アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ

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 その日の夕方、吉澤一等海佐の人事異動が極秘裏に発表された。表向きは単なる省内での移動だったが、実際には門に関する事項に特化した『特別調査室』への配属だった。この部署は一般の職員には存在すら知らされていない、いわば『別班』に等しい組織である。
 少しばかりの荷物を段ボール箱に入れて、吉澤は新たに与えられた部屋に向かった。防衛省の最上階、普段は立ち入ることのないエリアにその部屋はあった。
「これが私の部屋……ですか」
 扉を開けると、そこには信じられないほど広い個室が広がっていた。重厚な机、革張りの椅子、壁一面の書棚、そして東京を一望できる大きな窓。まるで大企業の社長室のような豪華な設えに、吉澤は戸惑いを隠せなかった。
 先ほどまで使っていた狭い共有オフィスとは雲泥の差だった。これほどの部屋を一人で使うなど、分不相応に感じて落ち着かない。
 机に座って改めて部屋を見回すと、様々な疑問が頭の中を駆け巡った。
 東シナ海で活動するC国の調査船。九州で発見され、そして盗まれた古代の石版。防衛省を訪れた安藤のこと。そして、自分がこの特別な部署に配属されたこと。
 これらの出来事が偶然の一致なのか、それとも何らかの大きな陰謀の一部なのか。まだ答えは見えないが、確実に言えることは、自分が今まで知らなかった世界に足を踏み入れたということだった。
 窓の外では、夕日が東京の空を赤く染め始めている。いつもと同じ夕焼けのはずなのに、今日は何か違って見えた。
 不意に、ノックの音がした。
「どうぞ、入りなさい」
 かちゃりと音がして扉が開くと、スーツ姿の女性が入ってきた。二十代後半と思われる、知的な印象を与える美しい女性だった。
「失礼いたします。本日付でこちらに配属になりました、鮎川翔子と申します」
 女性は丁寧にお辞儀をしながら自己紹介した。
「鮎川……?」
 吉澤はその名前に聞き覚えがあった。どこかで聞いたような……。
「はい。私は今まで、文部科学省との連絡調整業務を担当しておりました。特に、花巻吾郎先生の研究支援を行っております」
「花巻先生の……」
 吉澤は驚いた。安藤が防衛省を訪れた際に話していたという、あの考古学者の名前だった。
「私が吉澤です。今日からここの責任者ということになったようですが……正直、まだ状況が整理できていません」
「ご安心ください。私の方で業務の引き継ぎをさせていただきます」
 鮎川は落ち着いた声で答えた。
「実は、九州での石板発見の件も、花巻先生が現地調査に向かわれています。明日には詳しい報告が上がってくる予定です」
「そうでしたか……」
 吉澤は安堵した。少なくとも、現地での調査は既に始まっているということだ。
「それと、吉澤さん。失礼しました。この部署では階級や役職等は付けず、名前で呼ぶことが義務付けられていますので、今後そのように呼ばせていただきます」
 そこで一旦区切ると、咳払いをして鮎川は続けた。
「吉澤さんには改めて、この部署の性質について説明をさせていただく必要があります」
 鮎川は手に持っていた分厚いファイルを机の上に置いた。
「極秘」の文字が大きく書かれた表紙が見える。
「こちらが、門に関する基礎資料です。まずはこちらに目を通していただいて、全体像を把握していただければと思います」
「門について……詳しく書かれているんですか?」
「はい。世界各地に存在する門の場所、それぞれの特徴、過去の調査記録、そして各国の動向まで、現在把握している情報が全て記載されています」
 鮎川は椅子に座りながら続けた。
「吉澤さんは今日から、この日本に存在する全ての門の管理と、それに関連する国際情勢の分析を中心になって担当していただくことになります」
「私が……ですか?」
「はい。非常に重要な任務です。近いうちに他の方ともお会いする機会があると思います」
 鮎川は窓の向こうを見つめながら言った。
「門を巡る争奪戦が、始まろうとしています。私たちも対応を急がなければいけません」
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