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1 運命の(?)再会
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しばらく歩いた所で、ふとビルの掲示板に貼ってあるポスターが目に留まった。女の人が柴の子犬を抱いて微笑んでいるのもので、その子犬が、昔飼っていたぽんたという犬によく似ていた。
あれは中学二年の五月の半ば、学校の帰りに友達の家に寄ったあと、いつもの通学路とは違う道を通った日のことだった。
とあるマンションのごみ置き場の前に段ボール箱が置いてあった。特に気にすることもなく通り過ぎようとしたのだったが、中で何かがもぞもぞと動く気配がしたので足を止めた。ふたの部分は切り取られている。
恐る恐る覗いてみると、もぞもぞの正体は、まだ生まれて間もない犬の赤ちゃんだった。
たった一匹、何にもない箱の中にいたその子は、寂しいとか心細いとかいう感情もきっとまだなくて、ただ本能で生きようとしているように思えた。
もし誰にも拾われなかったら、この子はどうなってしまうんだろう。
奈瑠は通学カバンを下ろすと、子犬をそうっと抱き上げた。むにゅっとして温かく、あまりに小さくてかわいかった。
それまで一度も犬を飼うことなど考えなかったのに、瞬間的に、この子と家族になりたい、そう思った。
この子が家族だったら、きっと寂しくない。きっといつも、自分の味方でいてくれる。そしてそんなふうに思った自分に、ちょっと驚きもしたのだった。
久しぶりにそんな記憶が蘇り懐かしく思っているところへ、「すいません」と後ろから声をかけられた。
振り向くと、背の高い若い男性が立っていた。さっき交番を出がけに会った男性だった。少し息を弾ませているところを見ると走って来たのだろうか。
「あの、これ……」
男性は上着のポケットからスマホを取り出して見せた。
「あ、それ、あなたの……」
「やっぱりあなたが届けてくださったんですね。ホント助かりました。これがないと仕事に支障が出るのですごく焦ってたんですよ。それについこの間買い変えたばっかりだったし……。どうもありがとうございました」
男性は却ってこちらが恐縮してしまうほど、深々と頭を下げた。それにしても、どうして奈瑠が届けたことがわかったのだろう。まさか、教えないと言ったのに、あの警察官が教えたのだろうか。
「あの、交番でわたしのことをお聞きになったんですか?」
「いえ。交番じゃ何も教えてくれなくて。でも届いたばっかりだって言ってたから、あなたじゃないかと思って、受け取りの書類を書いたらすぐに飛び出して来たんです。お礼を言いたくて。どっちの方向に行ったのかわからなかったけど、一か八かこっちに来てみて大正解でした」
彼は少し笑ってから、掲示板に目を遣った。
「このポスターを見ていたんですか?」
「あ、はい」
「どうして、このポスターを?」
「どうしてって……」
変なことを聞く人だと思った。そんなのたまたまだ。
「犬が好きなんですか?」
「そうですね……」
「もしかして、この子犬があなたの飼っている犬に似ているとか」
なんとなく探るような聞き方だ。
「はあ……」
「その子の名前は、ぽんた、とか」
驚いて思わず視線を合わせる。彼はすぐにまた口を開いた。
「もしかして、沢井奈瑠さんじゃないですか?」
奈瑠は彼の顔をじっと見つめた。黒っぽいフレームのメガネに無精髭。年齢は、おそらく二十代後半くらい。ラフに伸ばした感じの髪型やカジュアルな格好からして、多分仕事関係の知り合いではない。
もしかして、一見若く見えるけれど、実は中学か高校あたりの同級生とか。にしても、昔クラスメイトが飼っていた犬の名前まで覚えているものだろうか……。
何も言えないでいると、彼は思いついたようにメガネを外した。
「これでもわからない? 俺だよ。勇樹だよ」
ユウキダヨ。
「ええええええええっ!!」
駅前の居酒屋でグラスを合わせた。
「それにしてもよくわかったね。だってもう十……五年? だよ?」
「だよな。自分でも驚いてる」
「交番の入り口ですぐわたしだってわかったの?」
「そうじゃないけど、なぜかピンときたっていうか。でももちろん確信なんてないから、おまわりさんに聞いたんだ。名前を教えてくださいって。そしたら本人の希望で教えないことになってるから一切ダメだって言うんだよ。だから隙をついておまわりさんの持ってた書類覗き込んでやった」
「そんなことしたの? 怒られなかった?」
「慌てて引っ込めたよ。一瞬だったから名前全部は見えなかったけど、奈瑠って書いてあった気がしたからやっぱりそうなんじゃないかって。名字も変わってなかったんだね」
「大きなお世話。でもわたしはさすがにわからなかったなあ。だって勇樹が髭生やしてわたしよりでっかくなってるんだもん。昔はかわいかったのに」
「今だって十分かわいいと思うけど」
「鏡持ってないの?」
勇樹は奈瑠の弟だった。二年足らずの間だけ。
奈瑠が中学二年、勇樹が小学四年のときに、親同士が再婚したのだ。
勇樹の母親は化粧品メーカーの研究員だった。仕事熱心で、家事や子育てよりも仕事の方が一生懸命だった。そんなところは、奈瑠の父親と似ていた。
多感な年頃だったし、最初は当然戸惑ったけれど、奈瑠と勇樹は馬が合ったのかわりとすんなりと仲良くなれた。
勇樹の面倒を見るのは楽しかったし、勇樹も奈瑠を慕ってくれた。
奈瑠は友達の前でよく「弟がさあ……」と話をした。それがうれしくて、誇らしかった。
「ぽんたはあれからどうしたの?」
勇樹が聞いた。
「わたしが大学に入った年に病気になって死んじゃった。思い出すと今でも涙出そう」
「そっか。ずっと気になってたんだ。会いに行きたいって思ってたけど、母親にばれたら怒られるし、小学生にしてみればわりと遠い距離だったし。でも何て言うか、すごい偶然だよな。だっていくら俺のスマホ拾ってくれたのが姉ちゃんだったとしても、交番の入り口ですれ違わなかったら絶対わからなかったわけだし、俺が追いかける方向間違えてたらそれで終わりだし。しかも、あのポスターが姉ちゃんを引き留めておいてくれたなんてさ」
「ぽんたに似た子犬のおかげってこと?」
「あれ、俺が撮ったんだ」
「えっ? どういうこと?」
なんと勇樹の職業はカメラマンなのだと言う。そしてあのポスターを撮影したとき、勇樹もモデルの犬を見てぽんたを思い出していたのだそうだ。
奈瑠はこの運命めいた再会について、ぽんたが引き合わせてくれたに違いないとか、これが男と女だったら赤い糸間違いなしなのにとか、しばらくの間興奮気味にしゃべっていた。
あれは中学二年の五月の半ば、学校の帰りに友達の家に寄ったあと、いつもの通学路とは違う道を通った日のことだった。
とあるマンションのごみ置き場の前に段ボール箱が置いてあった。特に気にすることもなく通り過ぎようとしたのだったが、中で何かがもぞもぞと動く気配がしたので足を止めた。ふたの部分は切り取られている。
恐る恐る覗いてみると、もぞもぞの正体は、まだ生まれて間もない犬の赤ちゃんだった。
たった一匹、何にもない箱の中にいたその子は、寂しいとか心細いとかいう感情もきっとまだなくて、ただ本能で生きようとしているように思えた。
もし誰にも拾われなかったら、この子はどうなってしまうんだろう。
奈瑠は通学カバンを下ろすと、子犬をそうっと抱き上げた。むにゅっとして温かく、あまりに小さくてかわいかった。
それまで一度も犬を飼うことなど考えなかったのに、瞬間的に、この子と家族になりたい、そう思った。
この子が家族だったら、きっと寂しくない。きっといつも、自分の味方でいてくれる。そしてそんなふうに思った自分に、ちょっと驚きもしたのだった。
久しぶりにそんな記憶が蘇り懐かしく思っているところへ、「すいません」と後ろから声をかけられた。
振り向くと、背の高い若い男性が立っていた。さっき交番を出がけに会った男性だった。少し息を弾ませているところを見ると走って来たのだろうか。
「あの、これ……」
男性は上着のポケットからスマホを取り出して見せた。
「あ、それ、あなたの……」
「やっぱりあなたが届けてくださったんですね。ホント助かりました。これがないと仕事に支障が出るのですごく焦ってたんですよ。それについこの間買い変えたばっかりだったし……。どうもありがとうございました」
男性は却ってこちらが恐縮してしまうほど、深々と頭を下げた。それにしても、どうして奈瑠が届けたことがわかったのだろう。まさか、教えないと言ったのに、あの警察官が教えたのだろうか。
「あの、交番でわたしのことをお聞きになったんですか?」
「いえ。交番じゃ何も教えてくれなくて。でも届いたばっかりだって言ってたから、あなたじゃないかと思って、受け取りの書類を書いたらすぐに飛び出して来たんです。お礼を言いたくて。どっちの方向に行ったのかわからなかったけど、一か八かこっちに来てみて大正解でした」
彼は少し笑ってから、掲示板に目を遣った。
「このポスターを見ていたんですか?」
「あ、はい」
「どうして、このポスターを?」
「どうしてって……」
変なことを聞く人だと思った。そんなのたまたまだ。
「犬が好きなんですか?」
「そうですね……」
「もしかして、この子犬があなたの飼っている犬に似ているとか」
なんとなく探るような聞き方だ。
「はあ……」
「その子の名前は、ぽんた、とか」
驚いて思わず視線を合わせる。彼はすぐにまた口を開いた。
「もしかして、沢井奈瑠さんじゃないですか?」
奈瑠は彼の顔をじっと見つめた。黒っぽいフレームのメガネに無精髭。年齢は、おそらく二十代後半くらい。ラフに伸ばした感じの髪型やカジュアルな格好からして、多分仕事関係の知り合いではない。
もしかして、一見若く見えるけれど、実は中学か高校あたりの同級生とか。にしても、昔クラスメイトが飼っていた犬の名前まで覚えているものだろうか……。
何も言えないでいると、彼は思いついたようにメガネを外した。
「これでもわからない? 俺だよ。勇樹だよ」
ユウキダヨ。
「ええええええええっ!!」
駅前の居酒屋でグラスを合わせた。
「それにしてもよくわかったね。だってもう十……五年? だよ?」
「だよな。自分でも驚いてる」
「交番の入り口ですぐわたしだってわかったの?」
「そうじゃないけど、なぜかピンときたっていうか。でももちろん確信なんてないから、おまわりさんに聞いたんだ。名前を教えてくださいって。そしたら本人の希望で教えないことになってるから一切ダメだって言うんだよ。だから隙をついておまわりさんの持ってた書類覗き込んでやった」
「そんなことしたの? 怒られなかった?」
「慌てて引っ込めたよ。一瞬だったから名前全部は見えなかったけど、奈瑠って書いてあった気がしたからやっぱりそうなんじゃないかって。名字も変わってなかったんだね」
「大きなお世話。でもわたしはさすがにわからなかったなあ。だって勇樹が髭生やしてわたしよりでっかくなってるんだもん。昔はかわいかったのに」
「今だって十分かわいいと思うけど」
「鏡持ってないの?」
勇樹は奈瑠の弟だった。二年足らずの間だけ。
奈瑠が中学二年、勇樹が小学四年のときに、親同士が再婚したのだ。
勇樹の母親は化粧品メーカーの研究員だった。仕事熱心で、家事や子育てよりも仕事の方が一生懸命だった。そんなところは、奈瑠の父親と似ていた。
多感な年頃だったし、最初は当然戸惑ったけれど、奈瑠と勇樹は馬が合ったのかわりとすんなりと仲良くなれた。
勇樹の面倒を見るのは楽しかったし、勇樹も奈瑠を慕ってくれた。
奈瑠は友達の前でよく「弟がさあ……」と話をした。それがうれしくて、誇らしかった。
「ぽんたはあれからどうしたの?」
勇樹が聞いた。
「わたしが大学に入った年に病気になって死んじゃった。思い出すと今でも涙出そう」
「そっか。ずっと気になってたんだ。会いに行きたいって思ってたけど、母親にばれたら怒られるし、小学生にしてみればわりと遠い距離だったし。でも何て言うか、すごい偶然だよな。だっていくら俺のスマホ拾ってくれたのが姉ちゃんだったとしても、交番の入り口ですれ違わなかったら絶対わからなかったわけだし、俺が追いかける方向間違えてたらそれで終わりだし。しかも、あのポスターが姉ちゃんを引き留めておいてくれたなんてさ」
「ぽんたに似た子犬のおかげってこと?」
「あれ、俺が撮ったんだ」
「えっ? どういうこと?」
なんと勇樹の職業はカメラマンなのだと言う。そしてあのポスターを撮影したとき、勇樹もモデルの犬を見てぽんたを思い出していたのだそうだ。
奈瑠はこの運命めいた再会について、ぽんたが引き合わせてくれたに違いないとか、これが男と女だったら赤い糸間違いなしなのにとか、しばらくの間興奮気味にしゃべっていた。
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