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第2話 無口な騎士と開かない扉
しおりを挟む【舞視点】
雨は、音もなく森ヶ丘の住宅街を塗りつぶしていく。
私はマンションのロビーで、ガラス越しに煙る景色を眺めていた。
……遅い。
隆成は、いつも傘を持たずに出かける。天気予報なんて見ないし、空の機嫌を伺うほど器用でもない。あいつは、ただ前だけを見て突き進む。その危なっかしさが、私の胸をざわつかせる。
ふいに、水飛沫を上げて走ってくる影が見えた。
ずぶ濡れの隆成だ。彼はロビーに駆け込むなり、犬のように頭を振って雫を飛ばした。
「うわっ、最悪だ! びしょびしょだよ……」
「……使え」
私は無言で、用意していた予備のタオルを差し出す。
隆成は驚いた顔をしてから、「サンキュ、舞! 助かるわ」と白い歯を見せた。
「……また、傘忘れたの?」
「おう、朝は晴れてたしな。それよりさ、舞、こんなところで何してんだ?」
「……待ってた。隆成、よく鍵を失くすから」
「えっ、まあ、たまにカバンの中で迷子になるけどさ……」
私は隆成がポケットを探る手つきをじっと見つめる。
彼の手の中にある、銀色の小さな金属片。それが、彼の聖域へと繋がる唯一のパスワード。
理子のように、理屈を並べて距離を詰めることはできない。
沙希のように、笑顔で懐に入ることもできない。
私はただ、彼が困った時に一番近くにいたいだけ。彼が扉の前で立ち往生する時、その扉を開けてあげられる存在になりたい。
「……隆成」
「ん? なんだ?」
「……その、予備。私に、預けて」
心臓が喉まで競り上がってくる。言葉数は少ないけれど、一文字ずつに私のすべての体温を込めたつもりだった。
隆成はタオルで髪を拭きながら、不思議そうに首を傾げた。
「予備? 鍵のことか? 舞が持っててくれるなら、確かに俺が締め出された時も安心だけどさ」
「……うん。……守って、あげたい」
精一杯の告白だった。
「守る」という言葉に込めたのは、彼の生活、彼の安らぎ、そして彼自身のすべて。
けれど、隆成は無邪気に笑って私の肩を叩いた。
「お前、本当に義理堅いよな! 用心棒みたいだ。よし、じゃあ今度、掃除とか手伝ってくれる時に渡すわ。家政婦代わりにするみたいで悪いけどさ!」
……違う。家政婦じゃない。
私は、拳を握りしめて俯いた。熱くなった耳たぶを、長い髪で隠す。
「……バカ」
隆成には聞こえないくらいの小さな声で呟く。
開かないのは、彼の家の扉じゃない。
私たちの間にある、幼馴染という透明な境界線だ。
雨の音にかき消されながら、私は自分のポケットにある、まだ何者でもない自分の手のひらを、強く、強く握りしめた。
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