弟がいた時間(きせつ)

川本明青

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8 奈留の役割

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「なんで知世ちゃんに言わなかったの? 誰かにそばにいてほしいなら、知世ちゃんに連絡するのが一番よかったんじゃないの?」

「もう別れたのに迷惑かけられないよ」

「だったら、わたしに連絡してほしかった。前にも言ったでしょ? 勇樹はわたしを救ってくれたんだから、勇樹のためにできることがあるなら何でもするって。それにお母さんは、たとえ短い間だったとしてもわたしのお母さんでもあったんだから」

「でも……やっぱり姉ちゃんにも迷惑かけられないし」

「だから迷惑なんかじゃないんだって」

「何日か前、たまたま車で通りかかって目撃したんだ。カフェのテラス席で、姉ちゃんが楽しそうに男の人と何か見てるの。それもあって、余計に姉ちゃんにも頼っちゃダメだって……」

きっと濱田君と一緒のときのことだ。

「あれはただの大学の同級生だよ。久しぶりに偶然会っただけの」

「もちろん、どういう関係なのかなんてわからないけど、姉ちゃんだって辛いことがあって、やっと誰かとあんなふうに笑えるようになったのに、また俺のゴタゴタに巻き込むのは嫌だったんだ」

「バカじゃないのこんなときに。巻き込んでよ。巻き込んでほしいの。わたしは勇樹が大事なの」

目が合った。昔、家族になりたての頃の勇樹を思い出した。

「明日何時なの? お母さんの手術」

「十時」

「付き添うんでしょ?」

「うん」

「わたしも行く。わたしも勇樹と一緒に付き添う。だけど手術前にお母さんと顔を合わせたりしたらびっくりするだろうから、手術が始まってから行くね」

翌日の十時過ぎ、手術室の手前にある家族の待合室に行くと、他の家族が何組かいる中、勇樹は長椅子に一人で座っていた。大きな病院なので、手術も同時に何件か行われているようだ。

奈瑠は勇樹の隣に腰を下ろした。

「どのくらいかかるんだろうね」

「手術自体は二時間くらいらしいけど、麻酔とかいろいろあるから、全体では四時間くらいだって言ってた」

待合室にいる人たちは、それぞれスマホをいじったり、ついているテレビを眺めたり、小さい声で話をしたりしていた。

奈瑠たちはほとんど話をしなかった。何を話せばいいかわからなかったし、無理に話をするより、ただ隣にいようと思った。


もうすぐ一時になろうという頃、待合室に入って来た中年の女性が、勇樹を見つけて近づいて来た。

「ごめんね。どうしても外せない用があって遅くなっちゃった」

女性は勇樹の向こう隣に座った。勇樹を挟んで顔を合わせ、お互い黙って会釈をする。

「叔母さんなんだ。母さんの妹」

勇樹がまず奈瑠に向かってそう紹介すると、彼女は軽く微笑んでまた少し頭を下げた。

次に叔母さんに向かって奈瑠を紹介しようとして、勇樹は迷ったように言葉を止めた。何と言ったらいいのかわからなかったのだろう。するとすかさず叔母さんが口を開いた。

「あ、何年もおつき合いしてるっていう?」

おそらく知世の存在を知っていて勘違いしたのだろう。勇樹の母親の手術にわざわざ一緒に付き添っているとなれば、そう思われても仕方ない。

「いや、そうじゃないんだけど……」

勇樹はそれだけ言って、後は説明しなかった。言うとすれば「友達」とか「知り合い」とかになるだろうし、それがどうして家族でもないのにこの場にいるのかとなれば、説明がややこしい。この場で話すことでもないだろう。叔母さんはちょっと不思議そうにしていたけれど、それ以上聞かなかった。

それから何十分かして、看護師が待合室に勇樹のお母さんの家族を呼びに来た。手術が終わったらしい。説明をするので先生のところに来てくださいとのことだった。

「じゃあ、わたしはここで」

家族でもないのに、説明にまでついて行くわけにはいかない。

「ああ……うん。ありがとう。後で連絡する」

奈瑠は叔母さんにも挨拶してその場を後にした。


勇樹から電話があったのは夕方五時過ぎだった。

「お母さんの様子はどう?」

〈落ち着いてるよ。今は眠ってる〉

「先生からは、何て?」

〈リンパ節への転移もないって。この後一週間くらい入院して、その後は通院の治療になるらしい〉

「手術は無事成功ってことなんだよね?」

〈うん〉

「よかった。勇樹、今夜は付き添うの?」

〈いや、帰るよ。病院の規則で、大人の患者の夜間の付き添いは原則ナシってなってるしいから〉

「そっか。勇樹も疲れたでしょ。ゆっくり休まなきゃね」

〈姉ちゃん〉

「ん?」

〈ありがとう〉

勇樹の口調は手術前より落ち着いているようで、奈瑠もホッとした。

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