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第九章:本能寺エスケープ ~史上最大の「退職」計画~
第44話 本能寺の変(裏) ~炎の中の脱出劇~
しおりを挟む ダンッ……!
背後で重い扉が閉ざされた瞬間、轟音と熱気、そして戦場の喧騒が、まるで刃物で断ち切られたかのように遮断された。
後に残されたのは、耳鳴りがするほどの静寂と、鼻をつく湿ったカビの臭い。
そして、どこまでも続く濃密な闇だけだった。
「……っ、うぅ……!」
俺は膝から崩れ落ち、冷たい土の床に両手をついた。
手のひらに触れる土の感触が、現実感を無理やり突きつけてくる。
蘭丸を置いてきた。
俺の身代わりとして、あの炎の中に。
瞼を閉じれば、最期の瞬間の彼の笑顔が焼き付いて離れない。
『私の最愛の主君』そう言って、彼は自ら死地へと踏みとどまった。俺を生かすために。
「くそっ……! 俺は、なんてことを……!」
胃の腑がねじ切れそうだ。
俺の「自由になりたい」というエゴが、十兵衛を逆賊にし、蘭丸を殺した。
これが、俺が望んだスローライフの代償なのか?
あまりにも重すぎる……血の味がする。
「……殿、立ってください」
闇の中で、凛とした声が響いた。
カチッ、という音と共に小さな火花が散り、松明に火が灯る。
揺らめく炎に照らし出されたのは、煤で顔を汚しながらも、毅然と前を見据える海の姿だった。
「泣いている暇はありません。蘭丸が稼いでくれた時間は、決して長くはないのです」
「海……でも、俺は……」
「後悔なら、生きてからしてください!
死んで詫びるなんて、そんな安い感傷は許しません!」
海が俺の胸倉を掴んで引き立たせる。
その瞳は、鬼気迫るほどに真剣だった。
「貴方は、彼らの命を背負ったのです。
十兵衛殿の汚名も、蘭丸の未来も、全部喰らって、それでも図太く幸せになる義務があるんです!
それができないなら……今すぐ戻って、一緒に焼け死になさい!」
その激昂に、俺はハッと息を呑んだ。
そうだ。
俺がここで立ち止まれば、彼らの犠牲は無駄になる。
ただの犬死にになる。
それこそが、最大の裏切りだ。
「……大ちゃん、行こう」
反対側の手を、空が握りしめた。
彼女の手は震えていた。
涙で瞳は濡れていた。
それでも、その温かさは力強かった。
「約束したでしょ? スキー旅行に行くんでしょ?
みんなでコタツに入って、みかん食べるんでしょ? ……行こう。私たちの未来へ」
二人の女神が、地獄の底で俺を支えている。
俺は、涙を袖で乱暴に拭った。
「……ああ、行くぞ」
俺たちは、闇の回廊へと足を踏み入れた。
◇
地下通路は、海が京屋敷の改修工事に紛れて掘らせたものだ。
本来は水路の点検用トンネルを拡張したもので、大人が一人、屈んでやっと通れるほどの狭さしかない。
湿気がひどく、足元はぬかるんでいる。
俺たちは、海を先頭に、空、俺の順で、ムカデのように連なって進んだ。
松明の明かりだけが頼りだ。
どれくらい進んだだろうか。
次第に、異変が起き始めた。
「……熱い」
空が苦しげに呟く。
地下だというのに、空気が生ぬるいどころか、サウナのような熱気を帯び始めているのだ。
「上です……!」
海が、天井を見上げて言った。
頭上の土壁から、パラパラと土砂が落ちてくる。
「本能寺の火勢が、想定以上です。
熱が土を伝わって、この地下道まで届いています!」
十兵衛は、徹底的にやったのだ。
俺の『死』を偽装するために、寺を跡形もなく焼き尽くす勢いで火を放った。
その完璧すぎる仕事ぶりが、皮肉にも俺たちの脱出を阻もうとしている。
ゴゴゴゴ……ッ!
遠雷のような音が響き、通路全体が大きく揺れた。
本堂の梁か柱が焼け落ちた衝撃だろう。
「きゃっ!」
空が足を取られて転ぶ。
俺は慌てて彼女を抱き起こした。
「大丈夫か!?」
「う、うん……でも、息が……」
熱気だけではない……煙だ。
どこかに亀裂が生じたのか、焦げ臭い煙が薄っすらと漂い始めている。
酸素が薄い、喉が焼けるように痛い。
「急ぎましょう! 天井が崩れたら、生き埋めです!」
海の焦燥を含んだ声、俺たちは這うようにして先を急いだ。
だが、行く手にはさらなる絶望が待っていた。
通路の中腹あたり……崩落した土砂が、道を半分以上塞いでいたのだ。
「……嘘だろ」
俺は呆然とした。
通れる隙間は、わずか三十センチほど。
大人の男である俺が通れるかどうか、ギリギリの広さだ。
しかも、その隙間からは、熱せられた煙が噴き出している。
「……私が先に行って、向こう側から引っ張ります」
海は迷わなかった。
着物の裾をからげ、泥の中に腹ばいになり、その狭い隙間へと身体をねじ込んでいく。
ジャリ、ジャリ、と土を掻く音、彼女の美しい着物が泥と煤にまみれるのを厭わず、懸命に前へ進む。
「通れました! 空、続いて!」
向こう側から声がする。
次は空だ。彼女は小柄だから、なんとか通り抜けられた。
最後は、俺だ。
俺は意を決して、泥の隙間に頭を突っ込んだ。
狭い、肩がつかえる。
背中の土壁が熱い、まるで釜茹でにされているようだ。
ズリッ、ズリッ、……必死に腕で土をかくが、腰のあたりで引っかかってしまった。
進まない……戻れない。
「くっ……動け……!」
煙が肺に入り、激しく咳き込む。
意識が遠のきかける。
このまま、ここで死ぬのか?
土の中で、誰にも知られず、朽ち果てるのか?
…… それもまた、相応しい末路かもしれない。
一瞬、弱気な思考が頭をよぎった時。
両腕に、強い痛みが走った。
「大ちゃん! 諦めないで!!」
「殿! 這い出してください! お願いです!」
空と海が俺の両手を掴み、力任せに引っ張っていたのだ。
爪が食い込むほどの強さで、女の細腕のどこにそんな力があるのかと思うほどの必死さで。
「うおおおおぉぉッ!」
俺は、最後の力を振り絞った。
二人の愛に、命の底力を点火された。
腰の骨が軋むのも構わず、地面を蹴り、泥を掻く。
ズボッ!
栓が抜けるように、俺の体は土砂の向こう側へと転がり出た。
「はぁっ、はぁっ……!」
泥だらけの床に大の字になる俺。
その上に、空と海が覆いかぶさり、泣きじゃくっていた。
「よかった……! 大ちゃん……!」
「無事で……本当によかった……!」
俺は、泥と涙でぐしゃぐしゃになった二人の顔を抱き寄せた。
生きている。
俺たちは、まだ生きている !
◇
そこからは、無我夢中だった。
次第に勾配がきつくなり、やがて頭上に木の板が現れた……出口だ。
海が合図を送ると、板が外から持ち上げられた。
そこには海が事前に手配していた忠実な忍び、かつて美濃へ走らせた者たちが待っていた。
「……お待ちしておりました」
差し伸べられた手を取り、俺たちは地上へと這い出した。
場所は、本能寺から数町離れた、妙覚寺の裏手にある竹藪の中だった。
ひんやりとした夜気が、火照った肌に心地よい。
吸い込んだ空気は、煙混じりだったが、それでも世界で一番美味い味がした。
「……見て」
空が指差す方角、竹林の隙間から赤く染まった夜空が見えた。
巨大な火柱が立ち上り、火の粉が星のように舞い上がっている。
本能寺が燃えている。
あの中に、織田信長がいる。
天下を恐怖させた第六天魔王が、灰になって消えていく。
俺は、その炎に向かって静かに手を合わせた。
さらば、信長。
さらば、俺の夢見た天下布武。
そして、ありがとう、十兵衛。蘭丸。
俺の目から、一筋の涙が伝い落ちた。
それは、悲しみの涙であると同時に生まれ変わるための産湯のような涙だった。
「……着替えましょう」
海が、用意されていた荷物を解いた。
中に入っていたのは、質素な商人の着物だ。
俺たちは、煤で汚れた小袖を脱ぎ捨て、その着物に袖を通した。
髷まげを解き、ざんばら髪にする。
鏡はないが今の俺は、きっと何処にでも居るうだつの上がらない町人にしか見えないだろう。
「似合ってるよ、大ちゃん」
空が町娘の格好をして、フフッと笑った。
海も、地味な手甲脚絆姿だが、その美しさは隠しきれていない。
「行きましょう。夜明けと共に、京を離れます」
俺は、二人の手を取った。
もう、天下人の手ではない。
ただの、緑野大地の手だ。
「ああ、行こう」
東の空が、白み始めていた。
それは、「本能寺の変」という歴史的事件の終わりを告げる夜明けであり、俺たち三人の本当の人生の始まりを告げる朝陽だった。
俺たちは燃え盛る炎に背を向け、まだ薄暗い街道へと歩き出した。
目指すは、地図にはない場所。
権力も、義務も、歴史も追いつけない、俺たちだけのスローライフの地へ……
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