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XXII 思い出せない記憶-I
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自身は幼少期から感情をコントロールする事が苦手で、一度でも機嫌を悪くすると暫くは立ち直れない性格をしていた。
その病的な苛立ちを、酒で誤魔化せる事に気付いたのは自身が18の頃だ。
今の仕事で、無茶な要望や理不尽な暴言を受けた時は必ずと言って良い程、限界まで酒を飲んでいた。
今日の件は、仕事の苛立ちの様に酒で誤魔化せるものでは決してない。今晩酒で忘れたとしても、明日の朝にはまた事件の事で思考が埋め尽くされる。
しかし、この沸き上がる怒りを何とか抑えるにはそれしか無かった。
「――別にやけ酒するのは良いけど、声潰さないようにね。潰すには勿体ない声してるんだから」
「そんな簡単に潰れねぇよ」
「セディなら遣り兼ねないから言ってるんだよ」
数歩後ろから聞こえるマーシャの声を、遮る様に酒場の扉を開ける。
満席では無いものの、客の数は多い。女主人に2人分の安価な酒を頼み、偶然にも空席だった4人掛けのテーブルに着く。
「酒なら家で飲めばいいのに……。エルちゃん、家で待ってるんでしょ?」
「酔える程家に酒があれば最初からそうしてる」
テーブルに運ばれてきた2つのパイントグラスには、並々と酒が注がれている。マーシャと共にグラスを手に取り、乾杯も無しにグラスに口を付けた。
酒場の安酒は、当然の事ながら味が良いとは言い難い。強いアルコールの味と後味の悪さに顔を歪め、中身が半分程減ったグラスを叩き付ける様にテーブルに置く。
「あんたがまさか、この店を選ぶとはね……」
テーブルに頬杖を突いたマーシャが、嘆く様に言った。
此処は所謂、風俗店と呼ばれる店だ。表向きではただの飲み屋だが、この店の女給の殆どが裏で娼婦として商売している。
勿論、酒を飲みに来るだけの客や女の客も居るが、基本的には女を買う場所だ。俺が特に毛嫌いしている店でもあったが、恐らくマーシャが言っているのはその事では無いだろう。
「……酒が安く飲める店なんて、此処くらいしかねぇだろ。それに――」
頬杖を突き、女給に視線を向ける。
店に立っている女の数は、主人を除いて4人。その中で、一際目を引く容姿の整った女。
「被害者から聞き出すのが一番、手っ取り早いからな」
視線の先の彼女は、こんな店で働いている事が惜しくも思える程の顔立ちだ。彼女こそが、婦女暴行事件の6人目の被害者、アリア・ベックフォードで間違いないだろう。
「……そんな事だろうと思ってたけど……。でもどうする気? いきなり警察でもない人間に事件の事聞かれたら、あの子も身構えちゃうんじゃない? まさか、あの子の事買う気じゃないでしょうね?」
「俺が本気でそんな事すると思ってんのかよ。聞かなくたってどうせ全部分かってんだろ」
「今のあんたからは雑念しか流れて来なくて、肝心の内容が見えてこないんだよね。そう言うんだったらいつもの分かり易いセディで居てよ」
マーシャが普段通りの意地の悪い笑みを浮かべ、グラスに残った酒を一気に飲み干した。
視線の先のアリアは、楽し気に客の男達と戯れている。彼女の笑顔を見る限り、事件の後遺症は特にない様だ。
「――!」
自身の視線に気づいたアリアが、顔を上げた。彼女がにこりと此方に微笑みかける。
しまった、と思ってももう遅い。笑顔のアリアが此方に近づいてくる気配を感じながら、頭を抱える様にして項垂れた。
その病的な苛立ちを、酒で誤魔化せる事に気付いたのは自身が18の頃だ。
今の仕事で、無茶な要望や理不尽な暴言を受けた時は必ずと言って良い程、限界まで酒を飲んでいた。
今日の件は、仕事の苛立ちの様に酒で誤魔化せるものでは決してない。今晩酒で忘れたとしても、明日の朝にはまた事件の事で思考が埋め尽くされる。
しかし、この沸き上がる怒りを何とか抑えるにはそれしか無かった。
「――別にやけ酒するのは良いけど、声潰さないようにね。潰すには勿体ない声してるんだから」
「そんな簡単に潰れねぇよ」
「セディなら遣り兼ねないから言ってるんだよ」
数歩後ろから聞こえるマーシャの声を、遮る様に酒場の扉を開ける。
満席では無いものの、客の数は多い。女主人に2人分の安価な酒を頼み、偶然にも空席だった4人掛けのテーブルに着く。
「酒なら家で飲めばいいのに……。エルちゃん、家で待ってるんでしょ?」
「酔える程家に酒があれば最初からそうしてる」
テーブルに運ばれてきた2つのパイントグラスには、並々と酒が注がれている。マーシャと共にグラスを手に取り、乾杯も無しにグラスに口を付けた。
酒場の安酒は、当然の事ながら味が良いとは言い難い。強いアルコールの味と後味の悪さに顔を歪め、中身が半分程減ったグラスを叩き付ける様にテーブルに置く。
「あんたがまさか、この店を選ぶとはね……」
テーブルに頬杖を突いたマーシャが、嘆く様に言った。
此処は所謂、風俗店と呼ばれる店だ。表向きではただの飲み屋だが、この店の女給の殆どが裏で娼婦として商売している。
勿論、酒を飲みに来るだけの客や女の客も居るが、基本的には女を買う場所だ。俺が特に毛嫌いしている店でもあったが、恐らくマーシャが言っているのはその事では無いだろう。
「……酒が安く飲める店なんて、此処くらいしかねぇだろ。それに――」
頬杖を突き、女給に視線を向ける。
店に立っている女の数は、主人を除いて4人。その中で、一際目を引く容姿の整った女。
「被害者から聞き出すのが一番、手っ取り早いからな」
視線の先の彼女は、こんな店で働いている事が惜しくも思える程の顔立ちだ。彼女こそが、婦女暴行事件の6人目の被害者、アリア・ベックフォードで間違いないだろう。
「……そんな事だろうと思ってたけど……。でもどうする気? いきなり警察でもない人間に事件の事聞かれたら、あの子も身構えちゃうんじゃない? まさか、あの子の事買う気じゃないでしょうね?」
「俺が本気でそんな事すると思ってんのかよ。聞かなくたってどうせ全部分かってんだろ」
「今のあんたからは雑念しか流れて来なくて、肝心の内容が見えてこないんだよね。そう言うんだったらいつもの分かり易いセディで居てよ」
マーシャが普段通りの意地の悪い笑みを浮かべ、グラスに残った酒を一気に飲み干した。
視線の先のアリアは、楽し気に客の男達と戯れている。彼女の笑顔を見る限り、事件の後遺症は特にない様だ。
「――!」
自身の視線に気づいたアリアが、顔を上げた。彼女がにこりと此方に微笑みかける。
しまった、と思ってももう遅い。笑顔のアリアが此方に近づいてくる気配を感じながら、頭を抱える様にして項垂れた。
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