【完結】ツンデレお嬢様弁護士は奮闘中! ~法と人情で悪を裁く! ~

月影 流詩亜

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第八章:生存権の境界線

第56話 和解か、判決か

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 石田幸子の勇気ある証言と、山岡係長の法廷での醜態は決定的な転換点となった。

 連日メディアは港南市の異常な実態を報じ、世論の批判は沸騰。
 湘浜県議会は調査委員会を設置し、国も特別監査の実施を発表。

港南市長は議会で連日厳しい追及を受け、市役所には全国から抗議が殺到していた。
 完全に四面楚歌の状態に陥った港南市は、もはや法廷で争い続けることは不可能だと判断せざるを得なかった。

 次回の公判期日を目前に控えたある日、港南市の代理人弁護士から、英里香のもとに正式に和解の申し入れがあった。
 提示された和解案の骨子は、

①斎藤良雄氏に対する市長の公式な謝罪

②精神的苦痛に対する慰謝料及び未払い分の生活保護費相当額の支払い、

③福祉課の運営改善と再発防止策の実施

というものだった。

「…和解、ですか」

 英里香は、代理人弁護士との電話を切った後、重いため息をついた。
 法廷での勝利は目前だった。
 判決で、市の違法性を司法の場で断罪し、判例として残すことの意義は大きい。

 しかし裁判が長引けば、原告である斎藤の心身への負担も増大する。
 そして、和解であれば、判決よりも早く具体的な救済と再発防止策の実現が期待できるかもしれない。

英里香は、すぐに斎藤と連絡を取り、港南市から提示された和解案について丁寧に説明した。
 斎藤は、電話の向こうでしばらく黙り込んでいた。
 長い沈黙の後、ようやく絞り出すような声で話し始めた。

「……先生、ありがとうございます。
 ここまで戦っていただいて、本当に……。
 和解…すれば、もう、裁判所に行かなくてもいいんですね…?
  あの、山岡さんの顔を、もう見なくても……?」

 彼の声には、長きにわたる戦いの疲労と、早くこの苦しみから解放されたいという切実な願いが滲んでいた。

「……でも」斎藤は続けた。

「判決で、ちゃんと市のやったことが悪いことだって、証明してほしかった気持ちも……あります。  僕みたいな思いをする人が、もう二度と出ないように……」

 彼の葛藤は痛いほど伝わってきた。

「斎藤さんのお気持ち、よく分かります」
英里香は静かに言った。

「判決で市の責任を明確にすることも重要です。一方で和解であれば、金銭的な解決だけでなく、市に対して具体的な再発防止策を約束させることができます。
 どちらを選ぶかは、斎藤さんご自身が決めることです。
 私たちは斎藤さんの決断を尊重し、最後までサポートします」

 数日後、斎藤は悩み抜いた末に、和解を受け入れることを決断した。

「先生、和解でお願いします。
 でも、ただお金をもらって終わりじゃなくて、ちゃんと市に変わってほしいんです。
その約束を、しっかり取り付けてください」

 その言葉を受け、英里香は御門や明日菜とも綿密に戦略を練り、港南市側との和解協議に臨んだ。
 市側は早期解決を図りたい意向が強く、金銭的な条件については比較的スムーズに合意に至った。

 しかし、英里香が重視したのは、今後の再発防止策の具体性だった。

「市長の謝罪は当然として、それだけでは不十分です」

 英里香は市側代理人に対し、毅然とした態度で要求を突きつけた。

「①生活保護行政に関する第三者委員会を設置し、今回の事件の全容解明と、具体的な改善策を策定・公表すること。
②全職員を対象とした人権研修及び生活保護法の理念に関する研修を定期的に実施すること。
③申請権の保障を明確にするための窓口対応マニュアルを作成し、市民に公開すること。
④山岡氏に対する厳正な処分を行うこと。
 これらの項目を、法的拘束力のある和解条項として明記していただきたい」

 市側は当初、これらの要求に難色を示した。

「内部の人事や運営に関わることまで…」
と渋る代理人に対し、英里香は一歩も引かなかった。

「これらの約束がなければ、和解に応じることはできません。
 その場合は、判決で全てを明らかにさせていただくまでです。
 世論が、そして司法が、どちらを支持するかは明らかだと思いますが?」

 英里香の強い姿勢と、背後にある世論の圧力を前に、市側は最終的に英里香の要求をほぼ全面的に受け入れるしかなかった。

 そして、地方裁判所の和解期日。
 裁判官の面前で、英里香と市側代理人が和解調書に署名し、ここに斎藤良雄と港南市の間の争いは法的に終結した。

 和解内容は、斎藤への謝罪と賠償金支払い、未払い保護費の支給に加え、英里香が要求した具体的な再発防止策の実施が盛り込まれた、画期的なものとなった。

 裁判所の前で、英里香は斎藤、高橋代表と共に報道陣の取材に応じた。

「今日の和解は、斎藤さん個人の権利回復だけでなく、港南市の生活保護行政を正常化させるための、大きな一歩だと信じています。
 しかし、これで全てが解決したわけではありません」

 英里香はマイクに向かって語りかけた。

「生活保護制度そのものが抱える課題、国の責任、そして私たちの社会に根強く残る偏見……。
解決すべき問題は山積しています。
今回の和解を、より良い社会への出発点としなければなりません」

 隣に立つ斎藤は、まだ完全には笑顔を取り戻せないものの、その表情には確かな安堵と、未来への小さな光が見えた。

 事務所に戻った英里香は、御門に和解の成立を報告した。

「よくやった、大江戸君。
君の粘り強い交渉が、予想以上の成果を引き出したな」
御門は労いの言葉をかけた。

「だが、君が言う通り、これで終わりではない。和解条項が確実に履行されるか、監視を続ける必要がある。
そして、この問題を風化させてはならない」

「はい」英里香は頷いた。

「個別の事件解決だけでは限界があることも痛感しました。
 もっと大きな視点で、制度や社会そのものに働きかけていく必要性を感じています」

「それが、弁護士としての次のステージかもしれんな」
 御門は、英里香の成長を認め、静かに微笑んだ。

 その夜、事務所では、ささやかな和解成立祝いの会が開かれた。
 嵐や巧、明日菜、ジャンヌ、蝶子、そして「守る会」の高橋代表も駆けつけ、斎藤の新たな門出を祝った。

 そこへ、少し遅れて玉井刑事が、大きな箱を抱えてやってきた。

「先生!斎藤さん!
和解成立、本当におめでとうございます!
これ、僕が心を込めて焼きました!快気祝いのお返しも兼ねて…特製アップルパイです!」

 差し出されたアップルパイは、少し形は不格好だったが、甘く香ばしい、良い匂いがした。

 英里香は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐにふっと表情を和らげた。

「……ありがとう、玉井刑事。わざわざ手作りで? …まあ、せっかくだから、みんなでいただきましょうか」

 英里香が珍しく素直に受け取ると、玉井刑事は満面の笑みを浮かべ、その場で感無量といった様子で固まってしまった。

 達成感と、安堵感。
 そして、まだ道半ばであるという現実。
 様々な思いが交錯する中、英里香は窓の外に広がる夜景を見つめた。

 今回の戦いで灯った小さな光を、消さずに未来へ繋いでいかなければならない。

 英里香は、次なるステップへと、静かに思いを巡らせ始めた。
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