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第7話「計画の全貌」
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三ヶ月が経過した。
この間、健司は休む暇もなく働き続けた。若者たちの訓練、工作員の選抜、資金の調達、暗号システムの構築――マサール弱体化計画の基盤を整えるための、膨大な準備作業。
そして今日、再び極秘会議が招集された。
前回と同じ地下の密室。しかし今回は、前回の六人に加えて、新たに二人の人物が加わっていた。
一人は農業卿レオナルド。健司の農業改革を実地で支えてきた、実務家だ。もう一人は通商卿フェリックス。商業振興に長けた、計算高い男だった。
「全員揃ったな」
王が口を開いた。
「健司、準備は整ったか」
「はい、陛下」
健司は立ち上がり、分厚い資料を配布した。
「これが、マサール王国長期弱体化計画の全貌です」
一同は資料を手に取った。表紙には、単に「二十年計画」とだけ書かれている。
「前回の会議で概要は説明しました。今日は、各戦略の具体的な実行方法について説明します」
健司は大きな地図を壁に掛けた。エルスールとマサール、そして周辺国が描かれている。
「まず、全体の時間軸を確認しましょう」
健司は別の図表を示した。
「第一期、一年目から五年目。これは『浸透期』です。人材を送り込み、基盤を作り、信頼を得る期間です」
「第二期、六年目から十年目。『拡大期』です。送り込んだ人材が重要なポストに就き、影響力を行使し始めます」
「第三期、十一年目から十五年目。『加速期』です。マサールの弱体化が目に見えて進行します」
「第四期、十六年目から二十年目。『収穫期』です。マサールは完全に弱体化し、我が国への依存が不可避になります」
老宰相バルトロメオが口を開いた。
「二十年とは、長いな」
「長期戦です」
健司は頷いた。
「しかし、確実です。急げば露見します。ゆっくりと、気づかれないように進めるのです」
王が前に身を乗り出した。
「具体的な戦略を、一つずつ説明してくれ」
「承知しました」
健司は資料の第一章を開いた。
「戦略一、人材浸透作戦」
健司は若者たちの名簿を示した。
「選抜した十二名を、来月マサールに送ります。彼らはマサールの大学や専門機関で学び、五年以内に帰化します」
「そして十年以内に、以下のポストに就くことを目標とします――」
健司はリストを読み上げた。
「政府の中級官僚、三名。教育機関の教授または校長、二名。軍の中級士官、一名。新聞社または出版社の編集者、二名。商工会議所の幹部、二名。宗教団体の指導者、一名。そして政党の幹部、一名」
グレゴール将軍が眉をひそめた。
「たった十二名で、そこまでできるのか」
「これは第一陣です」
健司は答えた。
「彼らが基盤を作れば、第二陣、第三陣を送り込みます。最終的には、百名以上の工作員をマサール国内に配置します」
「そして重要なのは」
健司は強調した。
「彼らは工作員として送り込まれるのではありません。純粋な留学生として、友好の象徴として送り込まれるのです」
「マサールは、喜んで受け入れるでしょう。なぜなら、それは彼らの文化的優位性を示すことになるからです」
内務卿オズワルドが頷いた。
「なるほど。マサールの虚栄心を利用するわけか」
「その通りです」
健司は次のページをめくった。
「戦略二、民間交流作戦」
「人材浸透作戦と並行して、民間レベルでの交流を活発化させます。商人、芸術家、学者、宗教家――様々な人々を送り込みます」
通商卿フェリックスが質問した。
「それには、資金援助が必要ですね」
「はい」
健司は頷いた。
「国が密かに補助金を出します。表向きは民間の自主的な交流ですが、実際には国家戦略の一部です」
健司は別の資料を示した。
「特に重要なのは、文化人との交流です。作家、詩人、画家、音楽家――彼らを通じて、特定の思想を広めます」
「どのような思想だ」
王が問うた。
「平和、愛、調和――美しい理想です」
健司は皮肉な笑みを浮かべた。
「戦争は野蛮だ、暴力は悪だ、すべては話し合いで解決できる――こうした考えを、文化という形で浸透させます」
「詩に、歌に、絵画に――平和のメッセージを込めます。そして、それがマサールの文化の一部になるようにします」
老宰相が呻いた。
「文化侵略か」
「いいえ」
健司は首を横に振った。
「文化交流です。マサールの人々は、それを自分たちの文化だと思うようになります」
健司は次のページに進んだ。
「戦略三、極端民主主義の浸透」
これが、計画の核心部分だった。
「マサールには、ある程度の議会制度があります。しかし、まだ王権が強い。我々は、それを変えます」
「どうやって」
「民主主義を推進するのです」
健司は説明を始めた。
「表向きは、素晴らしいことです。民衆の声を聞く、平等な社会を作る――誰も反対できません」
「しかし」
健司の目が冷たくなった。
「我々が推進するのは、極端な民主主義です」
「すべての決定に、すべての人の同意が必要。少数派の意見も、完全に尊重しなければならない。反対意見がある限り、何も決められない」
「そのような仕組みを作るのです」
財務卿ハインリヒが理解した。
「政治が麻痺するということか」
「その通りです」
健司は頷いた。
「さらに、我々の工作員が政治家の中に紛れ込みます。重要な決定が必要な時、彼らは必ず反対します」
「そして、その反対を『民主主義の原則』『少数派の権利』という美名で正当化します」
「結果、マサールの政治は動かなくなります。迅速な意思決定ができなくなり、国家としての機動力を失います」
王が満足そうに笑った。
「素晴らしい。民主主義という理想が、彼ら自身の首を絞める」
健司は次のページに進んだ。
「戦略四、平和思想の拡散」
「これは、戦略二と三に関連します。平和は素晴らしい、戦争は悪い――この単純なメッセージを、あらゆる手段で広めます」
健司は具体例を挙げた。
「まず、メディアを掌握します。影響力のあるジャーナリスト、編集者を味方につけます」
「方法は?」
グレゴール将軍が問うた。
「賄賂、脅迫、理想への訴えかけ――状況に応じて使い分けます」
健司は冷徹に答えた。
「金で動く者には金を。弱みがある者には脅しを。理想主義者には、美しい言葉を」
「そして彼らに、平和の重要性を語らせます。新聞で、雑誌で、本で――繰り返し、繰り返し」
「次に、著名人を利用します。学者、作家、思想家――社会的地位のある人々に、平和を語らせます」
「彼らの言葉は、民衆に大きな影響を与えます。『○○教授も言っている』『××作家も賛同している』――権威が、思想に正当性を与えます」
老宰相が問うた。
「しかし、平和思想そのものは悪いことではないだろう」
「程度の問題です」
健司は強調した。
「平和を愛することと、平和主義に溺れることは違います」
「我々が広めるのは、極端な平和主義です。軍隊は不要だ、武器は悪だ、いかなる暴力も許されない――そこまで徹底させます」
「そうすれば」
グレゴール将軍が理解した。
「マサールの軍事力が弱体化する」
「はい」
健司は頷いた。
「そして、それは次の戦略に繋がります」
健司は新しいページを開いた。
「戦略五、軍への偏見の植え付け」
将軍の顔が険しくなった。
「どういうことだ」
「兵士への社会的偏見を作り出します」
健司は淡々と説明した。
「兵士は野蛮だ、暴力的だ、税金の無駄遣いだ――こうしたイメージを広めます」
「メディアを通じて、軍の不祥事を大々的に報道させます。小さな問題も、大きく取り上げます」
「一方で、軍の功績は無視します。報道しません」
「結果、民衆の中に『軍は悪い』というイメージが定着します」
将軍が立ち上がった。
「それは卑劣だ!兵士たちは国を守るために」
「座れ、将軍」
王が命じた。
「これは必要なことだ」
将軍は渋々座った。
健司は続けた。
「さらに、若者たちに『兵士になることは恥ずかしい』と思わせます」
「平和な時代に軍人になるのは時代遅れだ、文化的な人間は暴力を嫌う――こうした価値観を浸透させます」
「結果、マサール軍への志願者が減ります。特に、優秀な人材は軍を避けるようになります」
「そして十年後、マサール軍は人材不足に悩むことになります」
健司は次のページに進んだ。
「戦略六、教育の簡略化」
これも、重要な戦略だった。
「マサールの教育制度は優れています。しかし、それを内側から壊します」
「どうやって」
「教師たちを組織化します」
健司は説明した。
「『教師の会』という名目で、彼らの権利を守ると称します。給料の改善、労働条件の向上――表向きは、教師のための組織です」
「しかし実際には、特定の教育方針を広めるための道具です」
「どのような方針だ」
「競争は悪い、序列は差別だ、成績をつけることは子供を傷つける――こうした考えです」
健司は続けた。
「さらに、『勉強ばかりする子は性格が悪い』『成績より心が大切』というデマを流します」
「そして、教育内容を簡素化します。難しいことは教えない。豊かな心が大切だ。体験学習を重視しよう――こうした理由で、学習内容を減らしていきます」
農業卿レオナルドが呻いた。
「それでは、次世代が育たない」
「その通りです」
健司は冷たく言った。
「十年後、マサールの若者たちは、親の世代より無能になります。そして二十年後、国を支える人材が枯渇します」
部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
健司は続けた。
「戦略七、政党の設立」
「マサール国内に、新しい政党を作ります。『平和と友愛の党』とでも名付けましょう」
「その政党は、美しい理想を掲げます。平和、平等、民主主義、環境保護――誰も反対できないスローガンです」
「しかし実際には、我が国に都合の良い政策を推進します」
「例えば?」
王が興味深そうに聞いた。
「軍事予算の削減。税金の増加。規制の強化。大規模事業の制限――すべては『民衆のため』『平等のため』という名目で」
「そして重要なのは、我が国の工作員が、その政党の中枢にいることです」
健司は次のページに進んだ。
「戦略八、新宗教の普及」
「平和と愛を説く、新しい宗教を作ります。既存の宗教とは対立せず、補完する形で」
「その宗教は、寛容で、平和的で、誰でも受け入れます。そして、献金を求めます」
「集めた資金は?」
「マサール国内での活動資金に充てます」
健司は淡々と答えた。
「信者たちのお金で、マサールを弱体化させる活動を行うのです」
内務卿が顔をしかめた。
「それは……あまりにも」
「効率的です」
健司は遮った。
「そして、誰も疑いません。なぜなら、宗教だからです」
健司は次のページに進んだ。
「戦略九、イノベーションの抑制」
「マサール国内で、新しい発明や商売の仕組みが生まれたら、それを潰します」
「どうやって」
「世論を操作します」
健司は説明した。
「『一人だけが儲けるのは不公平だ』『既存の商人を守れ』『伝統を尊重しろ』――こうした理由で、新しいものを規制させます」
「我々の工作員が政治家の中にいれば、実際に法律で規制できます」
「結果、マサールではイノベーションが起きなくなります。技術的に停滞します」
通商卿フェリックスが頷いた。
「一方、我が国では技術革新を推進する」
「その通りです」
健司は次のページに進んだ。
「戦略十、大規模事業の制限」
「これも、戦略九と似ています。『小規模農家を守れ』『個人商店を保護しろ』という名目で、効率的な大規模事業を禁止させます」
「結果、マサールの生産性は向上しません。経済成長が鈍化します」
そして、健司は最も重要なページを開いた。
「戦略十一、食料依存の構築」
農業卿レオナルドが身を乗り出した。
「これが、穀物輸出の話ですね」
「はい」
健司は頷いた。
「我が国の農業改革により、穀物生産は倍増しました。余剰があります」
「この余剰を、マサールに輸出します。しかし、市場価格を大きく下回る価格で」
健司は図表を示した。
「例えば、マサール国内の穀物価格が金貨一枚だとします。我々は、その半額で売ります」
「マサールの消費者は喜びます。安い穀物が手に入るからです」
「しかし、マサールの農民は困ります。自分たちの穀物が売れなくなるからです」
農業卿が理解した。
「そして、マサールの農民は廃業する」
「はい」
健司は頷いた。
「最初の五年で、マサールの穀物生産農家の三割が廃業します」
「十年で、半分が廃業します」
「十五年で、マサールの穀物自給率は五割を切ります」
「そして二十年後」
健司の目が冷たく光った。
「マサールは、我が国の穀物なしでは生きていけなくなります」
王が満足そうに笑った。
「完璧だ。食料という、最も基本的な必需品を握る」
「はい」
健司は頷いた。
「そうなれば、我々はマサールを完全に支配できます。穀物の輸出を止めると脅すだけで、マサールは屈服します」
財務卿が問うた。
「しかし、市場価格以下で輸出し続けるには、莫大な補助金が必要です」
「年間、約百万金貨です」
健司は数字を示した。
「国家予算の約一割です」
財務卿が顔を青くした。
「一割?それは」
「しかし、軍を増強するには、それ以上かかります」
健司は反論した。
「そして、戦争になれば、さらに莫大な費用がかかります。この投資は、最も安価な国防費なのです」
王が頷いた。
「財務卿、何とかしろ」
「は、はい……」
健司は資料の最後のページを開いた。
「そして、最も重要なこと」
健司は一同を見回した。
「これらすべての戦略に共通する原則があります」
「何だ」
「正義として行わせること」
健司の声は、静かだが力強かった。
「マサールの人々は、自分たちが正しいことをしていると信じなければなりません」
「平和のために、平等のために、民主主義のために――美しい理想のために、自ら国を弱体化させていると信じるのです」
「誰かに操られているとは思わない。自分たちの自由な意志で、より良い社会を作ろうとしていると信じる」
「そうすることで、誰も疑わず、誰も止めず、自ら進んで破滅への道を歩んでいくのです」
長い沈黙が流れた。
ついに、老宰相が口を開いた。
「これは……悪魔の計画だ」
「しかし、効果的です」
健司は認めた。
「そして、必要なことです」
王が立ち上がった。
「素晴らしい。これで、マサールは確実に弱体化する」
王は健司を見た。
「お前は天才だ、健司。こんな計画を考えつくとは」
健司は何も言わなかった。
王は一同を見回した。
「では、この計画を正式に承認する。健司、すぐに実行に移せ」
「承知しました」
会議は終わった。
一同が部屋を出ていく中、老宰相が健司に近づいた。
「健司殿」
「はい」
「この計画が成功したとして」
老宰相は健司を見た。
「あなたは、後悔しないのか」
健司は長い間、黙っていた。
そして、静かに答えた。
「分かりません」
「しかし、やらなければならない。それだけです」
老宰相は深く頷いて、去っていった。
一人残された健司は、地図を見つめた。
マサール王国。今は繁栄し、平和で、未来を信じている国。
その国を、これから二十年かけて、壊していく。
それも、彼ら自身の手で。
健司は深く息を吐いた。
計画は完成した。
あとは、実行するだけだ。
歯車が、回り始める。
もう、止められない。
この間、健司は休む暇もなく働き続けた。若者たちの訓練、工作員の選抜、資金の調達、暗号システムの構築――マサール弱体化計画の基盤を整えるための、膨大な準備作業。
そして今日、再び極秘会議が招集された。
前回と同じ地下の密室。しかし今回は、前回の六人に加えて、新たに二人の人物が加わっていた。
一人は農業卿レオナルド。健司の農業改革を実地で支えてきた、実務家だ。もう一人は通商卿フェリックス。商業振興に長けた、計算高い男だった。
「全員揃ったな」
王が口を開いた。
「健司、準備は整ったか」
「はい、陛下」
健司は立ち上がり、分厚い資料を配布した。
「これが、マサール王国長期弱体化計画の全貌です」
一同は資料を手に取った。表紙には、単に「二十年計画」とだけ書かれている。
「前回の会議で概要は説明しました。今日は、各戦略の具体的な実行方法について説明します」
健司は大きな地図を壁に掛けた。エルスールとマサール、そして周辺国が描かれている。
「まず、全体の時間軸を確認しましょう」
健司は別の図表を示した。
「第一期、一年目から五年目。これは『浸透期』です。人材を送り込み、基盤を作り、信頼を得る期間です」
「第二期、六年目から十年目。『拡大期』です。送り込んだ人材が重要なポストに就き、影響力を行使し始めます」
「第三期、十一年目から十五年目。『加速期』です。マサールの弱体化が目に見えて進行します」
「第四期、十六年目から二十年目。『収穫期』です。マサールは完全に弱体化し、我が国への依存が不可避になります」
老宰相バルトロメオが口を開いた。
「二十年とは、長いな」
「長期戦です」
健司は頷いた。
「しかし、確実です。急げば露見します。ゆっくりと、気づかれないように進めるのです」
王が前に身を乗り出した。
「具体的な戦略を、一つずつ説明してくれ」
「承知しました」
健司は資料の第一章を開いた。
「戦略一、人材浸透作戦」
健司は若者たちの名簿を示した。
「選抜した十二名を、来月マサールに送ります。彼らはマサールの大学や専門機関で学び、五年以内に帰化します」
「そして十年以内に、以下のポストに就くことを目標とします――」
健司はリストを読み上げた。
「政府の中級官僚、三名。教育機関の教授または校長、二名。軍の中級士官、一名。新聞社または出版社の編集者、二名。商工会議所の幹部、二名。宗教団体の指導者、一名。そして政党の幹部、一名」
グレゴール将軍が眉をひそめた。
「たった十二名で、そこまでできるのか」
「これは第一陣です」
健司は答えた。
「彼らが基盤を作れば、第二陣、第三陣を送り込みます。最終的には、百名以上の工作員をマサール国内に配置します」
「そして重要なのは」
健司は強調した。
「彼らは工作員として送り込まれるのではありません。純粋な留学生として、友好の象徴として送り込まれるのです」
「マサールは、喜んで受け入れるでしょう。なぜなら、それは彼らの文化的優位性を示すことになるからです」
内務卿オズワルドが頷いた。
「なるほど。マサールの虚栄心を利用するわけか」
「その通りです」
健司は次のページをめくった。
「戦略二、民間交流作戦」
「人材浸透作戦と並行して、民間レベルでの交流を活発化させます。商人、芸術家、学者、宗教家――様々な人々を送り込みます」
通商卿フェリックスが質問した。
「それには、資金援助が必要ですね」
「はい」
健司は頷いた。
「国が密かに補助金を出します。表向きは民間の自主的な交流ですが、実際には国家戦略の一部です」
健司は別の資料を示した。
「特に重要なのは、文化人との交流です。作家、詩人、画家、音楽家――彼らを通じて、特定の思想を広めます」
「どのような思想だ」
王が問うた。
「平和、愛、調和――美しい理想です」
健司は皮肉な笑みを浮かべた。
「戦争は野蛮だ、暴力は悪だ、すべては話し合いで解決できる――こうした考えを、文化という形で浸透させます」
「詩に、歌に、絵画に――平和のメッセージを込めます。そして、それがマサールの文化の一部になるようにします」
老宰相が呻いた。
「文化侵略か」
「いいえ」
健司は首を横に振った。
「文化交流です。マサールの人々は、それを自分たちの文化だと思うようになります」
健司は次のページに進んだ。
「戦略三、極端民主主義の浸透」
これが、計画の核心部分だった。
「マサールには、ある程度の議会制度があります。しかし、まだ王権が強い。我々は、それを変えます」
「どうやって」
「民主主義を推進するのです」
健司は説明を始めた。
「表向きは、素晴らしいことです。民衆の声を聞く、平等な社会を作る――誰も反対できません」
「しかし」
健司の目が冷たくなった。
「我々が推進するのは、極端な民主主義です」
「すべての決定に、すべての人の同意が必要。少数派の意見も、完全に尊重しなければならない。反対意見がある限り、何も決められない」
「そのような仕組みを作るのです」
財務卿ハインリヒが理解した。
「政治が麻痺するということか」
「その通りです」
健司は頷いた。
「さらに、我々の工作員が政治家の中に紛れ込みます。重要な決定が必要な時、彼らは必ず反対します」
「そして、その反対を『民主主義の原則』『少数派の権利』という美名で正当化します」
「結果、マサールの政治は動かなくなります。迅速な意思決定ができなくなり、国家としての機動力を失います」
王が満足そうに笑った。
「素晴らしい。民主主義という理想が、彼ら自身の首を絞める」
健司は次のページに進んだ。
「戦略四、平和思想の拡散」
「これは、戦略二と三に関連します。平和は素晴らしい、戦争は悪い――この単純なメッセージを、あらゆる手段で広めます」
健司は具体例を挙げた。
「まず、メディアを掌握します。影響力のあるジャーナリスト、編集者を味方につけます」
「方法は?」
グレゴール将軍が問うた。
「賄賂、脅迫、理想への訴えかけ――状況に応じて使い分けます」
健司は冷徹に答えた。
「金で動く者には金を。弱みがある者には脅しを。理想主義者には、美しい言葉を」
「そして彼らに、平和の重要性を語らせます。新聞で、雑誌で、本で――繰り返し、繰り返し」
「次に、著名人を利用します。学者、作家、思想家――社会的地位のある人々に、平和を語らせます」
「彼らの言葉は、民衆に大きな影響を与えます。『○○教授も言っている』『××作家も賛同している』――権威が、思想に正当性を与えます」
老宰相が問うた。
「しかし、平和思想そのものは悪いことではないだろう」
「程度の問題です」
健司は強調した。
「平和を愛することと、平和主義に溺れることは違います」
「我々が広めるのは、極端な平和主義です。軍隊は不要だ、武器は悪だ、いかなる暴力も許されない――そこまで徹底させます」
「そうすれば」
グレゴール将軍が理解した。
「マサールの軍事力が弱体化する」
「はい」
健司は頷いた。
「そして、それは次の戦略に繋がります」
健司は新しいページを開いた。
「戦略五、軍への偏見の植え付け」
将軍の顔が険しくなった。
「どういうことだ」
「兵士への社会的偏見を作り出します」
健司は淡々と説明した。
「兵士は野蛮だ、暴力的だ、税金の無駄遣いだ――こうしたイメージを広めます」
「メディアを通じて、軍の不祥事を大々的に報道させます。小さな問題も、大きく取り上げます」
「一方で、軍の功績は無視します。報道しません」
「結果、民衆の中に『軍は悪い』というイメージが定着します」
将軍が立ち上がった。
「それは卑劣だ!兵士たちは国を守るために」
「座れ、将軍」
王が命じた。
「これは必要なことだ」
将軍は渋々座った。
健司は続けた。
「さらに、若者たちに『兵士になることは恥ずかしい』と思わせます」
「平和な時代に軍人になるのは時代遅れだ、文化的な人間は暴力を嫌う――こうした価値観を浸透させます」
「結果、マサール軍への志願者が減ります。特に、優秀な人材は軍を避けるようになります」
「そして十年後、マサール軍は人材不足に悩むことになります」
健司は次のページに進んだ。
「戦略六、教育の簡略化」
これも、重要な戦略だった。
「マサールの教育制度は優れています。しかし、それを内側から壊します」
「どうやって」
「教師たちを組織化します」
健司は説明した。
「『教師の会』という名目で、彼らの権利を守ると称します。給料の改善、労働条件の向上――表向きは、教師のための組織です」
「しかし実際には、特定の教育方針を広めるための道具です」
「どのような方針だ」
「競争は悪い、序列は差別だ、成績をつけることは子供を傷つける――こうした考えです」
健司は続けた。
「さらに、『勉強ばかりする子は性格が悪い』『成績より心が大切』というデマを流します」
「そして、教育内容を簡素化します。難しいことは教えない。豊かな心が大切だ。体験学習を重視しよう――こうした理由で、学習内容を減らしていきます」
農業卿レオナルドが呻いた。
「それでは、次世代が育たない」
「その通りです」
健司は冷たく言った。
「十年後、マサールの若者たちは、親の世代より無能になります。そして二十年後、国を支える人材が枯渇します」
部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
健司は続けた。
「戦略七、政党の設立」
「マサール国内に、新しい政党を作ります。『平和と友愛の党』とでも名付けましょう」
「その政党は、美しい理想を掲げます。平和、平等、民主主義、環境保護――誰も反対できないスローガンです」
「しかし実際には、我が国に都合の良い政策を推進します」
「例えば?」
王が興味深そうに聞いた。
「軍事予算の削減。税金の増加。規制の強化。大規模事業の制限――すべては『民衆のため』『平等のため』という名目で」
「そして重要なのは、我が国の工作員が、その政党の中枢にいることです」
健司は次のページに進んだ。
「戦略八、新宗教の普及」
「平和と愛を説く、新しい宗教を作ります。既存の宗教とは対立せず、補完する形で」
「その宗教は、寛容で、平和的で、誰でも受け入れます。そして、献金を求めます」
「集めた資金は?」
「マサール国内での活動資金に充てます」
健司は淡々と答えた。
「信者たちのお金で、マサールを弱体化させる活動を行うのです」
内務卿が顔をしかめた。
「それは……あまりにも」
「効率的です」
健司は遮った。
「そして、誰も疑いません。なぜなら、宗教だからです」
健司は次のページに進んだ。
「戦略九、イノベーションの抑制」
「マサール国内で、新しい発明や商売の仕組みが生まれたら、それを潰します」
「どうやって」
「世論を操作します」
健司は説明した。
「『一人だけが儲けるのは不公平だ』『既存の商人を守れ』『伝統を尊重しろ』――こうした理由で、新しいものを規制させます」
「我々の工作員が政治家の中にいれば、実際に法律で規制できます」
「結果、マサールではイノベーションが起きなくなります。技術的に停滞します」
通商卿フェリックスが頷いた。
「一方、我が国では技術革新を推進する」
「その通りです」
健司は次のページに進んだ。
「戦略十、大規模事業の制限」
「これも、戦略九と似ています。『小規模農家を守れ』『個人商店を保護しろ』という名目で、効率的な大規模事業を禁止させます」
「結果、マサールの生産性は向上しません。経済成長が鈍化します」
そして、健司は最も重要なページを開いた。
「戦略十一、食料依存の構築」
農業卿レオナルドが身を乗り出した。
「これが、穀物輸出の話ですね」
「はい」
健司は頷いた。
「我が国の農業改革により、穀物生産は倍増しました。余剰があります」
「この余剰を、マサールに輸出します。しかし、市場価格を大きく下回る価格で」
健司は図表を示した。
「例えば、マサール国内の穀物価格が金貨一枚だとします。我々は、その半額で売ります」
「マサールの消費者は喜びます。安い穀物が手に入るからです」
「しかし、マサールの農民は困ります。自分たちの穀物が売れなくなるからです」
農業卿が理解した。
「そして、マサールの農民は廃業する」
「はい」
健司は頷いた。
「最初の五年で、マサールの穀物生産農家の三割が廃業します」
「十年で、半分が廃業します」
「十五年で、マサールの穀物自給率は五割を切ります」
「そして二十年後」
健司の目が冷たく光った。
「マサールは、我が国の穀物なしでは生きていけなくなります」
王が満足そうに笑った。
「完璧だ。食料という、最も基本的な必需品を握る」
「はい」
健司は頷いた。
「そうなれば、我々はマサールを完全に支配できます。穀物の輸出を止めると脅すだけで、マサールは屈服します」
財務卿が問うた。
「しかし、市場価格以下で輸出し続けるには、莫大な補助金が必要です」
「年間、約百万金貨です」
健司は数字を示した。
「国家予算の約一割です」
財務卿が顔を青くした。
「一割?それは」
「しかし、軍を増強するには、それ以上かかります」
健司は反論した。
「そして、戦争になれば、さらに莫大な費用がかかります。この投資は、最も安価な国防費なのです」
王が頷いた。
「財務卿、何とかしろ」
「は、はい……」
健司は資料の最後のページを開いた。
「そして、最も重要なこと」
健司は一同を見回した。
「これらすべての戦略に共通する原則があります」
「何だ」
「正義として行わせること」
健司の声は、静かだが力強かった。
「マサールの人々は、自分たちが正しいことをしていると信じなければなりません」
「平和のために、平等のために、民主主義のために――美しい理想のために、自ら国を弱体化させていると信じるのです」
「誰かに操られているとは思わない。自分たちの自由な意志で、より良い社会を作ろうとしていると信じる」
「そうすることで、誰も疑わず、誰も止めず、自ら進んで破滅への道を歩んでいくのです」
長い沈黙が流れた。
ついに、老宰相が口を開いた。
「これは……悪魔の計画だ」
「しかし、効果的です」
健司は認めた。
「そして、必要なことです」
王が立ち上がった。
「素晴らしい。これで、マサールは確実に弱体化する」
王は健司を見た。
「お前は天才だ、健司。こんな計画を考えつくとは」
健司は何も言わなかった。
王は一同を見回した。
「では、この計画を正式に承認する。健司、すぐに実行に移せ」
「承知しました」
会議は終わった。
一同が部屋を出ていく中、老宰相が健司に近づいた。
「健司殿」
「はい」
「この計画が成功したとして」
老宰相は健司を見た。
「あなたは、後悔しないのか」
健司は長い間、黙っていた。
そして、静かに答えた。
「分かりません」
「しかし、やらなければならない。それだけです」
老宰相は深く頷いて、去っていった。
一人残された健司は、地図を見つめた。
マサール王国。今は繁栄し、平和で、未来を信じている国。
その国を、これから二十年かけて、壊していく。
それも、彼ら自身の手で。
健司は深く息を吐いた。
計画は完成した。
あとは、実行するだけだ。
歯車が、回り始める。
もう、止められない。
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