サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ

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第14話 動き出した巨人

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1
 午後九時三十分、前田は江波の港に到着した。
 タクシーを降りると、潮の香りが鼻をついた。小さな漁港で、係留された漁船が波に揺れている。人影はほとんどなく、街灯の光だけが暗い港を照らしていた。
「前田さん」
 声がして、振り向くと森川が立っていた。今日はダークカラーの作業着のような服装で、いつもの洗練された雰囲気とは違って見えた。
「こちらです」
 森川は小型の漁船を指差した。長さ七メートルほどの船で、年季が入っているが整備は行き届いているようだ。
「この対岸からでは、建物があって見えないようなので沖から確認します。船長は、知り合いの漁師で、信頼できる人です」
 船には、六十代くらいの男性が待っていた。日焼けした顔に深い皺が刻まれている。
「よろしく頼みます」
 森川が船長に声をかけると、男性は無言で頷いた。
 前田と森川は船に乗り込んだ。
2
 エンジン音を最小限に抑えながら、漁船は静かに港を出た。
 夜の広島湾は、思いのほか穏やかだった。遠くに瀬戸内海の島々の灯りが見える。そして、対岸には——観音の工場の明かりが、ぼんやりと光っていた。
「あそこです」
 森川が指差した。
 前田は双眼鏡で観察した。工場の海側の建物——昨夜見たあの巨大な格納庫のような構造物が見える。
「まだ何も動きはないですね」
「ええ。でも、もうすぐです」
 森川もカメラを構えていた。プロ仕様の望遠レンズが、工場の方を向いている。
 船は、工場から約一キロの距離を保ちながら、ゆっくりと移動していた。この距離なら、警備に気づかれる可能性は低い。
 午後十時を過ぎた。
 前田のスマートフォンが振動した。上司からのメッセージだ。
『無事か? 何かあったらすぐに連絡しろ』
 前田は短く返信した。
『大丈夫です。今、取材中』
3
 午後十時二十分頃、変化があった。
 遠くから、大型船が近づいてくるのが見えた。
「あれは……」
 前田は双眼鏡で確認した。
 タンカーだ。呉湾沖に停泊していた、あの新しいタンカー。
「呉から来ましたね」森川が呟いた。
 タンカーは、観音の工場に向かってゆっくりと進んでいた。その大きさは、夜の海でも圧倒的な存在感を放っていた。
「あのタンカーに、潜水艦を……」
「おそらく」森川は言った。「タンカーの中に隠して運び出すつもりでしょう」
 タンカーは工場の沖合で停止した。そして、工場の海側の建物から——照明が点灯し始めた。
「始まります」
 森川の声に、緊張が走った。
 前田はカメラを構えた。ICレコーダーも起動させる。この瞬間を、全て記録しなければならない。
4
 午後十時三十分。
 工場の海側の建物——陸地側からは見えない巨大な扉が、ゆっくりと開き始めた。
 暗闇の中、照明に照らされて、内部が見えてくる。
 そして——
 前田は息を呑んだ。
 巨大な紡錘形の構造物が、そこにあった。
 長さは、おそらく八十メートルを超える。表面は滑らかで、継ぎ目がほとんど見えない。流線形の美しいフォルムは、まるで巨大な魚のようだった。
 上部には、小さな司令塔(セイル)が見える。しかし、従来の潜水艦のセイルとは明らかに形状が違う。より小さく、より流線的に統合されている。
 そして、最も異様だったのは——船尾だった。
 通常の潜水艦であれば、スクリューがあるはずだ。しかし、この構造物には、スクリューが見当たらなかった。代わりに、船尾には円形の開口部があるだけだった。
「電磁推進……」
 前田は思わず呟いた。
 森川が前田を見た。
「やはり、ご存知だったんですね」
「水嶋先生の研究……」
「ええ。その技術が、あそこに」
 前田はシャッターを切り続けた。数十枚、数百枚——できるだけ多くの証拠を残す。
5
 構造物は、クレーンとレールのシステムで、ゆっくりと海に向かって移動していた。
 その動きは、驚くほど慎重だった。おそらく、少しの衝撃も与えないように、綿密に計算された手順に従っているのだろう。
 やがて、構造物は海面に達した。
 水しぶきを上げることなく、それは静かに海に入っていく。その姿は、まさに「海に還る」という表現がふさわしかった。
 暗くなりかけた海面でも、構造物の上部——セイルと、その周辺の歩行帯(ウォークウェイ)が見えた。
 前田は、あることに気づいた。
「船尾潜舵も方向舵も……見えない」
「ええ」森川が答えた。「おそらく、可動式になっているんでしょう。使わない時は船体に収納できる設計だと思います」
「でも、それでどうやって舵を……」
「電磁推進なら、推力の方向を変えることで舵を切ることができます。外部に舵を出す必要がない」
 森川は、この技術について、かなり詳しいようだった。
6
 構造物は、完全に海に浮かんでいた。
 いや——浮かんでいるというより、水面下に半分沈んでいる状態だ。セイルの部分だけが、水面上に突き出している。
 その時、構造物の周囲で、奇妙なことが起こった。
 水面に、何かが動いている。
 前田は双眼鏡の倍率を上げた。
 小さな黒い物体が、構造物の周りを泳いでいる。いや、泳いでいるというより——巡回している。
「あれは……」
「プローブです」森川が言った。「小型の無人機。おそらく、警備用でしょう」
 前田は、小与島で見た試作機を思い出した。五メートル級の、紡錘形のプローブ。あれと同じものが、ここにもいる。
「あのプローブも、電磁推進システムを使っているんでしょうか」
「おそらく。完全に無音で、自律航行できます。完璧な警備システムですよ」
 そして、前田たちはまだ気づいていなかった。
 そのプローブの一つが、彼らの乗った漁船に向かって接近していることを。
7
 構造物は、ゆっくりと沈み始めた。
 セイルの部分が、少しずつ水面下に消えていく。やがて、完全に姿が見えなくなった。
 前田は、その瞬間を全て撮影した。
「潜水しました……」
「ええ。おそらく、このまま海中を移動して、タンカーの下に潜り込むんでしょう」
 森川の予想通り、タンカーが微妙に位置を変えた。おそらく、水面下の構造物を収容するための準備だ。
 その時——
 船長が、緊張した声で言った。
「何かが近づいてくる」
 前田と森川は、船の周囲を見た。
 暗い海面に、黒い影が動いている。
 いや、影ではない——プローブだ。
 一つ、二つ、三つ——気づけば、漁船の周囲を、五つのプローブが取り囲んでいた。
「まずい……」
 森川が呟いた。
「気づかれた」
8
 突然、強烈な照明が漁船を照らした。
 前田は思わず目を覆った。
 照明の光源は——二隻の高速ボートだ。工場の方から、猛スピードで接近してきていた。
「そのまま、止まりなさい!」
 拡声器から、男性の声が響いた。
「繰り返す。そのまま、止まりなさい。エンジンを切り、その場で待機しろ」
 船長が森川を見た。
「どうする?」
「従うしかありません」
 森川は冷静に答えた。
 船長はエンジンを切った。
 二隻のボートが、漁船の両側に接舷した。黒い制服を着た男たちが、次々と乗り込んでくる。民間の警備会社ではない——おそらく、海上保安庁か、自衛隊の人間だろう。
「カメラを出しなさい」
 男の一人が、前田に向かって言った。
「私は記者です。正当な取材活動を——」
「カメラを出しなさい」
 男は、有無を言わせぬ口調で繰り返した。
 前田は、カメラを渡した。森川も、同様に機材を取り上げられた。
「お二人には、来ていただきます」
 男たちは、前田と森川を別々のボートに乗せた。
 前田が最後に見たのは、観音の工場の明かりと、その沖に浮かぶタンカーの巨大なシルエットだった。
 そして、水面下には——音もなく、姿も見せず、日本の秘密兵器が潜んでいた。
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