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7 真実
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家に帰ると、勇樹の部屋に入って、壁に貼ってある写真を見つめた。
冷めた顔をした勇樹と、楽しげに笑う知世と隆治。
この頃はまだ、それぞれに未来があった。夢があった。
隆治を失い、遺された勇樹と知世は、どんな思いで今までを生きてきたのだろう。
「姉ちゃん?」
はっとして振り返ると、勇樹が部屋の入り口に立っていた。
「何だよ。人の部屋に勝手に入って」
居たたまれない思いで、勇樹をじっと見つめる。
「どうかしたの?」
勇樹は急に心配そうな顔をした。正直に言うべきかどうか迷う。けれど、話をごまかせるような気分ではなかった。
「隆治君の話、聞いたの」
「え?」
「ごめん。本当にごめん。実は今日、笹野さんのところに行ったの」
「…………」
「だってこの前笹野さんが来たとき、勇樹おかしかったでしょ。いつもの勇樹じゃないみたいだった。それに、笹野さんの話が聞こえてきて……」
「笹野さんの話?」
「『勇樹君は勇樹君の人生を生きてほしい』って……。だから、どうしても気になっちゃって……」
「…………」
「でも話を聞きに行ったわけじゃないの。中野の笹野写真館ってネットで検索したら出てきたもんだから、ちょっと、見てみたくなって……。そしたら偶然、笹野さんに会って……」
「それで、おばさんと話したんだ?」
奈瑠は頷いた。
「おばさん、何て?」
「勇樹は何も悪くないんだから、これからは前を向いて、勇樹の思うとおりの人生を生きてほしいって。知世ちゃんとの結婚も、もし隆治君に遠慮してるんだったら、それは違うって。笹野さん、二人に幸せになってほしいって言ってた」
突っ立ったまま話を聞いていた勇樹は、そっと背を向けて部屋を出て行った。
そして居間から灰皿を持って来て縁側に腰を下ろすと、煙草に火を点けた。
奈瑠も勇樹から少し離れたところに腰を下ろした。
「ねえ勇樹。わたしがどうのこうの言える立場じゃないのはわかってるけど、笹野さんの言うこと、もっともだと思う」
勇樹は何も言わない。
「勇樹は真面目だし、すごくやさしい。だから自分を責めちゃうんだと思う。でも自分らしく生きなきゃダメだよ。きっと隆治君もそれを望んでる。わたしも勇樹には幸せになってほしいの。血は繋がってないけどたった一人の弟だし、わたしのこと、救ってくれたから。だから勇樹のためなら何でもするよ。わたしにできることなら」
吸うでもなく指に挟まれた煙草が、ただ燃えていく。
勇樹はおもむろに口を開いた。
「違うんだよ。俺は真面目でやさしい人間なんかじゃない。違う。おばさんもおじさんも、本当のことを知らないんだ」
「本当のこと?」
「確かに、隆治が死んだのは事故だった。でも俺とバイトかわらなきゃ死なずにすんだのは事実だろ」
「だからそれは」
「しかもあいつにバイトかわってもらって俺がしてたのは……」
勇樹は言葉を飲んだ。
「勇樹?」
「俺はあの晩……俺はあの晩、あいつの彼女と寝てた。知世だよ。隆治が俺の代わりにバイトして、帰りに事故って病院に運び込まれてるときに俺は、あいつの彼女を抱いてたんだ」
「――――」
「最低の人間だよ。姉ちゃんの婚約者なんかよりよっぽど俺の方がひどいよ。人間のクズだよ。親友の彼女に手出してさ、親友死なしてさ、俺が死ねばよかったんだよ」
「やめて! そんな言い方しないで」
「だから俺は、あいつの代わりに俺ができることはやりたいんだ」
「そんなのおかしいよ。そんなことしたって勇樹は隆治君にはなれない。隆治君だってきっとそんなこと望んでない。勇樹は勇樹として生きていくしかないんだよ。それに知世ちゃんのことだって、人を好きになるって理性じゃどうにもならないこともあるから……。これからは、知世ちゃんと二人で幸せになることを考えた方がいいって」
「違う」
「何が違うの」
「違うんだ」
「違わない!」
「違う! あのとき俺は……違うんだ……」
勇樹は険しい表情で深いため息を吐いた。
「俺は、あいつのことが好きだった。隆治のことが好きだったんだ……」
「えっ……」
「でも、好きって言う表現が正しいのかどうか、今でもよくわからない。あんな感情、後にも先にもあのときだけだったから」
少しの間、二人してただ呼吸するだけの時間が過ぎた。
「壊したくなったんだ。隆治と知世の関係も、三人の友情も、訳のわからない感情も、全部ぶっ壊れればいいと思った。だから知世を誘った。今でも本当に、なんであんな気持ちになったのかわからない。わからないんだ……」
勇樹は苦しそうに目を閉じた。
「そのこと、知世ちゃんは知ってるの?」
黙って横に首を振る。
「じゃあ、知世ちゃんのことは……」
「知世のことは大切に思ってる。知世は俺が幸せにしなきゃいけないんだ。俺が……」
「それは愛情なの? それとも、償いのつもり?」
奈瑠は咄嗟にそんなことを口走った。勇樹は驚いた顔で何か言いかけて、黙り込んだ。
「ねえ勇樹、今本当に知世ちゃんのことが好きなら、二人で幸せになるべきだと思う。でも隆治君の代わりに、勇樹が知世ちゃんを幸せにしなきゃいけないと思ってるなら、それはただのエゴだよ。そんなんで知世ちゃんは幸せにはなれない。過去は過去なんだよ。いくら楽しい思い出も悲しい思い出も、所詮過ぎ去ったことなの。いくらもがいたってもう取り返せないの。何勝手にがんじ絡めになってんの? いい加減に目を覚ませば? 笹野さんが言ってた前を向くってそういうことなんじゃないの?」
「姉ちゃんに何がわかるって言うんだよ」
「わからないよ。全然わからない。でも今のままじゃ誰も幸せになれないよ」
「適当なこと言うなよ。姉ちゃんには関係ないだろ」
冷めた顔をした勇樹と、楽しげに笑う知世と隆治。
この頃はまだ、それぞれに未来があった。夢があった。
隆治を失い、遺された勇樹と知世は、どんな思いで今までを生きてきたのだろう。
「姉ちゃん?」
はっとして振り返ると、勇樹が部屋の入り口に立っていた。
「何だよ。人の部屋に勝手に入って」
居たたまれない思いで、勇樹をじっと見つめる。
「どうかしたの?」
勇樹は急に心配そうな顔をした。正直に言うべきかどうか迷う。けれど、話をごまかせるような気分ではなかった。
「隆治君の話、聞いたの」
「え?」
「ごめん。本当にごめん。実は今日、笹野さんのところに行ったの」
「…………」
「だってこの前笹野さんが来たとき、勇樹おかしかったでしょ。いつもの勇樹じゃないみたいだった。それに、笹野さんの話が聞こえてきて……」
「笹野さんの話?」
「『勇樹君は勇樹君の人生を生きてほしい』って……。だから、どうしても気になっちゃって……」
「…………」
「でも話を聞きに行ったわけじゃないの。中野の笹野写真館ってネットで検索したら出てきたもんだから、ちょっと、見てみたくなって……。そしたら偶然、笹野さんに会って……」
「それで、おばさんと話したんだ?」
奈瑠は頷いた。
「おばさん、何て?」
「勇樹は何も悪くないんだから、これからは前を向いて、勇樹の思うとおりの人生を生きてほしいって。知世ちゃんとの結婚も、もし隆治君に遠慮してるんだったら、それは違うって。笹野さん、二人に幸せになってほしいって言ってた」
突っ立ったまま話を聞いていた勇樹は、そっと背を向けて部屋を出て行った。
そして居間から灰皿を持って来て縁側に腰を下ろすと、煙草に火を点けた。
奈瑠も勇樹から少し離れたところに腰を下ろした。
「ねえ勇樹。わたしがどうのこうの言える立場じゃないのはわかってるけど、笹野さんの言うこと、もっともだと思う」
勇樹は何も言わない。
「勇樹は真面目だし、すごくやさしい。だから自分を責めちゃうんだと思う。でも自分らしく生きなきゃダメだよ。きっと隆治君もそれを望んでる。わたしも勇樹には幸せになってほしいの。血は繋がってないけどたった一人の弟だし、わたしのこと、救ってくれたから。だから勇樹のためなら何でもするよ。わたしにできることなら」
吸うでもなく指に挟まれた煙草が、ただ燃えていく。
勇樹はおもむろに口を開いた。
「違うんだよ。俺は真面目でやさしい人間なんかじゃない。違う。おばさんもおじさんも、本当のことを知らないんだ」
「本当のこと?」
「確かに、隆治が死んだのは事故だった。でも俺とバイトかわらなきゃ死なずにすんだのは事実だろ」
「だからそれは」
「しかもあいつにバイトかわってもらって俺がしてたのは……」
勇樹は言葉を飲んだ。
「勇樹?」
「俺はあの晩……俺はあの晩、あいつの彼女と寝てた。知世だよ。隆治が俺の代わりにバイトして、帰りに事故って病院に運び込まれてるときに俺は、あいつの彼女を抱いてたんだ」
「――――」
「最低の人間だよ。姉ちゃんの婚約者なんかよりよっぽど俺の方がひどいよ。人間のクズだよ。親友の彼女に手出してさ、親友死なしてさ、俺が死ねばよかったんだよ」
「やめて! そんな言い方しないで」
「だから俺は、あいつの代わりに俺ができることはやりたいんだ」
「そんなのおかしいよ。そんなことしたって勇樹は隆治君にはなれない。隆治君だってきっとそんなこと望んでない。勇樹は勇樹として生きていくしかないんだよ。それに知世ちゃんのことだって、人を好きになるって理性じゃどうにもならないこともあるから……。これからは、知世ちゃんと二人で幸せになることを考えた方がいいって」
「違う」
「何が違うの」
「違うんだ」
「違わない!」
「違う! あのとき俺は……違うんだ……」
勇樹は険しい表情で深いため息を吐いた。
「俺は、あいつのことが好きだった。隆治のことが好きだったんだ……」
「えっ……」
「でも、好きって言う表現が正しいのかどうか、今でもよくわからない。あんな感情、後にも先にもあのときだけだったから」
少しの間、二人してただ呼吸するだけの時間が過ぎた。
「壊したくなったんだ。隆治と知世の関係も、三人の友情も、訳のわからない感情も、全部ぶっ壊れればいいと思った。だから知世を誘った。今でも本当に、なんであんな気持ちになったのかわからない。わからないんだ……」
勇樹は苦しそうに目を閉じた。
「そのこと、知世ちゃんは知ってるの?」
黙って横に首を振る。
「じゃあ、知世ちゃんのことは……」
「知世のことは大切に思ってる。知世は俺が幸せにしなきゃいけないんだ。俺が……」
「それは愛情なの? それとも、償いのつもり?」
奈瑠は咄嗟にそんなことを口走った。勇樹は驚いた顔で何か言いかけて、黙り込んだ。
「ねえ勇樹、今本当に知世ちゃんのことが好きなら、二人で幸せになるべきだと思う。でも隆治君の代わりに、勇樹が知世ちゃんを幸せにしなきゃいけないと思ってるなら、それはただのエゴだよ。そんなんで知世ちゃんは幸せにはなれない。過去は過去なんだよ。いくら楽しい思い出も悲しい思い出も、所詮過ぎ去ったことなの。いくらもがいたってもう取り返せないの。何勝手にがんじ絡めになってんの? いい加減に目を覚ませば? 笹野さんが言ってた前を向くってそういうことなんじゃないの?」
「姉ちゃんに何がわかるって言うんだよ」
「わからないよ。全然わからない。でも今のままじゃ誰も幸せになれないよ」
「適当なこと言うなよ。姉ちゃんには関係ないだろ」
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