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10 新しい季節へ
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「何なの? もう一つって」
「帰ったら、真っ先に姉ちゃんに会いに行こうって」
「…………」
「一緒に生活していくうちに、俺はいつの間にか姉ちゃんのことを一人の女性として好きになってた。抱きしめてしまいたいって何度も思った。でも許されることじゃないってわかってた。昔姉弟だったからじゃない。俺には、知世がいたから。俺は知世を幸せにしなきゃいけなかったから。俺が他の人を好きになるなんて許されないことだと思ってた。そんな資格ないって。だけど決めたんだ。今まで勝手に隆治の人生を横取りして生きてきたんだから、ちゃんと自分で納得のいくけじめをつけよう。それが済んだら、真っ先に姉ちゃんに会いに行こうって。そして気持ちを伝えようって。姉ちゃんにとって俺はただの弟かもしれない。好きだなんて言ったら困らせて、拒絶されるかもしれない。でもそうだとしても、会いに行こうって。それまでは絶対に連絡を取らないって決めてた。でもこわかったよ。人生何があるかわからないからね。いきなりいい人が現れて、電撃結婚ってことだってありうる。それに……俺は隆治のことが好きだったって言ったから……」
たしかに、そういったことについて全く考えなかったといえば嘘になる。けれど、若い勇樹が自分の気持ちを持て余し、悩み、本気で胸を痛めたことを思うと、それはなにも不自然なことではないと思えた。
「関係ないよ。誰を好きになろうと、勇樹は勇樹じゃない」
「でもずっと考えてたんだ。昨日今日じゃない。本当にずっと。何年も。それはそれでけっこうしんどかったりするんだけどさ」
勇樹はビールをあおってから続けた。
「だけど俺、自分がそういう類の人間だってどうしてもピンとこなくて。はっきりさせたくて、たまに撮影で男性モデルとか来ると、そういう目で見れるかどうか試してたんだ。もちろん頭の中でだよ。その人と俺が抱き合ってキスしたりしてるところを想像したりして。でもやっぱりピンとこなくてさ。別にそういう人たちのことを否定してるわけじゃないよ。そういうんじゃなくて、俺自身は、どうも、馴染まないっていうか……。本当に、あのときの隆治に対する感情は何だったんだろうって思うよ。あいつが生きてたら、そのうちはっきりしたのかな」
「いいんじゃない? はっきりしなくても」
勇樹がふいっとこちらに顔を向けた。
「恋愛感情でも友情でも気の迷いでも、いいんだよ。そのどれかなのかもしれないし、全部なのかもしれない。だって素敵な人だったんでしょ? 隆治君。全部ひっくるめて、わたしは勇樹が好きだから。わたしも勇樹が好き。一人の男として」
すると勇樹は抱えた膝の中に埋まるくらいに顔を伏せた。
「なんか、ヤバい。どうしよう。心臓がもぞもぞする。なんかもうヤバいって」
奈瑠も急激に顔や耳が熱くなって、慌てて話をそらした。
「わたしが仕事始めたっていう会社はね、主に個人旅行のサポートをしたりする会社なんだけど、勇樹の旅行の話、ぜひ聞かせてよ。何かヒントになるものがあるかもしれない。わたしは総務的な事務なんだけど、社長がね、いい企画思いついたらどんどん出してって言ってくれてて。なんか、面白そうだなって」
勇樹は、やっとゆっくりと顔を上げた。
「旅行会社かあ。俺の話、参考になるかなあ。ほぼサバイバルみたいな感じだったし。今度行くときは、もっといいホテルに泊まって、美味いもん食いたいなあ」
「ねえ勇樹」
「ん?」
「もう突然いなくなったりしないでよね。さっき『ただいま』って言ったんだから」
勇樹は大きく一つため息を吐いた。
「そっちでしょ。最初にいなくなったの」
「え?」
「今どき、お世話になりましたって書置き見たときの俺の気持ちわかる? 勘弁してよ」
「あのときは、だって……」
「で、いつ戻って来んの?」
「え?」
「会社。姉ちゃんの実家よりここの方が近いじゃん」
「そうだけど……」
「また姉ちゃんの作った辛いカレーが食べたい」
「食べられなかったくせに」
「今度は食べるよ」
「絶対?」
「絶対」
「命賭ける?」
「賭ける」
「じゃあ、煙草もやめる?」
「それは……まあ、追々」
新しい季節を、勇樹と一緒に迎えよう。二人でちゃんと、前を向いて。
「あのさあ、姉ちゃん」
「うん?」
「姉ちゃんって呼ぶの、やめていい?」
〈 了 〉
「帰ったら、真っ先に姉ちゃんに会いに行こうって」
「…………」
「一緒に生活していくうちに、俺はいつの間にか姉ちゃんのことを一人の女性として好きになってた。抱きしめてしまいたいって何度も思った。でも許されることじゃないってわかってた。昔姉弟だったからじゃない。俺には、知世がいたから。俺は知世を幸せにしなきゃいけなかったから。俺が他の人を好きになるなんて許されないことだと思ってた。そんな資格ないって。だけど決めたんだ。今まで勝手に隆治の人生を横取りして生きてきたんだから、ちゃんと自分で納得のいくけじめをつけよう。それが済んだら、真っ先に姉ちゃんに会いに行こうって。そして気持ちを伝えようって。姉ちゃんにとって俺はただの弟かもしれない。好きだなんて言ったら困らせて、拒絶されるかもしれない。でもそうだとしても、会いに行こうって。それまでは絶対に連絡を取らないって決めてた。でもこわかったよ。人生何があるかわからないからね。いきなりいい人が現れて、電撃結婚ってことだってありうる。それに……俺は隆治のことが好きだったって言ったから……」
たしかに、そういったことについて全く考えなかったといえば嘘になる。けれど、若い勇樹が自分の気持ちを持て余し、悩み、本気で胸を痛めたことを思うと、それはなにも不自然なことではないと思えた。
「関係ないよ。誰を好きになろうと、勇樹は勇樹じゃない」
「でもずっと考えてたんだ。昨日今日じゃない。本当にずっと。何年も。それはそれでけっこうしんどかったりするんだけどさ」
勇樹はビールをあおってから続けた。
「だけど俺、自分がそういう類の人間だってどうしてもピンとこなくて。はっきりさせたくて、たまに撮影で男性モデルとか来ると、そういう目で見れるかどうか試してたんだ。もちろん頭の中でだよ。その人と俺が抱き合ってキスしたりしてるところを想像したりして。でもやっぱりピンとこなくてさ。別にそういう人たちのことを否定してるわけじゃないよ。そういうんじゃなくて、俺自身は、どうも、馴染まないっていうか……。本当に、あのときの隆治に対する感情は何だったんだろうって思うよ。あいつが生きてたら、そのうちはっきりしたのかな」
「いいんじゃない? はっきりしなくても」
勇樹がふいっとこちらに顔を向けた。
「恋愛感情でも友情でも気の迷いでも、いいんだよ。そのどれかなのかもしれないし、全部なのかもしれない。だって素敵な人だったんでしょ? 隆治君。全部ひっくるめて、わたしは勇樹が好きだから。わたしも勇樹が好き。一人の男として」
すると勇樹は抱えた膝の中に埋まるくらいに顔を伏せた。
「なんか、ヤバい。どうしよう。心臓がもぞもぞする。なんかもうヤバいって」
奈瑠も急激に顔や耳が熱くなって、慌てて話をそらした。
「わたしが仕事始めたっていう会社はね、主に個人旅行のサポートをしたりする会社なんだけど、勇樹の旅行の話、ぜひ聞かせてよ。何かヒントになるものがあるかもしれない。わたしは総務的な事務なんだけど、社長がね、いい企画思いついたらどんどん出してって言ってくれてて。なんか、面白そうだなって」
勇樹は、やっとゆっくりと顔を上げた。
「旅行会社かあ。俺の話、参考になるかなあ。ほぼサバイバルみたいな感じだったし。今度行くときは、もっといいホテルに泊まって、美味いもん食いたいなあ」
「ねえ勇樹」
「ん?」
「もう突然いなくなったりしないでよね。さっき『ただいま』って言ったんだから」
勇樹は大きく一つため息を吐いた。
「そっちでしょ。最初にいなくなったの」
「え?」
「今どき、お世話になりましたって書置き見たときの俺の気持ちわかる? 勘弁してよ」
「あのときは、だって……」
「で、いつ戻って来んの?」
「え?」
「会社。姉ちゃんの実家よりここの方が近いじゃん」
「そうだけど……」
「また姉ちゃんの作った辛いカレーが食べたい」
「食べられなかったくせに」
「今度は食べるよ」
「絶対?」
「絶対」
「命賭ける?」
「賭ける」
「じゃあ、煙草もやめる?」
「それは……まあ、追々」
新しい季節を、勇樹と一緒に迎えよう。二人でちゃんと、前を向いて。
「あのさあ、姉ちゃん」
「うん?」
「姉ちゃんって呼ぶの、やめていい?」
〈 了 〉
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