33 / 48
馬車は正義へ
1
しおりを挟む目を開けると、頭上には見慣れた公爵家の自室の天井が見えた。部屋は薄暗く、空気はひんやりとしている。窓から少し光が差しているので今は明け方か夕方のどちらかだろうか。
「痛い……」
仰向けの状態から手をついて上半身を起こそうとすると、左肩に鈍痛が走った。
(そっか、撃たれたんだっけ……)
狩猟の場での襲撃のことを思い出しながら、恐る恐る包帯の巻かれた左肩に触れる。
指先が触れると少し痛みが走るが、触ってみる限りそこまでひどい傷ではなさそうだった。左手の指を動かしてみても問題はない。固定するように包帯が巻かれているが、腕の感覚もきちんとあることに安堵した。
寝台から足を下ろして立ち上がると、少し体がふらついた。寝すぎたのか、まだ熱があるのか、足腰に力が入りきらないような感じだ。明かりを灯して窓から外を覗くと、灰色の空からしとしと雨が降っていた。時折庭で使用人が作業をしているのが見えるので、どうやら夕方のようだ。
「リンジー、意識が戻ったのね!」
背後で扉があいたかと思うと侍女のメアリがめずらしく足音を立てて入ってきて声を張り上げた。水を取り替えに来たのか、手にはポットや水差しをのせたお盆を抱えている。
「よかった……そんなところに立ってないで、座るなり横になるなりして頂戴!」
声を震わせたメアリは、寝間着のまま突っ立っている私の姿を見てすぐに猫目を吊り上げてぷりぷりと怒り出した。
「ごめんなさい、心配かけたわね」
「いいから、体は辛い? 横になった方がいいんじゃない?」
メアリに問い掛けられ、少し考えてから首を振った。体はだるいがもう眠気はないし、あの後どうなったのかが気になって仕方なかった。
メアリがきびきびと動き回り、戸口の護衛に口早に何か伝えてから私にガウンを羽織らせて長椅子に座るよう促した。背中には程よい弾力のクッションを挟まれ、濡らした布で顔を拭われた後になにやらあたたかいカップを手渡される。
カップの中身は湯冷ましだった。じんわりとあたたかさが広がっていく。のどを潤してからカップで手を暖めるようにして包み込んだ。
「メアリ、あの、」
「……私は何も話しちゃいけないの」
向かいに腰掛けた彼女に問いかけようとすると、曇った顔で釘を刺される。申し訳なさそうにしているが、先に言ってもらえてよかった。
「そう、気にしないで。そういえばメアリ、デートは?」
「そんなの行けるわけないでしょ!ずっと起きないから本当に心配したのよ」
釣り上がっていた猫目がじわじわとうるんでいく。
カップを置いて彼女に詫びながらその背をさすっていると、廊下から足音が聞こえてきた。メアリが慌てて立ち上がって扉を開けると、公爵とトレーを手にした執事のマーティンが入ってきた。
「リンジー様! あぁよかった。お体の具合はいかがですか?」
「少しだるいくらいよ、ありがとう」
トレーを置いた執事は二言三言会話を交わすと、まだ世話を焼きたそうなメアリを促して部屋を出ていった。
部屋に残された公爵がメアリの座っていた椅子にゆっくりと腰を下ろす。起き抜けだということを思い出して私は居心地が悪くなって身じろいだ。
「寝ていなくていいのか?」
「はい」
「そうか」
一往復して会話が終わってしまった。私の肩あたりを見つめる公爵の眉間には深いしわが刻まれていた。
別荘の奥の部屋で大人しくしてさえいればよかったのに、結局いろんな人に迷惑をかけてしまった。公爵が機嫌を害するのも最もだろう。
「あの……勝手に抜け出して申し訳ありませんでした。皇太子を危険にさらして傷まで負ってしまって」
言いながらじわじわと実感が湧いてきた。もしかしたらあの場で死んでいたかもしれない、そう思うと恐怖で体がぞっと震えた。
「寒いのか」
がたっと立ち上がった公爵がどこからかひざ掛けをとってきて私の膝に広げる。
「すみません、ありがとうございます」
かけ終えた公爵が椅子に座って、背中を丸め膝に肘をつき顔の前で手を合わせるようにしながら深くため息をついた。
「謝罪なんていいんだ。君が目を覚まさなかったらどうしようかと……」
いつになく弱弱しく言う公爵の姿に、申し訳なさで胸が痛んだ。
「……顔が赤いな」
不意に呟いた公爵が私の顔に手をかざしてきて思わず目をつぶると、瞼越しに影が落ちて額にひんやりとした手が触れた。火照った顔が冷やされて気持ちがいい。
少しして目を開けると、思ったよりも近いところにいたその姿に心臓が跳ね上がる。視線がばちっと合うと、公爵がその手をさっと放した。
「マーティンに食事の用意をさせたんだ。食べられるだろうか」
公爵はそう言うと執事のおいていったトレーを持ってきてくれた。トレーからは甘い香りが漂っていて、その香りをかいだ途端、私のお腹がきゅるゅると情けなく鳴った。
「食欲はありそうだな」
「いただきます」
目を丸くした後に微笑んだ公爵からパン粥の入った皿を受け取り、恥ずかしさで真っ赤になりながら食べ始める。優しい甘さが身体に染み渡った。
食事を終えるとまた少し沈黙があり、公爵が気遣わしげに言った。
「もう横になるか? メアリを呼んだ方がいいだろうか?」
「いえ、あの……あの後どうなったのかが気になって。教えてもらえる範囲でいいんです」
少し黙り込んだ後、辛くなったらすぐ言うようにと念を押して、オリバー様は話し始めた。
あれから二日が経過しているらしい。現場に駆け付けたのはごく少数の人間で、事件のことは皇太子と国王との間で内密に処理された。犯人の三人組の男も逮捕はされたものの表沙汰にはなっていないらしい。多分調査は進んでいるんだろうが、公爵は犯人が誰の手先なのか明かさなかった。
応急処置を済ませた私はすぐに王都へ運ばれて、そのまま高熱を出して寝たきりだったそうだ。
一方、皇太子はすっかり回復して公務に出席しているとのことだった。安心したが、傷だらけだったように記憶していたのでどこかひっかかった。しかし、崖から落ちた頃の私の意識は朦朧としていたし、自分の血が皇太子の服についたのを勘違いしたのかもしれない。
会話がふと途切れた。カップを傾けると中身はすっかり冷えてしまっていた。気づいた公爵がわざわざいれなおしてくれる。カップを渡しながら、公爵が再び話し始める。
「君と殿下は昔の友人で……二人で散策していて揉め事があったのではないかという噂が流れている」
「それは、ご迷惑をお掛けします」
いかにも受けそうな噂だと思った。もしかしたら日傘の件ですでに噂があったのかもしれない。自分の軽はずみな行動を後悔した。
謝罪を重ねて、もう一つ自分たちが巻き込んだ人の存在に思い当たった。あの日、私と皇太子が出し抜いた護衛のことだ。
「あの日の護衛は、どうなったでしょう?」
「護衛? あぁ、処罰という意味なら、事件自体が存在しないことになってるからな。配置を変えただけだ」
ひとまずよかったと胸を撫で下ろす。その様子を見ていた公爵がそっと右手を握った。
「リンジー、これに懲りたならもう無茶をしないでくれ」
言い聞かせるようにいう公爵に長男の姿が重なって、こくりと頷いた。
「陛下から休暇の許可が出たんだ。体が良くなったら街へでも出掛けよう。ずっと退屈してただろう」
何か要望があるかと聞かれて思わず口をついた。
「宮殿に連れて行ってくださいませんか」
公爵が怪訝そうにこちらを見返す。
「陛下に直接お話しなければいけないことがあるんです」
突飛な話になってしまったが、公爵は真剣な顔だった。
「それは、前に話していた過去のことが関係するんだろうか」
流石の察しの良さだ。ちゃんと聞いてくれていたんだなと思いながら肯定した。
「えぇ、全部思い出したんです。そのことで陛下にも伝えなければいけないことができてしまって」
「分かった。陛下も意識を取り戻したら知らせるようにと言っていた。すぐに謁見できるだろう」
話がまとまったところで、メアリともう一人侍女が部屋へやってきた。起きていられるうちにと湯浴みを済ませると体も気持ちもすっきりとした。
0
あなたにおすすめの小説
【コミカライズ企画進行中】ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!
あきのみどり
恋愛
【ヒロイン溺愛のシスコンお兄様(予定)×悪役令嬢(予定)】
小説の悪役令嬢に転生した令嬢グステルは、自分がいずれヒロインを陥れ、失敗し、獄死する運命であることを知っていた。
その運命から逃れるべく、九つの時に家出を決行。平穏に生きていたが…。
ある日彼女のもとへ、その運命に引き戻そうとする青年がやってきた。
その青年が、ヒロインを溺愛する彼女の兄、自分の天敵たる男だと知りグステルは怯えるが、彼はなぜかグステルにぜんぜん冷たくない。それどころか彼女のもとへ日参し、大事なはずの妹も蔑ろにしはじめて──。
優しいはずのヒロインにもひがまれ、さらに実家にはグステルの偽者も現れて物語は次第に思ってもみなかった方向へ。
運命を変えようとした悪役令嬢予定者グステルと、そんな彼女にうっかりシスコンの運命を変えられてしまった次期侯爵の想定外ラブコメ。
※コミカライズ企画進行中
なろうさんにも同作品を投稿中です。
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
二年後、可愛かった彼の変貌に興ざめ(偽者でしょう?)
岬 空弥
恋愛
二歳年下のユーレットに人目惚れした侯爵家の一人娘エリシア。自分の気持ちを素直に伝えてくる彼女に戸惑いながらも、次第に彼女に好意を持つようになって行くユーレット。しかし大人になりきれない不器用な彼の言動は周りに誤解を与えるようなものばかりだった。ある日、そんなユーレットの態度を誤解した幼馴染のリーシャによって二人の関係は壊されてしまう。
エリシアの卒業式の日、意を決したユーレットは言った。「俺が卒業したら絶対迎えに行く。だから待っていてほしい」
二年の時は、彼らを成長させたはずなのだが・・・。
氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁
瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。
彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる