弟がいた時間(きせつ)

川本明青

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7 真実

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その後、勇樹は何事もなかったかのようにいつもの勇樹に戻った。

お互いあの日の話に触れることはないけれど、あのときのぼんやりとした勇樹の横顔が頭から離れない。

笹野さんとは何者なのか。二人の間にいったい何があったのか。本当は気になって仕方がない。だが笹野さんの話を持ち出してしまったら、勇樹の表情はきっとまた硬くなると思うし、聞いたところで答えてくれるとも思えない。奈瑠と勇樹の関係がぎくしゃくしてしまうだけだろう。

勇樹は黙って奈瑠をこの家に受け入れてくれた。なのに自分だけずけずけと聞くわけにはいかない。それにきっと、ずけずけと聞けるほど浅い話ではない気がするのだ。

(勇樹君は勇樹君の人生を生きてほしいの)

人生に関わるほどの出来事が、勇樹と笹野さんとの間にあったということだ。

まさかとは思うが、かつての熱愛の相手だとでもいうのだろうか。笹野さんは一見、年下の男を惑わす魔性の女、といった印象の人ではない。ふんわりと優しい感じで、美人というよりはかわいいタイプだ。だが表向き派手ではないそういうタイプの方が、実はよっぽど魔性の女だったりする。男はいつの間にか夢中になり、深みにハマってしまうのだ。大学の同級生にもそんな子がいたなあと思い出す。だが仮に笹野さんがそういったタイプの人で、過去に勇樹と歳の差恋愛をしていたとしても、今は知世というれっきとした彼女がいる。まさか勇樹は知世とつき合いつつも、いまだにあの人のことが忘れられないでいるのだろうか。だから、花を贈ったりしたのだろうか。

いくら考えても仕方のないことなのに、どうしても気になって仕方がない。

もしかしたら、知世は笹野さんのことを知っているかもしれない。それとなく聞いてみようか。けれどもし本当に笹野さんが勇樹の元恋愛相手で、その人が家に訪ねて来たと知ったら知世はどう思うだろう。五年以上もつき合っている彼氏が、今も昔の恋人を忘れられずにいると知ったら。しかも相手は母親ほども年上だ。奈瑠と勇樹が本当の姉弟ではないと知ったばかりなのに、さらにそれ以上のショックを受けるだろう。実際のところ、勇樹と笹野さんとの関係はわからないけれど、だからこそ、知世には絶対に聞けないと思った。
 

写真館、東京都中野区、笹野、いうワードでネットを検索してみると、それらしきものがヒットした。写真館の一覧のサイトの中に出てきたもので、外観の画像も、ホームページのURLも載っていない。これが、あの笹野さんがやっているという写真館なのだろうか。なんとなく、そこに行ってみたくなった。と言っても笹野さんに会おうなどと思っているわけではない。そんな度胸はないし、そんな立場でもない。行ったところで何がどうなるわけでもないけれど、どんなところか見てみたいと思った。そしてそう思い始めると他のことが手に付かなくなり、家を出たのだった。


電車に揺られながらふと思う。勇樹の本心はどこにあるのだろう。知世のことを大切に思っているのはわかる。けれど、もしかしたらそれ以外の誰かが心の中にいるんじゃないか。そんな思いが、頭をもたげていた。

JR中央線中野駅南口から徒歩五分。ネットにそうあった通り、笹野写真館は、駅の南側に位置する商店街の中の、昔ながらの写真館と言った風情の店だった。

最初は少し離れた所から見ていたのだったが、そのうちゆっくりと店に近づいて行った。

入り口横のショウウィンドウには、大きく引き伸ばされたどこかの誰かの写真が何枚か飾ってある。これをあの笹野さんが撮ったのだろうか。そんなことを考えながらしばらく眺めたあと、なんとなくガラスのドア越しに店の中を覗いた。

「こんにちは。ご用でしょうか?」

驚いてふり向くと、笑顔の女性が立っていた。笹野さんその人だった。

「あら? あなたは……」

普通のお客さんだと思って声をかけたらしく、笹野さんも驚いた顔をした。

「あの、わたし……」

ばつが悪くてしどろもどろしていると、笹野さんはまたにっこりと笑って、「どうもその節は」と言って会釈した。奈瑠も慌てて頭を下げた。

「どうぞ。中でお茶でも飲んで行ってください」

「いえ、あの……」

突然のことで、逃げ出したいような、でも話をしてみたいような複雑な気分だ。

「今はお客さんもいませんし、ちょうどおやつを買いに行っていたところなんですよ。せっかくだから。ね」

笹野さんは手に持っていた袋を掲げて見せた。

奈瑠は腹を決めて、店の中へと足を踏み入れた。

「座っていらして。今お茶を淹れてきますから」

勧められるままに応接用のテーブルにつき、店内に飾ってある写真を見回す。

赤ちゃんに七五三に成人式に結婚式。考えてみれば、自分はそういった人生の節目に写真館で写真を撮ってもらった記憶はない。ただでさえあまり写真など撮らない家庭なのに、わざわざ写真館に出向くことなど考えたこともなかった。世の中には、こういった形で家族の思い出を残そうとする人たちがたくさんいるのだなと感心する。

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