弟がいた時間(きせつ)

川本明青

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4 彼からの電話

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誠に残念ではございますが、今回は採用を見送らせていただくこととなりました――。三社目。

鎌倉に行った次の日から仕事探しを始めたのだったが、そううまく行くはずもなく、面接を受けた三社からは同じような文言の不採用の通知を受け取っていた。

生まれて初めてハローワークにも行ったし、インターネットの求人サイトを覗いてみたり、街角に置いてあるフリーの求人誌を持って帰ったりもした。専門的な技術や資格もないから、経験のあるオフィスワークの求人を当たったけれど、今まで勤めていた会社と比べたら満足できる条件の会社などそうそうあるはずもなく、適当なところで妥協するしかなかった。つまり、ぜひともその会社で働きたいと思っているわけではないから、面接の際に採る側にもそれが伝わってしまうのだと思う。

「そう焦ることないじゃん。せっかくだからしばらくは適当にアルバイトでもしながら、自分のやりたいことを探すっていうのもいいんじゃない?」

勇樹にそんな風に慰められると、余計に迷惑をかけてはいけないという気になる。本気で仕事を探そうと思い立ったのだって、あの酔いどれの一件があって、勇樹の優しさが身に沁みたからだ。いつまでもぬるま湯に浸かって甘えてはいられない。

「でも現実問題として、少しでも若い方が有利なのは間違いないから。“三十五歳の壁”とか言ったりもするらしいし」

「三十五歳なんてまだまだ先じゃん」

まだまだ……とまでは、残念ながら言えない。

「自分のやりたいことを探すって、そんなに簡単じゃないと思う。その点勇樹は幸せだよね。やりたいことがはっきりしてて、実際それをやれてるんだから」

それからも仕事探しを続けた。三社目とほぼ同時に受けていた四社目からも不採用の通知を受け取った後は、職種をオフィスワークに限らずに、様々な種類の求人にも目を通すようにした。どうせダメ元だ。せっかくなので、少しでも面白そうだと思える仕事に応募してみようと思った。

勇樹は大変だと言っていたけれど、やっぱりおしゃれなカフェやレストランで働いてみたい気もするし、好きなアパレルブランドのショップのスタッフ募集も気になる。本に囲まれて本屋で働くのもよさそうだし、いっそのこと一から勉強して、何か手堅い資格でも取ってみようかとも考える。

たった四社適当に受けて断られたくらいで落ち込んでいるわけにはいかない。世の中にはまだまだ知らない魅力的な世界がたくさんあるはずだ。そして自分に向いている仕事も。そう自分に言い聞かせて気持ちを奮い立たせようとするけれど、気が付けばぼうっと一点を見つめていたりするのだった。


数日後、新たに面接を受けに出かけた。求人サイトで見つけた、美術館のミュージアムショップのオープニングスタッフだ。静かで環境もいいし、そう詳しいわけではないけれど、絵も嫌いでない奈瑠にしてみれば興味をひかれる仕事だった。

「好きなアーティストはいますか?」「美術館にはどのくらいの頻度で足を運びますか?」「今まで海外の美術館を訪れたことは?」「接客の経験はおありですか?」

未経験者歓迎、とあったわりに、面接では美術に関する知識や接客の心得などに関する質問が多かった。胸を張って答えられるような内容ではなかったものの、最後の「勤務していただくに当たっては、必要な知識をこれから学んでいただくことになりますが、その意欲はおありですか?」との問いかけには、自信を持ってうなずいたのだった。手応えなど感じられなかったけれど、学芸員を募集しているわけではないのだし“未経験者歓迎”の可能性に一縷の望みをかけて、面接会場を後にした。

なんとなくまっすぐ帰る気になれなかったので、街をぶらついた。和風の雑貨屋で感じのいい食器を見つけて手に取ると、勇樹の顔が浮かんだ。この皿に焼き魚を載せて、こっちの器には煮物、この小鉢はちょっとした和え物にいいかな。そんなことを考えて、勇樹とお揃いで買って帰ろうかとも思ったけれど、新婚夫婦でもあるまいし、自分はただの一時的な居候であることを思い出して元に戻した。

家に帰ると、庭の方から勇樹と知世の話し声が聞こえてきた。縁側を開け放って話をしているらしい。庭に回ろうと手に持っていた玄関のカギをバッグにしまったとき、会話の中に自分の名前が聞こえて思わず足を止めた。

「奈瑠さんの部屋探し、どうなってるの?」

「まずは仕事を探してる。俺がその方がいいって言ったんだ。だって家賃とか払っていかなきゃいけないわけだし。今日も何かの面接に行くって言ってた」

「じゃあいつまでここにいるかわからないんだね」

「そんな風に言うなって。姉ちゃんもいろいろと大変なんだよ」

「わたしは別に……。ただどうなってるのかなあって思っただけよ。姉弟なんだから、困ってるときに助け合うのは当たり前だし」

「姉ちゃん、子供の頃本当によくしてくれたんだ。俺が高熱を出したときにさ、病院には母親が連れて行ってくれたんだけど、そのあとすぐに仕事に行っちゃって、看病してくれたのは姉ちゃんだった。おでこ冷やしたり、おかゆ作ってくれたり、ゼリーとかプリンとか買って来てくれたり」

「弟思いのお姉さんなんだね」

「遠足の弁当とかも姉ちゃんが作ってくれたし。姉ちゃんであり、母親みたいでもあったかな」

「母親みたい、ねえ……。わたしも一人暮らし始めようかな。そしたらここに泊まりに来られなくても、勇ちゃんがわたしの所に来ればいいじゃない?」

「別に今までどおりここに来ればいいじゃん」

「そんなこと言ったって、奈瑠さんにだって気遣わせちゃうよ」

「そんなことないって」

「あるよぉ。じゃあここに泊まって、近くに奈瑠さんいてエッチできる?」

「それは……」

「もちろん、それが理由で部屋を借りようと思ってるわけじゃないけどね。前々から考えてたの。もういい歳だし。いつまでも実家で親に甘えてるのもどうなのかなって」

そのとき、門の前に宅配業者のトラックが停まった。奈瑠はふと我に返った。勇樹と知世の会話を聞いて、なぜかショックを受けていた。決して今さら改めてショックを受けるような話の内容ではないはずだ。なのに、勇樹に「母親みたいでもあった」と言われたことも、勇樹と知世がセックスの話をしていたことも、なぜかいちいち胸に刺さった。

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