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第三部:信長包囲網と天運の行方
第19話 史上最大の道迷い
しおりを挟む 安土城を出立した俺の足取りは、決意に満ちていた。
……今度こそ、絶対に失敗はしない。
懐には、織田家の、いや、日の本の未来を左右する密書が納められている。
これを無事に備中高松城の羽柴藤吉郎殿の元へ届ける。 ただそれだけの、単純な任務のはずだ。
(道さえ間違えなければ……道さえ……)
俺は、何度も自分にそう言い聞かせた。
これまでの俺の失敗は、全てが想定外の状況下で起きたものだ。
しかし、今回は違う。あらかじめ決められた街道を、ただひたすら西へ向かえば良い。
地図もある。道行く人に聞けば、誰でも教えてくれるだろう。
俺は、道中の安全を祈願して神社に立ち寄っては賽銭を投げ、渡し場では船頭に何度も目的地の読み方を確認し、茶屋で休憩しては店主に西へ向かう道を執拗に尋ねた。
自分にできる、ありとあらゆる注意を払っていた。
最初の数日は、順調だった。
あまりにも順調すぎて、不気味なくらいだった。
悲劇が始まったのは、京の都にほど近い、山城国の複雑な街道網に足を踏み入れてからだった。
「ええと……ここを西へ行けば、摂津の国へ抜けられるはず……」
俺は、分かれ道で地図を広げ、太陽の位置と睨めっこしながら、慎重に進むべき道を選んだ。
だが、その道を進めども進めども、景色は見覚えのある山ばかり。
おかしい、と思い、畑仕事をしていた農夫に道を尋ねて、俺は愕然とした。
「へぇ、旦那。摂津に行きてぇのかい?
なら、この道じゃねぇだ。
この道は、丹波へ抜ける道だぜ」
丹波
それは、目的地とは全く逆の北へ向かう道だった。
「なっ……! そ、そんなはずは……!」
俺は慌てて道を引き返し、別の道を選んだ。
今度こそ間違いない。
そう確信して丸一日馬を走らせ、とある宿場町にたどり着いた。
そこの宿の主人に「ここは、どのあたりでしょうかな」と尋ねた俺は、主人の答えに、耳を疑った。
「ここは、近江の坂本でございますが」
近江……琵琶湖のほとり。
つまり、俺は一日かけて、出発地点である安土城のすぐ近くまで、見事な円を描いて戻ってきてしまっていたのだ。
そこから先は、もはや悪夢だった。
西へ向かおうとすれば、いつの間にか北へ。
北へ向かっていると思えば、気づけば南へ。
俺の体には、目的地とは逆の方向へ引き寄せられる、何か呪いのような磁石でも埋め込まれているのではないか。本気でそう疑い始めた。
三日後、俺は完全に自信を失い、京の都の周辺を、まるで亡霊のようにぐるぐると彷徨い続けていた。
(なぜだ……なぜ、こうなるのだ……)
馬の上で、俺は半泣きになっていた。
懐の密書が、まるで鉛の塊のように重い。
(信長様は、私の天運に期待すると仰せだった。だが、俺に備わっているのは、天から見放されたとしか思えぬ、この致命的なまでの方向音痴だけではないか!)
俺は、同じような山道を三度も通り過ぎ、同じ川を四度も渡った。
道端の地蔵菩薩も、すっかり顔なじみになった気がする。
日はとっぷりと暮れ、もはや自分が京の都の東西南北、どのあたりにいるのかさえ、全く分からなくなってしまった。
任務の遅延は、もはや決定的だった。
羽柴殿は、援軍の情報を今か今かと待ちわびているだろう。
信長様は、俺がとっくに到着した頃だと思っているに違いない。
その期待を、俺は、ただ道に迷ったという、あまりにも初歩的で、あまりにも情けない理由で、裏切ろうとしている。
「ああ、私はなんという……!」
馬を止め、人気のない山道で、俺は天を仰いだ。
満月が、まるで俺の愚かさを嘲笑うかのように、こうこうと輝いている。
「これでは、信長様のご期待を裏切ってしまう~~~~~っ!」
俺の慟哭は、静かな初夏の夜の闇に吸い込まれていった。
疲れ果てた俺は、その夜、山中にぽつんと立つ、小さな古寺の山門を見つけ、一夜の宿を借りようと、力なくその門を叩くことにした。
それが、日本の歴史そのものを、根底から揺るがすことになる一打になろうとは、知る由もなかったのである。
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