
「はい、いくつか情報を掴みました。それと……安藤に会いました」
「安藤に? 何と言っていた?」
「詳しくは話してくれませんでしたが、総理の広島訪問に関わっているようです」
「総理の……」上司は考え込んだ。「平和記念式典か。しかし、それだけのために防衛省の人間が動くとは思えない。何か、もっと大きなことがあるんだろう」
「私もそう思います」
「分かった。引き続き注意して調査してくれ。しかし、危険を感じたらすぐに撤退しろ。いいな?」
「はい」
電話を切った前田は、再び窓の外を見つめた。
明日は、もう一度平和大通りの工事現場を調べよう。そして、できれば地元の人々から情報を集めたい。
前田はノートパソコンを開き、今日のメモを整理し始めた。記者としての使命感と、国家の安全保障という大義。その間で揺れ動きながら、前田は真実を追い続ける。
窓の外では、広島の夜が静かに更けていく。
しかし、この街の地下では——そして、見えない場所では——何かが確実に動いていた。
小与島での取材から一週間後、前田は新たな情報を掴んでいた。
それは、水嶋総の携帯電話の位置情報ではない。そんな高度な調査手段を、一記者が使えるはずもない。情報源は、もっと地道なものだった——SNSだ。
小与島の施設で働く作業員の一人が、何気なくアップした写真。「広島出張なう」というキャプションと共に、広島駅の新幹線ホームが写っていた。そして、その背景に、ぼんやりと写り込んでいた人物——前田は画像を拡大し、確信した。
水嶋総だ。
前田はすぐに上司に報告し、広島への出張許可を得た。佐々木は別の取材で動けないため、今回は単独行動となった。
新幹線で広島に向かう車中、前田は広島の地図を眺めていた。広島市——原爆ドームと平和記念公園で知られる、人口百二十万人の地方中核都市。なぜ、水嶋はここに来たのか。
スマートフォンで検索すると、気になる記事がいくつか見つかった。
『広島高速5号線・二葉山トンネル、工事遅延で開通予定を2年延期』
『平和大通り地下貯水施設、建設開始から3年経過も完成見通し立たず』
どちらも大規模な地下工事だ。そして、どちらも予定より大幅に遅れている。
記事を読み進めると、遅延の理由は「掘削機の不具合」「地質調査の追加実施」など、技術的な問題とされていた。しかし、前田の記者としての直感が、何か別の理由があるのではないかと囁いていた。
広島駅に到着した前田は、まず駅前のホテルにチェックインし、荷物を置いてから市内の調査に向かった。
最初の目的地は、二葉山トンネルの工事現場だった。
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二葉山は広島市の東部に位置する標高139メートルの小さな山だ。その下を貫く形で、新しい高速道路のトンネルが建設されている——はずだった。
工事現場は新幹線ホームから見ることができるほど近くにあった。前田は付近まで歩いて行き、少し離れた場所から観察した。
工事現場は、予想以上に静かだった。大型の建設機械は見えるが、動いている様子はない。作業員の姿もまばらだ。しかし、現場の周囲には、新しい高いフェンスが張り巡らされ、「関係者以外立入禁止」の看板が目立つように掲げられていた。
前田が現場の様子を撮影していると、作業服を着た男性が近づいてきた。
「すみません、ここは工事現場ですので、撮影は……」
「あ、失礼しました。私、建設専門誌の記者でして」
前田は咄嗟に嘘をついた。名刺入れから、以前別の取材で作った架空の名刺を取り出す。
「この工事について取材したいのですが」
「取材……」男性は困惑した表情を浮かべた。「それは、広報を通していただかないと」
「そうですか。では、少しだけお聞きしてもいいですか。この工事、かなり遅れていると聞きましたが」
「ええ、まあ……地質が予想より複雑で」
男性は言葉を濁した。その目が、一瞬、現場の奥を見た。前田もその視線を追うと、現場の最も奥まった場所に、通常の工事現場とは雰囲気の異なる、白いプレハブ小屋が見えた。
「あれは何ですか?」
「あれは……現場事務所です」
明らかに嘘だった。現場事務所なら、もっと入口近くにあるはずだ。それに、あのプレハブには、複数の監視カメラと、警備員らしき人物が見えた。
「そうですか。ありがとうございました」
前田はそれ以上追求せず、その場を離れた。しかし、確信は深まった。この工事現場では、表向きのトンネル工事とは別の何かが行われている。
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次に向かったのは、広島市の中心部——平和大通りだった。
平和大通りは、幅100メートルという日本有数の広い道路だ。平和記念公園から東西に延び、広島の都心を貫いている。その地下で、洪水対策のための大規模な貯水施設が建設されているという。
前田は大通り沿いを歩きながら、工事現場を探した。そして、本通り商店街に近い場所で、大規模な工事区画を見つけた。
ここも、二葉山の現場と同様、厳重なフェンスで囲まれていた。しかし、こちらは都心部のため、完全に人目を避けることはできない。多くの市民や観光客が行き交う中で、工事は進められていた。
前田はフェンス越しに内部を観察した。深い縦穴が掘られ、そこから横方向に坑道が延びているようだった。クレーンが資材を地下に降ろし、時折、作業員が出入りしている。
そして、前田は奇妙なことに気づいた。
工事現場の近くに、数人の外国人観光客らしい人々がいた。スマートフォンやカメラを手に、平和大通りの写真を撮っているように見える。しかし、彼らのカメラは、むしろ工事現場の方を向いていた。
白人の男性、アジア系の女性、中東系と思われる男性——国籍はバラバラだが、彼らの動きには共通点があった。カジュアルな服装で観光客を装いながら、執拗に工事現場を撮影している。
前田は少し離れた場所から、その様子を観察した。そして、スマートフォンで彼らの姿を記録した。
やがて、彼らは散り散りになって立ち去った。しかし、その前に、一人の男性が小さなデバイスを取り出し、何かを操作しているのが見えた。データの送信か、それとも——
前田はその男性を追うことにした。
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男性は本通り商店街を抜け、やがて平和記念公園の方へと向かった。前田は距離を保ちながら、後をつけた。
公園内に入ると、男性は原爆ドームの近くで立ち止まった。そして、スマートフォンで通話を始めた。言語は英語——いや、少し違う。ロシア語かもしれない。
前田は録音アプリを起動させ、できるだけ近づいた。しかし、会話の内容を理解することはできなかった。
通話が終わると、男性は公園を出て、路面電車の電停へと向かった。前田もそれを追う。
電車に乗り込む男性。前田も別の車両から乗り込んだ。電車は広島駅方面へと進む。
途中、男性が降りたのは、八丁堀という繁華街の停留所だった。前田も後を追って降りる。
男性はビルの立ち並ぶ通りを北に歩き、やがて、一軒のビジネスホテルに入っていった。前田はロビーまで入り、男性がエレベーターで上階に上がるのを確認した。
フロントで何気なく尋ねてみる。
「すみません、今入っていった外国の方、私の知人かもしれないのですが……」
「ああ、403号室のお客様ですね。ロシアからいらっしゃった方です」
「やっぱり。ありがとうございます」
前田はホテルを出て、近くのカフェに入った。そして、今日の情報を整理し始めた。
二葉山トンネル——表向きの工事とは別の、秘密の施設が建設されている可能性。
平和大通り地下——同様に、何か別の目的がありそう。
そして、工事現場を監視する外国人たち——彼らは何者なのか。
前田はパソコンを開き、検索を続けた。すると、興味深い情報が見つかった。
『広島市、新たな防災システム構築へ 地下施設の整備を加速』
この記事は三ヶ月前のもので、市長の定例会見を伝えていた。しかし、具体的な内容はほとんど書かれていない。「防災」という言葉だけが強調されていた。
前田は考えた。もし、これらの地下施設が、単なる防災施設ではなく、軍事目的——たとえば、指揮統制施設や、物資の秘密輸送路として建設されているとしたら?
そして、その施設と、水嶋の電磁推進システムが、何らかの形で結びついているとしたら?
前田の思考は、一つの仮説に収束していった。
日本政府は、国会の承認を得ずに、秘密裏に大規模な軍事インフラを構築している。小与島の施設で開発された技術を、広島で実用化しようとしている——
その時、カフェの入口から、見覚えのある人物が入ってきた。
前田は息を呑んだ。
安藤——あの謎の男が、ここにいる。
5
安藤は前田に気づいていない様子で、カウンターでコーヒーを注文した。そして、窓際の席に座り、スマートフォンを見始めた。
前田は迷った。声をかけるべきか、それとも観察を続けるべきか。
しかし、ここで逃せば、次の機会はないかもしれない。前田は意を決して、安藤のテーブルに近づいた。
「安藤さん、お久しぶりです」
安藤は顔を上げ、一瞬驚いた表情を見せた。しかし、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、前田さん……でしたね。日本先端技術大学でお会いした」
「覚えていてくださったんですね」
「ええ、記者の方でしたね。どうしてここに?」
「取材です。安藤さんこそ、広島で何を?」
「私も仕事ですよ。つまらない出張です」
安藤は椅子を引いて、前田に座るよう促した。前田は慎重に腰を下ろした。
「仕事……防衛省の?」
「ええ、まあ」安藤は曖昧に答えた。「公務員ですから、出張も多いんです」
「水嶋先生のことで伺いたいのですが」
「水嶋先生?」安藤の表情が、僅かに変わった。「ああ、先生はお元気ですよ。新しい職場で、充実しておられるようです」
「どこで働いているんですか?」
「それは……私から申し上げることはできません。個人情報ですので」
安藤は丁寧に、しかし明確に拒絶した。
「でも、国民には知る権利があります。公的な研究費で開発された技術が、どこでどう使われているのか」
「前田さん」安藤は声を低くした。「あなたは聡明な方だ。だからこそ、あまり深入りしない方がいいと、忠告しておきます」
「脅しですか?」
「いいえ、忠告です」安藤は真剣な目で前田を見つめた。「世の中には、知らない方がいいこともある。特に、国家の安全保障に関わることは」
「でも、それは民主主義の否定では?」
「民主主義は大切です。しかし、それを守るためには、時に秘密も必要なんです」
安藤はコーヒーを一口飲んだ。
「前田さん、国会をご覧になったことがありますね。あの空転を。周辺諸国が軍備を増強し、我が国の領海に侵入を繰り返している今、国会は一体何をしていますか?」
「それは……」
「野党は防衛費の増額に反対し、予算案の審議は進まない。理想論は美しい。しかし、理想だけでは国は守れないんです」
安藤の言葉には、強い信念があった。
「だから、国会を迂回して秘密裏に開発を進めるんですか?」
「私はそのようなことは何も言っていませんよ」安藤は微笑んだ。「ただ、仮の話をしているだけです」
前田は安藤の目を見つめた。この男は、確信を持って何かを進めている。それが正しいかどうかは別として、彼は自分の行動に責任を持っている。
「安藤さん、一つだけ教えてください。広島で、何が起ころうとしているんですか?」
安藤は少し考えた後、口を開いた。
「平和記念式典をご存知ですね。今週末、総理が広島を訪問されます。その準備で、私もこちらに来ているんです」
「それだけですか?」
「それだけです」
明らかに、全てを語っているわけではなかった。しかし、これ以上追求しても、答えは得られないだろう。
「分かりました。お時間をいただき、ありがとうございました」
前田は立ち上がろうとした。しかし、安藤が声をかけた。
「前田さん、一つだけ」
「はい?」
「あなたが見たもの、調べたこと——それを報道するかどうかは、あなたの判断です。しかし、その報道が、結果として国益を損なう可能性があることも、どうか考えてください」
前田は黙って頷き、カフェを出た。
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ホテルに戻った前田は、一人部屋で今日の出来事を振り返っていた。
安藤の言葉——「国益」「安全保障」「秘密の必要性」。それらは、一定の説得力を持っていた。
しかし同時に、それは権力による情報統制の正当化でもある。国民に知らせず、選ばれた少数の人間だけが重要な決定を下す。それは、民主主義の根幹を揺るがす。
前田はベッドに座り、窓の外を見た。広島の街の灯りが、夜空に広がっている。
この街は、かつて原爆で壊滅的な被害を受けた。そして、平和を願い続けてきた。その広島で、今、新たな軍事計画が進められているとしたら——
前田のスマートフォンが鳴った。上司からだ。
「部長、前田です」
「前田、無事か? 広島で何かあったか?」
「はい、いくつか情報を掴みました。それと……安藤に会いました」
「安藤に? 何と言っていた?」
「詳しくは話してくれませんでしたが、総理の広島訪問に関わっているようです」
「総理の……」上司は考え込んだ。「平和記念式典か。しかし、それだけのために防衛省の人間が動くとは思えない。何か、もっと大きなことがあるんだろう」
「私もそう思います」
「分かった。引き続き注意して調査してくれ。しかし、危険を感じたらすぐに撤退しろ。いいな?」
「はい」
電話を切った前田は、再び窓の外を見つめた。
明日は、もう一度平和大通りの工事現場を調べよう。そして、できれば地元の人々から情報を集めたい。
前田はノートパソコンを開き、今日のメモを整理し始めた。記者としての使命感と、国家の安全保障という大義。その間で揺れ動きながら、前田は真実を追い続ける。
窓の外では、広島の夜が静かに更けていく。
しかし、この街の地下では——そして、見えない場所では——何かが確実に動いていた。
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