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第六章:偽りの証明
第32話 錆びついた証拠
しおりを挟む数日後の早朝。関越自動車道を、二台のスポーツカーが疾走していた。
朝日を浴びて輝くのは、大江戸自動車が誇る限定生産プレミアムカー「OEDOフェアリーテイルWX」。
流麗なフォルムの青い車体を操るのは大江戸英里香、その後ろを鮮やかな紅の同型車で追うのは兄の嵐だ。
目的地は、北関東の地方都市、絹川市。
十数年前に悲劇の舞台となった場所。公共交通機関では調査に不便なため、それぞれの愛車で向かうことにしたのだ。
『速度、出しすぎだぞ英里香! 捕まったらシャレにならん!』
嵐からのインカム通信が、英里香の耳元で少し歪んで聞こえた。
『分かってるわよ。 でも、たまには兄さんとこうして走るのも悪くないでしょ?
少しは気分転換しないと』
英里香は軽口で返しながら、アクセルをわずかに緩めた。
前回の敗訴の重圧、そして今回の事件の深刻さ。張り詰めた気持ちを、高速走行が少しだけ解きほぐしてくれる気がした。
『調査に行くんだ。 レースじゃない。安全運転第一だ』
嵐は言いながらも、その声にはどこか楽しそうな響きがあった。
絹川インターチェンジを降りると、景色は一変した。かつて絹織物で栄えたという街並みは、どこか寂れた雰囲気を漂わせている。
英里香と嵐はまず、事件の発端となったパチンコ店「ゴールデンラッキー」の跡地へと向かった。
建物は既に取り壊され、今は月極駐車場になっている。
当時の賑わいを知る者は、もう少ないだろう。
「ここで、さなえちゃんは消えた……」
英里香はタブレットで当時の現場写真と見比べながら呟いた。
「駐車場は広く、死角も多い。
計画的な犯行の可能性が高いわね」
「ああ。問題は、なぜ和夫さんが犯人だとされたかだ」
嵐は鋭い目で周囲を見回す。
「当時の捜査資料によれば、事件直後、目撃証言はほとんどなかったはずだ。
それが一年後、唐突に和夫さんが浮上し、自白、そしてDNA鑑定……あまりに出来すぎている」
次に二人が向かったのは、さなえちゃんの遺体が発見された絹川の河川敷だった。
穏やかに流れる川の水面が、初夏の日差しを反射している。
しかし、その美しい風景とは裏腹に、現場には今もなお、重く、冷たい空気が澱んでいるように感じられた。
「ここか…」嵐は川岸に立ち、目を細めた。
「人通りは少ないが、完全にないわけじゃない。対岸からも見える。
犯行後の遺体遺棄場所としては、リスクが高いように思えるが……」
「あるいは、犯人はこの土地に詳しく、人目を避ける時間帯やルートを知っていた…?」
英里香は様々な可能性を頭の中で組み立てる。
当時の捜査は、なぜ和夫さんの犯行と早々に断定し、他の可能性を探らなかったのか。疑問は深まるばかりだった。
市内で待っていた須田節子と合流し、本格的な聞き込み調査を開始した。
節子は深々と頭を下げ、
「先生方、わざわざありがとうございます」と恐縮している。
しかし、聞き込みは予想以上に難航した。
十数年という歳月は、人々の記憶を曖昧にし、事件の記憶を風化させていた。
「さあ、もう昔のことだからねぇ……」
「和夫さん? 大人しい人だったけど…まさかあんなことするなんてねぇ……」
「警察が決めたことなんだから、間違いねぇんだろ ?」
事件について語ること自体をタブー視するような空気もある。
特に、当時を知る商店街の人々や、パチンコ店の元従業員などは、
「蒸し返さないでくれ」
「もう終わったことだ」と、固く口を閉ざした。
警察への遠慮や、事件による風評被害への恐れが見え隠れする。
「……やはり、簡単にはいきませんね」
休憩のために入った喫茶店で、節子は力なく呟いた。
英里香は節子を励ましながらも、焦りを感じていた。
物証が乏しい以上、当時の状況を知る人間の証言が不可欠だ。
だが、時間はあまりにも残酷だった。
一方、嵐は東京の警視庁と連絡を取り、絹川県警に当時の捜査資料、特にDNA鑑定の詳細な記録や、和夫さん以外の不審者に関する捜査記録の開示を求めていた。
しかし、返ってきた答えは芳しくないものだった。
「『捜査上の秘密に関わるため開示できない』の一点張りだ」
嵐は電話口で苛立ちを隠せない様子だった。
「特に鑑定の生データや、他の被疑線に関する資料は徹底してガードしている。
何か都合の悪いことでもあるのか……怪しいな」
捜査機関の閉鎖性という、また別の壁が立ちはだかっていた。
その頃、東京・大江戸グループ中央研究所では、巧がジャンヌと共に入手できたわずかな資料、当時の鑑定結果を報じる新聞記事のコピーや、裁判記録に添付された鑑定書の写真データを分析していた。
「ジャンヌ、この電気泳動のパターンを見てくれ」
巧はモニターを指差す。
「当時のMCT118法だと、バンド(DNA断片の像)の読み取りに主観が入る余地が大きい。
特にこの部分、微かなバンドをどう解釈するかで、結論が変わってくる可能性がある」
「それに、比較対象とされている須田和夫さんのDNAサンプル採取や保管状況も不明瞭ね」
ジャンヌは医学的な知識も動員して指摘する。
「もしサンプルが劣化していたり、比較方法に問題があったりすれば、鑑定結果そのものの信頼性が揺らぐわ」
「ああ。再鑑定が必要なことは論理的に示せる。問題は、鑑定可能な証拠品が残っているかどうか……そして、検察が再鑑定に応じるかだ」
巧は難しい顔で腕を組んだ。
事件の核心に迫るには、まだいくつものハードルを越えなければならなかった。
昼食時、英里香と嵐は、節子に教えてもらった地元の古い食堂に入った。
壁には色褪せた有名人のサイン色紙がいくつか貼られている。
「へい、らっしゃい!」
威勢の良い店主が迎えてくれた。
メニューは壁に貼られた木札のみ。
「名物」と書かれた「超大盛りソースカツ丼」の文字に、英里香はつい目を奪われた。
「じゃあ、俺は普通のカツ丼。英里香は…どうする?」
「……その、名物のをお願いします」
勢いで頼んでしまったものの、運ばれてきた丼を見て英里香は絶句した。
ご飯の上には、丼からはみ出さんばかりの巨大なソースカツが三枚も鎮座している。
「はは、すげえな。お前、食えるのか?」
嵐が面白そうにからかう。
「……た、食べますよ、これくらい!」
英里香は負けん気を出し、カツにかぶりついた。
味は悪くない。 だが、その圧倒的なボリュームに、早くも心が折れそうになる。
必死に食べ進める英里香の姿を、嵐はニヤニヤしながら眺めていた。
「令嬢育ちには、ちいとばかしヘビーだったかな?」
「黙ってなさい!」英里香はむきになってカツを口に押し込む。
賑やかな食堂の 喧騒の中で、英里香は改めて決意を固めた。
この街に埋もれた、錆びついた証拠の欠片を、一つ一つ拾い集めなければならない。
どんなに時間がかかっても、どんなに困難な壁が待ち受けていようとも。
須田和夫の、そして母・節子の失われた時間を取り戻すために。
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