世界(ところ)、異(かわ)れば片魔神

緋野 真人

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異世界のリアル

不信、渦巻く島

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「――まだか?、まだ来ぬのかぁ~?」

 オレンジ色に滲む夕空の日差しが、石畳を鈍く照らしている広場の真ん中で、その男は途方に暮れた様に、口を半開きにしてその夕空を見上げていた。


 男は、茶色い髪色からするとヒュマド族の様で、見た目からの年の頃は40そこそ――明らかに豪奢な造りのローブを身に纏い、何よりも特徴的なのは、首筋にまで達しているピロ~ンとストレートパーマでもかけた様に細く延びたチョビ髭であろう。


 この男の名は、トラメス・ヒュマド・ガムバスマ――生業を表す、ラストネームの意味は『執政官ガムバスマ』である。


 彼が空を見上げ、何かを待っているこの石畳造りの広場は、ランジュルデ島の大半を見渡す事が出来る小高い丘の上に立っている、その名もストレートに『ランジュルデ城』と呼ばれる城の中庭だった。

「領主として着任されるアデナ・サラギナーニア様は、今朝デュルゴでワールアークを御発ちになられ……遅くとも、本日中にはご到着なされる手筈との報せ。

 ところが、もはや夕刻ではないかぁ……」

 そう、彼が空を見上げて待っているのは、この城に飛竜に乗ってやって来る事となっている、コータ自身の事。

 気付いてみれば、この中庭で彼の到着を待って空を見上げているのは、このトラメス一人だけではなく、彼の様な正装に身を包んだ文官に始まり、鎧を着込んだ城付きの騎士たち、雑着を羽織った奴隷に近い身分に見える男の集団も居れば、ある趣向の者が見たら発狂しそうな、どこぞのカフェのメイド服そっくりな服を纏った女性の集団も見受けられる。


 ちなみに――コータはその『ある趣向』の者ではないと、強く補足しておこう。


「――もしや、道中で何か、あったのでは⁈

 海賊の襲撃や万が一の船の転覆などを考慮して、デュルゴを用いる事にしたと、側近に着いたというロトバナラからの報せにあったのだが……」

 ――と、トラメスはハッとなり、顔をしかめて不穏な懸念を吐露する。

(――もし、そうなったらこの島の処遇は現状維持となって、私は仕事も立場も変わらず、何の憂慮も無く、この宝の島を牛耳り続ける事が出来るのだがなぁ……)

 ――が、本心では、このトラメスという男……コータの着任と領主就任を、快く思ってはおらず、彼はこの事態が自分の利に働く事を密かに願っているのだった。


 このランジュルデ島は元々、領主を頂く荘園制度が敷かれた政治体制ではなく、ヒュマドの国から派遣された執政官が、税や物資を徴収して国庫へと送る責務を負う形が取られていた。

 大まかに解り易くするため、現世の日本に準えるとすれば――このトラメスは、これまで持っていた権限からしても、選挙を介さない指名制で選ばれて派遣される形の『知事』に値する。

 ところが、今回の魔神封じに因る何某で、島の治政は領主制へと移行――言わば『知事』から『大名』へと、現世の感覚からすれば逆行する形で、その『大名=領主』にはコータが、『知事=執政官』たるトラメスには、それを補佐する役割が与えられる事となったのだ。

 実はこのトラメス――及び、それに近しい者などは、この宝の島とまで言われるランジュルデ島に在る、様々な利権を牛耳っており、それを使って、国庫への納税額を誤魔化したり、関連する商人などから賄賂の類をせしめたり、イロイロな手を尽くして私腹を肥やしているという、仄暗い現実がある。

 もちろん、これは彼に限らず、歴代の執政官の全てが、この不正や腐敗に手を染めていると言っても可笑しくはなかった。


『――領主制になって、ドワネやホビルからも多くの人が移って来るんだ――きっと、この島の未来は変わるっ!』

 ――などと思っている楽観的な島民は、実に少数で……

『――執政官じゃなくて、今度はその領主ってのが不正するに決まってんだろ?』

『いやいや――それどころか、あのアデナ・サラギナーニアは、現世じゃ政治まつりごとの事なんて何も知らない、一般人だったってハナシだぜ?

 ありゃあ只のお飾り――このまま、トラメスのチョビ髭が上手くチョロまかして牛耳り続けるってオチだよ』

 ――と、悲観的な意見が島内を占めていた。



「――へっ⁈、くしょんっ!!!」


 ――と、そんな大きなくしゃみの声が響いたのは、洋上を行く客船の甲板上。

 くしゃみの張本人は、何を隠そうコータである。

「――コータ様?、よもや慣れない夕刻の潮風が祟って、お風邪でも?」

「いや、一瞬、鼻にムズっと来ただけだから、心配要らないよ」

 コータ付きの医官であるクレアが、当然の様にそう彼の身体を気遣ったが、コータは片手を挙げて恥ずかしそうに笑ってみせた。


 海賊騒動の終結後、コータは……

「――せっかくだから、皆と一緒にこの船に乗って行くのもアリかな?」

 ――と、このままの乗船を提案…先の凱旋行脚に続き、先程の活躍も相まって、乗船しているドワネ族やホビル族の皆の好感度をすっかり鷲掴みにしていた、新たな主である彼の同乗の提案には皆から歓喜の声が沸き上がった。

「……仕方ありませんなぁ、まあ、この空ならば悪天候での海難などは考え難いですしね。

 では私は、リンダと共に城へと先行して、ご到着は明日の早朝――海賊の襲撃で来港が遅れる、このドワネ船で来られる旨を伝えて参ります」

 その意思を渋々呑んだアイリスは、そう言って残念そうにリンダの長い首筋を撫でる。

「うん、お願い――あっ、わざわざ戻って来るこたぁ無いよ?、リンダと一緒に島で待っててくれ」

 言葉の端に、近衛兵たる離れようとは思い難い心情が滲んだアイリスの言葉に、コータは手間を掛けない様にと、そんな命令を付与した。

「……解り申した、では明日…ご到着をお待ちしております」

 ――と、アイリスは少し寂しげにそう応えると、、リンダに飛び立つ下知をくれ、夕焼けが滲み始めた空へと飛んで行った。



(アイリスとリンダは、もう着いた頃かなぁ?)

 去って行く飛竜の背を思い出していたコータは、島がある方向を気にして空を見上げた。


(ふふふ……大方、遅れる報せを聞いた島の者が、随分と気紛れな領主だと嘲笑った故のくしゃみなのではないか?)

 ――などと、精神世界のサラキオスは、コータの唐突なくしゃみをそう揶揄する。

(そこに『頼りない』も付くって言いたいんだろ?、自分が一番解ってるっての。

 自分が如何に、分不相応な仕事に就く事になっちまったのはさ……)

 コータもコータで、実に自虐的な愚痴を、の心中の魔神様に溢してみせた。

(なぁに、心配は要らぬわい。

 我は、お前が自分で思っているよりも、相応な役割を得たと思っておるぞ?

 この船に乗る、ドワネやホビルの者たちの様子しかり――お前には、人心を惹き付ける『何か』を感じる。

 それに、能力や知識の不足などは、そんな時こその『魔神もーど』があるのじゃからな♪)

 サラキオスはしみじみと、そして、おどけた様な言い回しも交えながら、身体を同じくする『相棒』を誉め、鼓舞してみせるのだった。




 ――さて、場面は城の中庭へと戻り……


 ――バサァッ!、バサッ!、バサッ!


「――おおっ⁉、飛竜が羽ばたく音!!」

 ――と、待ち兼ねた羽音に、中庭に集った全員から歓声が上がった。

「やれやれ、ようやく……ん?」

 ホッとした体で、着任する領主の顔をいち早く確認しようと、トラメスは遠眼鏡を手に取って覗いたが、目標の飛竜の背に居るのは、鎧を纏った御者只一人という状況に顔をしかめた。

「領主様は、デュルゴに乗って居られん……どういうコトじゃぁ?」


 ――ええぇぇぇっ⁉


 呆気に取られた様なトラメスの独り言に、その場の歓声は一気に落胆の声へと変わった。


「――方々に申し上げぇ~るっ!、ランジュルデ卿、コータ・アデナ・サラギナーニア様のご到着は、諸事情に因り明朝と相成ったぁっ!」

 ――と、先程の歓声に応える形で、腰から抜いた白刃を天に掲げたアイリスの声が、中庭の皆へと響き、しばらくして、アイリスはゆっくりと、リンダを広場の石畳へと着陸させた。


「しょ、諸事情とは一体、どういう了見か?、ロトバナラ殿よ」

(――流石に死なれたりして、魔神再臨となっては困るが……領主就任を拒んで、計画自体が立ち消えた――とかに、なってくれたのなら嬉しいが)

 ――と、トラメスは慌てて心配する素振りで、アイリスに仔細を尋ねるが、心中では言葉とは相反するそんな思いを抱いていた。

「実は、道中で海賊の襲撃を受ける船団に出くわしましてな」

「なっ、なんですと⁈」

 神妙な表情で応えるアイリスに、トラメスはは驚いた様子で顔をしかめ……

(――それで、そんな危うい僻地では暮らしたくないと言い出して、この話はご破算に……頼むっ!、そうなってくれぇ~っ!)

 ――が、これもまた、心中では領主就任が破談となる事を願っていた。

「――それを、コータ様は勇敢にもたったお一人で、その海賊どもを退けましてなっ!、いやぁ~っ!、あの雄姿は方々にも見せとうございましたぁ~っ♪」

 アイリスは興奮気味に拳を握り、嬉々として海賊戦の顛末を得々と皆に語り始める。

 そのアイリスが語る『コータ様武勇伝』に、主に鎧を着た騎士や衛兵などからは呼応した歓声が上がるが――トラメスを始めとした主要文官の顔色からは、何やら落胆が滲む表情が見て取れた。

「――その船は丁度、ドワネとホビルから贈られた人員を乗せた船でして、どうせならば、このまま後の臣下となる皆と共に、ゆるりと参ろうとなりましてな。

 故の遅参の報せを、私が受け賜った次第にございます――ガムバスマ様」

 アイリスは、身分的には上に当たるトラメスに合わせて畏まり、コータの意向を彼に伝えた。

「う、うむ――とっ、とりあえず、サラギナーニア様がご無事で何より。

 報せ、大儀でございましたなぁ、ロトバナラ殿よ」

 トラメスは引き攣り気味の顔で、月並みな労いをアイリスに贈った。

(――まぁ、そうも都合良く行かずとも当たり前かぁ。

 じゃが、今の状況を継続させる手は、幾らでも残っている――相手は好色と噂の異界人、大方、船に残るというのも、ごまんと派遣されたはずの色奴隷を、一晩掛けてタップリ味見したくなったからじゃろう。

 そうして、色に夢中となり、政治に気を向けさせなければ私の立場は安泰なはず♪

 そうじゃぁ……そのために、城のメイドたちも選りすぐりの美形に総入れ替えしたのだ、いっそ骨抜きにして、名前だけの領主として傀儡と化すのも悪くない♪)

 ――と、トラメスはアイリスへの愛想笑いの下で、心中でそんな野望を企て、ほくそ笑んでいた。




 そして、翌日の早朝――城の者に加え、動員気味に伝わった報せに応える形で、島の全人口に近い人数が港に集まり、来港迫るアデナ・サラギナーニアが乗る船を出迎えた。


(――ココが、ランジュルデ島……俺の、いや、俺が任された島)

 吸い込まれる様に岸壁へと迫って行く、客船の甲板上に立ったコータは、空は晴れ渡り、海は透き通る様に蒼く、樹々は生命力に満ち満ちた緑で溢れる、見るからに風光明媚で、そんな楽園の様な島の全景を噛み締め、その与えられた重責もまざまざと感じ、彼は唇を噛み締めるのだった。
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