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第六章:偽りの証明
第33話 鑑定の罠
しおりを挟む絹川市での初日の調査を終え、東京に戻った英里香は、重い疲労を感じながらも、すぐに大江戸グループ中央研究所の兄・巧と連絡を取った。
絹川での聞き込みは難航し、突破口を見出すには、事件の核心であるDNA鑑定そのものに切り込むしかない、という思いを強くしていたからだ。
『英里香か。ちょうど報告しようと思っていたところだ』
モニターの向こうで、巧は分厚いファイルと数枚のグラフを手に、いつもの冷静な口調で語り始めた。
『結論から言えば、須田和夫さんが有罪とされた当時のDNA鑑定、MCT118法には、やはり看過できない問題点がある』
巧は、大江戸グループの誇る科学者チームや、国内外の分子生物学の専門家たちと連携し、この十数年前の鑑定技術を徹底的に検証していた。
『まず、識別能力が現在のSTR法と比べて著しく低い。 MCT118法が見ていたのは、ごく一部のDNA領域の反復回数だけだ。
これは、いわば血液型鑑定より少しマシな程度で、偶然の一致が起こる確率も無視できないレベルだった』
巧はグラフを指し示しながら続けた。
『さらに、試料の質に結果が大きく左右される。被害者の衣服に付着していた体液は、発見までに時間が経っており、劣化していた可能性が高い。
劣化したDNAや微量なDNAでは、バンドが不鮮明になったり、本来とは違うパターンを示したりすることがある。
それをどう解釈するかは、当時の鑑定人の経験や…場合によっては、予断に依存していた可能性も否定できない』
英里香は息を詰めて聞いていた。
巧の言葉は、当時の鑑定が絶対的なものではなく、むしろ多くの不確定要素を孕んでいたことを示唆していた。
『科警研や大学など、鑑定機関によって技術レベルにばらつきがあったことも分かっている。
もし、絹川県警が依頼した鑑定機関のレベルが低かったり、あるいは…捜査側の意向を汲んで、意図的に須田さんに不利な解釈をしたとしたら……』
それは、考えたくないが、十分にあり得るシナリオだった。
「つまり、当時の鑑定結果は、現在の科学水準から見れば、須田さんの有罪を証明するには不十分、ということね ?」
英里香は確認するように言った。
『そうだ。再鑑定が必要だ。
もし、証拠品が残っていて、最新のSTR法で鑑定し直せば、全く違う結果が出る可能性は十分にある』
しかし、そこに最大の壁があった。
証拠品の保管状況だ。
十数年前の事件の証拠品が、再鑑定に耐えうる状態で保管されている可能性は低い。
警察や検察が、ずさんな管理を理由に再鑑定を拒むことも考えられた。
「分かったわ、巧兄さん。ありがとう。
この調査結果を基に、検察に再鑑定を要求する準備を進める。 同時に、証拠品の保全も強く申し入れないと……」
英里香は受話器を置くと、深く息をついた。
科学的な根拠は得られた。
だが、法廷でそれを認めさせ、再鑑定を実現させるのは、また別の戦いだ。
検察との厳しい対立が予想された。
数日後、英里香は再び嵐と共に絹川市を訪れていた。
再鑑定請求の準備と並行して、地道な聞き込みを続ける必要があったからだ。
たとえ断片でも、当時の状況を知る証言を集めなければならない。
「あの…事件の日だったかねぇ…」
古い商店街の一角で話を聞いた、元タバコ屋の老店主が、皺だらけの額に指を当てて記憶を辿っていた。
「夕方頃だったかな。 パチンコ屋の前の道で、白い、ちょっと良い車が停まっててね。
中で男の人が、女の子に……さなえちゃんだったかもしれねぇな…何か話しかけてるような感じだったのを、ちらっと見たような気がするんだが……」
「その男の人の顔は ? 車のナンバーは ?」
英里香は身を乗り出して尋ねた。
「いやぁ…顔までは…車も、白いセダンだったってことくらいしか……」
老店主は申し訳なさそうに首を振った。
「当時は、まさかあんな事件になるなんて思わねぇからねぇ。
警察にも聞かれたけど、はっきりしねぇから、そう言ったんだ」
別の聞き込み先でも、
「白い車に乗った見慣れない男がうろついていた」
という曖昧な情報がいくつか得られた。
いずれも断片的で、証拠としての価値は低いかもしれない。だが、和夫さんとは異なる「不審な男」の存在を示唆する声が、複数あることは確かだった。
当時の警察は、なぜこの情報を重要視しなかったのだろうか ?
「白いセダンの男か……」嵐は顎に手を当てて呟いた。
「和夫さんは当時、古い軽自動車に乗っていたはずだ。 別人だな。
当時の捜査資料をもう一度洗い直す必要がある。この男に関する捜査記録が、どこかに埋もれているかもしれん」
嵐は、絹川県警時代の知人などを通じて、当時の捜査関係者の情報を集めていた。
その中で、気になる名前が浮上した。
「真壁吾郎」という、当時、捜査本部にいた元警部補。
彼は、和夫さんの自白に早い段階から疑問を持ち、この「白いセダンの男」の線を追うべきだと主張していたが上司に抑え込まれた、という噂があるらしい。
「真壁警部補……か。
今は退職して、連絡先も分からないそうだが……もし、彼が何か知っているとしたら、大きな手がかりになるかもしれん」
嵐はメモ帳にその名前を書き留めた。
今はまだ、影のような存在だが、この事件の鍵を握る人物になるかもしれない。
その頃、東京の大江戸グループ中央研究所では、別の種類の「騒動」が起きていた。
「巧兄ちゃん !
DNA鑑定なんぞ、妾にかかればお茶の子さいさいじゃ !」
突如、研究室のドアを蹴破るようにして現れたのは、白衣ならぬフリルのついた奇妙な服を着た潮来由利凛だった。
その手には、銀色に輝く…どう見ても家庭用のミキサーにしか見えない物体が握られている。
「見よ! これが妾の発明した『お手軽DNAシーケンサー・ゆりりんDX』じゃ! これを使えば、毛髪一本からでも、犯人のDNA配列を瞬時に解読! さらに! そのDNA情報から、犯人の似顔絵まで自動生成する優れものなのじゃ !」
由利凛は得意満面に大平原な胸を張る。
研究室にいた巧とジャンヌは、呆気にとられていた。
「ゆ、由利凛……それは、どう見てもただのミキサーにしか見えないんだが……」巧が恐る恐る尋ねる。
「何を言うか! このブレードの超高速回転が、DNAを効率的に抽出・増幅し、内蔵された超次元演算チップが配列を読むのじゃ!
さあ、そこの貴重そうなサンプルを貸してみよ! 実験じゃ!」
由利凛は、実験台に置かれていた(おそらく絹川事件とは無関係の)試験管に手を伸ばそうとした。
「わーっ! やめろ! 近づくな!」巧は慌てて由利凛と試験管の間に立ちはだかった。
「頼むから、俺の研究室で勝手なことをしないでくれ! 大事な研究が台無しになる!」
「むぅ、妾の偉大な発明の価値が分からぬとは、嘆かわしい奴じゃ!」
由利凛はミキサー(?)を振り回し、巧はそれを必死で避けながら彼女を研究室から追い出そうとする。
その様子を、ジャンヌは「あらあら」と微笑みながら(あるいは、半ば諦めの表情で)見守っていた。
天才物理学者と天才(?)発明家による、極めて非科学的な攻防戦が繰り広げられる中、絹川事件の真相は、未だ深い闇の中に閉ざされたままだった。
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