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第五章:償いの天秤
閑話:嵐を呼ぶ発明品(と、やっぱり迷惑な天才)
しおりを挟む中村誠教諭の事件が最高裁での逆転敗訴という、重く苦い結末を迎えてから数日。
御門法律事務所には、嵐の前の静けさ、というにはあまりにも澱んだ空気が流れていた。
大江戸英里香は、山と積まれた書類の整理という、現実的な業務に没頭することで、やり場のない怒りや無力感を意識の外に追い出そうと努めていた。
キーボードを叩く音だけが、静かなオフィスに響く。
そこへ、珍しくスーツではなくラフなジャケット姿の兄、大江戸嵐がひょっこりと顔を出した。
非番を利用して、妹の様子を見に来たのだろう。
「よう、英里香。少しは落ち着いたか?」
「兄さん…まあね。仕事は待ってくれないから」
英里香は、無理に作ったような笑顔で応じた。
嵐はそんな妹の様子を察し、特に励ますでもなく、ただそばのソファに腰を下ろして缶コーヒーを開けた。
二人の間に、言葉少ないながらも、互いを気遣う空気が流れる。
まさにその、束の間の静寂を木っ端微塵に打ち砕く破壊音が、事務所のドアから轟いた。
ドガァァァンッ!!!
「むはははは!英里香ちゃん!嵐兄ちゃん!妾、参上 !」
強化ガラス製のドアを蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできたのは、フリルとリボンで過剰に装飾された白衣(?)を身にまとい、頭には奇妙なヘッドギア、そして背中には銀色に輝くタンクのようなものを背負った、我らが迷惑…もとい、天才(?)科学者、潮来由利凛だった。
その手には、掃除機のノズルとゲームのコントローラーを合体させたような、怪しげな機械が握られている。
「ゆ、由利凛!?あんた、またドアを……!」
「ゆ、由利凛 ! 何しに来やがった !」
英里香と嵐は、反射的に立ち上がり、警戒態勢をとる。彼らの経験上、由利凛がこのような奇抜な格好で現れる時は、十中八九、ろくなことにならないのだ。
「ふん!妾の来訪を歓迎せぬとは、失礼な幼馴染みなのじゃ !
見ておれ!今回は、愛する幼馴染み達のために、特別に妾の最新発明品を持ってきたのじゃ!」
由利凛は、手に持った機械を高々と掲げた。
「名付けて!『心身リフレッシュ&ストレス爆散マシーン・ゆりりんV(ファイブ)』じゃ!
前の事件で心に深い傷を負い、ストレスまみれの英里香ちゃんと、非番なのに妹が心配でこっそり様子を見に来ちゃうようなシスコン気味の嵐兄ちゃんを癒やしてやろうという、妾の海より深い慈愛の心が産んだ、奇跡の発明なのじゃ!」
「誰がシスコンだ!」
「余計なお世話よ!」
兄妹の息の合ったツッコミが炸裂するが、由利凛は全く意に介さない。
「このマシーンから放射される『超快楽リラックスα波』と『やる気もりもりドーパミンβ線』、そして背中のタンクから噴射される『気分爽快ハッピーアロマミスト・フローラルワルキューレの香り』のトリプルコンボで、どんな頑固なストレスも一瞬で消滅!心は晴れやかに、体は軽やかに!ついでに肩こりや腰痛、二日酔いにも効くかもしれん、優れものなのじゃ!」
「…怪しさしかないわね」
「絶対ろくなもんじゃない」
英里香はこめかみを押さえ、嵐は露骨に顔をしかめる。
その間にも、由利凛は勝手に部屋の中央に進み出て、機械のスイッチを探し始めた。
「待て、由利凛!勝手に動かすな!」
「ここで実験するんじゃないわよ!」
二人が止めようと駆け寄るが、一足遅かった。
「えーい!スイッチ、オンじゃ!」
由利凛がコントローラーの赤いボタンを勢いよく押した瞬間、マシーンはけたたましい起動音と共に激しく振動し始めた。
「おおっ!順調、順調!まずはリラックスα波から照射じゃ!」
ノズルの先端から、エメラルドグリーン(というよりは、やや毒々しい緑色)の光線が放たれる。
それはまるで意志を持っているかのように、事務所内を飛び交い始めた。
「うわっ!」
「危ない!」
英里香と嵐は、光線を避けようと身を屈める。
光線が当たった壁のカレンダーは、なぜか高速でめくれ始め、観葉植物はサンバを踊るように揺れ動き、御門所長愛用のティーカップは勝手にくるくると回転しだした。
「こ、こら!何をするんじゃ!そっちはリラックスとは違う方向じゃぞ!」
由利凛が慌ててコントローラーを操作するが、マシーンは言うことを聞かない。
「ええい!ならばドーパミンβ線じゃ!
これでやる気充填じゃ!」
今度は、ノズルから目にも眩しい黄金色の光線が迸る。
その光を浴びた瞬間、英里香の動きがピタリと止まった。
そして次の瞬間、普段の冷静沈着さが嘘のように、目をキラキラと輝かせ、奇妙なポーズを取った。
「やっほー!なんだか、すっごくハイテンションになってきたー !
この書類の山なんて、今日のあたしにかかれば、まるで紙吹雪!さあ、みんな、歌って踊ろう !
レッツ・ダンシング !」
英里香はそう叫ぶと、積み上がった書類を本当に撒き散らしながら、奇妙なステップを踏み始めた。
「お、おい、英里香!?しっかりしろ!」
嵐が驚愕していると、今度は黄金色の光線が彼を捉えた。
嵐も一瞬動きを止め、そして…なぜか頬を赤らめ、もじもじとし始めた。
「あ、あの…英里香ちゃん…そんなに激しく踊ったら、はしたないですよ…?
それより、今日のあたし、なんだかお花を飾りたい気分……あら、このコーヒーの空き缶、一輪挿しにちょうどいいかも……きゅん !」
クールでぶっきらぼうなはずの嵐が、信じられないほど乙女チックな言動を始めたのだ。
「なっ…!?わ、わらわの計算では、やる気と集中力がアップするはずじゃったのに…… !
にこれは…想定外のバグじゃ !」
流石の由利凛も、この異常事態に焦り始めた。
「ええい!こうなったら、ハッピーアロマミストじゃ!これで正常化するはずじゃ!」
由利凛は背中のタンクのバルブを全開にした。途端に、事務所内にむせ返るような、しかしどこか人工的で甘ったるいフローラル(?)の香りが充満し始めた。
「ぷはっ!な、なんだこの匂いは…!」
「目が…目がぁ~!(なぜかムスカ風)」
ハイテンションな英里香と乙女チックな嵐は、強烈なアロマに咳き込みながらも、さらに奇妙な言動をエスカレートさせる。
「うふふ!この香り、まるで夢の国のパレードみたい !
さあ、嵐『ちゃん』も一緒にパレードごっこしましょ!」
「きゃっ!そんな、嵐『ちゃん』だなんて…恥ずかしいですぅ……でも、パレード…楽しそう……えへへ♪」
事務所内は、書類が舞い、おかしなステップを踏む英里香と、なぜかスキップをしながらコーヒーの空き缶にペンを飾ろうとする嵐、そして強烈なアロマが充満する、カオスな空間と化していた。
「おのれぇぇ!妾の発明がこんなことに……!こうなったら、緊急停止じゃ!」
由利凛は半狂乱になりながら、コントローラーの全てのボタンをめちゃくちゃに連打した。
すると、マシーンは最後に「ピポパポピーン!」という間の抜けた電子音と共に火花を散らし、完全に沈黙した。
同時に、事務所内に満ちていた奇妙な光と音と香りが消え失せる。
「……はっ!?」
「……うっ!?」
英里香と嵐は、まるで長い夢から覚めたかのように、我に返った。
そして、目の前に広がる惨状と、自分たちの奇妙なポーズ(英里香は片足立ち、嵐は内股で空き缶を持っている)に気づき、顔を見合わせた。
「……今の、は……?」
「……覚えて、ないわよね…?」
二人の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
一方、元凶である由利凛は、壊れたマシーンの前で腕を組み、ふむ、と頷いていた。
「なるほどのう…α波とβ線の相互干渉による予期せぬ人格変容と、アロマミストの濃度調整ミスによる嗅覚神経への異常刺激か…。これは貴重なデータじゃ。次の『ゆりりんVI(シックス)』の開発に活かせるわい」
「「 活かすな !!!」」
英里香と嵐の怒りのハモリが、ようやく静けさを取り戻した事務所に響き渡った。
床には書類が散乱し、観葉植物は力なく項垂れ、謎のアロマの残り香が漂っている。
結局、由利凛がもたらしたのは癒やしではなく、さらなる混沌と疲労、そして後片付けの手間だけだった。
「ああ、もう…!どうしてこうなるの…!」
「由利凛 ! お前、いい加減に…!」
怒りと疲労で肩を落とす英里香と嵐を尻目に由利凛は、
「ま、これも人類の進歩のためじゃ!」と大平原な胸を張り、壊れたマシーンの残骸を回収し始めた。
「じゃあなのじゃ、英里香ちゃん、嵐兄ちゃん !
次回の発明にも期待しておくのじゃぞ !
さらばじゃ!」
捨て台詞と共に、由利凛は(今度は律儀にドアノブを使って)嵐のように去っていった。
後に残されたのは、めちゃくちゃになった事務所と、心身ともに疲れ果てた大江戸兄妹。
「……ストレス、解消された ?」
「……余計に溜まったわよ」
二人は深いため息をつき、黙々と後片付けを始めるしかなかった。
戦士の休息は、どうやらまだまだ先のようである。
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