【完結】ツンデレお嬢様弁護士は奮闘中! ~法と人情で悪を裁く! ~

月影 流詩亜

文字の大きさ
32 / 63
第五章:償いの天秤

第29話 正義の行方

しおりを挟む

 霞が関にそびえ立つ、白亜の殿堂、最高裁判所。

 その大法廷は、日本の司法の頂点にふさわしい荘厳さと、息を呑むような静寂に満ちていた。
 高い天井から吊るされたシャンデリアが鈍い光を放ち、壁に飾られた法曹界の先人たちの肖像画が、これから行われる判断の重さを見守っているかのようだ。

 冬の終わりを告げる冷たい空気が漂う中、英里香は弁護人席で背筋を伸ばし、正面の裁判官席を見据えていた。
 隣には、この数年間でさらに白髪が増え、深く刻まれたしわに緊張をにじませる中村誠が座っている。
 彼の人生の、最後の審判が下されようとしていた。

 傍聴席は、この歴史的な裁判を見届けようとする人々で埋め尽くされていた。
 支援者、報道陣、法学の研究者らしき人々。
 そして、固唾かたずを飲んで英里香たちを見守る、嵐、巧、明日菜、ジャンヌ、蝶子、由利子、天音たちの姿もあった。

 玉井刑事も、休暇を取って駆けつけているようだ。
 由利凛の姿だけが見当たらないのが、少しだけ気になったが、今は集中しなければならない。

やがて、廷吏の声が響き渡り、裁判長を筆頭とする15名の最高裁判所判事が、黒い法服を揺らしながら厳かに入廷、着席した。

 法廷内の空気が、さらに張り詰める。
 弁論が始まった。 まず、英里香が立った。

 これまでの地裁、高裁での主張を踏まえ、さらに練り上げた最終弁論。
 その声は、大法廷の隅々にまで、凛として響き渡った。

「…本件における退職金全額不支給処分は、単なる行政裁量権の問題に留まりません。
 それは、憲法が保障する法の前の平等(14条)、そして実質的な生存権(25条)にも関わる重大な問題であります。
 他の公務員の類似事案と比較しても著しく均衡を欠く本件処分は、明確な合理性を欠き、平等原則に反する疑いが濃厚です。
 さらに、長年の勤続に対する対価であり、老後の生活基盤でもある退職金を全額剥奪することは、被控訴人の生存権を脅かすに等しい過酷な措置であり、憲法が保障する最低限度の生活をも危うくするものです。
 飲酒運転という行為は断じて許されるものではありません。
 しかし、その『償い』は、罪と罰の均衡を著しく欠き、個人の尊厳を踏みにじるものであってはならない。
 裁判所におかれましては、第一審、第二審の賢明なるご判断を維持され、法の支配と人権保障という憲法の基本理念に基づき、本件処分を取り消す決定をされることを、強く求めます」

 英里香は理路整然と、しかし熱を込めて訴え、深く一礼して席に戻った。
 傍聴席からは、抑えた拍手が小さく起こった。

 続いて、新潟県側の代理人が最終弁論を行った。  彼は、あくまで飲酒運転根絶という公益性の高さを前面に押し出し、組織としての規律維持、県民への説明責任を強調した。

「……教育者という特殊な立場をかんがみれば、より高度な倫理観が求められるのは当然であります。
 事前に厳格対応を通達していたにも関わらず行われた本件行為に対し、断固たる措置をとることは組織として、また社会全体の規範意識を守る上で不可欠であります。
 退職金全額不支給はやむを得ない判断であり、適法であると確信いたします」

 双方の弁論が終わると、裁判長が静かに口を開き、双方代理人に対し、いくつか核心を突く質問を投げかけた。
 処分の妥当性を判断する上での個別事情の考慮範囲、社会情勢の変化が司法判断に与える影響、そして他の公務員との処分の公平性について…。
 代理人たちは、それぞれの立場から懸命に答えたが、裁判官たちの真意を測りかねている様子だった。

 短い質疑応答の後、裁判長は法廷内を見渡し、厳かに告げた。

「以上をもって、弁論を終結します。
判決を言い渡します」

即日判決。 英里香は息をのんだ。
 法廷内の誰もが、身じろぎもせず、裁判長の次の言葉を待った。
 中村は固く目を閉じ、祈るように手を握りしめている。

 裁判長は、手元の判決書に目を落とし、静かに、しかし揺るぎない声で主文を読み上げた。

「主文。原判決(東京高裁判決)を破棄する。
 本件控訴に基づき、第一審判決中、被告(新潟県)敗訴部分を取り消す。
 同部分に関する原告(中村誠)の請求を棄却する。 訴訟総費用は原告の負担とする」

……破棄。  棄却。 逆転敗訴。

 一瞬、法廷は水を打ったように静まり返った。
 誰もが、その言葉の意味を理解できずにいるかのようだった。

「……あ……」

 最初に声にならない声を漏らしたのは、中村だった。
 彼の顔から急速に血の気が引き、その体はがくりと前に傾いた。
 隣にいた英里香が咄嗟とっさに支える。
 彼の目からは、もはや涙も流れず、ただ深い、底なしの絶望だけが浮かんでいた。

「そんな……どうして……」

 英里香もまた、全身の力が抜けるような感覚に襲われた。
 頭が真っ白になり、目の前が霞む。地裁、高裁と積み重ねてきた主張が、最後の最後で、こうもあっさりと覆されるとは。

 裁判長は続けて、判決理由の要旨を淡々と述べ始めた。
 飲酒運転に対する社会的非難の高まり、新潟県の厳罰化方針と事前通達の事実を重く評価し、「退職金全額不支給処分が、社会観念上、著しく妥当性を欠くとまでは言えない」という結論だった。

 5人の裁判官による反対意見が付されたことにも、簡潔に触れられた。

 その言葉は、もはや英里香の耳には届いていなかったかもしれない。
 傍聴席も、沈痛な空気に包まれていた。
 すすり泣く声すら聞こえない、重い沈黙。嵐も巧も、ただ唇を噛みしめ、やり場のない怒りと無力感に拳を握りしめていた。

 由利子は、静かに目を閉じている。

 やがて、裁判長が閉廷を告げ、裁判官たちが退廷していく。彼らの後ろ姿が、やけに遠く感じられた。

 英里香は、まだ声もなく立ち尽くしている中村の腕を支えながら、ゆっくりと立ち上がった。

 周囲の喧騒けんそうも、カメラのフラッシュも、今は何も感じない。
 ただ、法廷の重く冷たい扉だけが、現実を突きつけている。

 正義はどこにあるのか。法の秤は本当に公平だったのか。

 答えの見えない問いが、英里香の胸の中で渦巻き始める。
 勝訴を信じて戦ってきた日々が、まるで幻だったかのように遠ざかっていく。

 法廷の重い扉が、ゆっくりと閉ざされた。その向こう側にあるはずの光が、今はあまりにも遠く、霞んで見えた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

処理中です...